第三章 先輩 鳴子愛良 その④初めて打ち明けたの風景
夕日が全身を海に沈め、辺りはほの暗くなっていた。
浜辺へ戻った俺と愛良先輩は、荷物を置いたままいなくなった客を心配した、カフェのオーナーさんに発見された。
店で温かいシャワーと着替えを貸すから、公共シャワーで砂を落としてきなさいと、叱り口調でタオルを渡された。無論大人しく従った。
公共シャワーは、数分歩いたところにあった。海水浴場の公衆トイレに併設された無料のシャワーで、オールシーズン使用できるみたいだ。
横方向を向いた楕円形の柱があり、裏と表にそれぞれ二か所ずつシャワーが設置されている。柱の奥には蛇口の洗い場が三か所あった。
俺はポロシャツを脱いで頭からシャワーを浴びる。冷たい水を我慢して、髪や体、ズボンについた砂を落とした。
シャワーの次は洗い場に移動して、ポロシャツと靴下、スニーカーの砂を洗い流した。びしょ濡れになったポロシャツを手で絞っていると、背後に人が立つ気配がした。
「寒くない? 大丈夫?」
先に洗い終えた愛良先輩だった。
「平気です、水はちょっと冷たいですけど。愛良先輩こそ大丈夫ですか?」
「私も平気よ」
ポロシャツを広げ、シワを伸ばすように叩いてから壁にかける。靴下も同じように絞って叩いた。
愛良先輩に向き直ると、気まずそうに視線を下げて佇んでいた。
「そもそも俺の行動が原因でしたよね……すいません」
「ううん。思い出してもみて? そもそもを言い出したら、一番の原因は紙ヒコーキを飛ばした私にあるじゃない」
「追いかけた俺が悪いんですよ」
「悪くなんてない!」
大声を出したことに一番驚いているのは、愛良先輩本人だった。視線を左右にさ迷わせ、頬を赤く染めている。やがて観念した様子で、しかし言い難そうに顔を歪めて口を開いた。
「その、うれ…かった…よ……」
消え入るような声はよく聞き取れなかった。聞き返しても、誤魔化されてしまう。
「そんなことより、人の声に咲く花って、本当……なの? 本当に、見えるの?」
「見えますよ。今も、愛良先輩の声に咲く花が見えます。緊張でつぼんじゃってますね……」
「えっ? そうなの? やだ、筒抜けになってるのって恥ずかしいわね……。どこ? どこに咲いてるのよ?」
そうしゃべりながら、自分の左右上下を視認したり、手を振って触ろうとしたりしていた。
「信じてくれるんですか? 俺の話」
「先輩選手権後輩を信頼してるで賞の愛良先輩だもの。そりゃ、話を聞いた時は、場を取り繕うジョークという線が濃厚だと思ったけれど、よくよく考えてみたら、土一には考えつきそうもないロマンチックな話なのよね。そういうわけで、真実なんじゃないかしらって」
ケロッとした表情でそんなことを言った。
「ちょっと腑に落ちませんけど、信じてくれてありがとうございます」
「Var så god!Var(ヴァー ソ グード)! どういたしまして」
非ロマンチスト認定をされた俺が、納得がいないことを強調すると、愛良先輩はクスクスと楽しげに笑っていた。鈴を転がしたような笑い声が止むと、楽しげな笑みは鳴りを潜め、穏やかな面持ちになった。
「さっきはごめんなさいね、なに言ってるの、なんて言い方して……。よかったら聞かせてくれない? 土一が見ているお花のこと。もっと詳しく知りたいわ」
「わかりました」
頷いたものの、上手く説明できるだろうか。声に咲く花が見えることは、誰にも打ち明けていない。
普通の人には見えないものが見える。それが危ういことだというのを、子どもながらに理解していた。
小学生時代に口にしてしまった時、一回目ならば多少困惑をさせてしまっても、笑い話で済んだ。けれど何回も続けば、やがて不審に変わる。
引き取られて早々の素行不良も相まって、また花に関することだったからこそ、その発言は気味悪がられた。花を荒らす悪ガキよりも、理解不能の発言をする子どもの方が、教師たちの反応は冷たかった。
従って、七年間ひた隠しにしてきた。時々うっかり花を褒めてしまっても、冗談で済むよう努めた。……チャラいと悪評が立ったのは想定外だった。
苦笑いをしていると、名前を呼ばれた。少し時間をかけ過ぎていた。
「すみません。誰にも話したことがないから、どう話せばいいか迷ってて」
「じゃあそうね、始まりから話して、終わりがきたらならやめたらいいわ」
