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終章 声に咲けぬ花 その②千足と菜花の風景


 校医が不在だったため、蛍は千場診療所へ運び込まれた。

 診療所へはモモちゃん先生の車で行った。ただし、募金活動に使う備品が積み込まれていたので、つき添いの理音以外は徒歩で駆けつけた。

 千場診療所は千場高校から徒歩で約十五分、車で約六、七分。三角屋根が目印の立派な建物だ。外壁は木目調とガラス張りが組み合わされた、都会的なデザイン。

 裏庭には、訪れる子どもに配慮してか、ブランコがある。俺たちが到着した時、四台並んだブランコには誰もいなかった。

 診療所は午後は往診となっている。モモちゃん先生から事情を聞かされていた看護師さんが俺たちを所内へ入れてくれた。

 診察室へ通されると、診察ベッドに横たわる蛍の横顔が目に飛び込んできた。そばには理音とモモちゃん先生の姿がある。


「先生っ! 蛍は!?」

「樵田は大丈夫だから落ち着け、小角、お前たちも」


 モモちゃん先生がじっと俺を見て、それから後ろにいるみんなへ目を向けた。優しく力強い瞳に見つめられた一同は、はぁーっと長い安堵の息を吐いた。

 愛良先輩なんかは、俺の手を掴んで支えにしながら、へなへなと座り込んでしまった。


「よかった……本当によかったぁ」


 弱々しい声に黄色の〝パンジー〟を大きく開花させていた。俺もしゃがんで顔を覗き込み、掴まれていた手を握り返す。


「大丈夫?」

「ええ」


 返事とともに、愛良先輩もまた手を握り返してきた。その手を引いて立ち上がらせた。

 他のみんなの様子を窺がってみた。すると千駆が菜花ちゃんの背中を紳士的かつスマートに支えていた。千足はその後ろで立ちつくしている。

 蛍は一時的な酸欠状態だったと、モモちゃん先生が説明してくれた。既に看護師さんたちの手により適切な処置がなされ、あとは念のため、もうじき往診から帰ってくる若先生の診察を受けるよう言われたらしい。

 俺は、モモちゃん先生の話を聞く傍らで、黙りこくったままの理音が気になっていた。蛍が倒れたことにショックをうけたというよりは、なにか考え事をしているように見えた。

 蛍の意識ははっきりとしており、ベッドを取り囲んだ俺たちに柔和な笑顔を見せて、謝った。


「心配かけて、ごめんね」


 言い終わるやいなや、千足が診察室を飛び出していった。酷く怯えた表情をしていた。見たことのない顔だったから、反射的に追いかけようとすると、千駆から声がかかる。


「――放っておけばいいよ、土一クン。千足は人に強く出るくせに打たれ弱い。だから慰めを当てにして幼稚な行動に出るんだ。慰めてやる必要はないよ」


 なぜだろう。その言葉は、自分が追いかけられない代わりに、弟を追いかけて慰めてやってくれ、と頼んでいるように聞こえた。だから「行ってくるよ」と答えた。

 診察室を出た先は、今は人気のないロビーで、千足の姿もなかった。一応、所内のトイレや廊下を確認して回ったが見当たらなかった。外へ出たのだろうか。思い当たるのは裏庭のブランコだった。俺は玄関へ足を向けた。


「小角君、待って――!」


 意外な人物に呼び止められた。


「菜花、ちゃん?」


 菜花ちゃんは丸められたハンカチを手に持っていた。


「千足君のところに行くんだよね。私、千足君と話がしたくて……私が行ってもいい?」


 ハンカチを持っていない方の手を、胸の前でぎゅっと握り締めている。眠たげな目は不安そうだけれど、一度だって視線は外れなかった。


「わかった。じゃあ、俺は戻った方がいいかな……?」

「あ、ううん、できたら近くにいて? 千足君、私のこと嫌に思う可能性高いから」


 俺は気圧されるまま一つ頷いて、菜花ちゃんと一緒に診療所を出た。裏庭へ移動すると、四台並んだブランコのうち、端にあるブランコに背中を向けた千足が座っていた。

 目配せをして、俺はその場に残り、菜花ちゃんは千足の元へ歩いていった。

 足音を聞きつけた千足が顔を振り向かせて、菜花ちゃんの姿を確認した。少々当てが外れたという、気まずい胸中が表情に浮かび上がっている。


「……なにしに来たんだよ」


 前に向き直った千足は、大人に叱られる前の子どもみたいに身を小さくして怯えていた。菜花ちゃんは、千足の正面に回り込むと、スカートを押さえながらしゃがんだ。

 俺から見えるのは、千足の背中と、その背中越しに見切れる菜花ちゃんの顔。


「お礼を言いに来たの。ありがとう、千足君。本当のことを言ってくれて」


 千足が息を飲んだのが、身じろぎでわかった。俺自身、虚を突かれた言葉だった。菜花ちゃんの声に大きく咲く橙色の〝ゼラニウム〟が、その言葉が嘘偽りや強がり、嫌味ではないことを証明している。


