終章 声に咲けぬ花 その③〝タイム〟の花の風景と、咲かない花の風景
募金活動は、十時から三時にかけて、途中休憩を挟みつつ行った。
結果としては、盛況だった。
千足の眉目秀麗な容姿が、若い女性をたくさん集めてくれた。その女性たちにつられて寄って来た人たちへ、俺たちはすかさず、募金の目的と集められた資金の寄付先を説明した。
可能な範囲での協力を願い出て、応じてくれた人には丁寧に謝辞を述べ、断られた人にも話を聞いてくれたことへの感謝を示した。
あっという間に三時になり、後片づけを済ませ、荷物を車に積み込んだ。あとは学校へ戻って金額の集計を行い、学校のホームページで結果を報告すれば本日の活動は完了となる。
駅近くのパーキングから行って戻ってきた俺たちは、帰りの電車に乗るため、駅構内を歩いていた。新幹線の改札口がある方向を示す案内板を眺めていると、その真下に立つ背中で目が止まった。
天井から糸で吊っているかのようにピンと伸びた背筋は、どうみても周理音のものだった。着用しているTシャツとつんつるてんのジャージにも見覚えがある。
更に衝撃を受けたのは、理音の向かい側に同い年くらいのスラリとしたスタイルの美人が立っていた。
「りおん、くん……?」
蛍の声を合図に、一同が理音の存在に気がついた。
「……蛍、……みんなも」
人が行き交う構内にもかかわらず、理音は蛍の声に振り向いた。
「――あら、理音のお友達?」
艶やかな黒髪を揺らして、ひょっこりと女の子が顔を出した。かなりの美人さんだった。
美人さんは、優雅な身のこなしで理音の横に並ぶと、洗練された動きで一礼をする。並んで立つ二人は、そこだけスポットライトを浴びているかのような輝きを放っていた。
「初めまして、柏葉唯といいます。えーっと、なんて言えばいいのかな? 理音の元パートナーかな? ……あ、でもまたパートナーに戻れるよね、理音?」
柏葉唯さんは、清楚な笑みを浮かべながら爆弾発言をした。清涼感のある声には『ランの女王』と呼ばれる〝カトレア〟が咲いている。
「えぇーっ!?」と理音と蛍を除いた全員が声を揃えて驚いた。
理音の表情は読み取れないけれど、困っている風に見える。蛍の顔は、怖くて確認できなかった。
「今日は理音に会いたくて東京から出てきました。理音にも、私のために時間を作ってもらったんですけれど……本当はボランティア部の活動があったそうですね。すみません、こちらを優先させてしまって。みなさんにはご迷惑をおかけしました」
柏葉さんは再び一礼をした。なんてことはない所作だけれど、彼女の一挙一動には人の目を引きつける魅力があった。理音と同じように。
「私はこれで帰ります。なんだか一方的にしゃべってしまいましたね。重ねてすみません。……じゃあ理音、私は帰るわ。東京で待ってるからね」
「……ああ」
理音がしっかりと頷くのを見届けると、柏葉さんは華やかな笑顔になって、嬉しそうに弾んだ足どりで去っていった。後に残された俺たちの間には重苦しい空気が漂っていた。
横目で愛良先輩や千足の顔を窺ってみる。するとどちらの顔にも、「東京に残してきた彼女が、群馬の片田舎の彼女を牽制しに来た……!」と書かれてあった。
俺もおおむね同じ想像に思い至ったけれど、果たして……?
