終章 声に咲けぬ花 最終話 きっと今でもの風景
最終話となります。
よろしくお願いします。
二日後。朝。
生徒数の少ない千場高校では、公式の大会に出場できる部活が限られている。だから、大会に参加する部活があるならば、その応援には学校総出で乗り出す風潮が根づいていた。
そして本日は、サッカー部の応援に出向くため、夏休みにもかかわらずほとんどの生徒が登校してきていた。もちろん俺小角土一も、今しがた学校についた。
生徒たちは教師陣の誘導によって、校庭に集められている。そこには愛良先輩を始めとしたボランティア部員も、菜花ちゃんも、北西兄弟も、一戸と今井といったクラスメートも既に来ていた。真鍋先輩の姿も発見できた。俺に気がついた愛良先輩が駆け寄ってくるのが、ぼやけた視界の中で確認できた。
俺は伊達メガネを外す。
「Tjena~! 土一! おはよう、遅かったじゃない、の……。……土一?」
愛良先輩の声に〝パンジー〟は咲いていない。しかしそれは、愛良先輩に限ったことではなかった。
続々と歩み寄ってくる理音や蛍、菜花ちゃんと千足と千駆といった面々も、口々に朝のあいさつを言っていた。
「おは、よ、土一くん」
「……おはよう、土一」
蛍の声には〝マーガレット〟が、理音の声には〝ネモフィラ〟が――
「小角君、おはよう」
「やぁ、おはよう、土一クン」
「ドイチ、朝一、おはよーさーん」
菜花ちゃんの声には〝ゼラニウム〟が、北西兄弟の声には〝ダリア〟が――
「――咲いて、ない……」
正確に言うならば、花は一瞬だけ咲いた。けれどすぐに崩れていく。真夏の夜にパッと咲いては消える花火のように。家にいる時もそうだった。
芙美恵おばさんの声に咲く〝桜〟も、克己おじさんの声に咲く〝梅〟も、その形を保てずに粒子となって消えていった。百花繚乱だった朝の風景が一変していた。俺は誰の花も見えなくなっていった。頭の中で、パズルのピースが、ぱちりと音を立てて組み合わさる。
「咲かなくなったんじゃない……俺が、見えなくなったんだ」
愛良先輩の〝パンジー〟が咲かなくなったのは、いや、見えなくなったのは、その前兆だった。
「そういう、ことだったのか」
ぼやけた視界が決壊した。溢れ出した水が頬と顎を伝って落ち、地面にシミを作った。いつの間にか伊達メガネも取り落としていた。
俺の異変を前に、一同は固まった。顔色を蒼然とさせ、心配げな言葉をかけながら、さめざめと涙をこぼす俺を取り囲んだ。
恥ずかしくて仕方がないけれど、涙は止まりそうもなかった。あの景色を、人の声に咲く花をもう見られなくなるのだと思うと、ただひたすら切なくて悲しかった。両親との絆が失われるような気がした。
「土一、いったいどうしたの? なにがあったの!?」
正面にいる愛良先輩が、俺の両腕を揺り動かして呼びかけた。
「あいら、せんぱい……、俺、花がもう――」
赤と紫の、三本一組の〝チューリップ〟が一つずつ咲き、まるで砂で作った城が崩れ落ちるように、消え去った。
それが俺の見た、人の声に咲く最後の花となった。
・小角土一。十六歳。男。
・高校二年生。
・髪は鈍色のショートカット。くせっ毛。
・身長は……平均値。体型は筋肉質。余分な脂肪がないのがひそかな自慢。
・顔は、まぁ悪くはない、はず。たぶんそこそこ。誰かに俺のことを芸能人にたとえると? と聞くと、決まって犬種の名前が挙がる。主な例を言えば、コーギー。
・小三からボーイスカウトを続け、中一からは陸上部も並行して活動していた。受験を控えた中三で両方ともやめ、高校ではボランティア部に所属している。
・将来の夢は自衛官。
・趣味は筋トレ、ランニング。
・性格は……臆病で小心者。けれど、身の回りにいる人たちの強さや優しさに触れて、ちっぽけだけれど踏み切る勇気を手にした。
・一つ年上の鳴子愛良先輩とつき合っている。
・特技に関して、恋人にしか話していない秘密にしていることがあった。
それは――人の声に咲く花が見えたこと。両親の死後、俺はそれが見えるようになり、そして七年の歳月を経て、見えなくなった。
***
八月。
俺と愛良先輩はボランティア部室を訪れていた。活動があるわけではなく、自主的に登校している。顧問のモモちゃん先生(診療所の若先生とイイ感じ)には、許可を取ってある。
