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22、鉛筆と消しゴムと印刷技術


「はあぁぁ」

「と、トア。大丈夫か?」

「ん、ああ、平気。気が重いだけ」

 見掛けは子供、中身も子供、だけど狸じじい。

まったく厄介な話を持ってきてくれたものです。

これは商会のみんなと要相談です。



「こんにちはー」

 ギルドから5分ほど歩いた建物の一室がマリキス商会です。

マロウさんの伝手で好立地なのに格安で借りられました。


「あ、トアさん」

 商会の中に足を踏み入れると走り寄ってきた猫耳の女の子。

スタッフのシャオちゃんです。

何だかんだで人が増え、今ではマリキス商会は総勢30人の大所帯になりました。

ですが今はシャオちゃんしか姿が見えません。

いつものように外回りの外商部の人達以外は、玄関先にいるキョロちゃんと

マーチ君をモフりに行ったようです。


「リエナ村の鉛筆工場ですけど、年明けには稼働出来そうです」

「そう、村の近くに黒鉛の鉱床があったからちょうど良かったね。

これといった特産品がない村だったから、これで現金収入が増えて少しは生活が楽になるといいんだけど」

「なりますよー。製品化はまだ先なのに引き合いが百件近くあるんですから」

 フードフェスでの見本を実際に使ってもらうデモンストレーションが効いたようです。


「消しゴムの方は?」

「はい、そっちも量産体制は整ってます。低級魔獣のスライムの粘液を割り高で買い取るので駆け出し冒険者からも感謝されてますし」


鉛筆と消しゴム、これはセットでないと話になりません。

最初はゴムを探したのですが該当するものがなく、途方に暮れていたら。

ホルンさんが靴底の補強にスライムの粘液を使うことがあると教えてくれて鑑定したらビンゴでした。


そもそも鉛筆で書いた文字は紙の上に炭素の黒い粒がくっついているだけです。

消しゴムで字の上をこすると消えるのは、紙の繊維に絡まった黒い粒が消しゴムの表面に吸い取られるからです。

そのゴムの代わりがスライムの粘液です。

これに無機酸のオキソ酸とアルコールの化合物でエステルという可塑剤(かそざい)を加え、加熱しながら混ぜ合わせていくと消しゴムが完成します。


ありがとう、鉛筆工場の主任さん。

あなたから頂いた鉛筆と消しゴムの知識は、こうしてアーステアの人の助けになってます。


「えっと…此方の方は?」

 興奮気味に報告してくれていたシャオちゃんが、ウェルに気づいてオズオズと問いかけます。

「この人はウェル。商業ギルドのマスターの曾孫さんで私の護衛役になってくれた人だよ」

「護衛の方が決まったんですかっ。良かったぁ。これで『立場ってものを考えてさっさと護衛を付けろ』って筆頭の文句を聞かずに済みます」

「…俺がどうしたって?」

「ひ、ひ、筆頭っ」

「そこで凄まない。そういう訳だからみんなに報告しておいてね」

「はい、分かりました。ほうれんそうですね」

 ほう(報告)れん(連絡)そう(相談)は社会人の基本ですからね。

商会でも徹底してもらってますよ。

「よろしくね」

 小走りで去ってゆくシャオちゃんを見送ってから、マロウさんに向き直ります。


「報告と相談があるんですけど」

「こっちもだ」 

 互いに目を見つめ合い、同時に派手なため息を吐きます。

「厄介ごとか?」

「そっちもみたいですね」

 立ち話もなんですので、ウェルと一緒に会議室へと向かいます。


「そなたがマロウ殿か、トアから話は聞いている。これから宜しく頼む」

「あのじじいの曾孫にしては礼儀を(わきま)えているな。マリキス商会筆頭取締役のマロウだ」

「自己紹介が終わったところで、まずそちらの話を聞きましょうか」

 私に(うなが)され、マロウさんが1枚の書類を差し出します。


「新しい特許申請の一覧ですね」

 ほとんどがマリキス商会のものですが、真ん中辺りに見慣れぬ名前があります。

「申請内容は…文字版印刷ですか」

「そうだ、明らかにお前のガリ版印刷の特許を侵害している。

抗議するなら早い方がいい。向こうの出方次第では申請を撤回させてやる」

