97、エルラの従者たち
「エルラさまが神国に向かわれたそうだな。歌巫女の修行を始めてまだ間もないのに」
「ああ、しかも近年の歌巫女の中でも特に強い力の持ち主だそうだ」
「先が楽しみなこったな」
今、王都ではその噂で持ち切りだった。
春先にトスカで見つかった歌巫女候補の少女。
まだ13になったばかりだが、僅かな間にその才能を開花させ。
この度、めでたくアリエス神国の大神殿にて神に仕えることが決まったのだ。
「でも従者を新たに募ったのは驚いたわ」
「そうね、普通は王都の本神殿にいる神兵から選ばれるのに」
「何でも『共に歩む者は野に求めよ』という神託が下ったそうよ」
「けどおかげで素敵な従者が決まって良かったじゃない」
店先で笑い合う女達の言葉通り、選ばれた2人の従者は素晴らしい者達だった。
その1人、剣士・テルム 18才。
魔法は不得手だが、その剣の冴えは見事で王都の兵士長を簡単に打ち負かした強者だ。
もう1人は魔術師・レイス 17才。
光以外のすべての魔法が使え、その精度も威力も申し分なしと魔法省からもお墨付きをもらっている。
何より2人とも容姿が良く、テルムは金の髪に切れ長な蒼碧の瞳の持ち主で、剣士らしく凛とした雰囲気を纏っている。
対するレイスは黒髪に好奇心で一杯の黒い瞳を常に輝かせている美少年。
神国に向かう巫女の馬車横を騎馬で進む2人に、王都の若い娘たちは盛んに黄色い声援を送ったものだ。
「ねぇテルム、あれは何?」
クイクイと袖を引かれながらの問いに、やれやれとばかりにテルムは口を開いた。
「あの旗は今年初めてのロメンを入荷したという印だ。ああして知らせることによって客を呼んでるんだ」
レイスは今まで山奥で師と2人きりで修行していた為、目にするものすべてが珍しいらしく旅の途中で立ち寄った村や町でよくこんな風に同僚であるテルムを質問攻めにしている。
「ロメンかぁ、あの実は甘いから僕、大好きだよ」
「…それは俺に買えってことか?」
「えー、ダメ?」
小首を傾げヘニョンと眉を下げる様にテルムから派手なため息が漏れ出る。
「分かった。買ってやる」
「わーい、ありがとう」
満面の笑みで店へと入って行くレイスの後を、まったくと苦笑しながらテルムが追ってゆく。
切り分けてもらったロメンの実に、早速かぶりつきながらレイスが言葉を紡ごうとするが。
「ひょういへばさ…」
「口の中に物をいれたまましゃべるな」
呆れ顔のテルムの言に、慌ててロメンを飲み込んでからレイスが口を開く。
「身体の調子はどう?」
「ああ、おかげで頗る快調だ」
「そっかぁ、良かったね」
ニコニコと笑うレイスに、テルムは内心大いに感謝していた。
旅が始まって間もなく、テルムが体調を崩したことがあった。
本人は隠していたつもりだったが、すぐにレイスがそれに気付いた。
「大丈夫?僕、良い薬を持ってるんだ」
言いながら渡された1本の回復薬。
「…いらん。直きに治るから放っておけ」
頑なテルムの態度に、いつも笑みを絶やさないレイスが初めて怒りを露わにした。
「何の為の我慢なの?辛い時に他人に頼らなくていつ頼るのさ。飲まないならエルラさまに言って治るまで近くの村に置いていってもらうよ」
「…分かった」
脅迫めいたことを言われ、此処でリタイアする訳にはゆかないテルムは渋々ながら頷いた。
だが手に取ったものの、なかなか飲もうとしない。
まるで何かを恐れるように瓶を見つめるばかりだ。
「テルム?もしかして…薬を飲むのが怖いの?」
その言葉にビクンと跳ねた肩。
そんなテルムの背を、小さな子を宥めるようにレイスが優しく叩く。
「大丈夫だよ。これ苦くないよ。怖くないからねー」
「俺は子供かっ。怖い訳じゃないっ。ただ、その…薬が嫌いなだけだ」