身も蓋もない言い様だったけれど、間違ってはいなかった。
とにかく話してみよう、という前向きな気持ちにさせられた。
「人の声に花を見るようになったのは、七年前です。両親が遺したビデオレターの中で、父と母の声に咲く花〝桔梗〟と〝ヤマユリ〟を見て以来ずっと、声に花が咲く景色が俺の日常でした……」
突拍子もない話を、愛良先輩は笑ったり怖がったりすることなく、真剣に耳を傾けてくれた。
話を語る俺の声は震えているし、説明は要領を得ない箇所が何個もあった。花のことを打ち明けるのは生まれて初めてだったから、大目に見てもらえたらと思う。
ひとまず、初めて花を目にした日のことを話し終えた。
「素敵ね……。きっと、一人残された土一が花を憎まないように、世界を恨まないように、そう願ったご両親があなたの目に魔法をかけてくれたのね。この世界には愛があるって、土一は愛されているって、目に見える形で示してくれたのよ」
足どり軽く歩いてきた愛良先輩が、右の頬に手を添えてきた。光を閉じ込めたビー玉みたいにキラキラと輝くオッドアイが、俺の瞳を覗き込んでいる。
「土一が見ている世界はとっても美しいわ、私も見てみたい――!」
初めてだった。こんな風に受け入れられたのも、言ってもらえたのも。初めて話したんだから、返ってくる反応が初めてなのはごくごく普通のことだけれど、そんなことが言いたいじゃない。
思ってもみなかった宝物のような言葉が返ってきたことに、ものすごく感動しているんだ。我慢する時間もなく涙がポロポロっとこぼれ、焦った俺は身を退いて顔を逸らした。
「ち、近い、です……っ」
「ご、ごめん、つい……」
愛良先輩は、恥じ入った態度で俯いている。その隙に高速で涙を拭った。
まだ込み上げてくる気配があったけれどなんとか堪える。おちつけ、おちつけ……。
黙っているよりは話している方が気が紛れると思い、話を再開する。
次は花の開花の法則について説明した。あいさつの言葉に必ず咲くことや、咲き方、状態、人によっては二種類咲くこと、好意には二つ咲き、愛情には三つ咲くことなんかも話した。
「そう、なの……。美しいけれど、時と場合によっては酷でもあるわよね。羨ましがったりして、無神経じゃなかった?」
俺を気遣う愛良先輩に、首を左右に振ってみせた。この人はやっぱりかなり優しい。
「それならよかっ……ふぁっ、くしゅん!」
小動物みたいなくしゃみが飛び出した。微笑ましかった。
少し前までは温かった夜風が、気がつけば冷たくなっている。身を震わせた愛良先輩はタオルを両肩にかけていた。レースのブラウスは見るからに薄手で、俺は自分の分のタオルを細い背中に羽織らせた。
「話し込んじゃいましたね。戻りましょっか。オーナーさんも心配しているだろうし」
「うん……ってちょっと、このタオルは土一のじゃない。これじゃあ土一が寒いでしょ?」
「平気です。鍛えてるんで!」
「たしかに良い身体してるわよね。少し意外だったわ……」
「筋肉は熱を生むんですよ」
「じゃあお言葉に甘えようかしらね。ありがと」
来た道を二人並んで戻っていった。肩を寄せ合って歩くのは、寒いからか、それとも――
「……お花の話、また後で聞かせてくれるわよね?」
「了解、です」
目には見えないところにある距離が近づいたからかもしれない。
+++
カフェへ戻ると、オーナーさんが着替えを準備して待っていてくれた。
順番にシャワー室を借り、待っている間にも体が温まるようにとコーヒーを振舞われる。荷物と俺のメガネも店内へ運ばれてあった。
先にシャワーを済ませた愛良先輩が絵理沙さんに連絡を取ると、俺が出る頃にはお店に駆けつけていた。
絵理沙さんは、オーナーさんに何度も何度も頭を下げていた。両脇にいた俺と愛良先輩もそれに倣う。せめて着替えとコーヒー代を支払うと申し出たんだけれど、
「着替えは以前カフェで使用していた古い制服のあまりでね。コーヒーも出がらしを使ったものなんだ、お金なんて取れないよ」
年長者の有無を言わせない笑顔で断られてしまい、若者三人はご厚意に甘える他なかった。恐縮しっぱなしのままお店を出て、車に乗り込んだ。
ハンドルを握る絵理沙さんが「お店の住所を調べて、お借りした服とお礼の品とお手紙を送らなくちゃ」と独り言ちるのを聞きつけ、素直に感心した。
俺も帰宅したら、克己おじさんと芙美恵おばさんに相談しよう。忘れぬように心のメモにしっかり記しておいた。
