表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/26

第一章 転校生 周理音 その⑤みそおにぎりの風景


 おかあさん おとうさん いなくならないで どこにもいかないで

 そばにいてよ ――けい


 ほの暗い闇が漠然と広がっている。

 そのどこからか、小さく泣いている子どもの声がした。世界の隅っこで泣いているみたいな心細い声は、懐かしさを覚える声でもあった。

 抱えた膝におでこを乗せ、じっと動かず、誰かに見つけてもらえるのを待っている。姿は見えないものの、そんな様子を想像させられた。


(――蛍?)


 思いつきで名前を呼べば、ぼぅと闇の中に浮かび上がる白い影があった。

 白い影は、ぼやけたカメラのピントを合わせるように段々と輪郭を持ち、人の姿を形作った。顔を上げたのは、蛍ではなくて。


(……お、れ……?)


 子どもとは思えない冷たい眼差しで俺を射抜く俺がいた。幼い俺はなにかを言っていた。ただしそれは、とても小さな声だった。となれば、口の形から推測するしかない。


(……せ? お、ま、え、の…せ……っ!)


 瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 オ マ エ ノ セ イ ダ 、 カ エ セ


 なにを? と問うよりも真っ先に、反射的に叫ぶ。


「違う――っ!!」


 大声とともにまぶたを開いた。視界には、見慣れた天井があった。

 幼い俺もほの暗い闇も消え失せている。

 おっかなびっくりと目を動かしながら辺りを確認する。机。イス。本棚。どれも見知った風景で。雪村家の二階にある自分の部屋だった。

 まばたきを一回、二回、三回した。視界に変化はない。

 夢だったのか、さっきまでのは。そしてここは、現実――ああ、そうかここは、ろくでもない俺が逃げてきた先。ベッドの上だ。

 体を起こすと頬を伝うものがあった。ポタパタ、とシーツに落ちたそれがシミを作った。

 理不尽な怒りをぶつけ逃走した挙句、泣き疲れてベッドで眠っていた。そんな己の情けなさに、胃がよじれる思いだった。

 背中と首の後ろ、太ももの裏にじっとりとした汗を掻いていて、気持ちが悪い。シャツの胸部分をつまみ、パタパタと扇ぐ。

 そこで自分が制服のままだと気づき、頭を抱えた。自分がいったいどんな状態で帰宅したのかを考えて、即座にやめたくなった。しかし、思い出さずにはいられない。

 俺は「ただいま」のあいさつもなしに家に入った。不審に思った芙美恵おばさんが顔を出し、「おかえり」と言って、それから晩ご飯のリクエストを訊かれた。

 それに対して俺は、「いりません。食欲ないんです」と愛想のかけらもなく言い捨てて、自室に閉じこもった。目も当てられない行動の数々にめまいがする。


「……最低かよ」


 少し前に最低な行動をしでかしたばかりなのに、またすぐ繰り返してしまうなんて。恥の上塗りどころの騒ぎじゃない。自己嫌悪で吐き気がしてきた。


「芙美恵おばさんになんて言って謝ればいいんだ……」


 謝罪の言葉は浮かばないものの、その意志だけはある。床に足をつけようとしたが、力が入らず膝から崩れ落ちた。

 ゴン。鈍い音と同時に額が畳の床につく。


「芙美恵おばさんだけじゃない、蛍に……理音に……、どうやって謝ろう……」


 蹲ったまま動けなくなる頭の中では、「ごめんなさい」と「どうしよう」の文字がぐるぐると回っていた。そこへ、襖を開けて現れた人物がいた。


「大きな音がしていたけど、大丈夫?」


 裸電球の光を浴びて輝いた金髪。ブルーとヘーゼルのオッドアイ。華やかな顔立ち。田舎には不釣り合いの都会的な美女。鳴子愛良先輩が、俺の部屋の前で佇んで「見たところ怪我はなさそうね」とつぶやきながら、こちらを見ていた。


