第二章 幼馴染 樵田蛍 その③愛しているの風景
閲覧いただきありがとうございます。
セリフが少なく、地の文ばかりで読みにくくなってしまいました。
力不足を痛感しています。
樵田蛍との出会いは七年前。
小学四年生の春が終わり、初夏を迎えていた。
両親を交通事故で亡くしたのは、それより数か月前の二月のこと。
関東にあるロウバイ園に、ロウバイの花を見物に行く途中での事故だった。両親は即死だったと聞いている。
反対車線からはみ出してきたトラックとの正面衝突。トラックの運転手の居眠り運転が原因だった。
後部座席にいた俺も一時意識不明となる重傷を負った。迅速かつ、懸命な救助と治療のお陰で九死に一生を得た。
目が覚めてから流石町へ来るまでの日々は、断片的にしか覚えていない。
灰色の病室。しかめっ面の知らない大人たち。
苦しそうな克己おじさんの顔と、悲しそうな芙美恵おばさんの顔。
母さんと父さんのお葬式。
そして、花。
病室に飾られたお見舞いの花。お葬式に供えられた献花。痛ましい事故だったそうだから、たくさんたくさん花が届いた。
モノクロの空っぽになった世界に、その花々はやけに生き生きと、憎らしいほどに燦然と咲いていた。そんな花が俺は、大嫌いだった。
両親は草花を愛する人たちだった。
それなのに花は両親を殺した。あの日、花を見になんて行かなければ、母さんと父さんは死ななかった。
だというのに花はたくさん送られてきた。病室にもお葬式にも、花はまるで俺を嘲笑うかのように咲いていた。
いつしか俺は、花が憎くて仕方なくなっていた。
退院した俺は、雪村家に引き取られた。後で知ったが、父さんには親族がおらず、いわゆる天涯孤独の身だったらしい。
母さんの両親、つまり俺の祖父母も既に他界しており、俺の行き先は雪村家しか残されていなかったそうだ。
克己おじさんと芙美恵おばさんが引き取ってくれなければ、俺は養護施設に入っていただろう。
雪村家がある流石町は、自然溢れる町だった。当然野花も多く、畑や庭にも園芸植物が植えられていた。
当時の俺にしてみれば目の毒でしかなかった。だから俺は、理不尽に奪われた不幸を、持て余す絶望を、花にぶつけた。
手始めに学校の花壇を転校初日に踏み荒らした。
続いて、人様の家の庭や畑、鉢植えに咲いた花を引きちぎって回った。道端や川原に咲く野花も片っ端から手折っていった。
またたく間に俺の評判は不憫な子どもから問題児へと変わる。雪村家もとんだ厄介者を連れ込んでくれたものだと、近所で噂されていた。
雪村家の人々には数えきれないくらい迷惑をかけた。方々から苦情を訴えられては飛んでいき、丁寧に謝罪していた芙美恵おばさん。
頭ごなしに叱りつけず、辛抱強く草花を慈しみなさいと説得してくれた克己おじさん。
花を散らすより、一緒にキャッチボールをしようと何度も誘ってくれた秀作兄さん。
ここまでしてもらいながら俺は、それでも花を憎むことをやめなかった。やめられなかった。花を憎まなければ自分を保っていられなかったんだ。
だって、ロウバイの花を見に行きたいと言い出したのは俺だったから。
まだ恋人同士だった両親の写真に映る、蝋細工のような半透明の黄色い花を見たいと、俺が言い出さなければ二人は……。
その先を考えることを拒否するために、花を憎まずにはいられなかった。思えばこの時に俺は、見たくないものを見ないようにする方法を学んでしまったんだろう。
花に憎悪の炎を燃やす俺の元に、蛍は花を持って訪れた。
教師からのいじめで言葉を閉ざしてしまっていた蛍は、表情もなく無口な俺にシンパシーを抱いたらしい。
俺に花の素敵さをわかってもらおうと、わざわざ山里の斜面に出向き、お気に入りの花を摘んできた。
ちなみにこれは、親しくなってから教えてもらった話だ。
その時の俺にしてみれば、蛍の気持ちなど知るはずもない。蛍の行動は、飛んで火に入る夏の虫でしかなかった。
同じ小学校だったけれど、蛍は登校していなかったため顔を知らなかった。
知らない女の子。細くておどおどとして、やたら目が大きい。白いチワワみたいな子が、俯くように咲く赤紫色の花を差し出してきた。
