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序章 声に咲く花 その③他人様の告白の風景


 ページを一枚ずつめくるように授業をこなして、お待ちかねの昼休みを迎えた。ガヤガヤと賑わう教室と廊下。昼休みって時間帯が、学校を最もうるさくするピークタイムで間違いない。

 二年一組の教室では、女子のグループが当然のように机同士をくっつけていた。そのはしゃぐ姿を横目に、俺は弁当袋を引っ掴んで千駆に声をかけた。


「外で食べてくるよ」

「わかった。ボクも私用がある」


 おっけい。じゃあ。上げた片手で言葉を交わして別行動。

 靴に履き替えた俺は、特別教室棟の一階にある家庭科室に移動する。掃き出し窓の前にある階段が第二の昼食スペース。教室がある普通棟とは打って変わってここは静かだ。喧騒が遠い。日陰で心地いい風も入ってくる。

 いただきます、と手を合わせてお弁当を食べて。ごちそうさまでした、と手を合わせて片づけた。


「――あっ、こんなところに呼び出してごめんね」


 食休みついでにケータイをいじる練習をする俺の頭上へ、声が降ってきた。微熱を帯びた女子の声だった。彼女の声は特別棟の二階、情報処理室横の非常階段から響いていた。

 十中八九、告白だろう。その場所に人気のない特別棟を選んだのはわかる。一方でわからないことがあった。


「どうやって、あそこに上ったのかな……?」


 家庭科室横の階段を使えば、必ず俺と鉢合わせるはずだ。情報処理室のベランダからも伝って行ける。だけど、まだ予鈴も鳴っていないんだ、鍵はかかったままだろう。


「ここの鍵はどうしたんだい?」


 俺の疑問を解決してくれる問いを、呼び出された男子がしてくれた。……ていうか、声の主は千駆だった。


「先生に鍵を借りたの。調べ物をしたいからって、お願いして。でも、教室の中じゃ、先生が入ってくるかも、でしょ? それで……」

「非常階段ってわけだね」

「そうっ!」


 緊張しているらしく、女の子の話し方はたどたどしかった。だからか、千駆が助け舟を出すと嬉しそうに声を弾ませていた。きっと今の声には大きく花が咲いただろう。そう思うと口元に笑みがこぼれた。これ以上青春を立ち聞きするのは申し訳ない。速やかに、なおかつ気配を消して立ち去ろう。腰を浮かせた俺を押しとどめたのは、


「キミもまったく、度し難い人間だよね」


 千駆の蔑みを含んだこの言葉だった。ぱりん、と凍った空気が割れる音を聞いた気がした。


「金輪際、こういうことはやめてもらいたい」

「――ぇ?」


 かろうじて発せられた女の子の声は、落とし穴へ突き落された時に漏れるような、刹那の困惑と絶望が混じった声をしていた。彼女のそのか細い声をかき消すみたいに、ナニかを破く音が立て続けに聞こえてきた。


「……ゃ、そんな、ひどいっ……」


 そのナニかがラブレターであることを察するのは、そう難しくなかった。


「これ、キミが捨てておいてくれるかい?」


 とどめの言葉を千駆が刺した。

 ――ひっ、うぎゃあああああ!


「――ひっ、うわあああああん!」


 俺の心の絶叫と大体同じような悲鳴を轟かせて、その女の子はエスケープした。直後にドタン、バタンと大きな音がした。どうやら情報処理室を通り抜けていったようだ。悲鳴はまだかすかに聞こえている。さぞや泣き濡れていることだろう。……気の毒だ、気の毒すぎる。はたで聞いていた俺ですらダメージを負ったんだ。本人の傷は深い。


