第二章 幼馴染 樵田蛍 その②伯父との風景
人生で二度目の産声を上げ終えた俺は、若干の照れ臭さはあるものの、スッキリとした心持でいた。
作業台に落っことしたハンバーグは、調理後、俺と芙美恵おばさんとが、それぞれ責任持って平らげた。
お互いにまぶたと鼻を真っ赤にした顔を突き合わせての食事となった。口数は少なく、顔を見合わせる度に苦笑が漏れたけれど。
でも、心通わせる時間だったと、たしかな手応えを感じられた。
温かな気持ちのまま食事を終え、その後でお風呂を済ませた。
「土一、ちょっといいか?」
タオルで頭を拭きながら廊下を歩いていると、居間から声がかかった。入浴中に帰宅していた克己おじさんが俺を呼んでいた。
「克己おじさん、お帰りなさい。お仕事お疲れ様です。お風呂先にいただきました」
「ああ、ただいま」
〝梅〟
食卓の前で寛いでいる克己おじさんに倣って、俺も自分の定位置につく。頭を拭いていたタオルは膝の上に置いた。
「どうした? にこにこして、なにか嬉しいことがあったのか?」
「あっ、す、すみません」
「はは、別に謝ることはないさ」
一組の〝梅〟が三つ咲いたのが嬉しくて、つい顔に出してしまっていた。しかし克己おじさんは、俺のその笑みは別の理由から生じたものと思ったようで。
「土一が風呂に入っている間に、芙美恵から聞いたよ」
そう報告をして、俺の目を見据えた。その視線が問いかけを含んでいるように思え、俺もじっと見つめ返し、こう答える。
「はい!」
「……そうか。私は、私たちを家族と思ってくれてありがとう、と言うつもりはない。なぜなら、家族なら当たり前のことだからだ」
〝梅〟
「はいっ!」
「……夜分だから少し声を落としなさい」
「あ、はい」
克己おじさんの言葉が嬉しくて、三つ咲く〝梅〟が嬉しくて、声のボリュームの調節を忘れていた。
「いい機会だから、少し将来の話をしよう」
前置きをし、グラスに注がれたビールを一口飲んでから話し出した。
「私は秀作同様、お前の将来についてあまりあれこれ口出しするつもりはない。しかしそれは、なにも頼るなというわけではないんだ。勘違いをするんじゃないぞ? 悩みや迷いがあるなら話してくれていいんだ、私でよければ相談に乗る。大したものではないが、これでも土一よりは人生経験が豊富だからね」
「はい、ありがとうございます。あの、心強いです……とても!」
「そうか」
「はっ! ぁっ……はい」
危うくまた大きな声を出しかけ、慌てて抑制した。
同じ失敗を繰り返しかけたことから、克己おじさんの顔がしかめっ面になってやしないかと不安になり、上目遣いでこっそり窺ってみた。
目を閉じ、なにかを耐えるように口をぎゅっと結んでいる。怒っているのかもしれない。
……どうしよう。
「……年を取ってできた子どもは可愛いと言うが……いやこの場合意味が違うか……しかし……」
挽回の手を考えるも思いつかず。また、そちらに意識を取られて、克己おじさんのつぶやきを聞き逃してしまった。
「……すみません、今なにか言ってましたか? ちゃんと聞いていなくて」
「いやいいんだ。こっちのことだから」
克己おじさんはビールをぐびぐびと煽った。なにかを誤魔化す風な態度に思えたけれど、ただの思い過ごしだろう。
「それでだ。土一の将来の夢は自衛官になることだったね」
「はい」
「そうか。国を守る立派な職業、と言ったら、では立派じゃない職業がどうのこうのと誤解を招いてしまうかもしれないが。ま、私個人としては立派と言って差し支えないと思っている。そして、お前がその夢に向かって自己鍛錬を欠かさず行っていること。苦手な勉強に励んでいることを知っている。その心がけも立派なものだ」
反射的に「ありがとうございます」と返しそうになるのを堪えた。なぜかというと、文脈的に、今述べたことに対しての相反する意見が続く予感があったからだ。
「しかしな土一、その夢は本当にお前が心から望んだものか? 両親を早くに亡くしたお前は、自己を押し殺す術に長け過ぎている節がある。その夢は私たちを気遣っての選択とは言えないか? 今一度、自らの心に問いかけてみて欲しいんだ。立派などという見栄えを気にして将来を選ぶ必要はないんだぞ。困らない程度の生計が立てられて、世の中に恥じることのない正しい心を持てる仕事ならば、なんだっていい。お前がなりたいものになりなさい」
予感は的中した。でも、返事はさっき堪えた言葉で問題なかった。
克己おじさんも俺を心配してくれている。俺をしっかりと見ていてくれたんだ。
「ありがとうございます」
克己おじさんの双眸は力強く温かい。
知らなかっただけで、俺はこんな瞳にいつも見守られていたんだ。
その眼差しがくれる陽だまりのような温かさに憩いながら、俺は胸に手を当てる。答えは出ているけれど、きちんと言われた通りに問いかけた。
俺がなりたいものはなんだ?