俺はその花を受け取るやいなや、バラバラに引きちぎってその場に捨てた。
蛍は、短い悲鳴のような吐息を漏らした。ショックから目を潤ませていたけれど、泣きはしなかった。花の残骸を一つ一つ拾い集めると、胸に抱いて去っていった。
俺はなにも言わず、歩く後ろ姿を見送った。
なんだかいたたまれなくなった。花にも、女の子にも、酷いことをしたと感じた。憎しみの対象でしかなかった花に、初めて罪悪感を抱いた瞬間だった。
俺は左右の手でぎゅっとTシャツの裾を掴んだ。すべきことがある。行くべき場所がある。けれど動けない。迷子にでもなった心持だった。
そこへ、手を取ってくれる人が現れた。
ごつごつとした手のひらは、長いことバットを振ってきた証。何度もマメをつぶして硬くなった球児の手は、秀作兄さんのものだった。
「土一、帰ろう。お前に見せたいものがあるんだ」
身を屈めていた秀作兄さんと目が合った。
グラウンドで白球を追いかけている秀作兄さんの瞳は、日にかざしたビー玉みたいにキラキラしているのに。その眼に映る俺の瞳は、絵の具の筆を洗うバケツの中の水と同じで濁っていた。
俺は秀作兄さんの瞳が羨ましかった。同時に、俺に見せたいというものがなんなのか気になった。
光り輝く瞳が見せたいと言うのなら、それはきっと素晴らしいものに違いない。迷子の俺は小さな希望にすがりつく思いだった。
手を引かれて、雪村の家に帰った。
秀作兄さんは、家につくと俺に居間で待っているよう言いつけた。
それから、土一の部屋の押し入れを開けさせてもらうぞ、と断りを入れて二階へ上がっていった。
天井から何度か物音がして、ギ、ギ、ギ、と階段を踏み鳴らしながら秀作兄さんが戻ってきた。手にビデオカメラ持ち、配線の束を小脇に抱えていた。見覚えのあるハンディカメラだった。
「バッテリーの残量は……ないか。充電しながら映せばいいな、うん」
「しゅうにい、それ、おとうさんの……」
「ああ、そうだよ。ちょっと待っていてくれな」
穏やかに微笑むと、ブラウン管テレビの前に座って電源スイッチを押した。
充電用のアダプターをビデオカメラとコンセントに差し、ビデオカメラの端子とテレビの端子、それぞれに合った端子を接続した。
ビデオカメラの電源を入れ、リモコンでテレビのチャンネルを変える。
「土一、再生するぞ」
その言葉を合図に、画面いっぱいに映し出されたのは――
「お、とうさん……! おかあさん……!」
よく知っている部屋の、よく知っているソファーに並んで座る、父と母の姿だった。
当たり前のように寝て、起きて、出かけて、帰ってきて、当たり前のように暮らしていた家。いなくなる日が来るなんて疑いもしなかった両親。
忘れかけていた風景がそこにはあった。数ヵ月しか立っていないのに酷く懐かしい。何年も時が経ってしまったみたいだ。
画面にしがみつき、食い入るように映像の中の両親を見つめた。
そうすると、ぼんやりと霞がかった記憶が徐々に鮮明になっていった。ふと、両親の面差しが、記憶よりも若々しいことに気がついた。
それもそのはずだ。母さんが腕に抱いているのは、まだ赤ん坊だった俺なのだから。
『……えっ? 忍くん、これってもう映ってるの……?』
『たぶんそのはずなんだけど、赤いランプついてるし……。ちょっともう一回確認してくるから待ってて、偲ちゃん』
二人は不安げな目をこちらに向けていた。父さんがビデオカメラの視野から外れ、画面が二度、三度と揺れる。
「土一が生まれた年に撮ったビデオレターだよ。本当は二十歳のお祝い用なんだけど、今の土一にはこれが必要だと思ったから見せる」
「どう?」「うーん?」と、しばし段取りの悪い両親のやり取りが映り、そんな二人をフォローするかのように、秀作兄さんが説明をしてくれた。
俺が振り返ると「そろそろ始まるぞ」と静かな声で告げ、画面を見るよう促した。映像の中では、両親が再びソファーに並んで座っていた。
『土一』
まず父さんが言い、
『土一』
続いて母さんが言う。そして――
『『二十歳のお誕生日おめでとう』』
満面の笑みを浮かべながら、そう言った。
