19、引き籠もりな師匠
「あれは…ハルキスの日記だな」
棚に置かれた日記と傍らにある花をみて、ウェルさんが懐かし気な表情を浮かべます。
「はい、他に縁になりそうな物がなかったので。会ったことはありませんが、彼は私にとって大切な師匠ですから」
「師匠…ということはトアは薬師か」
「ええ、師匠の遺志を継ぎたいと思って。なので残してくれた資料やレポートを参考に勉強中です」
「…そうか」
小さく頷くと、私に向かって頭を下げます。
「ハルキスのこと、大切に思うてくれて感謝する」
「いえ、そんな。あの…良かったら師匠のことを教えてもらえますか?」
「いいだろう、と言っても私も大したことは話せぬが。…此処に住み着いた理由は知っているか?」
「はい、悪いとは思ったのですが状況を知りたくて日記を読ませてもらったので」
「ならば話は早いな」
小さく頷くとウェルさんは師匠のことを語ってくれました。
10年前、薬草を探しに向かった世界樹の森でハルキスは謎の病が蔓延するエルフの郷を発見した。
感染を恐れることなく郷に留まり手を尽くしたおかげで病は平癒し、幸いなことに死者も出なかった。
そんなハルキスに感謝したエルフ達は返礼に多くの薬草を渡し、困った時には必ず力になると約束した。
信じていた人…恋人と親友に裏切られた時、傷心のハルキスの『誰に会うことなく暮らし、研究を続けたい』という望みを叶えるべく尽力もしてくれた。
「この家は土魔法が得意な者たちが協力して1日で作り上げた。
念のため、周囲に移植したポロロの木を使い結界も張った。
そもそもポロロの木は、世界樹の周りにしか生えていない門外不出の神樹なのだ。守護には最適だったからな」
「そんな大切な木を5本も?」
「それに見合うだけのことをハルキスはしてくれたのだ。あのままだったら郷は全滅していただろう。病の原因は変異した川藻の毒で、水が毒で侵されていたことにハルキス以外は気づけなかった」
「そうですか、師匠は本当に優秀な薬師だったんですね」
日記には此処に来てからのことしか書いていなかったので、初めて師匠の功績を知りました。
「皮肉なものだ。そのハルキスの二つ名が薬師ならぬ『毒師』なのだから」
ウェルさんの言葉が私の中にあった予想を確信に変えます。
残されたレポート、その内容の半分以上が毒に関するものでした。
草木やキノコが含有する植物の毒、蛇や蜂を始めとする動物が内服する毒。
それらを化合し作り出される人工毒物。
その薬効…致死量と被害範囲、最適投与方法。
一見すると暗殺の書のようでした。
毒物を扱う危険の大きい研究。
こんな人里離れたところに居たのは、その為でもあったのでしょう。
「でもそれって毒の専門家ってことですよね。毒消しを作るにはその毒の特性をよく知らなければ作れませんから」
「最初はそうだったようだが…あ奴が作った物が物だけにな。それは悪名となった」
「作った物?」
「煙玉だ。相手に投げ付ければ瞬時に毒煙を撒き散らし死に至らしめる。
本来は魔獣用に作ったようだが、それは対人にも使えるということだ」
それって地球でも使用が厳禁とされている広域殺戮用毒ガス兵器ですよね。
「…師匠が召集されたのは」
「人を助ける薬師ではなく、人を殺すための毒師として…だな」
短い間ですが、私も薬師として働いてます。
薬師の使命も仕事に対しての誇りも、何より快癒した人達の笑顔。
それを見たいがために薬師は存在しているのだと知りました。
けれど薬師の務めとは逆のことを強要されたハルキス。
どれほどの苦しみだったのか…考えるだけで胸が痛いです。
「ハルキスも自分が召集された訳には気づいていた。出来るなら逃げ出したかったのだろうが、あ奴には歳の離れた妹がいてな。幼い頃から病弱で健康にしてやりたいとよく言っておった」
「もしかして万能薬を研究していたのって」
「ああ、妹の為だ」
「だから師匠は戦場に行くしかなかったんですね。逃げればその妹さんに累が及ぶから」
本当に優しい人だったのだ、ハルキスは。
見ず知らずの相手でも病人だからと全力を尽くし、妹の為に身の危険を顧みず、この森で研究に励んだ。
万能薬…それは究極の毒消し。
人体を害するすべてを無力化する薬を誕生させるために。
そんなハルキスの夢を打ち砕いていったのが…戦争。
ハルキスだけでなく、数多くの夢や希望、幸せを奪ったのだろう。
「決めました。私、師匠の無念を晴らします」
