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第二章 幼馴染 樵田蛍 その⑤〝エリカ〟の風景


「――土一、着いたぞ」


 突如肩を掴まれ、そう声をかけられた。

 目を開けると、一戸と今井が通路に立って俺を見下ろしていた。バスは停車しているようだった。


「おっす、起きたか」

「オハロ~、ドイッチャン。ロンリーなんて珍しすぃーじゃん」


 〝サツキ〟と〝アマリリス〟を咲かす友人二人は、どこか心配そうな顔をしていた。


「おはよう、二人とも。……そうだな。もしかしたらこの先、珍しいことじゃなくなるかもしれない」


 ポカンとする一戸と今井に「起こしてくれてありがとう」と告げ、二人の脇を抜けて一足先にバスを降りた。

 正門から昇降口。昇降口から校内への道すがら、学友たちとあいさつを交わす。

 おはようの声に咲く花に励まされながら、教室に向かった。教室につくと、いつものように口角を上げて息を吸い――


「おはよーう!」


 元気よく振る舞って、二年一組の教室へ入っていった。

 今日ばかりは、教室中に咲き乱れる花への感動も薄かった。それでも気分転換にはなった。

 視線を窓際の後から二番目の席へ走らせる。理音はまだ来ていないらしく、空席だった。


「やぁ、おはよう。寝不足みたいだね、土一クン」


 〝ダリア〟

 席へ着くと早速千駆がやって来た。


「おはよー。まぁね。ところで、理音って登校してきた?」

「いいや、今朝はまだ見かけていないね。周クンがどうかしたのかい?」

「あー…うん……」


 答え難い質問だった。事情を説明するのは気が進まない。恥ずかしいし、情けない。

 でも、千駆は昨日、忠告をしてくれた。俺はその忠告に耳を傾けなかったんだけれど……。

 一旦下げた目線を、千駆の黒曜石の瞳へと戻す。


「昨日、蛍が作ったテラーロイドの音声に暴言を吐いたんだ。まがい物の声だって、ニセモノだって言った」

「……それはなんとも、よくない言葉だったね」

「うん、本当に。それで今日、蛍に謝って、告白をしようと思ってる」

「急展開、とは思わないよ。感想としては、やっとかい? ってところだね」


 千駆の率直な感想に、乾いた笑いがこぼれた。


「理音にも悪いこと言っちゃったなと思って。いきなり空気をぶち壊しちゃったし」

「それで謝りたいと思っているのかい? 恋敵なのに?」

「……うん。だって理音は悪くないんだ」

「キミのその、なるべく人に嫌われたくないっていう、いじらしいところは嫌いではないよ」

「それ、褒めてなくない……?」

「そうなるのかな。でも、それは誰しもが持つ普通の感覚だよ。人に嫌われたくないっていうのは、イコール、人のことが好きってことだとボクは思うんだ。……だけどねえ、キミ」


 千駆は俺の机に両手をついて、身を乗り出した。墨汁のようにツヤのある髪が、さらさらと前下がりになって影を作る。


「今日ぐらいはその胸にいる人物のことだけを考えるべきじゃないかな」


 そう言って、人差し指を一本ピンと伸ばし、俺の左胸に当てた。そしてゆっくりと、前かがみの体勢を直

していった。

 俺は二の句が継げなかった。千駆の言う通りだと思った。


「周クンのフォローはボクがやっておくよ。土一クンはそうだなぁ、うん……千足と話すといいよ。こういう時は千足が適役だ。話すだけで元気をもらえる」


 離れていこうとする千駆をとっさに呼び止めていた。どうしてそうしたのか自分でもわからなくて、急いで言葉を探した。

 そうしたら思いもよらぬ言葉が飛び出ていった。


「千駆はどうして千足と見た目を変えたの?」


 呆れた表情で笑った千駆が、耳元にその整った顔を寄せてきた。


「キミが見分けてくれたせいだよ」


 〝エリカ〟が大きく開花した。


「え?」

「千足と二人で生まれてきたボクは、孤独を知らなかった。だから一人が怖かった。一人の人間として扱われるのが怖かった。土一クンがボクらを見分けた時、最初は感心したよ。けれどすぐに、ボクと千足を別つ存在と認識した。親しげに接しつつも内心では嫌っていたんだ」

