63、跡取り息子の恋
「此処がトスカか」
馬車の窓から見える景色。
大通り沿いにある商店はどれも活気に満ち、行き交う人々の表情も生き生きと活力に溢れている。
これを一商会が成したものだとは、初めて聞いた時は信じられなかった。
だがそれは確かな事実で、今では賢宰相と名高いマデウェス閣下さえもその商会に一目置いているという。
その商会の中心にいるのがトワリアという娘。
成人したばかりの14歳の小娘だが、彼女が申請した特許の数は優に百を超え、それらが生み出す利益は国家の経済を大きく動かす程になっている。
平民ではあるが容姿も良く、国王陛下主催のパーティーに招かれた時の艶姿は今でも貴族たちのサロンで話題になる。
夫人や令嬢の誰もが彼女が身に着けていたドレスや靴、髪飾りを欲し、手に入れるとそれが一種の名誉となるからだ。
似たような物を売る者も後から出はしたが、品物の質が明らかに下だった為マリキス商会の印が付かぬ物は偽物扱いとなり、持っていれば却って恥となる。
そんな風潮が王都では出来上がってしまった。
今のところマリキス商会が扱う物は食品と女性専用品に目新しい文具ばかりだがこの調子で扱う品の種類を増やされたら、他の商会が被るダメージは計り知れない。
「そうなる前に手を打たんとな」
フランツ商会の新たな会頭たるミゲルは、小さく呟くと再び窓の外へと目をやった。
「これはこれは、このような田舎にフランツ商会の会頭自らがいらっしゃるとは恐縮です」
「いえ、会頭と言いましても父の跡を継いだばかりの若輩ものです。他の商会の方々に就任の御挨拶をして回るのは当然のことです」
にこやかに言葉を交わすマロウさんとフランツ商会の会頭。
ですが周囲の空気は冷え切ってますねー。
フランツ商会の会頭がわざわざ挨拶にやって来るとの報が入ったのは、昨日のことです。
で、慌てて受け入れ態勢を整えてお待ちしました。
やって来たミゲルという人は、薄茶の髪に青い瞳、背は高くも低くもなく顔立ちもこれといった特徴のない何処にでも居そうな青年でした。
ですが頭の中味は一級品ですね。
その優秀さは今のフランツ商会の繁栄が証明しています。
俗にいう揺り籠から墓場まで、ありとあらゆる商品を手広く扱う総合商社の社長さんです。
応接の間にミゲル氏と御付きの人2名を通し、お茶とチョコ菓子を勧めます。
「マリキス商会のチョコレートですか。王都ではこれを手に入れる為に毎日店前に長蛇の列です。ですがそれも当然ですね、陛下を初めとした王侯貴族の方々にも熱愛されている品ですから」
「光栄なことです」
カップを手にしながら平然とマロウさんが言い返します。
『うまくやりやがったな、この野郎』
『悔しかったら、お前もやってみろ』
副音声でそんな遣り取りが聞こえて来るような気がします。
「ところでマリキス商会は、これからの市場確保についてはどうお考えですか?」
軽いジャブの応酬から、いよいよ本題に入るようです。
「売り急いで品質を落としては本末転倒ですからね。今のペースで行きます。我々が扱う商品は急ぐものではないですから」
マロウさんの言葉に私も頷きます。
品薄状態が続くくらいが購買意欲を掻き立てるんですよ。
もちろんそれで不満を持たれては商会のイメージダウンに繋がりますから、そこは様子をみながら出荷量を調整します。
「我がフランツ商会との提携を考えてはどうでしょう。私どもの市場はサクルラ国一と自負しております。提携はそちらにもメリットが多いのでは?それに提携すれば他の提携先の商会との協力関係も密になりますし」
どうやら今回の目的は提携という名の乗っ取りのようです。
確かに市場拡大というメリットはありますが、その分フランツ商会に提携料というピンハネをされます。
しかも断ればフランツ商会や傘下の商会すべてが敵に回り、この国での商売を出来なくさせるという脅しも兼ねてます。
さすがはサクルラ国一の商会、やることがえげつない。
ですが此処に来た目的はそれだけではないでしょう。
「ところでそちらが噂の才女たるトワリアさんですか?」
おや、次は私がターゲットですか?
