59、海辺の町の治癒師
「おはようございます」
「ああ、今日もよろしく頼む」
頷くエバンさんですが、その顔には濃く疲労の色が浮き出ています。
「少しは休んだ方がいいですよ。私の故郷に『医者の不養生』という言葉があるんです。 人に養生を勧める医者が自分は健康に注意しないことの例えです。此処でエバンさんが倒れたら代われる者などいないんですから」
「耳が痛いな。分かった、午後になったら少し休むことにする」
「必ずですよ」
そう念を押すと、苦笑しながらも頷いてくれました。
エバンさんも温泉に入って少しはリフレッシュしてほしいものです。
ちなみに昨夜遅くに入った温泉は最高でした♡。
案内してくれたミリアムさんも誘って、ウェルと3人で堪能しながらガールズトークに花を咲かせました。
湯上りにミリアムさんに商会で扱ってる化粧水と保湿クリームをあげたらメッチャ喜んでもらえました。
そのお礼か朝食に此処の名産のオレンジもどきのフレッシュジュースをたっぷりと付けてくれました。
すっきりとした甘さで、いくらでも飲めてしまうくらい美味しいんですよ。
温泉があるくらいですから地熱が高くて、本来ならもっと南で採れる果物がたくさん成るのだとか。
天然の温室みたいなものですね。
商会で本格的に仕入れてみましょうか。
いろいろと新しいスィーツが作れそうです。
それと朝食の時に挨拶に来てくれたミリアムさんのお父さんとお母さんに服を脱がずに気軽に温泉を楽しめるし、足を温めることで新陳代謝を促して健康にも良いと何気に足湯を紹介したら思いの外、食いついてくれまして。
早速、宿の入口近くに土魔法で作ってみるそうです。
集客のお役に立ったら良いのですけど。
「12番さんの容態が大分落ち着いてきましたね。薬効を少し弱いものに変えて様子をみましょう。強い薬は効果がある分、身体への負担も大きいですから」
「はい、そう伝えておきます」
出来上がった薬をミリアムさんに渡し、次に取り掛かろうとしたら入口から大声で私の名を呼ぶ一団が。
此処にいるのは重傷患者さんばかりなんですから静かにして下さいと思ったら、同じことをエバンさんが一団に言ってます。
「無礼なっ、我らを誰だと…」
「知らん、此処にいるのは治療の邪魔になる木偶の坊だけだ」
おお、言いますねエバンさん。
「貴様っ」
その内の一人が剣を抜きかけますが…。
「抜いたと同時にお前の首が落ちるぞ」
いつの間にか背後を取ったウェルの剣が相手の首横に添わされてます。
「で、あなた方はどなたですか?」
私の問いにウェルの殺気に気圧されていた一団の中から、隊長らしき人が咳払いの後で口を開きます。
「王都より派遣された第二師団、第三部隊長のブレンである。トワリアという娘を保護し、トスカもしくは王都に連れてくるよう命を受けた」
「その命令を出したのは…宰相様ですか」
クラーケン出現の報を聞いてレリナさんが泣き付きましたか。
王太子は私の側にサンダー君がいることを知ってますからね。
これくらいで保護とかしたりはしないでしょう。
「そ、そうだが」
「では戻って宰相様にお伝え下さい。此処には薬師としての私を必要とする患者さんが数多くおります。彼らのほとんどはまだ予断を許さぬ状態です。危機を脱した状態に落ち着くまで私は此処を離れる気はありませんと」
「しかしっ」
「別に残っていただいて構いませんが。ただクラーケンがまたやって来ないという保証は何処にもありませんけど」
クラーケンというワードに、たちまち隊長の顔色が変わります。
「ここは一度、町から離れて宰相様の指示を仰いでは?」
そう逃げ道を作ってあげれば、一団からあからさまにホッとした空気が流れ出ます。
「わ、我々では任務続行の判断が付かぬ故、取り敢えず第三部隊は撤収する」
言うが早いか一団はアッという間に姿を消してゆきました。
「ふん、王国騎士団も随分と質が落ちたものだ」
去ってゆく背に、エバンさんからそんな言葉が投げられます。
前の騎士団を知っているという事は、やはりエバンさんは従軍治癒師だったようです。
「お疲れ様でした」
「ああ、今日も無事に終わって良かった」
「そうですね、重篤だった1、2番さんも容態が落ち着いてきましたから」
誰も死なせずに良かったと呟くエバンさんに、気になっていたことを聞いてみます。
「立ち入ったことをお聞きしますが、エバンさんは従軍治癒師だったのですか?あ、もちろん言いたくないなら結構です」
そんな私の問いに、深く息を吐いてからエバンさんが口を開きます。