「私わかってた。蛍ちゃんの傍にいることで自分の優位性にひたってた。自分の弱さを隠してた。馬鹿だね……あの子の方が何倍も、ううん、何十倍も強かったことがよくわかった。千足君のおかげだよ」


 菜花ちゃんは痛みを堪える面持ちでそう言った。本音をさらけ出した彼女を目の当たりにした千足は、顔を深く伏せた。俺のいる位置との角度が合い、悲痛に歪めた表情が見える。


「……そんなこと言うな。お礼なんて言わないでくれ」


 罪悪感に満ちた声に咲く〝ダリア〟は、謝罪するように下を向いている。


「俺も同じだった。樵田の言った通りなんだ。一心同体の存在がいつも隣にいることに甘えてた」

「……よかった、蛍ちゃんのこと怒ってないんだね」

「怒れるわけねーよ……」

「じゃあこの件は決着がつきそうね。落ち着いたら戻ってきて。蛍ちゃんと仲直りしよう?」

「菜花は? お前は俺を怒ってないのかよ?」

「おかしなことを聞くのね。最初に言ったじゃない、お礼を言いに来たって」

「けどよ……」


 納得がいかない様子の千足を押し留める勢いで、菜花ちゃんが立ち上がり、宣言する。


「――千足君、私強くなる。もっとちゃんとした友人になりたい。蛍ちゃんに見合う人間になるわ。だからまた言いたいことがあったら、今日みたいに遠慮なく指摘して……!」


 しなやかな表情で、菜花ちゃんは笑っていた。


「したらまた俺、樵田に引っ叩かれるじゃねーの?」


 茶化すように、しかし親しみのある優しい声色で千足が答えた。


「そっか、そうね。じゃあその時は蛍ちゃんにはナイショ。二人だけでね」


 千足の態度に合わせたのか、唇の前に人差し指を立てて茶目っ気たっぷりに微笑んだ。その時、カチャン、とブランコの鎖が鳴ったのは、千足が鎖を内側に引っ張ったせいだ。どうしてそうしたのかは、謎だったけれど。


「……あっ、氷のう持ってきてたの忘れてた……。千足君、これで頬冷やしたほうがいいよ。看護師さんに頼んで作ってもらったの」


 丸めたハンカチの正体は、ハンカチで包んだ氷のうだった。氷のうを受け取った千足が、頬に当てる。


「わ、わりぃ、じゃなくて、……あんがとな」


 ぶっきらぼうな声に〝ダリア〟が二つ咲いた。


「……え?」


 心の声がそのまま口から飛び出していた。


「ち、千足、お前……っ」


 ちょろいな、とも思ったけれどそれは言えなかった。たぶん、人のこと言えた義理じゃない気がしたから。

 俺は一足先に診療所の中へと戻った。ロビーで一度、心を落ち着けてから診察室へ入ったのに、目ざとい千駆に「顔が赤いよ?」と指摘されてしまった。

 緊張したせい、と筋道の立たない誤魔化しには首を傾げられたけれど、千足と菜花ちゃんが戻ってきたことで追及を免れた。

 千足がきっちりと謝罪し、蛍があっさりと受け入れたことで、無事和解した。


 ***


 翌日。鷹崎たかさき駅、駅前。

 募金活動に励むボランティア部に、菜花ちゃんではない助っ人が飛び入り参加した。なので、モモちゃん先生は朝から大忙し。届け出や募金計画書類の変更に追われていた。

 しかし不思議なことに、モモちゃん先生の機嫌は最高潮によかった。

 さて、その飛び入り参加した人物――北西千足はと言えば、


「募金活動にご協力お願いしまーす!」


 募金パネルを掲げて、道行く人々に一生懸命呼びかけていた。


『――頼む! 昨日のお詫びに手伝わせてくれ!』


 募金活動の参加メンバーが待ち合わせた松谷駅で、千足は姿を見せるなり両手を合わせて頭を下げた。モモちゃん先生の許可は取りつけてあると言うし、異論のある者はいなかった。女子三人に対し、男子は理音を欠いているため俺一人。むしろ男手は大歓迎だ。それに……。


「千足君、飲み物は持ってる? 今日は天気もいいし、声も張り上げなくちゃいけないから、水分補給はしっかりしてね」

「オ、オリャその辺は部活で慣れてっし、余分に持ってんよ。だ、だから、飲みもんなくなったら言えよな、菜花」

「え? うん! ありがとう、千足君」

「お、おうっ! へへっ……」


 二つ咲く〝ダリア〟が見えなくても好意が察せてしまうこの千足を見てしまえば、断るなんて野暮なことはできなかった。

 蛍も愛良先輩も早々に千足の思いに気がついていたけれど、当の菜花ちゃんはどこ吹く風。百戦錬磨の北西兄弟でも、恋はままならないものならしい。


 続く

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