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序章 声に咲く花 その②登校の風景


 バス停につくと、蛍は鞄から袋詰めにされたきゅうり二本を取り出し、その内の一本を俺に寄こした。

 俺はお礼を言って受け取った。


「しっかし暑いなぁ。バス停に来るだけで汗ばむよ」


 蛍が頷いて同意しているけれど、その横顔は爽やかだ。暑さにめげた様子はない。


「いただきます」「……いっ…ます…」


 上下のヘタはきちんと処理がしてあるきゅうりに、俺と蛍は揃ってかじりついた。実を歯で砕く小気味いい食感と音。口いっぱいに広がる瑞々しさと、爽やかな甘味が堪らなかった。樵田家の畑で採れるきゅうりは、暑い季節の水分補給として通学路のお供になっている。


「うまい」


 ポロっと果汁と一緒にこぼした言葉を聞いた蛍は、手でチョキを作った。チョキの意味は【はい・嬉しい・イェイ・ピース】のどれか。この場合は全部当てはまりそうだ。


「……蛍、頬張りすぎ頬張りすぎ」

「…ぅむ…?」


 頬がハムスターのエサ袋みたいになっていた。いくらきゅうり好きとはいえ、女の子なんだからもう少し気を遣えよと呆れる。花開いている〝ラベンダー〟も、これじゃあ滑稽だ。特に口端に貼りついたきゅうりの欠片は、かなりいただけない。


「ちょい動かないで」

「ふ」


 芙美恵おばさんに持たされているハンカチで、きゅうりの欠片を取り除いた。


「ど…くっ…、あ…が…と…」


 笑顔とともに〝ラベンダー〟を大きく咲かせている。


「どういたしましてー」


 蛍はほとんどしゃべらない。八年前を境にしゃべらなくなってしまった。その当時は、今みたいに一音すら発声することなく、完全に言葉を閉ざしていた。理由は精神的なもの。原因はいじめ。

 蛍と知り合ったのは、俺が引き取られてきて数週間後くらいだった。自分自身が不安定な時期だったから正確な日付は覚えていない。でも、蛍が笑っていたことは心に鮮明に焼きついている。蛍の笑顔のそばには三本一組の〝ラベンダー〟が二つ、最初の笑顔を除いていつも咲いていた。

 今も、高原を連想させる、涼しげな紫色の花が咲いている。


 「ど…くっ…」


 蛍に呼ばれ、思わず目を細めた。蛍は化粧っけがない。長い黒髪も、天然ドライヤーによるブローで無造作になっている。人のことを言えた義理じゃないけれど、決してアカ抜けちゃいない女の子だ。

 でも蛍は、ときめくものを持っていると思う。ドレスよりセーラー服が、ジュエリーより野花の冠が、蛍には似合っているし、比類ないと思う。

 停車したバスに乗り込んでいって、運転手さんとあいさつを交わした。後ろにいる蛍も、お辞儀であいさつをしている。運転手さんも慣れた素振りで応えていた。車内にまばらにいる乗客は、みんな知った顔。行き先は間違いなく町役場か診療所のどちらかだろう。その人らともあいさつを交わし、最後列手前の左側の席に座った。

 今、あいさつをした全員の声に花は咲いた。声に咲く花々は、俺にとっては当たり前の光景だった。しかし、どうやら他の人には見えていないらしい。花はその人の声に呼応するように、宙に咲いた。いつ何時も咲くわけじゃあない。声に咲く花の開花には法則がある。


 ・花は「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」「はじめまして」などの、あいさつの言葉に必ず咲いた。