自分でも無茶苦茶な言い分だと分かっているらしく、その頬が徐々に赤くなってゆく。
「もう、しょうがないなぁ」
呆れた顔でそう言うとレイスは瓶を取り上げて、一口飲んでみせる。
「ほらね、全然苦くないよ」
その様に漸くにしてテルムが怖々と瓶に口を付けた。
「…嘘だろ」
飲み終えてから呆然とした様子でテルムは空になった瓶を見つめる。
ずっと自分を苛んでいた痛みや怠さが、綺麗さっぱりと消えてしまったのだ。
「こいつは…いったい何だ?」
ただの回復薬とは思えず、つい口にした言葉にレイスが嬉し気に答える。
「師匠が作った特別によく効く薬だよ。どんな病気もこれでならすぐに治るんだ。旅先で困った時に使いなさいって渡してくれたんだ」
「良かったのか?そんな貴重な薬を俺に渡して」
「もちろんだよ、だってテルムは僕の大切な友達だもの」
「友達…か」
嗤いを浮かべるテルムに、あれっ?とレイスは首を傾げた。
「僕はそう思ってるんだけど。…テルムは違うの?」
少しばかり悲しそうな顔をするレイスに、いやっとテルムは急いで首を振った。
「俺もお前は友達だと思っている」
「そっか、良かった」
えへへと笑うレイスに、テルムはその師のことを聞いてみる。
「お前の師匠は魔術だけでなく調薬も出来るのか?」
「うん、他にもいろいろやってるよ」
「凄い師匠だな」
「怒ると物凄く怖いけど、普段は優しいから僕は大好きだよ」
師を慕っているオーラを全身に纏うレイスに、そうかとテルムも頷く。
「この旅もね。広く世間を見てきなさいって送り出してくれたんだ。狭い世界の中にだけいるとね。何が本当の事だか判らなくなるんだって。しっかり周りを見て、一つの情報だけを信じるんじゃなく、たくさんの事を知るようにしておけば道を間違えたり、迷ったりせずに済むからって」
「…確かにな」
苦い顔を浮かべてテルムは頷いた。
「それとね、いっぱい失敗してきなさいって」
「何故だ?普通ならその逆を言うんじゃないか」
不思議そうなテルムに、あのねとレイスが師の言葉を伝える。
「寒い冬があるから暖かくなる春が来ると嬉しいでしょ。ずっと暖かいままだったらその嬉しさが分からないように、失敗しないと成功した時に嬉しいって思えなくなるんだって。失敗を積み重ねることで人は成長するし、同じように失敗した人の気持ちも分かるようになるから、他人に優しくなれるって言ってた」
「…そうか」
「それともう一つ、これが一番大事なこと。失敗した過去から目を背けちゃダメだって。それをすると反省することが出来ないから、いつまでも其処から前に進むことが出来ないって。失敗を人の所為にしないで、その時に自分がどうしたら良かったのか常に考えなさいって…どうかした?」
押し黙ったまま何事かを考え込むテルムに、小首を傾げながらレイスが聞いて来る。
「…いや、良い師匠だな。俺も会ってみたい」
「うん、師匠は今、神国に居るんだ。着いたら会いに行くから、その時は一緒に行こうね」
「楽しみだな」
笑うレイスにテルムも笑みを返した。
「ごちそうさまでした」
ロメンを奢ってくれたテルムにきちんと礼を言うと、レイスは茜色に染まり始めた空を見上げた。
「そろそろ宿に帰るぞ」
「うん」
テルムの声に応え、2人肩を並べて街の中心にある宿屋へと向かう。
宿屋が見えてきた辺りで、彼らの横を商人風の男が通り過ぎようとして気付いたように振り返って2人を見やる。
「もしやエルラさまの従者の方で?」
「そうだが」
少しばかり警戒の眼差しを向けるテルムの前で男が早口で捲し立てる。
「エルラさまに面会を願ったのですが、警備の騎士の方がまったく受付て下さいません。いえ、言葉を交わさずとも良いのです。その御尊顔を拝させていただくだけで。何しろ移動の際もベールを被っていられるので、我々が見れるのはその下から覗く薄桃色の御髪ばかりで。これではお話になりません。どうか御面会のお口添えを…」
