序章 声に咲く花 その①何気ない朝の風景
閲覧いただきありがとうございます。
本作は、『声に咲く花』という、他の人には見えない不思議なモノが見えてしまう少年の恋物語となっております。
読んで楽しんでいただけたら幸いです。
また、自分の声に咲く花や、自分の家族、友達、好きな人、好きなキャラクターに咲く花なんかを、ちょっとでも想像してもらえたなら嬉しいです。
六月。早朝。
目覚し時計が早く起きろと騒ぎ立てていたので、右手で黙らせた。
朝が来た喜びと憂うつを呼気にして放ち、腕を伸ばしてレースのカーテンを引く。昨夜より開けっ放しの窓から吹き込んだそよ風が、さわさわと髪や顔を撫でていた。
朝の風は冷たくて気持ちがいい。このまま布団に身を預けていたくなる。ほのかにヨダレ臭い枕に顔をうずめ、さあもうひと眠りを決め込もう。川のせせらぎと小鳥のさえずりを子守唄にして。
意識を手放しかけた折、鼻先を滑る風に味がした。いや違う。こうばしさを嗅ぎ取った鼻が脳を刺激し、舌に味を思い出させたんだ。
ちなみにそれは、みそ汁の味だった。お玉に取ったみそを鍋の中で溶いていく時の、なんとも食欲をそそるあの香り。
……ぐー。がらんどうの胃袋が空腹を訴えていた。
ムクリと起き上がる。ベッドの棚からメガネを掴み取り、つるを立てて耳にかけた。かけたところで視界に変化は起こらないのだけれど、わけあってかけている。レンズ越しに広がる自分の部屋をたしかめた時、二度寝防止のアラームがけたたましく鳴り響いた。
パジャマ代わりのあせてよれた上下セットのスポーツウェアを脱ぐ。ビーグル犬のプリントがされたTシャツを着て、その上にワイシャツを重ねた。夏服のズボンをはいて、腰のベルトを締めた。
このベルトには、裏にメジャー代わりのメモリが入っている。ボーイスカウト時代に学んだサバイバル術を実践した形跡だ。メモリを刻んでから今日まで役に立ったことはなく、プチ黒歴史だ。
靴下を履き終えて襖を開けると、みそ汁の匂いに交じって家のニオイがした。他人んちのニオイだと相変わらず思ってしまう。申し訳なさを打ち消けさんとして、ざらざらとした木目の床板に足を踏み出した。
ギ、ギ、ギ、とリズミカルに鳴る階段を下りていく。洗面所へ向かう前に、居間と台所それぞれに顔を出して、そこにいる人物に朝のあいさつをした。
「おはようございます、克己おじさん」
居間で新聞を読んでいた克己おじさんが、角張った顔を上げた。
「ああ、土一、起きたのか。早く顔を洗ってきなさい」
威厳正しいその顔つきに背筋が伸びる。綺麗に剃られた顎、整髪料で固められた髪型。今朝も克己おじさんに隙はない。
「はい」と答え、踵を返そうとするところを呼び止められた。
「おっと、忘れていた。おはよう、土一」
そう言って、克己おじさんが顔をほころばせた。
〝梅〟
白色の小輪の花。五枚の花びらは丸く、花の中心部には、黄色く長いオシベが多数生えている。
〝梅〟は三輪が一組となっていた。
「今日もいい天気だぞ」
「はいっ!」
克己おじさんの笑った顔には、かつてやんちゃ坊主だったという頃の面影が残っている。
台所では、痩せ気味の人影がせっせと動き回っていた。その忙しなさに、いつも少し声をかけるのが躊躇われた。
「芙美恵おばさん、おはようございます」
「――あら! おはよう、土一君」
〝桜〟
日本の春の代名詞とも言える花。花色は白、花弁は五枚で、花びらの先が割れている。
〝桜〟も〝梅〟と同じように、三輪が一組となっていた。
「朝ご飯はもうすぐできますからね。まずは顔を洗ってらっしゃい。そうそう、洗うものがあったら朝食後、洗濯カゴに入れておいてちょうだいね」
芙美恵おばさんは少々せっかちで、何事も口早にしゃべる。また、話している時は動作が大きくなりがちなため、肩甲骨あたりで束ねた髪が背中で跳ねていた。
「ふふ、頭の後ろに頑固そうな寝癖ができているわよ。頑張ってね」
菜箸を持つほっそりとした手を口に当てて、芙美恵おばさんは笑った。
それから俺は、洗面所にて鏡とにらめっこ。指摘された通り、中々に頑固な寝癖と格闘中。元々のくせっ毛が災いしているんだろう。伸びた髪を一房掴んで見てみると、毛先がうねっていた。
「そろそろ切ったほうがいいよな」
つぶやいた直後、散髪代が脳裏に浮かび、くっと口をつぐんだ。ぐっとではなく、くっと。ぐっと堪えるほどの重苦しさはない。かといって気軽ではいられないから、くっとだ。きっとこんな気遣いは無用なんだと思う。けれども、そういうわけにもいかなくて……。
ばしゃばしゃと水で濡らした手を寝癖にやり、乱暴に撫でつけた。
「――よっし」
自分に言い聞かせて洗面所を出た。寝癖は完璧には直せなかった。
・小角土一。十六歳。男。
・高校二年生。
・髪は鈍色で長めのショートカット。くせっ毛。
・身長は……平均値。体型は筋肉質。余分な脂肪がないのがひそかな自慢。
・顔は、まぁ悪くはない、はず。たぶんそこそこ。誰かに俺のことを芸能人にたとえると? と聞くと、決まって犬種の名前が挙がる。実例は、コーギー、マルチーズ、コーギー、ダックスフンド、コーギーなど。
・小三からボーイスカウトを続け、中一からは陸上部も並行して活動していた。受験を控えた中三で両方ともやめ、高校ではボランティア部に所属している。
