57、海辺の町の救護
「失礼します。此方の責任者はどなたですか?」
救護施設に到着し、中の人に声を掛けます。
急遽張られた大型テントの中は30人ほどのケガ人で溢れています。
しかもテントは此処だけではありません。
恐らく百人以上の負傷者がいるのでしょう。
「私が責任者のエバンだ。何の用かな?」
此方にやって来たのは白いローブを着た治癒師の男の人です。
年の頃は35才くらいかな、銀の髪と緑の眼をした渋いおじさんです。
「お忙しいところすみません。私はトスカの薬師でトワリアと申します。
何かお手伝いできることがあるかと伺いました」
薬師の身分証を差し出してそう言えば、エバンさんの顔が嬉し気に綻びます。
「それは有難い、ちょうど薬が無くなりかけていたんだ」
「だったらまずこれを」
バッグ経由でアイテムボックスからありったけの回復丸を出します。
「こんなにか?済まない、正直助かる。おい、これをっ」
エバンさんの呼びかけでスタッフの人がわらわらと寄ってきます。
「その前に識別救急はどうなってます?」
「何だそれは?」
怪訝そうなエバンさんの様子に、やっぱり場当たり救命だったかとため息を吐きたくなりますが、ぐっと堪えます。
「トリアージとも言います。手当たり次第に診るのではなく重傷者から診てゆき、徐々に軽傷者へと患者の治療順位を決めて行動することです。ですが見た目は軽傷でも内臓を損傷している場合もありますから、確証が得られない時は鑑定のスキルを持っている方に判断してもらうと良いと思います。今からでも遅くはないですから重傷者順に番号を振って、番号通りに治療して廻りましょう」
「…確かにその方が効率的だな」
私の提案に驚きながらも、エバンさんが賛同してくれます。
「それと簡単で良いので患者さんの傷の状態をメモにして目立つところに纏めて貼って下さい。そうして情報を共有しておけば、同じ人を何度も治療してしまったり、治療忘れを防ぐことが出来ます」
「分かった」
「では私は症状に合った薬の調整に入ります。重傷者の様子を教えて下さい」
「ああ、おい。ミリアム」
名を呼ばれたのは20才くらいの紫髪の落ち着いた感じの女の人です。
「彼女の助手を頼む」
「はい」
頷く彼女に調薬出来る場所を教えてもらい、次々と入ってくる情報に合わせて薬を作ってゆきます。
「此方は17番の方に飲ませて下さい。外傷だけでなく叩きつけられた衝撃で内臓にもかなりのダメージを受けてますので、両方を回復させる成分が入ってます。それと飲ませる前に本人かどうかの確認をお願いします。間違って他の人が飲んでも効果はあまりありませんから」
「はい、分かりました」
出来上がった薬をミリアムさんに渡し、次のメモに目を通します。
「18番さんは…右足と右肩の骨折っと」
骨の再生を促進させる効果のあるものを多めに調薬してゆきます。
「よし、完成っ」
念の為に鑑定を掛けましたが、十分な薬効が得られていてホッとします。
その時、テントの外での騒ぎが聞こえてきました。
「何事です?」
近くにいたスタッフさんに問うと、外で叫び声が上がります。
「誰か来てくれっ、タバサのヤツが産気づいたっ」
「はいぃ?」
怪我人だけでなく、今度はお産ですか?