二人でなにをしているかというと。俺は、理音のお古のパソコンを借りて、テラーロイドソフトの扱い方を勉強していた。
というのも、ボランティア部が作製した『おしゃべりタマゴ(片言)』が、とあるコンクールで努力賞をいただいたことが関係している。審査コメントで指摘された部分を見直し、話し合い、更なる改良を目指すのが、部員たちの総意だった。
足手まといになりたくない俺は、暇な時間を見つけてはパソコンとソフトに慣れるようにしている。
愛良先輩は、俺の勉強の手助けをしてくれている。進路については、つい先日、お父さんと話し合ったそうだ。お父さんとぶつかる決心を固め、かなり気合を入れて「お父様の言う通りにしても、私はもう必ず幸せにはなれません。進路も結婚相手も、自分で決めます」と進言した。
すると、「いいよ」とあっさり了承され、「愛良を本当に幸せにできるのは、幸せを選び取る愛良自身だ」と諭された。愛良先輩のお父さんは、娘がいつ、自分が言い聞かせる幸せを否定するのか待っていたのだったという。
結果として愛良先輩は、進学先の大学を定め直した。その大学はそれ以前と変わらず、父親の勧めた学校だったけれど、きちんと自分で考えて出した答えだった。
……それはつまり、愛良先輩のお父さんが心から娘のことを考えていたという証拠だろう。
その話を聞いた際、俺は愛良先輩に訊ねた。
『愛良先輩って、俺と結婚することまで考えてくれてたんですか?』
『そ、それはその、子どもは二人くらい欲しいなって、軽ぅ~く想像しただけよ!』
そうなれたら幸せだと、その時も、今でも思い続けている。
以前の俺は、蛍と過ごしてきたあの日々が、これまでも、この先も続くことを望んでいた。でも、日常は流れるものだから、当然変わっていく。
けれど、変わったからと言って、これまでの日々にあったものが全部なくなってしまうわけじゃない。
だからもう、変わらないことを願うのはよそうと思う。変わりゆく中で日常を守り、成り立たせていく努力していこう。
「……なにを考えているの?」
タイピングを打つ手が止まっているのを見咎めた愛良先輩が、俺を見ていた。
「なんか嬉しそうな顔をしていたけど?」
「好きな女の子のことを考えてました」
「っ、ばか……聞くんじゃなかったわ」
愛良先輩はわざとらしく剥れてみせる。前髪の脇には、以前、俺がプレゼントしたパンジーのヘアピンが日の光を受けて光っていた。
ヘアピンは、体調不良という名目で応援に行けなくなった、サッカー部の試合があった日の翌日から、見かけるようになった。どうやら毎日つけてくれているらしい。その気持ちを思うと、俺は嬉しさで泣けてきてしまう。
声に咲く花は、崩れ落ちる〝チューリップ〟を見届けてからは、一度も目にしていない。見える景色が変わったことへの違和感には徐々に慣れていったが、淋しさだけは中々なくならない。
ふと、愛良先輩に言われた言葉を思い出して、俺は訊ねる。
「花のことを打ち明けた時、愛良先輩言ってくれましたよね。俺が花を憎まないように、世界を恨まないように、そう願った両親が俺の目に魔法をかけてくれたって」
愛良先輩は、一瞬きょとんとした後、ああ、という表情を作った。
「ええ、言ったわね。それから、『この世界には愛があるって、土一は愛されているって、目に見える形で示してくれたのよ』って続けたわ。それがどうしたの?」
「それで考えると、俺は花を憎まなくなったし、世界も恨まなくなった」
親指と人差し指を折りながら言葉を続ける。
「それでもって、この世界には愛があることも、俺が愛されていることも、愛良先輩の存在が示してくれている。だから俺は花が見えなくなった。……そう考えられませんか?」
「――――っ!?!?」
パンジーのヘアピンが、どっかに飛んで行ってしまいそうなくらい、愛良先輩は驚いていた。
「花を見えなくした責任、取ってくださいね。愛良先輩」
「ななななに!?!? その……プロポーズみたいな……え? プロポーズ、だった? いや、え? ええっ!?!?!?」
真っ赤になって頭を抱えている愛良先輩を、俺はとても愛しく思った。きっとその声には花が咲いている。見なくても、咲いている。
