序章 声に咲く花 その④部活動の風景
気がつけば放課後になっていた。砂時計の砂が落ち切るさまを、ただぼけーっと眺めているだけのような時間を過ごしてしまった。授業の内容などこれっぽっちも聞いていなかった。
まずい。成績のことで迷惑をかけるわけにはいかないのに。幸いノートはしっかりと書き写してあった。これぞ不幸中の幸いだ。
勉強に関しては、俺はもちろん、蛍も得意分野ではないから当てにできない。北西兄弟は、頭の出来が違い過ぎてついていけない。頼みの綱の愛良先輩は受験生だし、邪魔はできない。つまり、自分で自分の面倒を見るしかないんだ。
……いや、それができるなら元より勉強で苦労なんてしていない。やっぱ、ちょっとくらいなら愛良先輩に頼ってもいいんじゃないだろうか。あの人の場合、受験生とは名ばかり。いつもふらふら遊びまわって、自分が楽しむことに全力投球。
俺と蛍が所属しているボランティア部の活動も、暇つぶしを兼ねていると公言しているくらいだ。暇つぶしに後輩の面倒も見てもらう。見てもらえるよう、なんとか頼み込もう。
俺はボランティア部の部室に走って向かった。部室には既に俺以外の部員が集まっていた。俺以外の、と言っても、蛍と愛良先輩の二人だ。
ボランティア部は、部長の鳴子愛良先輩と副部長の俺と蛍の、合計三人で構成されている。
「Tjena!(シェナ) 土一! 走って来るなんてやる気十分じゃないの、えらいえらい」
〝パンジー〟
園芸植物としてお馴染みの花を咲かせた愛良先輩が、俺の頭を撫でてきた。
〝パンジー〟は一つの花に三つの色があることから三色菫とも呼ばれている。今咲いたのは黄色。咲き方は三輪が一組になっているパターン。
「お疲れ様です。やる気……? あ、いや、そういうわけじゃなくて……」
間近に迫った華やかな顔に心臓が大きく脈打った。
その精美さは、まるで丹精込めて作られた彫像を思わせた。肌も白磁のように白く透明感がある。テレビで見るモデルやアイドルよりも可愛くて綺麗なこの先輩は、いい意味で心臓に悪い。
なにしろ、高校に入学するまで年上の金髪美女、しかも瞳の色が、向かって左目がブルーで、右目がヘーゼルのオッドアイの持ち主と知り合う経験なんてなかったんだ。
愛良先輩は日本人のお父さんとスウェーデン人のお母さんとの間に生まれたハーフで、さっきの「Tjena」もスウェーデン語の、気安いあいさつの言葉。
「後輩選手権えらい子ちゃん賞の土一には、お菓子を贈呈してあげちゃうんだから!」
その金髪美女は、くるくると意味もなくターンをして離れ、机の上に広げていたお菓子の箱から一つをつまみ上げた。当人こだわりの、編み込みをいれたポニーテールが楽しげに揺れている。
再びくるくる回って戻ってきて、俺の手にお菓子を握らせる。それは、ポップなパッケージに入った魚型のクッキーだった。
食いしん坊の蛍が、先ほどからこっちを見向きもせず、一心にカリカリ食べているのはこれだったのか。そして口端についているのは、このクッキーの粉だろう。
「はぁ、ありがとうございます。また大学生とデートしてきたんですか?」
「ピンポン、ポンピーン! 後輩選手権察しがいい子ちゃん賞の土一にはもう一枚あげちゃいましょう!」
「俺は一枚で十分なんで、それはこの食いしん坊にあげてください」
そう言いながら蛍の元へ行き、口周りをハンカチで軽く叩いた。芙美恵おばさんに持たされているハンカチは、俺ではなくもっぱら蛍の口周り事情で使われている。クッキーにもう一枚ありつけると知った蛍は、大変嬉しそうに破顔していた。
「ど…くっ…、あ…と…」
二つの〝ラベンダー〟も大きく咲いていた。どんだけ嬉しいんだよ。
「そうね。じゃあ、後輩選手権食いしん坊賞の蛍にぜ~んぶあげるわ!」
「あ…ら…せっ…、あ…と…ごっ…!」
また大輪の〝ラベンダー〟を咲かせた蛍が、愛良先輩の腰に抱きついた。身長差が約十センチある二人の抱擁は、姉妹みたいで微笑ましい。
それから、蛍の顔がちょうど愛良先輩の豊満なバストに当っていて羨ましい。そんな男子高校生の健全で邪な羨望をおくびにも出さず、自分の席(蛍が座っていた席の隣)に腰をおろした。
さて、俺にはなさねばならないミッションがある。
「愛良先輩」
俺は抱擁合戦に発展している二人のうち一人を見た。
「なにかしら~? 土一後輩」