『土一が生まれた記念に、二十歳の土一へメッセージを残しておこうと思って、偲ちゃん……ママと話してね』
『まだこんなに小さい土一を抱きながら、大人になった土一に話しかけるなんて、不思議な感じがするわ。ねぇー、土一? ほら、未来の土一ですよー』
母さんに顔を覗き込まれた赤ん坊の俺が、「きゃっきゃっ」と喜んでいた。
『ほら偲ちゃん、これは未来の土一に向けたものなんだよ?』
『ふふふ、そうね。じゃあ改めて……土一?』
顔を見合わせた両親が、せーの、とタイミングを計る。
『『私たちの子どもに生まれてきてくれてありがとう!』』
二人はまた満面の笑みを浮かべていた。
『土一が生まれてきてくれて、お母さんとお父さんはとってもとっても、とぉーーーっても幸せよ!』
幸せそうだった。
『幸せはそれだけじゃないぞ、土一。これから成長していく土一の姿を見られること、一緒にいられること……そして、今立派に成長した土一がいること。全部が全部、父さんと母さんの幸せだ!』
とても幸せそうだった。
『これを見ている土一は、どんな人になっているのかしらね? きっと素敵な男性になっているわよね?』
『元気でいてくれさえいれば十分だけれど、そうだなぁ……思いやりを忘れない人であって欲しいな、偲ちゃんみたいな』
『うふふ。そうね。疎か者はだめよ? 周りの人や、お友達、知らない人も、動物や植物のことも思いやれる、そんな優しい男性になって欲しいわ、忍くんみたいに』
『……偲ちゃん』
『……忍くん』
『だぅー!』
うっとりとお互いを見つめ合う両親の目を覚ますみたいに、赤ん坊の俺が声を発した。
その声に引き戻された両親は、だらしなく破顔している。
一点の曇りもない幸せがそこにはあった。涙が流れた。次から次へと流れて止まらなかった。
『土一、大人になったお前は父さんと母さんの手から離れていってしまうんだろうな。けど、忘れないで欲しい。私たちはいつでもお前のそばにいる。なんでかって言うとそれは、父さんと母さんがずっと土一のことを思っているからなんだ』
『そうよ、土一。私たちはどこへ行っても、なにをしていても、土一のことを考えているわ。土一は元気かしら? 笑っているかしら? 悲しんでいないかしら? そしてその度に思うのよ。土一が幸せでありますようにって、ね』
父さんと母さんの言葉は愛に溢れていた。
俺は、自分の奥深くに刻まれていた傷が癒えていくのを感じていた。父さんと母さんの腕に抱かれている感覚を思い出していた。
つまり俺は、二人の愛の中にいた。
『土一、二十歳のお誕生日おめでとう』
『土一、生まれてきてくれてありがとう』
『『土一、愛してるよ』』
揃えた声に呼応するように、宙に六つの花が咲くのを俺は見た。
見間違いかと思い、まばたきをして、目を擦ってもみたけれど、花は咲いていた。
父さんの声には紫色の〝桔梗〟の花輪が三つ咲いていた。和の気品をまとった星型の花は、秋の七草に数えられている。
母さんの声には〝ヤマユリ〟の花輪が三つ咲いていた。この黄色い線と赤い斑点を持つ大きな花びらは、ヤマユリだ。日本に数多く自生するユリの中でも、もっとも大きな花を咲かせ、強い香りを放つ。
〝桔梗〟と〝ヤマユリ〟はそれぞれ、父さんと母さんが一番好きな花だった。
ビデオレターは、最後に笑顔で手を振る二人を映して終わった。
呆気に取られながら滂沱として泣く俺の肩に、ごつごつとした手のひらの感触が伝わってきた。秀作兄さんだ。
「……俺はお前になんて言っていいのか、正直よくわからない。けどな、これだけは言える。土一、お前は一人じゃないぞ」
〝ハナミズキ〟
この瞬間から俺は、人の声に咲ける花を日常的に見るようになった。
秀作兄さんの声には、三輪が一組になった〝ハナミズキ〟が三つ咲いていた。やっぱり雪村家の人々の声には、花は最初から三つ咲いていたんだ。
花への憎しみが消えた俺は、自分の行いの非道さに臆した。
雪村家の人々にかけた迷惑と苦労は、想像を絶していた。とても家族だなんて思ってもらえる自分ではないと思った。
また、両親を失うきっかけを作ったという罪の意識もあり、俺が家族と思ったら雪村家の人々までも失ってしまうと考えた。