蛍の声には〝マーガレット〟が、理音の声には〝ネモフィラ〟が――
「じゃあ高校、卒業したら、東京に……?」
「ああ。プロバレエ団の、入団テストを受ける。住むところは、ばあちゃんの家がある」
「……そっか、離れ離れ、だね」
「福祉の学校を出たら、蛍も住もう……一緒に」
「え?」
「来て、くれるか……?」
「っ、うん!! お父さんとお母さんのこと、ぜったい、ぜったいに、説得する……!」
千駆と千足の声には〝ダリア〟が、菜花ちゃんの声には〝ゼラニウム〟が――
「こんなところに呼び出すなんて、どうしたんだい、千足。ボクら二人だけなら、わざわざ流石川まで赴かなくても、話くらい家で出来るだろう?」
「……俺、千駆が外見を変えた理由がやっとわかったんだ」
「千足……」
「……千駆、お前……“お前も”、好きなんだろ?」
「おーい、千足くーん! 千駆くーん!」
「菜花、さん……、どう、して……?」
「ハッキリさせよーぜ? 千駆」
克己おじさんの声には〝梅〟が、芙美恵おばさんの声には〝桜が〟、秀作兄さんの声には〝ハナミズキ〟が――
「ただいま、親父、お袋。今帰ったよ」
「秀作! んもう、こっちへ着いたら駅まで迎えに行くから連絡をちょうだいって、言っておいたじゃない!」
「ああ、おかえり、秀作。少し痩せたか? でも思ったより元気そうだな」
「二人とも相変わらずだなぁ……。そうだ、これお土産な。ところで、土一は?」
ビデオレターに残された両親の声には〝桔梗〟と〝ヤマユリ〟が――
『『土一、愛してるよ』』
愛良先輩の声には〝パンジー〟が、俺の声には〝チューリップ〟が――
「あの、固まってますけど、大丈夫ですか? さっきの責任を取れっていうのは冗談で――」
「いいわ、責任……取ってあげる。だって、声に咲く花は土一の人生の一部だったんだもの。だったらこれからは私が、土一の人生の一部に、半分でも全部でも、なってあげるわよ!」
「ぅえっ!? う、あ……、じゃあ! 大人になっても同じ気持ちでいてくれたら、その時はよろしくお願いします、愛良先輩!」
――見えなくても、きっと咲いている。
声に咲く花は、在りつづける。
目には見えなくても、あなたの声の傍らに咲いている。
咲けぬ声――
いいや、きっと今でも
――咲ける声
〈完〉
◆以下、作中に登場した花の花言葉を紹介。
・チューリップ 思いやり(全体)。愛の告白(赤)。失われた愛(白)。不滅の愛(紫)。
・ラベンダー 沈黙。私にこたえてください。
・マーガレット 恋占い。真実の愛。
・パンジー もの思い。
・ネモフィラ 可憐。成功。
・タイム 勇気。
・カタクリ 初恋。
・ゼラニウム 愛情。尊敬。信頼。
・ダリア 華麗。移り気。不安定。
・エリカ 孤独。寂しさ。
・サツキ 節制。
・アマリリス おしゃべり。
・朝顔 はかない恋。固い絆。
・デージー 無垢。無邪気。
・菜の花 活発。
・桃 気だてがよい。
・梅 高潔。忠実。忍耐。
・桜 精神の美。優美な女性。
・ハナミズキ 返礼。
・桔梗 変わらぬ愛。誠実。従順。
・ヤマユリ 荘厳。
・タンポポ 神託。
・ナデシコ 純粋な愛。無邪気。
・スイレン 清純。信仰。
・サイネリア いつも快活。
・シクラメン 内気。はにかみ。
・アルメリア 思いやり。同情。共感。
(参考資料『思いを贈る花言葉 ちいさな花物語』 国吉 純 監修)
最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。
『咲ける声』いかがでしたでしょうか。
私が完結させてきた話の中で、唯一、公開できそうだったのがこのお話でした。
執筆している最中はわからなかったのですが、こうして体裁を整えて投稿をしてみると拙さばかりが目立ち、書いた本人ですら苦笑いしてしまいました。
読んでくださった方の中にも、同じように苦笑った方がいらっしゃると思います。
それにもかかわらず、こうして辛抱強く最後まで閲覧してくださって本当にありがとうございます。
あまり長くなっては申し訳ないので、この辺で御積りにいたします。
ありがとうございました!