「ああ、やっぱりいたね、土一クン」


 思わず蹲る俺の背中へ、再び声が降ってきた。出し抜けに名前を呼ばれた俺は顔を上げた。手すりにもれた千駆がこちらを見下ろしていた。


「立ち聞きかい? 助平だなぁ」


 麗しい顔を、お見通しと言わんばかりに微笑えませた千駆に対し、俺が浮かべられるのは非常に間の抜けたフェイスだった。

「……やりすぎだったんじゃない?」と俺はおそるおそる訊ねた。

 非常階段を下りてきた千駆は、すこぶる落ち着いていた。立ち聞きされたにもかかわらず、動揺や不満を一切態度に表さない。

 それどころか、「昼休憩の邪魔をして悪かったね」なんて気を使ってくる余裕を見せる。それが本来の千駆だ。誰にでも分け隔てなく気づかいのできる、優しい性格の持ち主なんだ。

 だから、聞かずにはいられなかった。


「手紙を目の前で破くなんて、そこまでする必要あった……?」


 俺は、千駆の黒曜石に似た目を見つめた。千駆は遠い景色でも眺めるように、俺の目を見つめ返した。そして、フッと微笑んで言う。


「彼女、これで五回目の告白なんだ」

「えっ」


 思いもよらぬ返事だった。

 千駆はズボンのポケットから、自身が千切ったラブレターを取り出した。


「毎回誠意と好意のこもった手紙をくれるよ。僕にはもう、呪詛の言葉としか認識できないけれどね」


 手のひらに載せた想いの残骸を、ぐしゃりと握りつぶす。


「彼女は、誠意を尽くしさえすれば、受け入れてもらえるものと思っている。好意であれば、押しつけても許されると思っている。こっちのことなんてまるで考えちゃいない。まるで、勝手にボクの手を使って自慰行為でもしているみたいじゃないか。実に不快だよ」


 〝エリカ〟

 苦しげな声に咲いたのは〝ダリア〟ではなかった。つぼ型の、小さなピンク色の花が密集した一組になって咲いていた。別名ヒースとも呼ばれるその花は、イギリスでは荒野に咲くという。密集しているせいで分かりづらいけれど、〝エリカ〟はうなだれていた。

 声に咲く花は、一種類とは限らない。千駆のように二種類咲く人もいる。


「誰かを特別好きになるというのは大層素敵なことのはずだよね。それなのに、こんな風に好意を押しつけてしまったら、嫌がらせと大差ないよ。……いや、悪意がない分性質が悪い」


 千駆は苦しげな声を出すだけでなく、苦しげな表情をしていた。そしてたぶん、一番苦しいのは胸の奥だ。


「千駆ならどうする?」


 吐き出さなければ楽になれない。そう判断した俺は、介助を買って出た。


「……ボクのことはともかく、一般的に考えるなら、もっと相手の気持ちを考えて好かれる行動を取るべきだろうね。だってボクは三回目の告白から、彼女にまだ好きだと言われる度に彼女を嫌いになった。最初は嬉しかったのにね。心を決めた人がいるから気持ちに答えることはできなかったけれど、彼女の思いそのものは、とても嬉しかったんだ」


 〝エリカ〟

 声に咲く花は俯き、悲しいと主張していた。そして、千駆の目は寂しいと物語っていた。


「……気持ちはよくわかったけど、ラブレターを破いたりしたら千駆が悪く言われるよ?」

「それでいいのさ。僕は彼女に嫌われることができるし、彼女も嫌な奴だったと割り切れるじゃないか」


 味のなくなったガムを吐き出して捨てるように、何気なく千駆は言った。不快だと言いながら、嫌われるために悪役を演じていたのだろうか。千駆は握りつぶしたままだった残骸を、ポケットに戻した。その辺に捨てることだってできたのに、やらなかった。

 さっきまで俺は、自分が知らないだけで、千駆は本当は、冷酷な奴だったんだと思い知った気でいた。だけど今は違う。考えを改めた。そうじゃないんだ。思いやりにも色々な形があるんだ。


 キーンコーン、カーンコーン。


 予鈴が鳴った。履いている靴の違う俺と千駆は、別々に教室へ戻った。

 午後の授業にはあまり身が入らなかった。千駆のあの寂しい目が、頭から離れなかった。


 続く

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