42、裏切りの栄華
「裏切ったなんて人聞きの悪い。僕は僕の研究成果を発表しただけだ。
それがたまたまハルキスと同じテーマだっただけで」
「ぬけぬけと」
怒りも露わに剣を抜きかけたウェルに、トールギスが怯えた顔を向けます。
「そ、そうやってすぐに暴力を振うんだ。戦う力もない薬師の僕に」
「くっ」
そんな風に言われては斬りかかる訳にもゆかず、ウェルは悔し気に剣から手を離します。
その様を眺めながら、トールギスという人物を観察します。
薄茶の髪にブラウンの瞳、痩身で神経質そうな感じの人族の男性です。
歳は25、6くらい。
この人が師匠の研究を奪って、引き籠もりにさせた張本人ですか。
それにしても気になることを言ってましたね。
自分にしか作れない毒消し…ギルドマスターの名を口にしてましたから、さっき私が作った物のことでしょう。
あの毒は調合された成分から見て、万能薬の研究の一環として師匠が製作した毒に少しばかり手を加えた物です。
ですがベースは師匠のものであり、それが作れるのは師匠の研究資料を持っている者だけのはず。
ため息を一つ吐いてから、窓口のお姉さんにあることをお願いします。
それから対峙している2人の側へと歩み寄ってゆきます。
「一つお聞きしてよろしいですか?」
「なんだ、君は」
訝し気に此方を見るトールギスに、軽く会釈をしてから口を開きます。
「トアと申します。此方のウェルティアナの友人です。
貴方とウェルの友人のハルキスさんとのトラブルについては聞き及んでます」
「ふん、どうせ僕のことを悪し様に言ってるんだろう」
忌々し気にウェルを睨んでから私に視線を戻します。
「ええ、あなたがハルキスさんの研究を盗んだと」
「盗んでなんかいない。2人の共同研究だったものを僕がさらに改良したんだ。
だからあれは僕の手柄だっ」
どうやら随分と自己顕示欲の強い人のようです。
成果ではなく、手柄という言葉を使うあたりにもそれが現れています。
「そういえばウェルティアナ。ハルキスの研究資料は何処だ!?君なら在処を知っているはずだっ」
「それならば、燃やした」
おお、珍しくウェルが腹芸をしてます。
資料は全部、私が活用させてもらってますからね。
「馬鹿なっ!?あれがどれほど貴重か分からないのかっ。万能薬だぞっ。それも完成間近のっ。あの資料があれば僕なら完成させられるというのにっ」
いえ、理論上ならもう完成してますよ。
作れるかどうかは判りませんけど。
取り敢えず勇者さまか、腕利きのドラゴンスレイヤーをスカウトしてきて下さい。
でないと始まりません。
「そんなことは知らぬ。私はハルキスとの約束を果たしたまでのこと。
自分が死んだら資料はすべて燃やしてくれという約束をな」
師匠とそんな約束をしていたんですね。
もしかしてウェルがハルキスハウスを訪ねてきたのは、その約束を遂行する為?
ウェルの言葉に、信じられないといった顔で此方を見るトールギスに裏切りの共犯者の所在を尋ねてみます。
「ところで婚約者のミランダさんはご一緒ではないのですか?」
ハルキスを裏切った後、2人が婚約したことはウェルから聞きました。
ですがその名を出した途端トールギスの顔が僅かですが強張ります。
「ど、どうでもいいだろう。そんなこと。それより聞きたいことは何だっ、僕は忙しいんだっ」
「それはすみません。お聞きしたいことは毒についてです」
「毒?それがどう…」
「ギルマスから聞いた身分の高い方の口に入ったかもしれない毒のことです。ですが不思議ですね。暗殺用ならば普通は即効性の物を使います。なのに今回の毒は遅効性、しかもゆっくりと死に近付いてゆく物です。まるでその様を見せつけて脅すかのように。これを飲んだらお前達もこうなると」
しかしと小首を傾げて言葉を継ぎます。
「おかしなことに被害にあった方は、すぐに気付いて毒を吐き出したとか。無味無臭の毒なのに、どうして毒だと判ったのでしょう?まるで最初から毒入りだと知っていたかのようですね」
私の話に無表情を装いながらも、トールギスの手が小刻みに震え出しました。
突然に与えられた混乱は、思考と判断を狂わせる。
これは心理戦における初歩的戦略の一つです。
それに見事に嵌まってくれたトールギスは、面白いくらいに此方の誘導に引っ掛かってくれました。
「ですがそんな騒ぎを起こして何の得が?
あるとしたらそうですね。…自分で作った毒を飲ませ、周囲の不安を煽ってから寸前で毒消しを渡して助け出せば、その者は一躍英雄です」
「そ、そんなことをして…」
「ええ、身分の高い方を相手にそんなことをしたと露見すれば極刑ものです。でもだからこそ、そんな大それたことは誰もやらないと疑われない。そういえば、さっきあなたは何て言いました?
確か、僕にしか作れない…でしたか。毒消しはその毒の特性をよく知らなければ作れませんよね?
つまりその毒を作れるのはあなただけと言うことになりますが?」
「ぼ、僕は関係ないっ」
そんな真っ青な顔して首を振っても、その行動自体が自分がやったと白状しているようなものですよ。
「あんなものはハルキスの研究資料を見れば誰だって作れるっ」
言った後で慌てて口を塞いでも、出た言葉は戻りませんよ。
それにあなたの言葉はギルド中の人が聞いてますしね。
「ハルキスさんの研究資料を何故あなたが持っているんです?
