チャイチェ
読んで下さる方がいらっしゃると書くモチベーションになりますよね(長続きするとは言ってない)。
(自分のせいだ)
チャイチェの心中は後悔と自責の念と敵意と憎悪と悲しみとが一つの鍋で煮え尽くされ、どろどろと混濁したものになっていた。
だって生まれてからずっと一緒だった彼女が、チャイチェの一番の親友が今、目の前に血塗れで倒れ伏している。
彼女は自分をあんなに引き留めようとしていた。それを無理を言って押し通ったのは自分自身で、彼女は心配してついてきてくれただけだ。
なのに今、倒れているのは彼女で自分は傷一つついてはいない。彼女が身を呈して庇ってくれたからだ。こんなに無力で無知な小娘のせいで彼女は、その命を断たれようとしているのだ。
突然襲いかかってきた目の前の敵対者によって。
なのに自分はこの光る妙な鎖に囚われ身動き一つ取れず声すら出すことも出来ず。彼女を回復させることも、これ以上の危害を加えさせることを阻止することすら出来ないでいる。
日が暮れ出したら子供は村から出てはならない。そして日暮れの一刻前には必ず村へ帰らなければならない。
村の子供なら誰でも知っていて守って当然の言い付けに、チャイチェにはどうしても納得することが出来なかった。いや正確には、出来なくなったのだ。
お父さん、どうしてチャイチェは夜、外に出てはいけないの?
今日の昼頃、溜まりに溜まった不満に堪えきれなくなったチャイチェは、父にそう質問した。父は優しく答えてくれた。
それはね、夜は悪い密猟者たちがお前のようや子供を拐いにくるからだよ。
でも大森林は精霊様の結界があるんでしょ?
それでも万が一があるからね。昔はお前くらいの子供が拐われることはしょっちゅうあったんだよ。
でも結界が出来てからは無くなったってみんな言ってたよ。
それでも万が一があるかもしれない。お父さん達自警団も毎日交代で見回りしているくらいなんだよ。
でも最近は森で人を見ることすら無くなったってみんな言ってたよ。
それでも万が一があるかもしれないだろう。みんな偶々見えなかっただけかもしれないしね。
でもでもお父さん、チャイチェの友達はみんな夜でも外出てても良いって言われてるんだよ。チャイチャだけなんだよ、言い付け守ってるの。チャイチェだけ仲間外れなんだよ。
それでも。それでもなんだよ、チャイチャ。私の大切な宝物。お前は他の皆より成長が遅い。まだ幼く未熟なんだ。お前に何かあったら、父さんはどうすれば良いんだい?
わかった。
(…………でもねお父さん。チャイチャ、仲間外れはやっぱり嫌なんだよね)
矢継ぎ早の疑問にも父は根気強くチャイチェと向き合い、丁寧に話し続けてくれた。しかしチャイチェが納得することはなかった。
会話のあと日も傾き出してすぐの頃に、こっそり家を抜け出しだ。そしてそのまま行き掛けに親友も巻き込んで森に飛び出した。
チャイチェ、止めた方が良いわよ。
テュケーもお父さんと同じこと言うの?
チャイチェのお父さんは村一番に賢い方よ。その方が言うのだからきっと深い意味があるに違いないわ。
テュケーはいっつもそう。お父さんのこと褒め殺しちゃってさ。そりゃー外ではしっかりしてるかもだけど、お父さんなんて家では結構ぐーたらなんだよ。
そうだとしてもその賢さは損われないわ。言うことを聞くべきよ。
嫌。絶対行く。それにテュケーじゃない、バナンの丘から見る夕焼けがとても綺麗だったって教えてくれたのは。
それは、そうだけど。
お願い。一生のお願いだから皆には黙っててくれない? 私どうしてもそれが見たいの。見たらすぐ帰るから。ね?
何時もそう言ってるじゃない。いったいチャイチェの一生は何回あるのよ。来世の分まで使い切るつもり?
ダメ?
どうしようかしらね。
お父さんの好きな焼き菓子とかお料理教えて上げるからぁ。
…………はー、仕方ないわね。分かったわ。
…………テュケーってお父さんのことほんと好きだよね。
何か言った?
ううん、何でもない。テュケー大好きー。
はいはい、私も大好きよ。ただ一人ではダメよ。私も付いていくわ。
本当!?
ええ。チャイチェ一人だと何かと心配だし、それに──。
それに?
美しい景色は大切な人と見た方が楽しいじゃない?
テュケー、ありがとう。
どういたしまして。
悪戯っぽく、でも優しい微笑みを返してくれたテュケーの表情は、森に入って半刻もしないうちに緊迫した物に変わってしまった。
「チャイチェ、避けて!」
突然のテュケーの警告にチャイチェは反応出来なかった。次の瞬間には、足元に魔方陣が展開されそこから這い出た幾条もの光る鎖によって縛り付けられてしまった。全身に衝撃が走り、地面に這いつくばらされる。
「チャイチェ、今助けるわ!」
顔を青ざめさせ駆け寄るテュケーを遮るように、一人の男が立ちふさがった。
「おっと、それ以上動くんじゃねえ。この嬢ちゃんがどうなってもいいのか?」
そこから先は、衝撃と恐怖に頭がついていかずチャイチェには良くわからなかった。
半ば茫然としてしまっている中、テュケーの悲鳴に意識が反応し気が付くと、彼女は変わり果てた姿で目の前に崩れ落ちていた。
(テュケー!?)
悲鳴も呼び掛けることすら出来ず、全身に力を目一杯入れても僅かな身動ぎにしかならない。そうこうしてる間にもテュケーの生気はどんどんと薄れてしまっている。彼女をこんな目に会わせた男の下卑た笑みは深まるばかりだ。
「ふん、亜人の割には対したことねぇな」
彼女を侮蔑する言葉に頭が焼けそうなほどの憎悪が高まるが、その思いを形にすることも出来はしない。
(どうしてこんなことになったんだろう)
村を出るまでの自分達は美味しいご飯を食べて、他愛ない話で盛り上がって、変な冗談でじゃれあって。いつも通りだったはずだ。なのに今はどうしてこんなことになってしまったんだろう。
それは村の言い付けを守らなかったからで、父の話をちゃんと聞かなかったからで、親友の助言を無視したからで。そしてそれは全部──。
ああ、つまり。
(わたしのせいだ)
絶望がチャイチェの心を満たしていった。
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