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第三章 先輩 鳴子愛良 その⑤〝パンジー〟と〝チューリップ〟の風景


 週が明けて月曜日。

 俺はお土産で膨らんだ通学バッグを肩にかけていた。

 雪村夫妻へのお菓子のお土産は大層喜んでもらえた。鞄に入っている友人たちへのお土産も、喜んでもらえるだろうかと期待する。

 一人での登校にはもう違和感はなく、自然体で、その呆気なさに自分でちょっと驚いてる。

 それもそのはずだろう。蛍への俺の声に白い〝チューリップ〟は咲かなくなったのだから。それでいい。あれは悲しい花だから。

 ただ、見慣れた景色の変化には、ぽっかりと穴が空いたような物淋しさがあった。

 学校へ着くと、朝練組の北西兄弟と一戸にお土産を渡した。無事、喜んでもらえた。

 今井、真鍋先輩、理音、蛍の分は、登校してきた順に隙を見て渡していく。残るお菓子の詰め合わせはクラスの分だ。余分が出る計算だから、それは菜花ちゃんとモモちゃん先生にあげる予定。

 理音には蛍の分も渡した。遅刻五分前に登校してきたところを捕まえた。


「ネモフィラとマーガレット……?」

「マーガレットは蛍の分な。今日ボランティア部ないから理音に預けておくよ。あと、菜花ちゃんのお菓子も蛍経由で一緒にいい?」

「けい、けいゆ? 面白い表現だ。……けど断る」

「うぇ!?」

「土一が渡せばいい。変に遠慮するな」

「……そっか」


 突き返されたマーガレットの絵葉書を受け取った。


「ネモフィラ、ありがとうな、土一。兆、十の十二乗大切にする」


 甘いマスクの半分を絵葉書で隠してそう言った。絵葉書の写真にも負けない〝ネモフィラ〟が大きく開花していた。


 +++


 休み時間。

 お土産を渡しそびれた真鍋先輩を訪ねて、三年生の教室へ来ていた。今はその帰りだ。

 別学年、特に上の学年の廊下を歩くのは少々気後れした。だから見知った顔を見つけるとホッとする……いつもならば。


「愛良、先輩……」


 今日に限っては、ホッとする前にドキッとしてしまった。なんでだ? と疑問に思うのも束の間のこと。愛良先輩が白いマスクで顔を覆っていて、そっちに気を取られた。



「愛良先輩! 風邪引いちゃったんですか?」

 駆け寄ると、肩を大きく跳ねさせていた。大声を出さないための配慮か、マスク越しに口を押さえている。


「すみません、そんなびっくりするとは思わなくて……」


 首の後ろを掻いて弁解すると、愛良先輩は口を押さえたまま、首を左右に振った。なんだか、少し懐かしさを覚える反応だ。

 愛良先輩は、スカートのポケットからケータイを取り出した。両手の親指を使って、すさまじい速さでキーを押していく。それが終わると、ケータイの画面を俺に見せた。


【風邪を引いて、喉をやられちゃったみたいなのよ。声は出せないけど、熱はないから心配しないで】


 汗マークと困った顔の絵文字を多用した文章に目を通した俺は、引っかかりを感じていた。


「声が出せないって……」


 それ以上の発言を遮るように、愛良先輩は申し訳なさそうな表情で両手を合わせた。

 俺は、腑に落ちない思いでいた。風邪を引いたのはわかる。服を濡らした状態で小一時間くらい海辺にいたんだ。

 けど、でも、と疑心が湧いてくる。

 だって、まるで、声を出したくないみたいじゃないか? もっと言えば、俺に、声に咲く花を見られたくないみたいじゃないか?