「理音くん……い、まの、あの、彼女?」
蛍のド直球の問いかけに、顔を引きつらせた面々は、理音の答えを待つ。
「ああ」
認めた!? と慄く四人に反し、蛍は感極まった様子であろうことか理音に抱きついた。理音も、さも当然のように蛍を抱きしめている。
「おめで、と! 理音くんっ!」
「……ありがとう、蛍」
「うええ!?」と発したのは俺だったかもしれないし、同じように固まる他の三人のようでもあった。
「お祝い、しよ?」
「気が早い」
「する、の!」
「わかったよ」
「うん……!」
互いを抱きしめているカップル二人は、すっかり自分たちだけの世界に入り込んだだけでなく、勝手に帰ろうと歩き出した。
「待て待て待て!」
二人を一斉に呼び止める光景は、傍から見たらコントでもしているように映ったことだろう。
+++
一行は、駅のホームで電車を待っていた。電車がホームに滑り込んでくると、乗車客の少ない車両を選んで乗り込んだ。降車駅である松谷駅までは約十五分。
理音は、その間の時間を利用して、柏葉さんとの関係と自分が流石町へ来た事情を説明すると告げた。
「そういう話は落ち着いた場所でするものじゃない?」
気遣い屋の愛良先輩がそう提案した。
「いい。もったいぶったり、こだわったりせずに話したい。気軽に話せることに、やっとなったから」
〝タイム〟
穏やかな表情から紡ぎ出された温かい声に、新しい花が咲いた。
シソ科特有の小さな花。花色は白。爽やかな香りを持っていて、代表的なハーブの一つとなっている。古代ギリシャでは、その刺激的な香りが、勇気や活力を湧き立たせると信じられていたそうで、花言葉の【勇気】の由来となっている。
〝タイム〟は三輪の花が一組になって咲いていた。
「俺は東京でバレエをやっていた。唯は、その時パ・ド・ドゥで一緒になることが多かったんだ」
「ぱどどぅって、なに?」
「バレエ用語よ。二人で踊るデュエットを指すわ」
愛良先輩が、いち早く俺の質問に答えてくれた。それを聞いた千足は「紛らわしいっつーの」と憤慨し、菜花ちゃんは「理音君のこと少し疑っちゃった」と気まずそうにしていた。
蛍が理音に訊ねた「あの、彼女?」とはすなわち、「あのパ・ド・ドゥでペアを組んでいた彼女?」ということだったらしい。
「柏葉さん、理音に会いたくて来たって言ってたけど、あれはバレエのことだったんだ?」
「……ああ。こっちでバレエを再開しようと思って。群馬のバレエスクールの情報が知りたくて、久しぶりに連絡を取ったんだ。そうしたら、相談なしにバレエをやめたことを一言文句言わせろって、来た……一言というか、一発叩かれた」
近頃、理音が忙しくしていた理由が判明した。そして、言われてみれば左頬がほんのり赤かった。この麗しフェイスを叩けるとは、柏葉さんは肝の据わった人だ。
蛍が赤い頬にそっと手を添えて労わると、理音は子猫を連想させる動きで頬ずりした。またしても二人だけの世界が広がる。
「おーい、理音? そもそもどうしてバレエをやめたのかって、聞いても平気かー?」
口の横に手を添えて、遠くへ呼びかけるやり方で言った。二人の世界から帰還した理音は、少しの間、右頬に右手を当てて思案を巡らせていた。やがて、ゆっくりと形のいい口を開く。
「……始まりから終わりまで話す。蛍には既にした話で、また始まりを見つけた話だ」
そう前置きをしたので、一同は頷いて応じた。そんな中俺は、関係のないことを考えていた。声に咲く花の説明に戸惑っていた時、愛良先輩がくれた言葉を思い出していた。
「俺は、物心つく前から踊ってた。母親がバレエの経験者なんだ。その頃の記憶はないが、二歳からバレエ教室に通っていた。バレエ好きの母親に似たのか、俺もバレエを好きになった。女っぽいイメージが強いと思うけど、男っぽいところだってたくさんある。バレエを踊るのは、本当に、最高に気持ちがいい……。俺はバレエに夢中だった」