「――俺がなりたいもの、それは……自衛官で間違いありません。俺は七年前、この命をたくさんの人に助けられました」
手のひらに鼓動が伝わってきた。己の生きている証に触れながら言葉を紡ぐ。
「俺も、その人たち同じように命を救う仕事がしたいです。だから、自衛官になります」
「……そうか、よくわかった。土一、お前のなりたいものになりなさい」
――私たちはいつでもお前を応援しているよ。
そう言って、〝梅〟を三つ咲かせながら、克己おじさんはおもむろに腰を上げ、その大きな右手を俺の頭に乗せた。ぽんぽん、とそんな擬音がしっくりくる動作だった。克己おじさんの手はゆっくりと離れていった。
「長話になってしまったな。湯冷めをさせてしまっていないか?」
「大丈夫です、ホカホカしてます」
「そうか。……こういう話ができてよかったよ」
「俺もです……!」
克己おじさんの視線が、残り少なくなったビールのグラスに移った。
つられて俺も、膝上のタオルに目を落とした。
ちょっとしたくすぐったさが体の内側にあった。決して嫌な感覚ではなくて心地いい。他人に耳かきでもされていて、それが上手だけれどこそばゆい。そんな気分だった。
たぶんだけど、克己おじさんも俺と似た心境なんだろう。なぜなら、そっと様子を窺って目が合った克己おじさんは、はにかみ笑いをしていた。
そして、俺も同じように笑っている自覚があるんだ。
就寝する支度を整え、ベッドに寝転んだ。けれど気は休まらなかった。
俺を取り巻くものが目まぐるしく変化する。今日はそういう一日だった。
世界は数分もかからず変貌を遂げる。経験上知っていたけれど、再認識させられた。
脳裏に色々な人物の顔が浮かんでは消えていく。愛良先輩、千駆、芙美恵おばさん、克己おじさん、秀作兄さん、理音、そして――蛍。
「……蛍」
ぽつりとつぶやいた声に咲く、二つの白い〝チューリップ〟。
「どうして俺にだけしか見えないんだろう」
母さんは、父さんは、どうだったんだろう。俺みたいに見ることができたのだろうか。母さんのお兄さんである克己おじさんは、どうだろう。なにか知らないだろうか。
何度か訊ねようとしたけれど聞けずじまいだった。奇異の目で見られたくなかったから。
「こればっかりは、踏み切るわけにもいかないしなぁ」
踏み切るの単語に、今日一番お世話になった人物のことが思い出された。
「鳴子愛良先輩」
彼女は、進路も結婚相手も父親によって定められている。
そのわりには、悲壮感も虚無感もなく、父親への反抗心や嫌悪も感じられない。自由を謳歌するという名目で男子大学生たちと遊び回っているものの、愛良先輩が語る彼らの話には、二つの〝パンジー〟どころか、一度だって花が咲いたことはなかった。
今日この部屋で話した時、かすかに愛良先輩の悲しみ触れたが、その一端はすぐに隠されてしまった。考えてみれば俺は愛良先輩のことをよく知らない。知ろうともしなかった。
今回のことで身に沁みた。浅く広げるだけだった人間関係を省みなければならない。蛍との関係がどう転んでも……。
「……蛍のことどうしよう……」
考えないようにしていた。いや、考えないようにしていたけれど、頭の片隅ではずっと考えていた。
告白を、する。……明日。
ここで時間を置いてしまえば、どんどん言い出しにくくなるだろうし、蛍の心もどんどん離れていってしまう。
「今夜は眠れそうにないな」
だって俺は、蛍のことならいくらでも考えていられるんだ。
続く