 安堵の表れなのか、白い〝パンジー〟が気持ち大きく咲いている。


「あいら、せんぱい? どうしてここに?」

「先輩選手権後輩思いで賞の愛良さんよ? 土一後輩の靴と鞄を届けに来てあげたに決まっているじゃない」

「……え、でも、手ぶら」


 もっと他に言うべきことがあっただろうに。

 呆気に取られた俺は、思ったままを口にしていた。


「あぁ、靴は玄関、鞄は客間に置かせてもらっているわ。――私今、おにぎりを作っていたのよ」


 しばしの時間を使って考えたけれどわからない。どうしてそうなったんだろう。


「土一ったら食欲がないって言ったんですって? 芙美恵さんとぉっても心配していたわよ。果物なら食べられるかもしれないからって、松谷市までお買い物に出かけたわ。優しい素敵な人ね」

「……あ、はい……」


 その優しい素敵な人に俺は無礼を働いた。再び自己嫌悪に苛まれそうになるのを、なんとか堪えた。

 推測だけれど事態が呑み込めてきた気がする。おそらく愛良先輩はもろもろの事情を把握して、ここへ来ている。

 代表として訪ねて来てくれたんだ。


「あの、愛良先輩……っ」

「はぁい?」


 返事をしつつ愛良先輩が部屋に入ってくる。楚々とした身のこなしで、俺の前に少し距離を開けて正座した。

 薄暗い部屋がほんのり明るくなる錯覚を覚える。そこでようやく部屋が暗い理由に気づき、慌てて電灯のヒモを引っ張った。二、三度点滅した後、電気がついたのを確認して、俺も愛良先輩に倣って正座をした。


「……あの、俺……」


 いざ話そうとしても、どう切り出せばいいのかと迷った。会話の糸口を探していた。

 愛良先輩は急かすことなく、静かな目で待っている。その目を見ていたらポツポツと言葉が出てくるようだった。


「俺、蛍を傷つけました。酷い言葉で……。蛍が作った声を、まがい物って言いました。努力して、苦労して、希望とか喜びを込めて作った声を、ニセモノって言いました」

「どうして好きな子にそんなことを言ったの?」


 嫌だったから。嫉妬したから。いや、それ以上に――


「蛍のことが好きだったから……? いやそうじゃなくて……俺は、蛍が、俺をずっと好きでいると思っていた、から……?」


 だから、理音になびいた蛍が許せなくて暴言をぶつけた。

 その悪辣な動機に思い当たった俺は、己の傲慢さ加減に嫌気が最高潮へ達し、自分自身をぶん殴った。視界が激しく揺れ、メガネが吹っ飛ぶ。

 愛良先輩の「きゃあああっ」という悲鳴が、ズキズキとした痛みの向こう側から響いてきた。口の中に血の味が広がる。


「待って土一! 血がっ!」


 まだ足りない、もう一発……


「待ちなさいって! それで懺悔のつもり!? 自己欺瞞はよしなさい!!」


 自分で自分を殴打する以上の衝撃を与えられ、思わず停止する。

 視線を、握った拳から、腕に掴みかかっている愛良先輩に移してみれば、意外なほどの険しい目つきで見つめ返された。

 オッドアイは鼻息がかかるほどの至近距離まで迫っている。顔を両手で挟むように包みこまれた。


「わかりやすい痛みを与えることで自分を罰した気分になるじゃないの! 誰かを傷つけた痛みも苦しみも、きちんと心で受け止めなさい! 体を痛めつけてもスッキリするのは土一だけでしょ? そんな誤魔化し、しちゃだめ……!」