値踏みするような目で此方を見てます。
「才女ではありませんが。初めまして、トワリアと申します」
王都で仕込んだ淑女の礼を取って頭を下げます。
「これはご丁寧に、フランツ商会のミゲルです」
軽く会釈するその顔は笑ってますが目が笑ってませんよー。
これくらいで馬脚を露してどうするんです。
それとも敢えての意思表示ですかね。
まあ、お手並み拝見とゆきましょうか。
「トワリアさんは王都は先日、初めて訪れたとか」
「ええ、さすがに国の中心だけあって素晴らしい所でした」
「お気に召したのでしたら王都に住んではいかがです」
「はい?」
唐突な話に私だけでなくマロウさんも怪訝な顔をします。
「王都なら本業の薬師の勉強も進みますし、何より刺激に溢れていてまず退屈はしません。生活のすべては此方で面倒をみますし、給金も今の3倍を出しますよ。どうです?」
此方を14の小娘とみて、そっち方面で懐柔しに来ましたか。
申請者の私を引き抜いて特許をフランツ商会に取り込むつもりですね。
それを影からでなく堂々としてくるあたり、中々に肝が太いです。
「王都は怖い所ですのでお断りします。品評会の時、屋台の手伝いを頼んだロブルという人が殺されました。とても惨い殺され方だったそうです。彼にも夢や希望がありましたのに、それを簡単に終わらされた。王都はそんなことが平然と出来たり命じたりする人が住む場所でしょう。私などとても住めません」
真顔でそう言ってやれば、一瞬ですが目に動揺が過ぎります。
一応、心当たりはあるみたいですね。
ロウズ家の御令嬢の死を告げても一顧だにしなかった腐れ勇者に比べたら、まだ善の心はあるようです。
今の会話でさらに室温が下がった(精神的に)ようで、後に控えている秘書のセーラさんと補佐役のレリナさんの震えが伝わってきます。
無理しないで退室して良いですよ。
あっちの御付きの人の顔色もどんどん悪くなってますから、一緒に連れて行ってあげて下さい。
「ですが貴女には最強の護衛が付いているとお聞きしていますが」
お、粘りますね。さすがは商人。
諦めたらそこで試合終りょ…じゃなくてお終いですから。
わずかな可能性があるのなら、そこに賭けるのが商人ってものです。
ですがこれは勝負なので遠慮なく打ち返させてもらいます。
「ミゲルさんはジェスがお得意と聞きましたが?」
突然変わった話題に、首を傾げながらもミゲル氏が頷きます。
ちなみにジェスとは将棋に似た駒取りゲームのことです。
「ええ、幼い頃に祖父から勧められまして。2手3手の先を読めとそれが商人にとって何より大切なことだと言われました。今のところ負けなしです」
まあ、その先読みの才能あっての商会運営でしょうね。
それを10歳の頃から始めて、今のところ大きなミスも無しなのは真に天才だからでしょう。
「ではジェスの名手にお聞きします。防戦一方の戦いに勝ち目はありますか?」
「…それは難しいですね。守るだけではいずれ手詰まりとなって負けを待つばかりです」
はい、言質は取りましたよ。
「ではやはり王都に行く必要はありませんね」
「え?」
「確かに商業の中心は王都にあります。ですがもう飽和状態で大きな利を産む成長は望めません。古い場所を守る勝ち目のない勝負をする気はありません。それより新たな場所を開拓する方が私の性に合っていますので」
「…古い場所を守る」
自分が立ってる足場を叩き壊されたみたいな顔してますけど、今更でしょう。
フランツ商会のことを調べましたが、此処は規模が大きくなりすぎて守りに入る事しか出来なくなっています。
頭がいくら優秀でも動かす手足に命令が届くまでに時間が掛かり過ぎるし、そうなると命令を自分の都合の良いように曲解する者も多いでしょう。