 現に今も、停車したバス停から乗り込んできたクラスメートの声に、花が咲いている。


「土一、おーっす」


 クラスで一番背が高い、スポーツ男子の一戸いちのへの声には白い〝サツキ〟が。


「オハロ~~、ゴリョーニンさま。本日もナカムツマジーこって」


 小太りでお調子者の今井の声には、赤い〝アマリリス〟が咲いた。

 〝サツキ〟も〝アマリリス〟も花輪の部分だけが一つ咲いていた。

 声に咲く花の咲き方は二通りある。


 ・一つ目は、雪村夫妻や蛍のように何輪かが一組となって咲く。

 ・二つ目は、一戸や今井のように単体の花輪が咲く。


 一組と、単体の花輪は同じ大きさで、直径八センチほど。身近なものでたとえるなら、俺の愛用するマグカップの直径がちょうど八センチくらい。


「おはよう。はいはい、言ってろー」


 一戸にはあいさつを返して、今井は手で追い払ってやった。

 昔から蛍と一緒の時間を過ごしてきた俺にとって、この程度の冷やかしは日常茶飯事。すっかり慣れっこだ。蛍にとってもそれは同様で、むしろまだ俺に照れがあった頃でも、ニコニコ笑っていた。だけど、ここ最近の蛍は違った。にこやかであるもの、どこか申し訳なさそうな、後ろめたそうな表情を見せるようになった。理由はわかっていない。


「ど…くっ…、ご…」


 謝罪の言葉を口にした蛍の〝ラベンダー〟は、二つとも俯いて咲いていた。

 咲き方に続き、花の状態にも色々ある。花はあいさつとは別に、感情に合わせて咲いた。

 俺のざっくりした見立てによると、


 ・優しい気持ちや喜びと楽しみには、大きく開花。

 ・怒りと悲しみには、下を向く。

 ・緊張や不安の場合はつぼみ。

 ・悪意のある嘘や言葉には、枯れた花になる。


 と言ったところ。

 突き詰めれば更に細かく分類できると思う。花の開き具合とか、花びらの枚数とか、葉っぱがついているとか、色味とか、目安はあった。でも、精神的にも肉体的にも疲れるからやらなかった。

 感情に合わせて咲く花が見えると言うことは、感情が見えると言うこと。時には、相手が隠したい感情さえ見えてしまう。精神疲労が起こらないわけがない。それに、咲く花に目を凝らすのも案外大変だ。


「ただの冷やかしだって。気にするなよ」


 そう言って笑いかければ、蛍も笑い返してきた。一方で〝ラベンダー〟はつぼんでいる。

 なにか別の話題を振ってみよう。


「放課後のボランティア部のことだけどさ――」


 部活の予定を話しているうちに、学校近くのバス停に着いた。

 〝ラベンダー〟は、道中のおしゃべりでまた大きく咲かせることができた。

 朝の校内の風景を四文字熟語で表すなら、まさしく百花繚乱。壮観そのもの。こればっかりは何年たっても、毎朝見ても飽きはこない。


「おーい、蛍ちゃーん」


 校門から昇降口にかけてのアプローチを歩いている最中、のんびりとした声が背後からかかった。自分が呼ばれたわけじゃないけれど、蛍と一緒になって振り返った。お団子頭の眠たげな目をした女の子が駆け寄ってくる。


「な…ちゃっ…、お…よ…」

「おはよー、蛍ちゃん」


 〝ゼラニウム〟

 玄関先の鉢植えや、公園の花壇など、園芸植物として親しみのある花が、三輪一組で咲いている。

 彼女の名前は、菜花寿子なばなとしこ。蛍と同じ一組で、蛍の数少ない女友達。


「小角君もおはよう」

「おはよう、菜花ちゃん」


 髪型とふんわりした外見がテディーベアを連想させる。そんな彼女と橙色の〝ゼラニウム〟の取り合わせは、気分を和やかにしてくれた。


「菜花ちゃん来たし、けーい、俺行くな?」

「ふ。…と…で」

「うん。また後……部活で」


 二人と別れて、一足先に歩き出した。

 女子二人に混ざるのはやぶさかじゃあない。とはいえ、俺と蛍の隣に菜花ちゃんが入ると、いらんちょっかいを出してくる輩がいる。そういうのは好きじゃない。だからなるべく回避しようと心がけていた。

 群馬県の限界集落にある、我が県立千場せんば高校の生徒数は九十一人。その数は三桁に届いていない。それでも、中学と比べたら約六倍に増えたからマシだ。別に驚くことじゃない。人間よりも野生動物との遭遇率が高いのが、俺が暮らしているこの流石ながれ町だ。