 つり上げた眉が徐々に下がっていき、ついに泣き出す一歩手間の表情にまでなった。あまりにも距離が近いため、声に咲く花を見る余裕はない。

 泣き出しそうな顔で「いーい!?」とすごまれても、怖くもなんともない。いや、怖くはなかったけれど、なんともないことはなくて。


「ごめん、なさい」


 そう素直に謝っていた。


「……ティッシュある?」

「へ? あ、えっと、机の上にたぶん」


 ほんの数歩の距離を行って戻ってきた愛良先輩は、折りたたんだティッシュを俺の口の右端に当てた。


「いっつ」

「うるさい、ばーか。ばか土一のばか。ばかよ。自分を殴るなんてばか。悲劇のヒーロー気取りのばかだわ」

「うっ……ごもっとも……」


 全部本当に愛良先輩の言ってくれた通りだ。最低な自分を殴ったところでそんなのは自己満足でしかない。

 やらなきゃいけないことは、考えなきゃいけないことは、もっと他にたくさんある。

 とりあえず、この時できることを。ティッシュを押さえることくらい、自分でやろうと思い、申し出た。

 右手でティッシュを押さえる。左手は、吹っ飛ばしたまま放置していたメガネを探し当てて、耳にかけた。


「じゃあ、おにぎりとお水を持ってくるわ。ちょっと待っていて」

「え?」

「食べれば少しは元気になれるわよ。そ・れ・に、学校からここまで走って帰ったんでしょう? 水分取りなさい。じゃないと、水分、水分、水分、水分、水分不足ぅ~、で脱水症状になるわよ?」


 懐かしいアニメソングに合わせて歌ってみせた。本来の歌で不足しているのは、水分じゃなく睡眠だった記憶がある。

 虚を突かれた俺は、ポカンとしたまま金髪美女を見送った。

 ややあって、お盆を持った愛良先輩が帰ってきた。テーブルがないので、お盆はそのまま畳に置いた。皿の上に二つ並んでいるおにぎりを見て、俺はぎょっとする。


「なんですか、この茶色いおにぎり。初めて見ます」

「みそおにぎりよ」

「……初めて聞きます」

「むぅ、なにようその言い方は? 美味しいのよ? お父様の得意料理なんですからね」


 非難がましい目つきにせっつかれ、みそおにぎりに手を伸ばした。コーティングされたみそが手に付着しないように、慎重に海苔の部分を持つ。


「これって中身は?」

「ないわ。周りに塗ってあるみそだけよ。ほら、ごちゃごちゃ言わないで一口食べてみなさいってば」

「わ、わかりましたよ。いただきまーす……」


 あむ、と一口おにぎりにかぶりついた。

 刹那、口の中にみそとお米の優しいハーモニーが広がった。


「ん、まぁーい!」

「ほらぁ! でしょー? でしょでしょーお!?」


 一口食べたら止まらなくなる美味しさだった。

 最初は、周りに塗ってあるみそが濃い気がしたが、中身がお米だけなので、米本来の味と甘さを消すことなく引き立たせている。

 それに、初めて食べるのにどこか懐かしい気がするのはどうしてなんだろう。

 あっという間に平らげて、二つ目に手を伸ばした。隣でそれを見ていた愛良先輩が、「ねえ、土一。答えたくなかったら答えなくてもいいんだけどね」と前置きをして。


「土一はどうしてこれまで、蛍と恋人になることを望まなかったの?」


 率直に訊ねてきた。紫色の〝パンジー〟が緊張でつぼんでいる。


「変えるのが、怖かったんです。蛍と過ごしてきたあの日々が、これまでもこの先も続いて欲しかった」

「……わからないわ。どうして関係を変えるのが怖いの? こうなる前は、あなたも蛍も思いが通じているように見えたわよ?」


 こうなる前、その言葉が重しのようにズシっと両肩にのしかかった。

 みそおにぎりを一口、二口食べて、自分を奮い立たせる。


「恋人は、大好きな人ってことになりますよね」

「ええ、そうね」

「大好きな人にしてしまったら、またなくしちゃうんじゃないかって。おかあさんとおとうさんを、あの日なくしたみたいに」


 息を飲む音が、その小さな音とは裏腹に、大きく響いた。

 俺は視線を、食べかけのみそおにぎりに落とした。米粒の数を数える。そうすることで気持ちを落ち着かせていた。

 これを誰かに話すのはだいぶ勇気がいる。かっこ悪いところをさらけ出すのは、楽しいことじゃない。でも、今打ち明けなければ先には進めない気がした。

 蛍との関係に禍根を残したまま、後悔するだけの日々を送る人生になる予感があった。というか、一番おそれていた状況を迎えた今の時点で、もう怖いとか、かっこ悪いとか言っていられないだろう。