だから、花が三つ咲く理由が愛情によるものだと知った時、俺は雪村家の人々の声に咲く花たちから目を背けたんだろう。
どうしようもない疎か者だ。ごめん、と現在の俺が心の中で何度も両親に謝る。
そして、小学四年生の俺も謝るべき人がいると気づき、立ち上がった。
「あやまらなくちゃ……」
蛍のところへ向かう意思を示すと、秀作兄さんが蛍の家の場所を教えてくれた。一部始終をばっちり目撃していたらしい。
俺は自宅の場所と表札に出ている【樵田】の字を教えてもらい、目的地へ走った。誰かに会いに行くために走るのは、しばらくぶりだった。
緩やかな傾斜を下りると国道に突き当たる。その国道を、流石川の流れに逆らうように歩いた先に、白と茶色を基調としたオシャレな一軒家が見えてきた。
その家の位置と外観は、秀作兄さんの説明と一致していた。ガラス製の表札を確認すると【樵田】の文字が刻印されていた。
震える指をインターフォンに伸ばしかけた時、気がつく。
門扉の先に見える庭に、白いチワワに似た女の子がしゃがみ込んでいた。なんて声をかければいいのか逡巡する間、意図せず蛍の様子を窺っていた。
蛍は、植物が生い茂る庭の比較的平坦な場所にしゃがんで、手で土の山を作っていた。それは、さっき俺がバラバラにした花のお墓だと直感で理解した。
「――ね、ねえ……っ!」
考えるより先に言葉が出た。
蛍は小動物を思わせる動きでこちらを振り返る。俺の姿を目に留めた蛍は、くりくりとした大きな目を更に大きくさせ、まばたきを二回ほど繰り返していた。
「そ、それ! お墓、さっきの花のだよね……?」
蛍はコクンと素直に頷いた。そうしていると本当にチワワみたいだった。
「お、れも、お参りしたい……しても、いい?」
おそるおそる訊ねた俺に、蛍は花咲くような笑顔で手招きをしてくれた。
門扉を引き開けて、樵田家の庭へと足を踏み入れる。蛍が待つ場所までたどり着いた俺は、手作りのお墓の前にしゃがんで手を合わせた。
「ひどいことをしてごめん。お母さんとお父さんのことで八つ当たりして、憎んだりして、ごめん……ごめんなさい」
この手で引きちぎってきた花。この足で踏みにじってきた花。
すべての花に向けて一心に謝った。合掌した俺の手を包むように、誰かの手が重ねられた。びっくりして閉じていた目を見開く。
手は隣から伸びていた。いつの間にか俺の右横にしゃがんだ蛍の仕業だった。向けられる微笑み。一瞬のまぶしさと、ハッと目の覚めるような感覚。
彼女は俺のために一緒に謝ってくれている。確証もないのに、なぜだかそう確信していた。
合掌していた手を離し、左の手のひらを蛍に向けた。言葉はなく、目と目で通じ合った。
間もなく蛍の右手がぴったりと合わせられた。右手を蛍の右手の上に重ねる。蛍の左手が俺の左手に重ねられる。
この時の俺はまだ、蛍の名前も知らなかった。けれど手を合わせた刹那、蛍のことをずっと前から知っているように思えて仕方なかった。
「ごめん、ありがとう」
それしか言えなかった。本当はもっと長い言葉を伝えるはずだった。
ひどいことをしてごめん。俺ために花を持ってきてくれてありがとう。そう伝えるつもりだったんだ。
蛍は全部わかっている風な顔をして、「…ふ」とほとんど吐息での返事をした。
その声に〝ラベンダー〟が二つ咲いた。そして、蛍に自己紹介をする俺の声にも赤い〝チューリップ〟が二つ咲いていた。
幼い俺はまだ、花が二つ咲く理由を知らずにいた。
二つの〝ラベンダー〟と二つの〝チューリップ〟が咲く景色は、まぶしいほどに美しかった。
「……きみの名前は?」
蛍は地面に指で【蛍】と書き、次に【けい】とふりがなを書いた。
言葉を発さない様子に疑問はあったけれど、ささいなことだと思い、口にはしなかった。
蛍が笑っていてくれれば、〝ラベンダー〟が咲いていてくれれば、それでいいと思った。
その日から、俺と蛍はどんな時もずっと一緒だった。
眠りにつけぬまま俺は、蛍との思い出を振り返り続けていた。寝入りばなを迎えたのは、夜明け前の一番暗い時刻だった。
続く




