90、降臨、満を持して
「トアさんっ」
控室に戻ったらアンナレーナさまが私に飛び付いてきました。
「素晴らしい歌でしたわ」
「ああ、こんなにも心を動かされた歌は初めてだった」
ベナアレスさんも側にやって来て2人仲良く誉めてくれます。
「私の故郷の歌なんですけど、闘技場の人達も気に入ってくれたようで良かったです」
「うん、あの歓声は凄かったよね。僕も聞いていて泣いちゃったもの。でもこれでフォルフス将軍もお祖母さんと仲直りが出来るね」
「そうね、お互いにちょっと心のボタンが掛け違ってしまっていただけだし、相手を思う気持ちは同じだから」
「うむ、さすがはトアだ」
サミーとの遣り取りを横で聞いていたウェルが満足げに頷きます。
「ホント戦わずに勝っちゃうんですもの、凄いわぁ。やっぱりトアちゃんと一緒にいると楽しいから神官を辞めて憑いてゆこうかしら」
イブさん、文字が違ってますよ。
本当になりそうでコワイので止めて下さい。
「ところで次は何をするの?」
「…内緒です」
ワクワクとした様子で聞いて来たイブさんに、口元に人差し指を立てながら答えます。
「でも楽しいことになるのは保証します」
「あら、じゃあ特等席で見ないとね」
「ええ、期待していて下さい」
ニッコリ笑うと次の相手の情報を思い返して確認します。
第2回戦の相手はバードスさん。
実力者なのに称号を持っていない為、そのことを陰で揶揄われているそうです。
そもそも称号とは神様からの贈り物です。
自らの行いや、特技、生まれ持った気質を表す言葉が何らかの事柄を経てステータスに上書きされます。
つまり称号無しとは神から認められたものが無いという事なのです。
フォルフス君は細身なのに身の丈ほどの大型の剣を扱うことを得意とするので【大剣の豪士】という称号を持っています。
他の魔将軍も【先見の智将】【剛腕の闘士】【魔道の巧者】【鋭槍の天兵】という中二病満載な称号持ちです。
では何故に魔将軍の1人であるバードスさんに称号が無いのか。
それは彼の戦闘スタイルが万能型だからです。
何でも出来る、でもその所為で特化したものが何もないのです。
そのことを本人も秘かに悩んでいるとか。
「ではこれよりトライアル第2回戦を始める。両者前へっ」
1回戦よりもさらに大きな歓声の中、審判さんの声に私とバードスさんが進み出ます。
目の前にいるのはグレイの髪に紫の瞳のムキムキのイケメンさんです。
二の腕にある魚のヒレに似たものの先が鋭く尖って、陽の光を弾いてます。
ですがその顔にありありとした困惑の色が浮かんでます。
まあ、いつもとは全く勝手が違いますからね。無理もありません。
「今回の勝負方法はこれです」
言いながらバッグ経由でアイテムボックスから大鍋を取り出します。
「は?」
目を点にしている審判さんとバードスさんの前で料理台、まな板、包丁、お玉にフライパン、最後に食材を並べます。
「私がこれから作る料理を食べてもらい、美味しいと思ったら私の勝ち。美味しくないと思ったらバードス将軍の勝ちです」
「…それではお前が不利なのでは?」
美味しいと思っても不味いとを言えば簡単に勝てますからね。
でもそのことをわざわざ口にするのは、話に聞いた通りに正義感の強い人だからのようです。
「そこはバードス将軍の御心を信じます」
ニッコリ笑うと困惑顔のまま唸ります。
こう言われては、しかも超アウェイのこの状況では下手な答えは出せませんからね。
「それでは完成までしばしお待ち下さい」
ぺこりと会釈をしてから調理開始です。
材料は 玉ねぎ、にんにく、しょうが、バター、薄力粉、クミンパウダー、コリアンダー、チリパウダー、ターメリック、ココアパウダー、カルダモン、塩、胡椒。