「ハルキスの仇を討つのか?相手はこの国の王家か?それとも敵国のヨウガルか?どちらにしてもそなた一人では…」
眉を顰めるウェルさんに向け、大きく首を振ります。
「違いますよ、相手は戦争を起こす元凶です。それを無くす為に戦います」
「そのようなこと出来るわけが…」
「やってみなければ判らないでしょう?私の武器は美味しいものと女性を綺麗にすることですけどね」
「は?」
訳が分からないと呆けるウェルさんに私の考えを伝えます。
「先の戦争もそうでしたが、起こる理由のほとんどは経済の貧困によるものです。
それを活性化させ、誰もがお腹いっぱい食べられるようにします。
満腹で綺麗な女の人に囲まれる生活が送れるなら、誰も争おうなんて思わないですから」
これに関しては実績があります。
ケガをした冒険者の治療のため初めて冒険者ギルドに出向いた時、そこのギルドマスターを始めとするスタッフ一同に思い切り頭を下げられました。
何事?と驚く私にマスターが笑いながら理由を教えてくれました。
曰く、マリキス商会が動き出してから冒険者の死亡率が一気に下がったのだそう。
そうなったのはカップルが増えたから。
乱暴者、ムサイ、クサイ、汚いと評判の悪い冒険者の恋人になってくれるような相手は皆無でしたが。
おしゃれ小物や綺麗な洋服が出回り、美味しい食べ物が増え始めると小金持ちである冒険者達はそれを買ってやることで女の子達の気を引き、彼女持ちになる者が増えました。
不思議なもので彼女が出来ると自然と身だしなみに気を付けるようになり、ムサイ男たちが一転して爽やかなメンズに変貌。
それを見た連中が真似をしたら彼女が出来たり、モテたりしだし。
そうなると彼らの意識も変わってゆきます。
独り身の時は無茶が出来ても、待ってる者がいれば無理も無茶も出来ない。
必然的に身の丈に合わない依頼を避け、深追いもしない。
よって死亡率が下がったというわけ。
「女なんぞに現を抜かしやがってと息巻いて喧嘩早やかったジャンゴの奴が彼女が出来た途端、気持ち悪いくらい大人しくなって、人に親切にしてるのを見た時は夢かと思ったぜ。訳を聞いたら『ケンカをするとシンディちゃんに叱られるから』だとさ」
呆れた笑いを浮かべて肩を竦めるマスターが印象的でした。
風が吹けば桶屋が儲かる的なことになりましたが、美味しいものと綺麗になった女性は平和をもたらすという私の説が証明されたのでした。
「…トアが馬鹿なのか利口なのか判らなくなってきた」
深いため息を吐き緩く首を振るウェルさんに、笑みを向けながらサムズアップします。
「大丈夫、気負うつもりも無理をする気もありません。私に出来ることなんて高が知れてますし。
出来ることからコツコツと頑張りますよ。私が関わったことで少しでも多くの笑顔が生まれるように」
笑う私を呆れたように見つめていたウェルさんでしたが。
「分かった。ならば恩人ハルキスの為にも私もその戦いに参じよう」
「え?あの…」
「それにトアがハルキスの弟子と知られれば、鬱陶しい者共が寄ってこよう」
「はい?」
「あ奴の煙玉、その製法はあの怒龍の炎でハルキスと共に消え失せた。だが未だに探し回っている者は多い。それだけの威力なのだ」
「でも師匠が残した資料に煙玉に関しての記述はありませんでしたよ」
「そのような者達がそれを信じると?」
「ですよねー」
厄介ごとの予感にため息は山の如しです。
「エルフ族には他族の争いごとに関与してはならぬという掟があってな。私は戦地に赴くハルキスに何もしてやれなかった。その後悔は今もこの胸の奥に燻っている。この想いを消す術をずっと探していたが…どうやら見つかったようだ」
「良いんですか?私と居ても面倒事に巻き込まれるだけだと思いますよ」
「委細承知、私はトアと違って戦うことしか出来ぬが、だからこそ戦うトアを守ることが出来る。それに私は戦いは好きだが戦は嫌いなのでな」
にっこり笑うとウェルさんが楽し気に先を続ける。
「何よりトアと居れば美味いものが毎日食べられそうだしな」
その笑顔に彼女の覚悟が溢れています。
ならば私もそれに応えなくては。
「そういうことならよろしくお願いします。ところでフルーツタルトとレアチーズケーキがあるんですが、お代わりはどっちにします?」
「さっきの物と合わせて3つ貰おうか」
「了解です」
どうやら師匠のおかげで素敵な仲間が増えたようです。