「え、えぇー……?」


 歌うように紡がれた言葉は、とんでもなくショッキングなものだった。思わず体をのけぞらして驚いてしまう。

 千駆は、悪戯が成功した子どもの顔で、可愛らしく笑っていた。


「何度となく千足の振りをしてキミを試したのは、キミを負かしたかったからなんだ。まぁ、すべて看破されてしまったよ」

「通りで……ちょっとしつこかったもんな」


 去年の秋頃のことで、ほぼ毎日だった。酷い時なんか、日に何度も変装して試されたっけ。


「所詮ボクも孤独なんだと知ったよ。世界が酷く心細いものに感じた。ボク以外の人間はみんな、こんな心細さの中で生きて来たのかと感心したよ。同時に興味が湧いた。土一クンにも嫌悪はなくなり、むしろ孤独を気づかせてくれたことへ感謝したし、友愛も芽生えた」


 ありがとう。千駆は無邪気に微笑んで、大きな、大きな〝ダリア〟を咲かせた。


「いや、たまたまだから、お礼を言われるようなことはなにも……」


 そうだ。俺はただ声に咲く花が見えるだけで。花を見て判断していただけだ。言わばズルだ。千駆と千足の自身を見分けられたわけじゃない。

 それなのに、こんな千駆の根底に関わる部分に触れていたなんて、夢にも思わなかった。なんだか申し訳ない気持ちになってきた。


「千足との別れはいつか絶対に訪れるんだ。ならばボクは、その瞬間を笑って迎えたい。笑って千足を送り出したい。そのための準備を土一クンがさせてくれたんだ。キミにそのつもりはなかったとしてもね」


 あからさまに表情を曇らせた俺を気遣う千駆の言葉は切なくて、胸が塞がる思いだった。

 千駆の声に〝エリカ〟が咲くようになったのは、外見に違いを作ってからだった。〝エリカ〟の花言葉は【孤独】と【寂しさ】。


「そんな悔いた顔をしないでおくれよ。いい加減、弟離れをする時期だったんだ、好都合だよ。それに、理由はそれだけじゃないんだ」


 ――好きな人ができたからさ。きちんとボクを見て欲しくなったんだ。

 耳元で囁かれた声は、甘酸っぱい痺れを伴って俺の鼓膜を震わせた。

 距離が近くてちゃんとは見えなかったけれど。視界の端に映った大輪の〝ダリア〟は、生き生きと咲いていた。

 今度こそ離れていく千駆の足は、今しがた登校してきた理音へ向けられている。

 俺は小さな声で「ありがとう」を送った。千駆は左手を上げて応えていた。

 千駆と入れ替わるように、千足がバシーン! とドアを開けて入ってきた。わざわざ閉まっている方のドアを選んで入ってくる千足のために、毎朝クラスメートの誰かしらが、必ず前後どちらかのドアを閉めてくれている。


「ドイチ、毎日、おはよーさーん」


 〝ダリア〟


「おはよう、千足。陸上部には入らないよ」

「ひでぇ! まだなんも言ってねーのにウッゼー! いーから棒高跳びやれよー、んでもって短距離もやれよー! なぁーなぁー!」


 鈍感な千足は、俺の寝不足に気づくことなく勧誘をしてきた。それは今の俺にとって心安らぐ時間となる。

 少し離れた場所では、千駆のマシンガントークが炸裂している。

 そちらを見てみると、やや及び腰の理音と目線が交差した。俺は目を逸らすでもなく、笑うでもなく、そっと目礼をした。

 目線に千足が割って入ってきたため、その後の理音の様子は見られなかった。空気を読むことを嫌う千足は、結構こうやって無自覚に空気を読んでいる。


「千足もアリガト」

「はぁ? なんだよ、きしょいな。んなことより陸上部入れよー」

「いーやーだ」


 続く

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