「生憎だが」
まだ続きそうな話を遮ると、テルムは冷ややかな声で男に言葉を返す。
「御神託によりエルラさまは神殿に着くまで顔を他人にさらしてはならぬ事になっている。お前は神のお告げに逆らうというのか?」
「い、いえっ。滅相もない」
慌てて首を振る男だったが、ニヤリと嫌な嗤いを浮かべた。
「ですが本当にそんな御神託が下りたのでしょうか」
「何?」
「よく天は二物を与えずと言います。歌は上手いが人前に出れぬほどの醜女なのでそうしているだけだと専らの噂です。それが本当かどうか確かめてみたいのは人情というものでしょう。何、タダとは言いません。お口添えしていただけるのならそれなりのお礼は致します」
「貴様っ」
下種な物言いに思わず腰の剣に手をやったテルムの前に立つと、レイスが男に問いかける。
「オジさんは『美人』と『醜女』のどっちに賭けたの?今、どこもその賭けで盛り上がっているんでしょ。でも神殿に着く前に結果を知ろうとするのはズルいじゃない。だから教えないよ」
「そ、そこを何とかしていただけ…ヒェッ!」
男の鼻先にテルムの剣が向けられる。
「さっさと失せろっ。俗物がっ」
「ひぃぃっ」
殺気すら感じるテルムの叱責に、男が這う這うの体で逃げ出してゆく。
「まったく…」
忌々し気に逃げる男の背を睨むテルムの肩を、ポンポンとレイスが叩く。
「そんな怖い顔しちゃダメだって。笑ってないと良いことが来ないよ」
「…それも師匠の教えか?」
「うん、楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから楽しいことがやって来るんだって。だからいつも笑ってなさいって。それとね、さっきの人のこと、あんまり怒らないであげてよ。あの人も不安なんだ」
「不安?欲の皮が突っ張っているだけだろう」
フンと鼻で嗤うテルムの前でレイスはゆっくりと首を振った。
「師匠が言ってたよ。誰だって不安でい続けるのは嫌だから、安心を得ようとお金や権力とか目に見えるものに頼ろうとするんだって。あの人も戦争があったりして先が見えないことが不安でたまらないから少しでも自分のお金を増やそうと必死なんだよ」
「…なるほどな」
レイスの言葉に自分も思い当たることがあったのか、テルムも素直に頷く。
「けど師匠はこうも言ってたよ。『金や権力なんてものはちょっとしたことで幻みたいに儚く消えてしまう。本当に困った時に頼りになるのは隣に居てくれる人だよ。だから友達が出来たら大切にしなさい。他人に誠実でいなさい。嘘には嘘しか返ってこないけど、優しさには優しさが、愛情には愛情が返るもの、人の生き様は鏡のように与えたすべてが返ってくるものだから』って」
「…お前の師匠は哲学者か?」
呆れたように此方を見るテルムに、さぁーとレイスは大きく首を傾げた。
「いつも忙しそうに走り回っていて全然落ち着きのない人だけど、でも凄く優しい人だよ。絶対に怒らせるようなことはしちゃダメだけど」
少しばかり顔を青くして綴られた言葉に、そんなにかとテルムが聞き返す。
「テルムも一度、怒られたら分かるよ」
「…そいつは遠慮しておく」
軽く肩を竦めるテルムの耳に澄んだ歌声が届く。
「エルラさまが歌ってるね」
「ああ、いつもながら見事なものだ」
かなりの人見知りらしく、従者である自分たちともあまり言葉を交わそうとしない主だが、その歌は彼女の為人を表すように常に優しさに満ちていた。
「明日も晴れると良いね」
「そうだな」
微笑むレイスにそう言葉を返すと、テルムは宿へと足を踏み入れた。
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