「ど、どうするよ?」
「産婆はっ?」
「ヤンマ婆さんなら昨日から隣村に行ってるっ」
屈み込んで唸っている妊婦さんの周囲を取り巻くばかりで、誰一人として動こうとはしません。
異常事態にどう対処して良いのか判らないのでしょう。
「ぼさっと立っていないっ。ベッドを一つ空けてそこに寝かせて下さい」
「お、おう」
私の一喝に慌てて皆が動き出します。
「ウェル、ベッドの周りに土魔法で簡単な壁を作ってくれる?」
「任された」
L字型に土壁を作ってもらいます、これで少しは落ち着けるでしょう。
続いて敷布とタオルを用意してもらい、それを【イオン殺菌】で除菌してから妊婦さんの側に配置します。
「お産は初めてですか?」
「は、はい」
私の問いに小さく頷く妊婦さん。
初産ならば生まれるまでしばらく時間がかかりますね。
「出産に立ち会った経験があるのか?」
様子を見に来たエバンさんの問いに、ええと頷きます。
「2度ほど」
立ち会ったと言うより、自分で産んだが正解ですけど。
「ならここは任せても?」
「はい、お産婆さんが来るまでは私が見てます。ですが専門ではありませんから早く迎えに行った方が良いです」
「しかし隣村だと急いでも半日はかかる」
「それは大丈夫です。ウェルならすぐに連れてきてくれますから」
「ああ、村の場所を教えてくれ」
エバンさんから詳しい場所を聞くとウェルが文字通り飛んでゆきます。
その様に呆ける一同を残して、私はさっさと妊婦さんの下へと戻ります。
「痛むのはお腹と腰のどちらです?」
「こ、腰です」
陣痛は子宮の位置によって痛みを感じる場所が変わります。
この妊婦さんは腰の方ですね。
ならばと横向きに寝てもらい、その背から腰にかけてをゆっくりとマッサージしてゆきます。
「痛みの感覚が短くなってきたら教えて下さいね」
「は、はい」
不安げな顔で此方を見る妊婦さんに、笑顔を向けて言葉を綴ります。
「大丈夫、この世の中で『お母さん』と呼ばれている人すべてが同じことをしてきているんですから」
「…そうですね。私だけじゃないんだ」
「ええ、それに痛いのは赤ちゃんが早く外に出たいと頑張ってる証拠です。会えたら最初にしてあげたいことは何ですか?」
「抱きしめてあげたいです。…私たちのところに生まれてきてくれてありがとうって」
「ぜひ、そうしてあげて下さい」
「はい」
2人して微笑み合うと、少しでもリラックス出来るように小さな声で歌を歌います。
曲は昔に流行った、こんにちはと赤ちゃんにいう歌。
優しい旋律に妊婦さんから強張りが消えて、表情もゆったりとしたものに変わります。
「痛っ、ううぅ」
陣痛の間隔が短くなってきましたね。
もうそろそろでしょうか、と思っていたらいきなり破水しました。
お産の最終段階です。
「今、戻ったっ」
そこへタイミング良くウェルがお産婆さんを連れて戻ってきてくれました。
隣村でもお産の真っ最中で、此方に来るのが遅くなったのだそうです。
「タバサかい、生まれるのはもう少し先だと思ったがね」
さすがはベテラン、少しも動じずサクサクと処置をしてゆきます。
「大きめの桶を下さい。産湯を用意します」
私の声に壁の外にいた人達がわらわらと動き出します。
差し入れられた桶に【イオン殺菌】をかけてから【水出し】と【加熱】でお湯を作ります。
「さあ、もう少しだよ。頑張りな」
それからすぐ後に響き渡った産声。
「元気な男の子ですよ」
産湯を使わせてから殺菌したタオルで包んでお母さんへと手渡します。
「赤くて…くしゃくしゃ。でも可愛い」
泣きべそをかきながら、愛おしそうに赤ちゃんを抱きしめる様に思わず笑みが零れます。
「後のことをお願いできます?」
「ああ、あんたがいてくれて助かったよ」
「お役に立てて良かったです」
軽く会釈をして壁の外へと出ると、エバンさんが待ってました。
「君のおかげで多くの命が救われた。感謝する」
いきなり頭を下げられて驚きます。
「いえ、私がしたことはきっかけに過ぎません。多くの命が助かったのは此処にいる皆さんが頑張った結果です」
「…それでも君のおかげだ。特にトリアージだったか?あれには驚かされた」
「トスカは冒険者の町ですからね。大規模なクエストの後で多くのケガ人が押し寄せることがよくあるんです」
「なるほど」
私の言にエバンさんが納得の頷きを返します。
まあ、その惨状を見てトリアージを提案したんですけどね。
トスカの冒険者ギルドと薬師ギルドのマスターが連名で、トリアージの方法を王宮に進言しましたから、近いうちに国中に周知されると思います。
「此処の治癒師は私しかいないからな。君が的確な指示を出してくれたから魔力切れを起こす前に皆の容体を安定させることが出来た。…あの時に、この方法を知っていたらもっと多くの命が救えたのにな」
「はい?」
自嘲めいた最後の呟きに首を傾げれば、エバンさんが慌てて言葉を継ぎます。
「此処が落ち着いたら薬師ギルドに行ってくれ。マスターが会いたいそうだ」
「分かりました。すべての調薬が終わりましたら伺います」
「よろしく頼む」
頭を下げて去ってゆくエバンさん。
トスカにも治癒師は何人かいますが、そもそも治癒師に診てもらうと最低でも10万エルはかかります。
なので患者の多くは裕福層か小金持ちの冒険者です。
この海辺の町にそうそう治癒師の需要があるとは思えません。
どうやら彼は色々なものを背負って此処にいるようです。