普段の口数の少なさからは想像もできない長いセリフに、蛍以外が面喰っていた。
「小学校のクラスメートが、将来の夢はお金持ちだとか、ケーキ屋さんだとかをしゃべっていた時、俺は本気でプロのバレエダンサーを目指してた。だから転勤の多い両親の元から離れて、東京の祖母の家に移り住んだ。名の知れたバレエスクールに通うためだ。いいダンサーになりたくて、人よりたくさん練習をした……」
バレエ漬けだった日々を思い出しているのか、理音はふと、窓の外に視線を移した。そこには、夕日に照らされる知らない街並みが移ろっていた。
理音の努力の一端は、その体から読み取れた。ピンと伸びた背筋。優雅な身のこなし。服の上からでもわかる、鍛えられた強い筋肉。
きっとバレエをやめた後も、トレーニングを欠かすことはなく、バレエのことばかり考えていたんだろう。
「少し話を変える。母親のことだ。母は、優秀なバレエダンサーだったけれど、一つだけ弱点があった。本番に弱かったんだ。ここぞというコンクールや発表会では、必ずと言っていいほど結果を残せなかった。その弱点を、俺も持っていた。……忘れ物が多いのは父親に似たんだ。双方のダメなところをしっかり受け継いだみたいだな」
――迷惑な話だ、と理音は苦々しく笑った。苦いコーヒーを飲んで、でもそこが美味しいと思っている風な笑い方だった。
「高一の夏、つまり去年の夏、目標にしていたコンクールに出た。夢を実現するための大事なコンクールだったのに、振りつけが頭から飛んだんだ。ダンサー歴の長い審査員の前で動けなくなった、あの全身の血が凍りつく感覚は、一生覚えていられると思う……。どうやって舞台から降りたかも覚えてないのに、不思議だ」
「……それで、バレエから離れようと思ったの?」
愛良先輩が訊ねた。
「それもある……」
「と、いうと?」
「それより少し前に、祖母が急死した……。厳しい人だったが、それ以上に優しい人だった。俺は踊る以外には、自分のことを伝える術がわからなくて、周りの人をよく苛立たせていた。祖母は、そんな俺の気持ちを汲み取ることになぜか長けていた。俺は、ばあちゃんがバレエと同じくらい大切だった……。俺が本番が怖いって言ったら、スクールに通いつめてくれたんだ。『練習場に私がいれば、本番の会場でもばあちゃんの姿を見つければ、練習と同じように踊れるだろ』って。効果は半々だったけどな……俺がどうしようもなく本番に弱いせいだ」
静かな声に咲く〝タイム〟は気持ち俯いていた。浅い悲しみは残っているけれど、悲嘆に暮れることはないという思いを見た気がした。
「人生最悪のミスをしたコンクールの後、ばあちゃんのいないばあちゃんの家に帰った。真っ暗な玄関に立った時、よみがえったんだ、血が凍える感覚が……。そしたら、もうあそこには立てないと思った。祖母の急死の後、祖母の家に残ってくれた母親が様子を見に来た。俺は母親に『しばらく人前で踊れそうにない』と言った。次の日にバレエスクールもやめた」
しばらく、というのがどれほどの時間を要するかがわからず、理音のお母さんはお祖母さんの家に残ることを選んだそうだ。
しかし理音は、習慣になっていたバレエのトレーニングこそ行うものの、バレエスクールに戻るとは言い出さなかった。柏葉さんから何回も連絡があったそうだけれど、全部無視してしまったらしい。……引っ叩かれるはずだ。
季節を跨いでも、理音の心は変わらなかった。理音のお母さんは、気分転換が必要なのではと考え、お父さんのいる松谷市へ一緒に戻らないかと誘ってみた。理音は快諾した。
そして、今年の六月に千場高校へ転校してきた。
「バレエを忘れた日は、一度もなかった。けど、舞台には立ちたくなかった。俺は、ここへは逃げて来たんだ。だけどここでは、前の学校じゃできなかった親しい友達ができた。誘われて、初めて部活に入った。嬉しかったし、楽しかった」
