誤解
人間、得体の知れないものには恐怖を感じてしまうものだ。褒めていたものを、得体が知れない事だけを理由に急に恐れたり、或いは敵意を抱いたり。なんていうのは、特段珍しい話では無いような気がする。
例えば今、僕がその状況に置かれていたりする訳だ。
思わず一歩、後ずさる。この人が始まりの魔女なのだとしたら、今僕は絶体絶命ではないか。この狭い小屋の中、逃げ場はない。とはいえこんな所で、まだ死ねない。
「ちょ…落ち着いてって、僕はそもそも…」
「落ち着いてなんかいられません!早く僕をここから出して!」
「いや待ってって、誤解だよ!だって、だって僕は男だもん!魔女なんかじゃない!」
ミディアさんは眠たげだった穏やかな目をこれでもかというほど見開いて、拳を握りしめながら必死に叫んだ。
暫しの、沈黙。頭の中で今の言葉を整理する。今彼女は何と…いや、彼?
「嘘だどこからどう見ても美少女…」
「なっ…君僕のことを女の子だと思ってたのかい!?最初からずっと一人称僕だったよね!?」
「そういう女の子なのかと!最近じゃそういうの全然珍しくないですから!」
「知らないよそんなの!!僕森に引きこもってばっかだし!!何!?やっぱり体?一番の原因は体なの!?もっとガチガチの筋肉マッチョの方が男らしくてかっこいいのかな!?」
マッチョの方がかっこいいのは分かってたでもね、と何やらマッチョになれない理由について熱弁しだしたミディアさん。いや、そんなことはどうでも良い。
「だってミディアさんめっちゃ綺麗な人じゃないですか!美しいしふとした仕草が可愛いし!」
「褒めてくれてるのは嬉しいけど違うから!僕は男!あーもうどうしたら信じてくれるの!脱げばいいの!?この場で脱げば信じてくれる!?ちゃんと無いしあるから!」
そう言って自身の服に手をかけだした彼。いややめろまじで勘弁しろここで脱ぐなたとえ男だとしてもそれは頂けない。彼の手を掴んで、今度はこちらが必死に叫ぶ。
「やめて、やめてくださいミディアさん!僕が悪かったです!」
「やだ!信じてもらえるんなら脱ぐなんてそんなの安い!」
「信じた!信じましたからやめて!」
「いいやその目は信じてない目だよ僕分かるんだだからその手を退けて」
「信じてない目って何!?血迷わないでくださいこんちくしょう!!あー、やめて!や、やめ、やめんかこの馬鹿!!」
初対面の人間に吐くとは思えない暴言の数々を吐き出しながら、なんとかやめさせようと奮闘。
およそ十数分に渡る攻防の末、何とかミディアさんを止めたのは良いものの、お互い息を切らして座り込んでしまった。
「歩きまくって…ただでさえ疲れてたのに…こんな所で体力を使うことになるなんて…。しかもこんな暴言…はぁ…」
「ごめんよ…僕会う人皆に女の子って間違えられちゃって…それが嫌だというか…ついムキになって取り乱しちゃった。」
すっかり萎れてしまった彼。その気持ちは少し、分からなくもない。ジャンヌなんて、女性の名前っていうイメージが強いせいか、名前だけ見たら多くの人が僕のことを女の子だと思う。それが少し嫌だと思うのは僕も同じ。だというのに申し訳ない事を言ってしまった。
「ごめんなさい、なんか、凄く申し訳ない事を…」
「仕方が無いよ…僕細いし、顔もこんなだからね。本当は顔だけでももっとこう…ゴツくて」
「やめてそのままのミディアさんでいて。」
その白く細い体にゴリゴリのおじさんの顔がくっついているのを想像してしまい、すぐにそれを振り払った。それはちょっといろいろな意味で、殺傷能力が高過ぎる。
「とりあえず安心してほしい。百数十年生きてる人間も珍しいみたいだし、そんな人にこの森で出くわしたことないから、多分その始まりの魔女っていうのは僕のことかもだけど…僕は君を殺さないよ。」