それから、迷惑をかけてしまった絵理沙さんに改めて謝罪した。愛良先輩も身を小さくして謝っていた。
「それは別に構わないんだけど、二人ともなにをしていたの?」
どう答えていいかわからず、口ごもってしまう。
助けを求めて隣へ視線を送るも、愛良先輩も返答に困っていた。後部座席を支配するぎこちない空気を感じ取った絵理沙さんは、「……まあ、いいわ。それより疲れたんじゃない? 眠かったら寝てていいわよ」と場を取りなしてくれた。
「あ、ごめーん。寝ててくれていいんだけど、音楽かけてもいい?」
「どうぞ」
「ありがとう、助かる」
カーステレオが操作され、車内に音楽が流れた。洋楽で曲名はわからないが、耳にした覚えのある楽曲だった。
「……ねぇ、土一」
愛良先輩が声をかけてきたのは、その曲がサビに入った頃だった。声のトーンを落としていて、隣に座っていなければ聞き取れそうにない。
俺は気持ち頭を愛良先輩に寄せ、声を潜めながら答える。
「なんですか?」
「例の花のこと、少し聞いてもいい?」
「いいですよ。後で聞かせるって言いましたもんね」
「私の声に咲く花はいったいどんな花なの?」
俺を見つめるブルーとヘーゼルの瞳は好奇心に満ちていた。
「愛良先輩の花は、パンジーですよ」
「パンジー? 花壇でよく見かける?」
「そのパンジーです」
「パンジー、パンジーかぁ……へぇー、私の声にパンジーがねぇ……」
両手の指先同士を合わせ、にへへぇーと緩み切った表情をしている。〝パンジー〟も口にした一言、一言にポンッ、ポンッ、ポンッ、ポンッ、と大きく咲いていた。
「パンジーの名前の由来は、フランス語のパンセからきていて、意味は、思考、思想です。花言葉もそれにちなんでいて【物思い】。色ごとにも別の花言葉があるみたいですよ。和名は三色菫の他に胡蝶草っていうのがあって、これは花の形を蝶に見立てたててます。――そうだ、こんな伝説もあるんですよ。原種のパンジーは素晴らしい芳香を持っていて、人々が争うように花を探し求めた。そのため、パンジーは「香りを失くして欲しい」と祈ったんです。今現在の園芸品種に強い香りがないのは、その願いが聞き届けられたからだそうですよ。あと、シェークスピアの『夏の夜の夢』では、パンジーを絞った汁が媚薬として使われてて……って」
ま、また、やってしまった……。
話しの途中(ほぼ終盤)で我に返った俺は、激烈な恥ずかしさに見舞われた。幸い、今回も愛良先輩は興味を示してくれているみたいだけれど。二度もウンチクを垂れるなんて、軽く死ねる。
「さすがねぇー、花にたとえて人を口説く子って愛良から聞いてたけど、花に関する知識も豊富なんだ。勉強してて偉いね!」
頭を抱えていると、運転席から感じ入った声、もとい、追い打ちがかけられた。
「はっ!? ご、誤解です! 愛良先輩、なんつー話をしてくれてんですか!?」
「だ、だって土一のキャラって地味だから、それ以外に説明ポイントがなかったんだもん……! てゆーか、その暗記力をもっと勉強面で生かせないものかしらねぇ?」
「うっ、そういう話題転換はずる……い、や……その、努力します」
身を縮めていると、姉妹揃って小気味いい笑い声をあげていた。
今更だけれど、絵理沙さんの耳に届く声量を出していたらしい。パンジーの説明に熱を入れるあまり、声高になっていたんだろう。
少し申し訳なくなって愛良先輩を横目で窺う。待ち構えていたように目が合い、気にしないで、といった風に微笑まれた。
胸を撫で下ろす俺に、愛良先輩は小さく手招きをして自分の耳を指さした。耳を貸せってことだろうか。少し身を乗り出してみると、耳元にそっと吐息がかかる。
「Tack så mycket!(タック ソー ミッケ)どうもありがとう、土一。パンジーの話嬉しかったわ。可愛らしい花だけど、よく見かける花でもあるじゃない? 薔薇とか胡蝶蘭とかゴージャスな花を勝手に想像していたから、ちょびっと物足りなくも感じていたのよ。でも、土一の話を聞いて反省したわ。私、パンジーのこと、大好きよ」
優しい声色と優しい笑みに、大輪の〝パンジー〟が咲く。その光景は、夜にもかかわらずとてもまぶしくて。
思わず俺も、ピアスが揺れる耳に囁かずにはいられなくなった。