 町を取り囲むようにして約千メートル級の山々がそびえ立ち、中央には清流・流石川が西から東に流れている。ちなみに、信号機は町に一ヵ所だけ。そんな町の高校なんだ、生徒が多いわけがない。


「よぉ、小角。こないだ借りたヤツ返すわ、CD。あんがとな。またいいのがあったらおせーてくれ」

「おはよーございます! 了解しました、上京した従兄が置いていったコレクションの中から、先輩好みの見つくろっておきますねー」


 常にヘッドホンを首にかけている真鍋まなべ先輩の声には、明るい黄色の〝菜の花〟が三本一組になって咲いていた。

 この人は〝シクラメン〟。あいつは、そう〝アルメリア〟。この先生は今井と同じ〝アマリリス〟。声に咲く花も、ちらほら被ることがあった。

 あいさつを交わしつつ、心の中で花の名前をつぶやいていたら、ふと感心したくなった。俺もずいぶん花の種類に詳しくなった。子どもの頃は植物の図鑑を持ち歩いていた。

 そうして、人の声に咲いた花を片っ端から調べて回った。二言三言会話をした途端、突然図鑑を広げる俺を見て、周囲の人はさぞかし変な子どもと思ったことだろう。

 今その光景を思うと可笑しさが込み上げてきた。けれど、この記憶はほろ苦い経験にもつながっている。苦い笑みを浮かべた俺は懐古を打ち切った。それから口角を上げて息を吸い――


「おはよーう!」


 元気よくあいさつをして、二年一組の教室へ入っていった。方々から返ってくる声と、そこに咲き乱れる花、花、花。普通の人には見えないものが見えるのは、しんどかったり苦労したりもある。それでも、この時ばかりは都合よく忘れた。こんな素晴らしい光景が俺にだけしか見えないなんて、本当にもったいない……!

 一人ひそかに感動を噛みしめている俺は、自分の席へ移動し、机に鞄をかけた。

 着席と同時に漏れたのは「ふぃー」という熱っぽい感嘆の息。まだ夢見心地が抜けきらない中、後方から肩をトントンと叩かれた。


「やぁ、おはよう、土一クン」


 八重咲の豪勢な〝ダリア〟の花輪を咲かせたのは、クラスメートの北西千駆きたにしちかる

 〝ダリア〟は園芸花を代表するような花。花の形、色、大きさのバリエーションが豊富で、その上育てやすく、花の咲いている期間も長い。

 千駆の〝ダリア〟は複色で、赤い花びらの先端が白くなっている。


「おはよう、千駆」


 千駆は机の前、俺の正面へ回る。しゃなりしゃなりと歩く姿が、おそろしいほどさまになっていた。異性はもちろん、同性の俺ですら目を見張る艶やかさが備わっている。

 そんな千駆に見惚れたせいか、はたまた、その声に咲く〝ダリア〟を気に入っているからか。


「〝ダリア〟今日もキレイだね」


 うっかり、声に咲く花への褒め言葉を口にしていた。

 ……まずい。そう思った次の瞬間、前後左右の席と、その席の主と談笑していた銘々が騒ぎ立てた。

 女子は「キャーーーッ!!」と歓声と悲鳴とを混ぜたような叫び声を上げ、男子は「きめぇーー!!」と思ったままを叫んでいた。


「フフ。出たね、土一クンの十八番。男女関係なく花にたとえて褒めるその口説き文句。ボクは初めて言われたけど、存外心臓が大きく鼓動するものだなぁ」


 胸を押さえながら千駆が言った。


「違うんだよ、その……、違うんだって~」


 情けない声が出た。このミスは大きい。よりにもよって、校内で一、二を争うモテモテ美男子を相手に口を滑らせてしまったんだ。当分からかわれるネタになるだろう。


「少なくとも、下駄箱に入っていた手紙よりは確実にときめいたね」

「……手紙? あぁ、ラブレターね。そんなことより、はぁ~あ、気をつけてたのにぃ」


 俺は机の上にぐったりうなだれた。千駆がラブレターを受け取るのはそう珍しいことじゃないので、いちいち取り合わない。


「あれかい? 過去にやっていたボーイスカウト流のあいさつなのかな」


 気遣い半分、からかい半分の質問に、俺は黙秘権を行使した。そんなボーイスカウトがあったらキザだしなんか嫌だ。


「まぁ、回答は求めていないさ。でも、コミュニケーション能力の高さは認めるところだけど、人たらしはほどほどにね。これ以上、罪なあんちくしょうになりたくはないだろ?」