1.まずはみじん切りにした玉ねぎをにんにく・しょうがを加えて弱火で炒めて飴色玉ねぎを作ります。
2.熱したフライパンにバターを入れて、半分くらい溶けたら薄力粉を加えて混ぜます。
3.均一に混ざったら、スパイスを加えてさらに混ぜてます。
4.飴色玉ねぎを加え混ぜながら炒めます。
押さえてひとまとまりになれば完成です。
炒めたコッケ肉、ジャガイモ、玉ねぎ、にんじんをコッケの骨から取った出汁で煮たものに完成品を入れて煮込みます。
この時、辛さを引き立たせ後味を良くするためにトメトや擦りおろしたポップルの実を入れると良いですよ。
器に盛ったら上にチーズを乗せて軽く炙ります。
「はい、焼きチーズカレーの出来上がりです」
以前から再現に力を入れていましたが、漸くにして日本の国民食・カレー此処に降臨です。
必要なスパイスを竜人国で発見し、何とか完成に至りました。
本当なら辛い物好きな竜人族の人達に食べてもらうつもりでしたが、その前に魔国に飛ばされてしまいましたからね。
なので此処で初お披露目となりました。
後日、その事実を知った竜人族の皆さんが血の涙を流して悔しがったと聞きました。
そんなに食べたかったんですか。
提供することが出来ず大変申し訳ありませんでした。
ですがカレーという料理はさすがとしか言いようがありません。
見たことも聞いたこともない物なのにスパイス達を炒め始めたら、その香しい匂いに観衆の皆さんが私の手元をガン見し出し。
煮込みが進むうちに垂れた涎を啜る音があちこちから響き始めました。
最後に魔国風に乗せたチーズがジュウジュウと音を立ててとろけ出した辺りから悲鳴のような『俺にも食わせてくれぇ』『わたしにもー』という叫びが上がり、場内は狂乱状態一歩手前です。
「付け合わせはパンでも良いですが、私としてはイース大陸産のハンの実をお勧めします。よりルーに絡んで美味しくいただけますから」
「ならばそれで頼む」
徐に頷くバードスさんの前に焼きチーズカレーとほかほか炊き立てご飯の皿を並べます。
「熱いので気を付けてお召し上がり下さい」
軽く頭を下げてから横に捌けます。
さて、判定は?
「むう」
まずはカレーを口に入れ、ゆっくりと味わってます。
次いでライスとカレーを一緒にして咀嚼してゆきます。
「…これは、始めに野菜の甘味が一気にくるので甘口かと思いきや後からスパイスの辛味が追いかけてくる。それはまさしく極彩色豊かで豪華絢爛な味のハーモニー。そして肉の旨味が最後まで舌の上に残り、それがとろけたチーズとハンの実に絡まって至高の味へと昇華する」
おおう、いきなり食レポが始まったぁ。
「ええと…つまり?」
私の問いに握り締めていたスプーンを高々と天に向けて一声叫びます。
「うー・まー・いー・ぞぉぉぉぉっ!!」
どこの味〇さまですか。
叫んだ後、席に着き直すと実に幸せそうにカレーを食してます。
その様に審判さんが大きく頷くと右手を上げてコールします。
「勝者、トワリアっ!」
1回戦以上の大声援に手を振って応えながらギルマスに頼まれたことを口にします。
「この焼きチーズカレーは明日から屋台街で売り出します。それと今回使いましたスパイスは近日中に商業ギルドでレシピ付きで販売予定となっていますのでお楽しみに!」
言い終わるなり地を揺るがす怒涛の大歓声。
明日の屋台街は凄いことになりそうですね。
「勝負していただきありがとうございます」
スカートを摘まんで淑女の礼を取る私に、いやっとバードスさんが首を振ります。
「こちらとしても美味いものを食べさせてもらった」
「一つお聞きしてよろしいですか?」
「なんだ?」
「不味いと言えば勝てましたのに…」
「お前がそれを言うか。この状況で嘘を吐くことなど出来まい」
言いながらぐるりと未だに熱狂している観衆を見やります。