・将来の夢は自衛官。
・趣味は筋トレ、ランニング。
・性格は社交的である方だと思う。自分では明朗快活な常識人のつもり。
・特技に関しては、誰にも言えない秘密にしていることがある。
それは――
「いただきまーす」「いただきます」「はい、めしあがれ」
三人で食卓を囲む。
朝食のメニューは、ご飯、みそ汁、卵焼き、ほうれん草のお浸し、それから味つけ海苔。みそ汁から立ち上る湯気が、ベッドの上とは比べ物にならないほどの食欲をあおった。
とりあえず、みそ汁をすする。すると、向かいに座っている雪村夫妻も俺と同じ行動を取っていた。
他人んちって意識は消えないものの、しっかりと馴染んでもいる。当然といえば当然だ。もう七年もこの家の世話になっているんだ。
七年前、俺は両親を交通事故で亡くした。一人になった俺を引き取ってくれたのが、克己おじさん。母の兄で、俺にとっては伯父にあたる。克己おじさんには、奥さんの芙美恵おばさんと、一人息子の秀作兄さんがいる。
「そうそう。秀作ったら今年のお盆もこっちには帰れそうにないみたいなの。去年の暮に、お盆には帰るから~って言っていたのに。仕事が忙しいのは有難いことなのかもしれないけれど、ちょっと心配だわ。あなたからも少し言ってやってくださいよ」
「……うん。でもまあ、便りがないのはなんとやら。元気な証拠ってことだろう」
「んもう。呆れた、これだから男親は」
秀作兄さんは東京でサラリーマンをしている。上京したての頃は、お盆も年末も三が日も帰省していた。が、ここ数年は多忙を理由に帰ってきてない。野球部の副キャプテンで、よーく日に焼けていた秀作兄さんの肌も、今はかつての浅黒さを失っている。お盆に帰省をするか否かの報告だって、心配性の芙美恵おばさんが連絡を取らなければ、判明しなかったに違いない。
「俺から連絡してみますよ」
「え? 土一君から?」
不意を突かれた表情を作った芙美恵おばさんは、瞬時に名案かもしれないと目を輝かせた。しかしそれも束の間のことで。土一君にそんなことを頼んでいいのかしら、と窺う目つきに切り替わった。
芙美恵おばさんの不安が、つぼみとなって表れている。
「俺も久しぶりに秀作兄さんと話がしたいから、ちょうどいいかなって」
笑顔でそう言えば、「なら、お願いしちゃおうかしら」と返ってきた。
「無理はしなくていいのよ?」
「あはは、そんなのしてないですよー」
そこで無理はしなくていいなんて言葉が出てくるくらいには、芙美恵おばさんに気遣われているらしい。もしくは怖がられているのかもしれない。俺も俺で、芙美恵おばさんの役に立ちたくてした提案だったから、どっこいどっこいだろう。
食後のハミガキタイム中、インターフォンが鳴らされた。ピーンポーン、という間延びした音を聞きつけ、急いで口をゆすいだ。最後にもう一度、鏡に向かってチェックを済ませ、玄関へと走る。
「土一くーん、お弁当は持ったー?」
「持ちましたー! 行ってきます」
「はぁい。いってらっしゃーい」
台所から顔をのぞかせる芙美恵おばさんに、律儀だなあと思いながら会釈を返した。
引き戸を開けた先には、夏服のセーラーを着た女の子が立っていた。一見して小柄だとわかるサイズ感。
小ぶりの顔に、尖り気味の顎。アーモンド形のパッチリとした目は、垂れてもつり上がってもおらず、絶妙なバランスで収まっている。胸元まで伸びた黒い髪は、日差しを受けて亜麻色に照っていた。
「おはよう、蛍」
いつもなら返ってくる返事が中々ない。どうしたのかと見てみれば、蛍はキョトンと俺を眺めていた。大きな瞳が一回、二回とまたたいた。
「どうかした?」
蛍は自分の顔を指さしてニコッと笑顔を作っている。
「ああ、俺笑ってた?」
そう訊けば、頷きが返ってくる。その後、首をかしげて「どうかしたの?」と意思表示をしていた。
「おばさんが律儀なのがほほえま……、あー……いや、いいことあったもんでさ。つい」
同い年の女の子に説明するのは気恥ずかしくなり、内容をぼかした。笑顔を添えて切り抜けよう作戦を実行する。
蛍は不審がることもなく、「ふぅゅ」と文字にするならそんな具合の、吐息ともつかない音を発して笑った。その音に呼応して〝ラベンダー〟が咲く。茎に紫の小花をふさならせた可憐な花だ。〝ラベンダー〟は、三本が一組になっている。三本一組が合計で二つ咲いていた。
「ど…くっ…」
蛍が俺の名前を呼んだ。一瞬のまぶしさと、ハッと目の覚めるような感覚に襲われる。
二つの〝ラベンダー〟と一緒に蛍が笑っていた。
「ど…くっ…、お…よ…」
「ああ、おはよう。蛍」
幼馴染の樵田蛍は、ほとんどしゃべらない。けれど……。
〝ラベンダー〟
それでも、人の声に咲ける花は、彼女の声にも花開く。
・小角土一。十六歳。男。
・高校二年生。
(中略)
・特技に関しては、誰にも言えない秘密にしていることがある。
それは――人の声に咲く花が見えること。両親の死後、俺はそれが見えるようになった。
続く
ご覧くださって誠にありがとうございました。
この物語は完結させています。13万字ほどとなっております。
まだ不慣れですが、暇を見つけて投稿しますので、お付き合いいただけたら幸いです。