 不機嫌そうに言葉を綴るマロウさんに、おやおやと苦笑が浮かびます。


「侵害ってどこがです?印刷の仕組みは同じでも文字の版を組み合わせることで文章を作るなら、最初から文章を書きこむガリ版とは別物でしょう」

 つまり活版印刷です。

予想より大分早いですけど、ガリ版が知れ渡ればいずれ活版印刷を思いつく人が現れるとは思ってました。


「それにガリ版と違って組み合わせを変えれば、同じ版で新たな文章を印刷できるなんて素敵じゃないですか」

「…お前、この方法も既に思いついていたのか?。だったら何故っ」

 此方を睨むマロウさんに、しらっと言葉を返します。


「何もかもをウチで独占する必要はないからです。 私は種を蒔くだけ。

その種をどう育てて、どんな花を咲かすかは受け取った人の自由です。

それに『特許制度は発明者に発明の独占を認める一方で、代わりにその発明を公表して、それを基に新たな技術開発を促進する制度でもある』って私に教えてくれたのはマロウさんでしょう」

「チッ、爆弾娘のくせに生意気だ」

 露骨に舌打ちされましたが、どうやら通常通りに戻ってくれたようです。


私の特許が侵害されたと怒ってくれたことは嬉しいですが、それで冷静さを欠いてもらっては困ります。


「それに文字版印刷はガリ版と違って版を作るのにも印刷にも手間とお金がかかります。印刷が始まればそれこそ万単位で刷れるでしょうが、単価は必然的に高くなります。それだと注文を出せる所は限られてきます。文字版印刷は貴族やお金持ち、ガリ版は庶民と住み分けが出来るので影響は少ないと思いますよ」

「そこまで見越していたか。…やはり会頭はお前が」

「やりませんよ」

「だがっ」

「自分で言ったことを忘れたんですか?『俺はお前のように0から1を作ることは出来ない。だが1を100や1,000にすることは出来る』マロウさんはマロウさんの出来ることをしてくれれば良いんです。もちろんその時に『ほうれんそう』は忘れないで下さいね」


アーステアで印刷といえば『転写の魔法』しかありませんでした。

ですがその魔法だけを生業としている人は存在せず、数少ない魔術師が片手間に副業としてやっていたに過ぎません。

印刷が普及して、それで困る者はいないと判ったから推し進めました。


鉛筆と消しゴムもそうです。

これはあくまで仮の筆記用具で、正式な書類はペンで書かれます。

2つがぶつかり合うことは無いのです。


私は自分がもたらした知識で新しい物が生まれることは歓迎しますが、それで既存の技術が(ないがし)ろにされることは望みません。

従来のやり方を革新して、従来のやり方で生きる人間が損をすることがあってほしくはないからです。

これからもそのスタンスは変わらないと思います。



「で、そっちの報告は何なんだ?」

「ギルドマスターからの依頼です」

「あのじじいからだと?」

 そんな露骨に顔を歪めなくてもいいじゃないですか、元上司でしょう。


「王都で開催される品評会にマリキス商会も参加してほしいそうです」

「じじいにしてはまともな依頼だな。それで?」

「ついでに王宮に行って国王陛下に謁見して、商会の商品をアピールしエンゲ領の発展に貢献してこいだそうです。ちなみに領主のサンデイト様が既に王宮へ推薦状を送り済みだとか」


「何がついでだっ。そっちの方が重要だろうがっ。

しかもあの領主、ボンクラのくせに余計なことをっ!」

 吠えまくるマロウさん。

でも出来たら私も吠えたい。

確かに事業拡大のチャンスかもしれませんが、同時に下手をこいたら首が飛びます。

物理的に。


「…逃げたい」

 今は師匠の気持ちが痛いほど良く分かります。

このまま森に隠遁しようかな。

「逃げるなっ。とにかくスタッフを集めて緊急会議だ。打開策を考えるぞっ」

 言うなり部屋を飛び出していったマロウさん。

その背を見送って横を見れば…。

ウェルがマーチ君のように椅子の上で爆睡してました。

どうりで静かだと思った。

訳の判らない話が続いて退屈だったのでしょう。

取り敢えず起こしましょうか。

ため息と共にその肩に手を置きました。





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