理音が俺と愛良先輩を交互に見ながら言った。無邪気に笑っているけれど、その笑顔は寂しさをまとっていた。遊びや恋や趣味、自由に使える時間を返上してバレエに励んでいたんだろう。
「蛍には、初めて会った瞬間からシンパシーを覚えてた。踊らない俺としゃべらない蛍。でも蛍は俺と違い、変わろうとしていた。ボイスロイドを使いこなせるようになっただけじゃない、声も少しずつ出せるようになった」
――つい昨日も友人のために声を荒げていた、と嬉しそうに微笑んでつけ足した。
「そんな強さを持った蛍を好きになっていた。弱さを克服するために強くあろうとしている蛍を好きになっていた。誰かをこんな風に好きになる経験はなかった。蛍に抱く好きも、蛍がくれる好きも、明るいパワーをくれる。俺はまた、舞台でバレエを踊ってみたくなった」
舞台上で、人前で、バレエを踊りたい。そう思えたことを心から喜んでいるのが、晴れやかな表情が証明していた。
大きく開花した〝タイム〟が、その非の打ちどころのない笑顔に文字通り花を添えていた。
「……これで、おしまいだ。ちょうど、駅にも着いた」
見計らったようなタイミング。余韻に浸る間もなく、松谷駅のホームへ降りた。理音は蛍の手を掴むとサクサク歩き出していった。その様子を見て、俺は思わずつぶやく。
「理音にとっては、本当に気軽な話だったんだなぁ」
「……だね。蛍ちゃんと理音君、いい関係で羨ましいかも」
「色々とぶっちゃけて照れ臭いだけじゃねぇーの?」
「ふふ、案外そうかもね。ほらほら、私たちも行くわよー」
愛良先輩に急かされて、俺たちも歩き出した。
改札を出たら駅の西口へ行き、徒歩一分の場所にあるバス停へ向かう。学校方面へ行く下りのバスが到着するには、少し時間があった。
バス停は無人だった。カップルが二組ある都合上、並んで待つにも自然と男女ペアになってしまうもので、俺と愛良先輩は最後尾につけた。
前にいる千足と菜花ちゃんは、今日一日ですっかり打ち解けたらしい。千足の軽快なトークに、菜花ちゃんは鈴が転がるような笑い声を奏でていた。
しゃべる度に咲く二つの黄色い〝ダリア〟と、時折こぼれ咲く橙色の〝ゼラニウム〟。こういう何気ない光景に咲く花を見ると、微笑まずにはいられなくなる。
「二つ咲いているの? 千足の声に」
隣にいた愛良先輩が耳打ちしてきた。俺は頷いて〝ダリア〟が、と返した。愛良先輩は、慈愛に満ちた表情を作ったが、一転、突然思い出したように言った。
「そういえば、そうよ。土一には花が見えるんだから、理音と柏葉さんのことで驚く必要はなかったんじゃない?」
「冷静に考えてみればそうですけど、てんぱってて花の数まで把握できませんでしたよ。あの時は少し花を見失ってました。今は、あー……もううざったいくらいに咲いてる」
前方を窺ってみると、短い言葉のやり取りの中で、二つずつ咲く〝ネモフィラ〟と〝マーガレット〟が乱舞していた。
「そう。ねえ、私の声にもちゃんと咲いてる?」
からかい口調で愛良先輩が訊ねてくる。
「もちろ――」
言いかけて、俺は息を飲んだ。咲いていなかった。咲いていなかったんだ。愛良先輩の声に、好意の花が咲いていなかった。
「土一?」
目を見開きすぎて、目の周りの皮膚がつっぱっているのがわかった。下っ腹に力を込めて気合を入れる。表情筋を動かし、笑っている表情を作った。
「もちろん……! もちろん咲いてますよ。だって、愛良先輩は俺のこと、好きですよね?」
「もう、変な顔をして驚かさないでちょうだい……“もちろん”好きに決まってるでしょう?」
愛良先輩は、本当にそう思っているみたいに言ってくれた。俺を心から好きでいてくれていると感じさせてくれた。ただ、その声にも〝パンジー〟が咲くことはなかった。
続く
前話を変なところで区切ってしまってすみませんでした!