贅肉が付き過ぎた身体が素早く動けないように、フランツ商会に新たなことに挑戦するだけの力はもうないのです。
薄々判ってはいても、それを直視していなかっただけのこと。
守るだけではジリ貧ですからね。後は緩やかに衰退するだけです。
泣かすまでには至りませんでしたが未来への希望は打ち砕いてやりましたから、これでロブル君を見殺しにしたことを後悔するがいいです。
「し、しかし新たな開拓場所など何処に」
そんなものがあったら苦労はしないって副音声が聞こえてきます。
まあ、答えくらいは教えましょうか。
聞いても動けるかどうかは別問題ですけど。
「そうですね、例えば魔国とか」
「はぁ?」
ミゲル氏から頓狂な声が上がり、信じられないと言った目で此方を見ます。
そんなにおかしなことですか?。
120年間鎖国状態ということは、まったく競争相手がいないということです。
別の商会が入り込んで来るまで市場を独占出来るじゃないですか。
そう説明してあげたら、何故か化け物でも見るような眼差しを送られました。
「魔族が怖くは無いのですかっ?」
「終戦の協定をしたということは話が出来るのでしょう。だったら商売をしてもらえるよう、言葉を尽くせば良いだけのことです。兵士ならともかく、商人にいきなり斬り付けるような蛮族ではなさそうですし。ダメもとで挑戦する価値はあると思いますよ」
そうニッコリ笑いかければ、ミゲル氏が魂が抜け落ちたように肩を落とします。
「…貴女のその発想に、残念ながら私はついては行けない」
「それは良かったです」
「え?」
「あなたと私の進む先が交差することはない。つまりこの先も争うことはありえない。戦う場所が違うのですから。…これであなたの憂いも晴れましたでしょう」
「これであなたの憂いも晴れましたでしょう」
そう言われて、私が此処に来た理由も目論みもすべて見通されていたことを思い知らされた。
彼女は噂通り、いや噂以上の賢才だった。
普通の娘なら喜んで飛び付くであろう王都での贅沢な暮らしを一笑に付し『挑戦が出来ないお前達に未来は無い、あるのは終末に向かう滅びの道だけだ』と誰もが見ようとしなかった商会の弱点を暴き、鋭く突いてきた。
それを回避したくば魔国と取引をしろという。
だが我々にはそれは出来ない。
私がやろうとしても、他の役員たちがそれをさせない。
いつの間にか、そんな守ることしか出来ない構造になってしまったのだ。
フランツという巨大商会は…。
彼女がそれを私に思い知らせたのは…あの愚かな父がやらかした事件の所為。
知りながら傍観しかしなかった私への罰だ。
敵ならばこれほど恐ろしい相手はいない。
だが味方だったら…これほど心強い仲間はいない。
ならば私が取る道は一つだ。
「確かに憂いは晴れました。私どもとあなたが目指す先は違う。ですがそれを応援することは出来ます」
「…提携ではなく、協力ということですか?」
「ええ、あなた方が魔国に挑むと言うのなら私どもはそれを後方で支援します。恐らくそれが私どもが生き残る最善の法でしょうから」
「さすがは国内一の商会の会頭ですね。決断が早い」
「ありがとうございます。私個人としては後ではなく、その隣に立ちたいですが」
「それは謹んでお断りします」
「ええ、今はそれで良いです。でも私は諦めません」
私は祖父の期待に応えて駒取りのゲームでは誰にも負けない腕になった。
10の歳から商会の仕事をするようになっても、負けることは無かった。
誰も私に勝つことは出来ない。
そう思ってきたけれど…此処に私を負かす者がいた。
だが次は負けない、次にはきっと勝ってみせる。
そう思えることが嬉しい。
私にそう思わせてくれた彼女が愛おしい。
だからきっと私のものにする。
諦めることは無い、何故なら諦めないのが商人だからだ。