やはり盗んだんですか?今度はそれを使って王妃様を亡き者にしようと」
「違う、そんなつもりはないっ。僕は僕の力を認めてもらう為に…」
語るに落ちたというか、思った以上に簡単に釣られてくれました。
此方に来て思うのは、アーステアには良い意味でも悪い意味でも真っ直ぐな人が多いということです。
これは簡単に命が消える環境で暮らしていることが大きく影響していると思います。
遥か先の事を考えるより、まずは今日を生き抜き、明日を迎えられるようにする。
そのため思考が短絡的というか、裏を読まないというか、大局的に深く物事を考えるといったことはあまりしません。
もちろん、執政者などはその範疇ではありませんけど。
と言うか腹黒でない執政者なんて聞いたことがないです。
もしいたとしたらその国は滅びます。
何が言いたいかと言うと、アーステアには腹黒が少ないってことです。
例外なのは美少年ジジイと此処の薬師ギルドのマスターくらいですか。
ですがあれくらいの腹黒は、地球にはゴロゴロいましたからね。
ライバル会社の部長などはその最たるもので、悪魔だってあの人の腹黒さには裸足で逃げ出す…いや姿を現したら最後、簡単に捕まって使役されるでしょう。
しかもメッチャしたたかで、利益を上げるためなら焼き土下座くらい平気で遣るような人でした。
私も何度、煮え湯を飲まされたことか。
同じくらい遣り返しはしましたけど。
【口先の魔術師】VS【舌先三寸の鬼】
よくそんな風に揶揄されたものです。
でも忙しい人なのに、入院した私の下へ何度も足を運んでくれましたね。
好敵手がいないとつまらない、早く治して現場に戻れと。
懐かしいです。
そうこうしているうちにお姉さんにお願いした衛士さんが到着しました。
王宮に毒を持ち込んだ容疑者と言っておきましたから、そりゃあ最速で駆け付けますよね。
取り敢えずトールギスの身柄を拘束してもらい、その間に家の中を捜索するようお願いしました。
そうしたら同じ毒だけでなく今回の事件の計画書、果ては成功後に自分が宮廷薬師に昇り詰めるサクセスストーリーの概要が書かれた物まで見付かって衛士さん達も呆れたそうです。
何でそんなものをホイホイそこらに置いときますかね。
地球でも、どうしてそれが上手く行くと思ったのかと不思議になるような穴だらけの犯罪計画を実行して、簡単に捕まる人がいますが。
本人たちは大真面目に成功を信じているところが救えません。
拘束されてからずっと、自分は無実だ、そいつらに嵌められたと喚いていたトールギスでしたが、確たる証拠を突きつけられ容疑者から犯人に昇格したところで魂が抜け落ちたような顔で連行されてゆきました。
逮捕のきっかけが師匠から盗んだ研究レポートにあった毒だったことに深い因果を感じてなりません。
そして今日の日に私が薬師ギルドを訪れたことも。
まるで予定調和のように思えるのは私の考え過ぎでしょうか?
まさか…神様、また何か仕出かしてません?
後日聞いた話では、被害者の侍女はやはり婚約者のミランダでした。
自分で持ち込んだ毒を自ら飲んでみせ。
もしかしたら次は自分が口にするかもと、周囲を恐怖に陥れてそれがピークになった頃、颯爽とトールギスが毒消しを持って登場し苦しむ侍女を助けて見せる。
そうなれば王妃さまだけでなく王様からの覚えもめでたく、いずれは宮廷薬師へと昇り詰める。
と、まあ呆れ返るような夢物語を2人して本気で信じていたようです。
何故、2人はそんな大それたことを計画したのか?
最たる原因はお金です。
それと愚かなプライドと功名心。
師匠から盗んだ画期的な毒消しの特許で一気に数千万エルの収入を得たものの、それは一時のことで、2年もすれば薬師のほとんどが使用料を払い切り新たに利用するのは新人の薬師だけ。
初年度のような大金は入ってきません。
ですが一度、楽に稼ぐことを体験した人間はそれを忘れることが出来ず、また上がってしまった生活水準を落とすことも出来なくなります。
楽とは恐ろしいものです。
自らが努力して得た楽ならばそれを励みに次も頑張ろうと思いますが、他人から奪ったり、幸運のみで得た楽はその毒で手にした者をダメにします。
後者である彼らは、贅沢三昧の挙句たちまちお金を使い切ってしまい。
(たった数年の間にですよ、どんな使い方をしたんだか)
その後はトールギスが作る薬代で暮らしていたようですが、はっきり言って知識は豊富でも薬師としての腕は良くなく、大した収入にはならなかったそうです。
で、それに我慢ならなくなったミランダの方から計画を持ち掛け、伝手を頼って下級侍女として王宮に潜り込み、お茶会の時に隙をみて計画を実行。
宮廷薬師の妻となり、贅沢に暮らすことを夢みて。
泡沫の夢でしたけどね。
その後、2人は王家への反逆者として処刑されました。
一般人に同じことをしていたのなら犯罪奴隷で済んだのでしょうが、王宮に毒を持ち込んだことで、王族に牙を剥いたと判断されたのでこの結果は仕方がありません。
人を踏み台にして得た栄華は、人を死に追いやる毒でしかないということでしょう。