第一章 転校生 周理音 その③四人の風景
――理音には蛍と関わらないでもらおう。
そう決心した、しかし、その翌日の放課後。
愛良先輩が理音をボランティア部に引っ張り込んできたのだった。
それも彼の腕をがっちりと掴み、どう見ても無理やり連れてきたとしか言えない状態で。その上、
「見て見てーん! 新入部員をゲットでちゅ~~!! あ、ゲットだぜいえいえいえいえいえいえーい、の方がいいかしら?」
この上なく腹の立つ顔と物言いをしてくれた。声に咲いた花が明るい黄色の〝パンジー〟というのも、なんだかシャクに障った。
「……どこへなりとも旅に出ればいいのに。一人で」
「ちょっ!? し、辛辣ね、ずいぶんな言い方じゃないの……、愛良先輩びっくりよ?」
「愛良先輩にさよならバイバイ」
「ムジヒー!!」
辛辣にも無慈悲にもなるってものだ。どう責任取ってくれるつもりなんだろうか、この乾ききった空気。蛍と理音はちょうど対角線上に位置していた。
二人とも無言のままお互いを見つめ合っているだけなのに、鍔迫り合いをしている風な緊迫感が漂っている。俺と愛良先輩も対角線上にいる。
ようやく事態の異変に気づいたのか、愛良先輩はオッドアイを白黒させていた。俺たちを点として、その点を線で結んでいけば不調和スクエアの完成だ。
…………。ほんとう、どうしよう。
立ち竦んでいる俺の前を、理音が通り過ぎていこうとしていた。本来であれば、俺がなんらかのアクションを取るべき場面だ。蛍と理音を接触させない意思を固めたんだから。
だというのに俺は、石化の魔法でもかけられたみたいに動けなかった。
理音が歩いている、ただそれだけ。それだけの身のこなしが呆れるほどに綺麗で、理音の歩行を妨げてはいけない気がした。
理音が蛍の元へ行くのが、あらかじめ定められたことのように正しく思えた。
そうしているうち、理音と蛍が相対する。
「……っ」
緊張から蛍の呼吸が乱れた。呼気につぼんだ〝ラベンダー〟が咲いている。
声に咲く花を見た俺は、突然魔法が解けた。けれど、動けるようになった体に頭がついていかず、結果つんのめった。
崩した体勢を立て直す最中、理音が制服のポケットに手を入れるのがわかった。理音は長方形の板のようなものを取り出した。
ケータイかと思ったけれど、少なくとも俺の持っているケータイとは別物だった。手のひらサイズの板の表面を、人差し指でなぞっている理音は、今度はその板を蛍に向けた。
次の瞬間、なにかがしゃべりだした。
《昨日ハ、失礼ナコトヲ言ッテ、悪カッタ。コノ音声、アンタニドウカナト思ッテ、作ッテミタ》
それは言葉の羅列に思えた。一本調子のイントネーションで淡々と置かれていく言の葉。無機質で温かみのない、高音の機械の声。でも、その声は、その音は、蛍には発することが困難なもので、たぶん蛍が一番欲しているものだった。
「作ってみたのは簡単なあいさつと、非常時用の音声。とりあえずはそれだけだ。聞いてみるか?」
全身をしなるように使って蛍が頷いた。
理音も頷き返し「連続再生させる」とつぶやいて、指を板の表面に滑らせた。
《――オハヨウゴザイマス。――コンニチハ。――コンバンハ。――サヨウナラ。――アリガトウゴザイマス。――ゴメンナサイ。――私ハ声ヲ出スコトガデキマセン。――私ハイマ困ッテイマス。――私ハイマ助ケガ必要デス》
機械の声が一定の間を置いて空気を振動させた。感情も温度もない声のはずなのに、オーケストラの心震わす演奏を聞き終えた直後のように、うっとりとしている蛍がいた。
「す…いっ…」
すごい、と震わせた声に咲いたのは大輪の〝マーガレット〟だった。
大きな瞳が、夜空に光る星のように輝いている。蛍の理音を見る目がそれまでとは違っていた。
なにかを言わなくちゃいけないと思った。内容はどんなものでも構わない。とにかく俺がここにいることを示したい。そんな焦燥に駆られていた。
「そ……れ、どうして作ったんだ? 初めて会った日、蛍に言ったことを気にして……?」
謝罪の意味を込めて作ったのかを、俺は訊ねていた。それは同時に、謝罪の意味を込めて作ったのだと、俺は理音に言わせたかったってことじゃないだろうか。
……それっていったいどういうことだろう?