「…ああ、先の戦争に従軍していた。…あそこは地獄だった」
言葉の端々から彼の苦悩と悲しみが伝わってきます。
「終わりの見えぬ戦い。それでも祖国を守るのだという想いで兵士たちは必死に戦っていた。そんな彼らの傷を癒すのが我々治癒師の仕事だ。治せば再び彼らを戦場に追いやると分かってながらの治療は…辛さしかなかった。それでも少しでも多くの命を救いたいと、我々も必死に戦場で治癒を続けた。しかし…」
組んでいた両手にグッと力を込めてからエバンさんは話を続けてゆきます。
「あの日…突然、空から舞い降りて来た死の影。真紅のドラゴンによってすべてが失われた。…敵も味方も、何もかも。骨すらも残さず…。残ったのは地の果てまでも続く焼け爛れた大地だけだった。私は奇跡的に近くにあった大岩の裏に隠れることによって死の炎から逃れることが出来たが…あの惨状を目の当たりにした時の虚脱感に今も苛まれている。我々の戦いはいったい何だったのか?ドラゴンのブレス一つで終わってしまった戦いの意味とは?…と。それからの私は…抜け殻だ。何をしても空虚にしか感じない。こうして治癒師の真似事をしているのも、生き残ってしまった自分の贖罪。いや、欺瞞に過ぎない」
エバンさんの顔に浮かぶ空っぽの笑顔。
彼は今までどれほど自分を責め続けていたのでしょう。
何一つ、彼の責任ではないのに。
これもあの腐れ勇者の仕業の所為かと思うと、説教の時に石でも抱かせてやろうかとマジで考えます。
いや、その前にグリグリの刑ですね。
ちなみにグリグリの刑とは、両の蟀谷を拳で挟んで人差し指の第二関節部分を力いっぱい捻じ込むことです。
これが地味に痛いんですよね。子供らが悪さした時にお仕置きとしてやると泣きながら悶絶していたものです。
「そんなことはないと言うのは簡単ですけど、それはエバンさんが求めている言葉ではないですよね」
「…何を」
驚いて此方を見るエバンさんに笑みを向けながら言葉を継ぎます。
「私はあなたが生きて此処にいてくれて良かったと思います。私の師匠は戦争から帰ってきてはくれませんでした。生きていてくれたら話したいことや、教えて欲しいことがたくさんあるのに、それはもう永遠に出来ません。だからエバンさんが生きていてくれて、こうして話せて嬉しい。自分だけ生き残ったことを負い目に思っているようですが、あなたの中にはあの戦争で亡くなった人たちの想いが受け継がれていることを忘れないで下さい」
「皆の…想い」
小さな呟きに、ええと頷きます。
「生き残ったあなたは、死んでいった者の想いを継ぐ存在なんです。ですからあなたは何があっても生きなくてはダメです。生きて彼らが生きていたら掛けてあげたい言葉、してあげたいことを周囲の人に掛けたり、したりすればいいんです。そうやって生き抜くことが、彼らの想いを生かす道だと私は思います」
「…そんな考え方もあるんだな」
小さく笑うエバンさん。
私の言葉一つで彼の長年の苦悩が消えるとは思いませんが、少しでもその背にある重荷が軽くなることを願ってやみません。
それから2日が経ち、軽傷者のほとんどが救護施設から無事に出てゆけました。
重傷者の容体も危険域を脱しましたし、このまま順調に行けば月が替わる前に全員が退所出来そうです。
冒険者の数もギルマスのケイシーさんが頑張ってくれたおかげで、今では60人ほどに増えました。
これならまたクラーケンが来ても足止めが出来るでしょう。
その隙に住民が避難すれば、前回のような被害は出ないと思います。
ですが『魔剣の姫と賢者の姫と共にデラントの町を守ろう!』って
このふざけたキャッチコピーはいったい何ですか!?
賢者の姫って誰のことです!?
責任者、出てこいやっ。
ということでケイシーさんを問い詰めたら。
「いや、だってよ。男を釣る餌は可愛い女の子って相場が決まってるだろ。魔剣の姫だけじゃ色気が足らねーし。賢才と名高いトアちゃんにピッタリの呼び名だと思わねぇ?」
「思わんわっ!」
そのままグリグリの刑に処しましたともさ。
泣いて助けを求めてましたが知りません。
「それくらいにしてやってくれ、トア」
『姐さん、自分の格闘レベルが上がってること忘れてますぜ』
『あるじー、つよいー』
『せやな、気つけんと人死に騒ぎになるで』
傍観していたウェル達にそう言われ、慌てて手を放しましたが…少しばかり遅く、ケイシーさんは白目剥いてました。
すみませんでした、後で上級の回復薬を差し入れておきます。