「それに俺は自分の心に嘘を吐いてまで勝ちたくはなかった。そんな勝利は俺の矜持が許さん」
毅然と言葉を綴る様は文句なしにカッコいいです。
「では私から尊敬を込めて将軍に称号を贈らせて下さい」
「何?」
「それは『アーステアで最初にカレーを食べた男』です。カレーは此処で初めて発表した料理ですから」
試作品の味見をしたのは私とウェル、イブさんだけですからね。
最初にカレーを食べた男というのは間違ってません。
「なるほどな」
クスリと笑うバードスさんに、ええと私も笑って言葉を継ぎます。
「この世界でカレーという料理が伝え続けられる限り、称号も語り継がれるでしょう。…あなたが此処で自らの矜持を守った事と共に」
「それは光栄だな」
そうバードスさんが言った時でした。
『称号が授与されました。【清廉の英傑】』
唐突に頭の中にそんな言葉が浮かびます。
それは私だけではなかったようでバードスさんは目を見開いたまま固まり、観衆も水を打ったように静まり返ります。
「もしかして…」
急いでバードスさんを【鑑定】してみたらビンゴでした。
「おめでとうございます、バードス将軍。あなたの行いを神様が認めて下さいましたよ」
「俺に…称号が?」
「はい、清廉の英傑。清廉は心が清らかで私欲がないことですからバードス将軍にはピッタリの称号だと思います」
何故か私が言った『アーステアで最初にカレーを食べた男』という称号も一緒に付いてました。
もしかして神様のおちゃめですかねー。
あの神様なら遣りかねませんから。
「そうか、それが俺の称号か」
噛み締めるように呟くバードスさんの下に小さな女の子が駆け寄ってきます。
「父さまっ」
「アウラ」
飛び付いてきた子をバードスさんが軽々と抱き上げます。
「凄い、父さま。称号をもらえたのね」
「ああ、これでお前に悔しい思いをさせずに済む」
「私は何を言われても平気。だって私の父さまは最高の父さまだもの」
輝くような笑顔を見せるのはバードスさんの一人娘のアウラちゃん。
実は最近、父親が称号無しなのを近所の男の子達にからかわれた娘が隠れて悔し泣きをしていることを知り、自分が不甲斐ないばかりにと悩んでいたとか。
ですから今回の称号取得は、ことさらに嬉しいのでしょう。
「良かったですね」
「ああ、トワリア殿のおかげだ」
「ありがとう、お姉さん」
笑顔の2人に私は緩く首を振ります。
「私は切っ掛けを作っただけです。称号を得られたのはバードス将軍が正々堂々と勝負してくれたからに他なりません。すべては将軍の行いの結果です」
「それでもだ。感謝する」
深々と頭を下げるバードスさんに向かい、観衆から祝福の拍手が送られます。
まるで万雷の嵐のように。
「これはもう見事としか言えぬな」
「まったくです。彼女は我々の戦いに対しての常識を悉く覆しますな。信頼によって戦うことなく相手を傷付けず、誰の血を流すことなく勝利する。そこに敗者は存在しない。…誰もが彼女のようであるならば争うことなくすべての者と共に歩んでゆくことが出来るでしょう」
「しかしそれは途方も無く難しい事ではあるな」
魔王の言葉に、はいとベリンガムが頷く。
「確かにそれを実行するには、敵対する者であっても向けられる深い愛情と裏切られる恐怖を乗り越える勇気。それらを併せ持つ強い心が必要ですからな」
「誰もが簡単に出来ることではない。…しかしサミュアレイスが言っておった『諦めてしまってはすべてがそこで終わってしまう。今日はダメでも明日はと希望を持つことで人は先に進むことが出来た』そうトアから教えられた。だからもう諦めることはしないと」
「素晴らしいですな。では殿下に負けぬよう我らも諦めぬ努力を致しましょう」
「うむ、そうだな」
ベリンガムの言葉に魔王も大きく頷き返した。