 頭をよぎる不穏な考えを否定する。愛良先輩がくれた言葉の数々を思い出せば容易いことだった。愛良先輩は素敵だと、私も見てみたいと、言ってくれた。花が見える俺を受け入れてくれた。

 しかし一方では、全く別の記憶がよみがえっていた。気味の悪いものを見る大人の、あの容赦のない嫌悪の目と、冷たい言葉と、悪意が具現化したような枯れた花。

 もし愛良先輩に同じ反応をされたなら、昔のように耐えられるだろうか。――おそらく、無理だ。


「やっぱり、気味悪い……ですか?」


 一歩、愛良先輩から離れた。

 優しさだったのかもしれない……。俺を傷つけまいとして精いっぱい受け入れる振りをしてくれた。でなければ、声が出せないだなんて嘘をつくだろうか。


「変、ですよね……声に花が見えるなんて。そりゃ、声を聞かせたくなくなりますよね」


 つるつると滑るように言葉が口をついて出た。馬鹿みたいに明るい声色で、他人の声みたいに響いた。


「もう二度と変なこと言いませんから、今まで通りじゃなくてもいいから、しゃべって欲しいです……。気味悪いかもしれませんけど、本当に、本当に綺麗なんです。愛良先輩の声に咲く〝パンジー〟は、その時々で色を変えて、とっても綺麗なんです。それだけは、わかって欲しい……!」


 他人の声から、自分の声へ、最後には懇願へと変わっていた。

 情けない声に赤い〝チューリップが〟二つ咲いている。


 ――へ? いったい、誰の、声に……?


「土一」


 マスクを外した愛良先輩が俺の名前を呼んでくれた。その声に、紫色と黄色と白色の三輪一組の〝パンジー〟が二つ咲いている。


「ふた、つ?」


 花が二つ咲くことは、好きな人へ向けて言葉を発していることを意味している。


「私の声にパンジーは二つ咲いた?」


 愛良先輩が俺に向けた言葉に、〝パンジー〟が二つ咲いた。それって、それって――


「私、土一に恋をしちゃったのよ。それも昨日、次こそは紙ヒコーキを捕まえるって言ってくれた、あの瞬間にね」


 ――そういうことなんだろうけれど、そんなことってあるんだろうか!?


「えぇええっ!」


 世界を一変させるように、二つの〝パンジー〟と二つの〝チューリップ〟が弾け咲いた。

 俺と愛良先輩はボランティア部室へ場所を移した。俺の出した大声が原因となり、人目を集めたせいだ。

「場所を変えるわ。部室に行くわよ」と先立って歩く後姿を追ってここまで来た。

 目的地についた今も、俺は愛良先輩の背中を、穴が空きそうなぐらい見つめている。


「あーあ、バレちゃった」

「えっと……さっきの、本気ですか?」


 愛良先輩は、緊張感の欠片もなく沈黙を破った。変に力が入っていた俺は、肩透かしを食らった気分になり、つい言葉を間違える。


「失礼ね! 本気も本気よ! その目で証拠を見てるじゃない。疑う余地ないでしょう?」

「そうなんですけど……じゃあそのマスクは、俺を気味悪がってしたわけじゃない?」

「当然でしょ! もうっ、……あなたへの気持ちを声でバレないようにしたのよ。私だってまだ、突然過ぎて心の整理がついてなかったんだから……。それなのに、土一ったら泣きそうな顔をするんだもの。あんな悲しそうな顔をされたら、居ても立ってもいられなくなるじゃない」

「す、すすすみません! 面目次第もないです、はい!」

「はぁ……いいわ。これも惚れた弱みよね」


 勝手に誤解してネガティブになって、物凄く恥ずかしい。穴があったら入りたいけれど、そんなものはないから代わりに流石川に飛び込もう。


「……ちょっと土一、どこへ行くつもり?」

「いや、川に呼ばれてる気がするので」

「呼ばれてません! そんなことより、この状況で私を置いていくのは酷いわ……返事もくれないの?」

「へ、返事!?」


 思わず声がひっくり返った。頬に熱が集中する。愛良先輩も顔を真っ赤にして目を伏せていた。その姿は正直言って……かなり、可愛い。


「わ、わかってるのよ? 土一は失恋をしたばかりだし、まだ新しい恋をするって気分になれないだろうし……。私だって、こんな傷心につけ込むような真似はしたくなかったわよ。だけど、仕方ないじゃない……、なし崩し的とはいえ告白しちゃったんだから……、返事、もらいたいわ」


 返事なら、自分の視界を見れば一目瞭然だ。さっきからずっと、俺の声に赤い〝チューリップ〟が二つ咲いている。

 でも、だからと言ってそんな簡単に認めていいんだろうか……。蛍への気持ちに踏ん切りがついたとはいえ、好意を向けられてすぐにこんな……気が多くないか? 相手が愛良先輩って美女だから、下心が働いて即物的な考えをしてるんじゃないか?