返事はされたものの、投げやり。抱擁合戦も、今や後輩をお姫様抱っこチャレンジに変わっていた。
俺は何気ない風を装って話しかけた。
「今日の部活動はたしか、運動部へのゲリラ戦をしかけるんでしたよね?」
自分で言うのもなんだけれど、ボランティア部が聞いて呆れる活動内容だ。きちんとした活動も、しているといえばしている。しかし、ボランティアとは関係のない、娯楽を求めた活動も多かった。けれど学校側には部として承認されているし、顧問の先生もいる。俺の担任のモモちゃん先生だ。
こんなふざけた部がどうして成立できているのかというと、それは愛良先輩のお父さんが、この千場高校がある流石町と隣接した松谷市の市長で、なおかつ、流石町の町長と密接な関係にあるからだとか。
いわゆる親の七光りってやつだ。親の権力を笠に着ている状態にもかかわらず、部を設立した動機が、将来を自由に選択させてくれないお父さんへの反抗と言うのだから驚かずにはいられなかった。銃の持ち主を困らせるために、その人の銃を乱射しているみたいなものだろうか。
「そうよ、サッカー部辺りにミニゲームを挑むつもり。それがどうかしたの?」
「俺、争いは憎しみ以外なにも生み出さないと思うんですよ」
「……ふぅん。土一後輩はもっと有意義な時間を過ごすべきと言いたいわけね。なにか代替案があるの? 生産性があり、かつ、私が楽しめるアイディアが」
「勉強です」
「ボーツ」
「ムジヒ!」
予想はしていたけれど、それ以上にすげなく断られた。しかしここで引き下がるわけにはいかない。
愛良先輩は自由奔放だし、団体行動を嫌うし、男子大学生と遊びまくるし、正直手に負えない人だ。蛍がボランティア部に入らなければ、お近づきにはならなかったと思う。
けれど文武両道を地で行く人物でもあって、なにより教え上手。受験勉強が本格的に忙しくなる前に、聞けるところは聞いておきたい。
俺は愛良先輩の傍らにちょこんと立っている蛍に目で助けを求めた。以心伝心で通じ、蛍は「…ふっ」と勇ましく頷いてくれた。蛍も勉強はいまいちだからなあ。
蛍が自分の席についた。並んで座った俺と蛍は、物欲しげな眼差しを愛良先輩に投げかける。
「な、なによ」
「愛良先輩、学生の本分は勉学であります!」
「ふぅゅ」
愛良先輩は「えぇー」と気圧されつつも不満げな声を出していた。が、案外人がいいお姉さんなので、後輩二人が熱心にお願いを続ければ不承不承引き受けてくれた。
「ありがとうございます!」
「あ…と…ごっ…!」
「はいはい。まったくぅ、ラブラブカップルの団結には適わないわ」
「俺と蛍はそういうんじゃないですって」
「あーはいはい。それじゃあ勉強を教える代わりね、土一、私の出した問題を間違えるごとに一脱衣よ」
「はい! ……ぇっ」
自分が着用している衣服の枚数を空で数える。ズボン、下着、靴下、ワイシャツ、Tシャツ……
「愛良先輩、メガネは一脱衣に入りますか?」
「不可」
「ムジヒ!」
「安心なさい。先輩選手権後輩思いで賞の愛良先輩だもの。土一だけに恥をかかせないわ! 土一、一脱衣につき、愛良、一脱衣の法則よ」
え? じゃあ全部間違えれば……と考えたところで、隣の蛍さんから凍えるような怒気が流れてきたため、即刻その思考をかなぐり捨てた。いけない、いけない。愛良先輩と一緒にいると、どうも彼女のペースに巻き込まれがちだ。目的は勉強なんだ、流されてたまるか。俺は眉間に力を入れ、キッと金髪美女を睨みつけた。
「幼気な後輩をからかわないでください」
「からかってなんかないわ。本気で楽しんでいるもの、マジで脱ぐわよ? ちなみに今日の下着は結構情熱的よ」
「ゴクッ……じゃなくって、からかいに本気を出さないでくださいってば!」
愛良先輩はにんまりと目を細めた。
「ハダカにしちゃ、イヤよ?」
心の底からこの状況を楽しんでいる嫌みな声に〝パンジー〟が咲いていた。愛良先輩の〝パンジー〟は、その時々で色が変わる。今咲いたのは紫色だった。なんとなく、紫色の下着を想像してしまっていると、蛍の裏拳がわき腹にキマった。
ど、どうして!?
痛むわき腹をかばう俺の目の前に、ノートが突きつけられた。そこには荒々しい字体で【鼻の下がだらしなく伸びてた】と書きなぐってあった。……大変、すんませんでした。
それからは真面目に勉強した。俺と愛良先輩の脱衣は一回だけに留められた。
続く