「アンチ、クショウ? ……千駆の語録って独特だよね」

「そうかな?」


 千駆は顎に手を人差し指を添えて思案していた。

 彼の独特さは語録だけにとどまらない。まず、左利き。次に涙ボクロ(利き手側にある)。加えて、やんごとなき血筋を感じさせる気品。気取った、けれど嫌みを感じないしゃべり方。まだある。俺がやったらダサいこと請け合いのおかっぱヘアも、千駆にかかれば平安貴族の皇子様といった具合。それから、弟。千駆には双子の弟がいる。

 バシーン! 突如、教室のドアが力任せに開けられた。


「ドイチ、週一シューイチ、おはよーさーん」


 八重咲の豪勢な〝ダリア〟の花輪が咲いた。花色は兄とは異なり、単色で黄色。

 普通に開ければいいのに、いつも、いつも、迷惑な開け方をする奴だ。他のクラスであってもお構いなし。むしろ、そんなのは些細なこと。この世でただ一人の兄が味方でいてくれれば、他の人類はどうでもいいと思っている。それがこの、北西千足きたにしちたるだ。


「千足、うるさい。あと、そのあいさつ面白くないし。あと、うるさい。……あと、おはよう」

「アトアトしつけー、俺がオモシロいからいーんだよ!」


 背格好も顔も同じ造りをしているのに、受ける印象が対照的。兄の千駆は言わば流水、弟の千足は烈火のイメージ。そこが双子の神秘なんだろうか。


「千足さっきぶり」「千駆もさっきぶりー」


 互いへの言葉に三つの〝ダリア〟が咲いている。

 兄弟仲良く利き手同士を合わせれば、シンメトリーが完成した。千足の利き手は右で、涙ボクロも利き手側にある。髪型が耳にかかるショートカットでなくおかっぱであったら、鏡から抜け出てきたみたいに左右対称になる。

 北西兄弟が髪型を揃えていた時は、ホクロの位置を化粧で変え、周りを欺くイタズラを度々していた。けれど、そんな時でも俺は〝ダリア〟で見分けられた。双子にとって、変装した自分たちを見分けられる存在は珍しかったらしく、気に入られた。

 あとは……


「ドイチー、そろそろ陸上部入れよー。なぁーなぁー、もっかい棒高跳びやれよー。んでもって短距離もやろーぜー」

「やらないってば。俺は自分でトレーニングしたいんですー」

「おーっし、ちーかる、入部届と退部届あるー?」

「鞄に入っているよ、ちょっと待っていてくれ」

「入らないよ! やめないよ!」


 中学の陸上競技大会に出場していたことを目ざとくも覚えていて、高校では陸上部に入部しなかった俺を勧誘するため、一年の頃から執拗に絡んできていた。正直、うっとうしくないって言ったら嘘になるけれど、これも千足なりのコミュニケーションの取り方なんだろう。

 それに――

 キーンコーン、カーンコーン。

 始業のチャイムが鳴って、担任がやって来た。千足は自分のクラスへ、千駆は自分の席へ、他のみんなも自らの居場所に戻っていった。

 きりーつ、れーい。号令がかかり、全員が「おはようございまーす」と声を揃えた。

 声に咲く花が一斉に開花する。


「はい、おはよう。出席取るぞー」


 〝桃〟

 担任の橘桃子たちばなももこ先生、通称モモちゃん先生は、ショートカットが良く似合うハンサムな女性。担当科目は保健・体育。趣味は高校野球観戦。見た目も性格もいいのに、田舎の学校という出会いのない職場のせいで独身彼氏なし。そんなモモちゃん先生の声に咲く三輪一組の花を眺めながら思う。

 それに――安心するんだ。毎朝、毎朝、同じようなやり取りを繰り返すことが。俺は、昨日まで続いた日々が明日も続くことを望んでいるから。


 続く

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