「土一……?」


 〝パンジー〟


「っ……!」


 あなたが好きよ、と赤裸々に二つ咲く三色の〝パンジー〟から、とっさに目を逸らしていた。

 ……目を、逸らす……?

 気管でもねじれて、息が詰まったみたいだった。どこに刻まれたかもわからない痛みが全身を駆け巡っている。

 その痛みが見せているのか、他へ向けた視線の先で〝ラベンダー〟と白い〝チューリップ〟を幻視した。もう二度と見ることは叶わないと思っていた花たちが、叫ぶように咲いている。

 〝ラベンダー〟(俺を好きだった蛍)が、白い〝チューリップ〟(蛍を好きだった俺)が、「目を逸らすな」と訴えかけてくる。


「……あいら、せんぱい……」


 〝チューリップ〟

 あなたが好きです、と小さく呼んだ声に二つ咲いた赤い花を見て、心の中で問う。

 いつから好きだった?

 ――よくわからない。さっき懇願した時のような気もするし、声に咲く花を受け入れてくれた時のようなきもすれば、紙ヒコーキを追いかけた時のような気もする。逆に言えば、いつ好きになってもおかしくなかったのかもしれない。

 どうして好きになった?

 ――誰にも言えなかった、失うことへの恐怖を打ち明けられた。蛍にも言えなかった、声に咲く花を打ち明けられた。こっちからの一方通行ではなく、愛良先輩が隠していた本当の愛良先輩を打ち明けられた。逆に訊ねるけれど、そんな彼女のことを、どうして好きにならないでいられるだろうか。

 ああ、そうだ。単純な話だ。


「……愛良、先輩……」


 〝チューリップ〟

 俺は愛良先輩が好きだ。好きになったから、好きになった。いつ好きになったとか、どこを好きになったとかは関係ない。理由があるから好きになるんじゃない。好きになるから理由が出てくるんだ。


「愛良先輩」

「どうしたの、土一? 大丈夫?」


 〝チューリップ〟と〝パンジー〟が二つずつ、合わせて四つ咲いていた。


「愛良先輩を呼ぶ俺の声に、花が二つ咲いてるんです」


 俺も愛良先輩のことが好きです、という意味を持つ言葉を、愛良先輩は正しく理解してくれたようで。綺麗な〝パンジー〟の花よりも、もっと綺麗な笑顔を咲かせていた。


「土一……っ、そんな、嘘みたいだわ……!」

「嘘なんかじゃないです。俺は愛良先輩のことが好――」

「土一っ!!」


 真正面から抱きすくめられた衝撃で、続く言葉が噴き出る。「キィー!」と首を絞められたみたいなインコの声で甲高く鳴いていた。

 告白の言葉を遮られるのはこれで二回目になるんだけれど、そういう星の下に生まれたんだろうか。


「大好きよ、土一」


 耳元で囁かれる大好きの破壊力はえげつなく、一瞬で思考を彼方へ吹き飛ばされた。


「お、おぉぉ俺も、です」


 密着していた体が少し離れ、至近距離で見つめ合える体勢になる。


「お~れ~も~で~す~?」


 不服を唱える声にすら〝パンジー〟は二つ咲く。当たり前だけれど、当たり前ではない現象が胸を打った。

 好きって気持ちをさんざん蔑ろにしてきた。大事にしたい。咲かせていたい。時に見失い、時に持て余すかもしれないこの感情を、枯らさないでいたい。

 咲かせていたんだ、きみの花も、僕の花も。


「好きです、愛良先輩。俺と付き合ってください」

「はいっ……!」

 視界いっぱいに、赤い〝チューリップ〟と三色の〝パンジー〟が咲き乱れる。

 祝福するかのようにそれぞれ二つ以上咲いていた。その中で最も美しく咲き誇るのは、鳴子愛良と言う花だと、俺にはまだ言葉にして伝えることはできそうになかった。


 第三章 了

 終章へ続く

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