「でも、ずっとそうやって聞かされてきたんです。急に言われてもやっぱり不安だし…」
「ふむ…理由か…。」
顎に手を当てて考え込むミディアさん、少しして、あ!と声を上げて人指し指を立てた。にっこり笑顔でこちらを向いて、明るい声でこう言う。
「君を殺したら臭いし死体処理が面倒だし、森の動物達に狙われる原因になっちゃう!」
「妙に生々しいな!いや確かにその通りだけど!」
「ごめんね…」
申し訳無さそうにしゅんと項垂れて分かりやすく落ち込むミディアさん。なんというか、罪悪感が半端ない。
「いえ、こちらこそごめんなさい。迷い込んだところを見つけて頂いた上に、家に上げてもらって、ご飯も…それなのに疑って、今までのご厚意を忘れたみたいに殺されるって一人で喚いて傷付けて…本当に、申し訳ない限りです。」
「いいんだよ。にしても、始まりの魔女なんて呼ばれてるんだね、僕。だからあんまり皆ここに寄り付きたがらないんだ。呪いの森って呼ばれてる理由もよく分からなかったのだけど、今日全部分かった。君にはお礼を言いたいくらいさ。」
そう言って黙り込んだ彼の横顔が悲しそうに見えて、何か声を掛けようとしたのだが、その前に彼が口を開いてしまった。
「シチュー、途中だったね。また作るの再開するからそこで座っていて。疲れたでしょ。」
「…はい。」
美味しそうなシチューが目の前で湯気をたてている。良い匂い。それを、木でできた匙で掬って口に運ぶ。
「美味しい…」
「ふふ、でしょ。シチューは幾度と無く失敗を繰り返したからね。いやぁ思い返せば中々の強敵だった。激闘の日々だったね。
この美味しそうな白にするのが中々大変なんだよ、毎度毎度焦がしてしまって…。」
今までの苦労を語り始めたミディアさんの顔は明るく、先程の悲しそうな顔は見る影もなかった。
それに少し安心しつつも、気を遣ってくれてるのだろうかと少し不安にもなった。
「ねぇジャンヌくん。実は君に、折り入って頼みがあるんだ。」
シチューの苦労をあらかた語り終えた後、彼はそう言った。その表情は真剣。大切な話であろうことはその様子から容易に想像できた。
「頼み、ですか。散々お世話になりましたし、僕にできる範囲であれば…」
匙を一旦置いて、ミディアさんに向き直る。先程の失礼を詫びるという意味でも、できる限り応えたい。
「君の旅に、僕も連れて行ってほしい。」
「…ちなみに、どうして?」
ミディアさんはその瞳に、確かな決意を宿して言った。
「僕は、始まりの魔女の話を撤回してまわりたい。」
「…それは国で語り継がれている伝承で、殆どの国民が知っている話です。静かな大森林を見ても分かる通り、多くの人間はこの伝承を信じています。その全てを撤回してまわるというのは、無理な話だと思います。」
「それでもだ。僕はその、始まりの魔女と呼ばれるのが我慢ならないんだ。恐れられるのも嫌だし、魔女と呼ばれるのも嫌だ。せめて魔法使いだろう、僕は。」
「…そこ?」
「ここ、重要だよ!」
大きな声で主張する彼。そこまで気にしている様子を見せられると、誤解した事への罪悪感が膨れ上がる一方。本当に申し訳ない事をしたと思うばかりだが…
「ごめんなさい、その頼みには答えられません。」
「どうしてだい?僕魔法も使えるし、ちょっとしかお荷物にはならないと思うんだけど…」
「違うんです、ミディアさんが嫌って訳じゃ無くて。僕の旅の目的が結構危険なので、そこに貴方を巻き込みたくないんです。」
「旅の、目的?どんな目的なんだい?」
「…少し長くなりますが、聞いていただけますか?」
ミディアさんが頷いたのを確認して、僕は話し始めた。この旅の目的について。