自問自答をする前に、理音が「ああ」と短く声を漏らした。肯定の意味ではなく、そんなこともあったっけ、という具合の、合点がいく時に出す「ああ」だった。
「いや。ただこれがあったら便利でいいんじゃないかって、それだけ」
単純明快な答えだった。蛍への謝罪や機嫌を取るための行動じゃなく、純粋な善意からの行動なんだと、理音以外の誰もが理解した。
「Toppen!(トッペン) すごいわ! あなたこそボランティア部が求める人材よ! その音声はボランティア的にも大変価値のあるものだと思うの!」
いち早く手放しで褒めたのは愛良先輩。高らかな声に白い〝パンジー〟を咲かせている。続けて蛍も「ふっ! ふっ!」とぶんぶん首を上下に振って同意していて、その度に〝ラベンダー〟が目いっぱい花開いていた。
蛍が理音に抱いていた苦手意識は完全に払しょくされたようだ。俺はといえば、打ちのめされているような、感心しているような、なんとも形容しがたい心地でいた。
「……すごいな、理音。そんなことができるなんて……ううん、そういうことを考えつけるなんて、すごいよ」
「ふっ…!」
俺の言葉に共感した蛍が二つの〝ラベンダー〟を咲かせながら頷いた。
機械の音声を作ってくるなんて、俺には絶対にできない。ましてや、音声を作ろうなんて発想は逆立ちしたって出てこなかった。
思えばカセットテープに声を吹き込むくらいなら俺にもできたのに。そういう観点がまったくなかった。七年も一緒にいたのに、俺が蛍にしたことと言えば、グー・チョキ・パーで示す簡単な意思表示と、声に咲く花で気持ちを察すること。
……それ、だけ……?
愕然とした時、世界から声が遠ざかっていった。
聞こえるのは環境音のみ。一際大きい音を立てているのは流石川のせせらぎだった。目の前に広がるのは、蛍と愛良先輩と理音の和気あいあいとした姿。それから、三人の声に咲く花々。
蛍が、理音の持っていた板を指先でつついている。今の俺には聞こえないけれど、きっとまた機械の声が流れているんだろう。その声には、花が咲いていない。
「機械の声なんかには、花は咲かないんだ」
自分の発した声が、川のせせらぎに流されていく。なぜだかその声は、機械の声よりも温度がなく、ロウソクの火を消した後のような暗闇を持っていた。
しかし、未だ声を遠ざけた世界にいる俺にはその声が聞こえていなかった。
「――土一、大丈夫?」
突如、そう声をかけられながら肩をゆすられた。どれくらいの時間が経ったのだろうか、いつの間にか世界は声を取り戻している。ハッとして顔を上げると、左右で色の違う瞳が俺を見ていた。愛良先輩だ。
「はい。……はい?」
名前を呼ばれたことはわかった。しかし、大丈夫? と問いかけられる理由には見当がつかなかった。疑問を含む返事をした俺に対し、愛良先輩は推し量るような目を向けてきた。その視線が居心地悪くて目を逸らした。
その先で、理音と蛍の姿が視界に飛び込んできた。理音が自作してきた音声について、作り方の説明をしているところだった。蛍の手には筆談用のメモ帳とペンがあり、熱心に対話をしていた。
「土一、大丈夫?」
愛良先輩は先ほどと同じ質問を、もう一度してきた。
「なにがですか?」
少し執拗な感じがして、苛立ちを覚えた。そのため、意図せず挑むような言い方になった。
「色々と、よ」
愛良先輩は怯むことなく、それどころか気遣わしげに言葉を重ねた。蛍と理音を意味ありげに一瞥して。
「人は自分の世界を変えてくれた存在に憧れるものよ」
そんなセリフを投げてきた。湖面に石を投じられたみたいに、波紋が俺の心に生じた。俺は動揺していた。否定しなければ。違う。そんなんじゃない。そういうんじゃないんだ、俺と蛍は。
俺は――、蛍は――、大丈夫。
「俺と蛍はそういうんじゃないですって」
「……そう、だったわね」
いつものように、あーはいはい、と流してはくれなかった。だいじょうぶ。大丈夫だ。蛍の〝ラベンダー〟は変わらず二つ咲いているんだから。
続く
あらすじを少し変えてみました。