「もう、いなくなられたくなかったんだ。俺の大好きな人は……、両親はいなくなった。わかってる。大好きに思った人みんながいなくなるわけないって。だけど怖くて。蛍だけじゃないんだ。克己おじさんも芙美恵おばさんたちも。俺は、長い間俺の傍にいて、俺を好きでいてくれた人たちの思いにずっと目を背けていた……」


 どうしよう。迷子のような声を、心でつぶやいた。

 その心の吐露が、言葉に変わる。それに答えてくれる人がいる幸運が、俺にはあった。


「どうしようもなにも、踏み切るしか手段はないわ」

「ふみ、きる?」

「そう。土一が得意だった棒高跳びと一緒よ」

「ぼうたかとびとはちがうよ」

「違わない。跳べるか跳べないかを悩む前にまず踏み切らなくちゃ! そうでしょ?」


 大勢の前で演説をするみたいに、身振り手振りを加えながら愛良先輩が言う。


「跳べたなら結果オーライ。跳べなかったら次の手、対策を考えればいいの。なにもしないまま刻一刻と時間が過ぎ、減っていく選択肢に嘆くだけ。そしてなにも成せないまま終わる。そんな人生、嫌でしょう?」


 俺を鼓舞していた言葉が、途中まとう空気を変えた。演説から一転、独白に切り替わったみたいだった。

 声に咲いた〝パンジー〟も、悲しげに俯いていた。


「愛良先輩……?」

「はいはい、安心しなさい。この先輩選手権後輩思いで賞の愛良さんが一緒に考えてあげるわよ」


 どうしたのかと思って名前を呼んでみたけれど、それを拒むようにまた元の調子を取り戻したので、二の句が継げなくなった。

 他人のことよりまずは自分のことをなんとかしなさい、ということだろうか。


「蛍と芙美恵さんたちは答えを出すんだから、踏み切るのはあなたからしなくちゃ。なにもしないままでいるのが、たぶん一番よくないことよ。土一がその人たちを大切に思っているのなら尚更にね」

「――はい」


 強く頷いて答えた。

 踏み切る。つまり、今日まで隠していた気持ちをぶつける。

 考えただけで不安が背中を這い上がってきた。今まで疎かにしていたことを、果たして実行することができるんだろうか。一番の疎か者だったこの俺に……。

 それに、母さんや父さんのように失うことはなくても、嫌われてしまうことはあるかもしれない。言ってしまうと、その可能性は泣きたくなるほどに高い。

 だけど、愛良先輩の話を聞いた今となっては、なにもしないという悪手は選べない。なにもしない恐怖より、答えを得る方がいくらかマシってだけだ。それが、いい答えでも悪い答えでも。

 気持ちをぶつけるってことは告白をすることだ。それも、一つは生まれて初めての、恋の告白になる。


「うわ、そうだ……これ初恋か……っ」


 自覚した途端、顔中が発火したみたいに熱くなった。この期に及んで照れるなんて、気恥ずかしすぎて愛良先輩には見られたくない。

 俺はとっさにみそおにぎりを頬張る振りをした。食べる振りに必死で、愛良先輩が囁いた言葉を聞き逃してしまう。


「……とんだブーメランだったね」


 その声に咲いた花の状態を見逃してしまう。


 蛍へ向けた声に二つ咲く俺の花。散々ないがしろにしてきた〝チューリップ〟。もう、目を逸らしはしない。この花が二つ咲く言葉を花束にして、君へ贈ろう。


 ――たとえ、受け取ってもらえなくても。


 第一章 了

 第二章へ続く

閲覧いただきありがとうございました。

皆様は「みそおにぎり」ご存じでしたでしょうか。私は母から教わりました。美味しいですよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