「〝パンジー〟って、少し俯きがちに咲くじゃないですか。花言葉もあって、どこか考え深げに見える花だなって感じていて。こんなこと言うと失礼ですけど、愛良先輩には似つかわしくないと思ってたんです。でも、そんなことありませんでした。俺が知らなかっただけでした。きっと俺って、頼りになるなんて思われてないでしょうけど、愚痴とか不安とか聞きますし、またどうにもならない感情を紙ヒコーキに乗せるんなら、何度だって追いかけます。それで次こそは絶対、捕まえたい。……捕まえますから!」
「っ、……カッコつけるんじゃないの! 生意気!」
右手が飛んできて、メガネを叩き落とされた。
「ムジヒ!」
足元に拾ったメガネを拾ってかけ直す。再び見た愛良先輩は、顔を窓側へと背けてしまっていた。
「……もう、やらないわよーだっ」
子ども染みた言い方ではあるけれど、本心だと思う。
「そうですか」
俺は安堵の笑みを漏らしていた。
「私、少し休むわ」と言って、愛良先輩は窓側を向いたまま眠りに入った。
「土一君も眠かったら寝てていいからね?」
しばらく経ってから、絵理沙さんがそう声をかけてきた。
「ありがとうございます。今はなんだか目が冴えているので、大丈夫です」
「そう。じゃあ、お姉さんの話し相手になってもらおうかな。愛良を起こさない程度にね」
絵理沙さんは聞き上手であり話し上手で、ゆったりと和やかに会話は続いた。
だからだろうか、復路は往路よりも時間が短く感じた。ただ単に道が空いていて、渋滞にひっかからなかっただけという可能性は大いにありうる。
当初の予定では駅で解散する流れになっていたんだけれど、絵理沙さんが自宅まで送り届けると言ってくれた。
やんわり断ろうとする前に、他所様の子を預かった身として、服装が変わった説明をする必要があると諭された。
自宅へ着くと、芙美恵おばさんが出迎えてくれた。絵理沙さんは丁寧にあいさつをし、アクシデントがあって服を濡らしてしまったこと、親切な地元の方のお世話になったことを説明した。
絵理沙さんと言う人は、本当に如才のない人だった。
愛良先輩は眠り続けていた。絵理沙さんが起こそうとしたので、止めておいた。感情の振り子をたくさん揺らして疲れているんだろう。
それに、今になって俺は、紙ヒコーキの一件が気恥ずかしく思えてきていた。
「絵理沙さん、これ愛良先輩と絵理沙さんに……、その、大したものじゃないんですけど……プレゼントです」
ショルダーバッグからお土産袋を二つ取り出して、絵理沙さんに手渡した。
「えー? 私にも? 嬉しい! ありがとう~、土一君! 私の分、中身見てもいい?」
「えっと……できれば家で――」
「わぁあ! お花のヘアピン可愛いー! え、本物? 押し花を樹脂加工してるのかな?」
制止する間もなく開封されてしまった。センスに自信がなかったんだけれど、喜んでくれたようだ。よかった、よかった。
「なんのお花かな?」
「サイネリアです。不吉な言葉を連想させる名前がネックになって、日本では贈り物に向かないとされてるんですけど……でも、サイネリアに罪はないし、とても綺麗な花ですよね。花言葉は【いつも快活】。短い時間ではありましたが、俺の絵理沙さんに対するイメージです」
ウンチクが長くならないよう心がけた。絵理沙さんに説明するのは照れ臭くて、少しむず痒くなって、頬を人差し指で掻く。
「口説くためとか以前に、土一君はお花が大好きなんだね」
絵理沙さんのその言葉を聞いて、俺は、愛良先輩がくれた宝物のような言葉を思い出した。
「はい、俺は花が――〝花〟が好きです」
絵理沙さんは数秒間目を見開いてから、にっこり微笑んだ。
「また愛良と遊んであげてね」
「あー、でも今回は特別でしたからどうでしょう? 誘われればの話になりますね」
「土一君からも誘うのよ」
「え?」
「じゃあね、土一君。またねー」
「あ、はい! 今日一日、ありがとうございましたー!」
絵理沙さんは笑顔で手を振り、車に乗り込んだ。発車する車を見送りながら俺は胸騒ぎを覚えていた。
――土一君からも誘うのよ。
そう言った絵理沙さんの顔は怖いくらいに真剣そのもので。脳裏では、今朝から見てきた愛良先輩の様々な表情が浮かんでは消えていった。
そして、ふと気になった。メガネを叩き落された時と、子ども染みた言い方をしていた時。愛良先輩の声には、どんな〝パンジー〟が咲いていたんだろう。
続く




