120、神国の最期?
「マーチ君、例の技をやるよ」
『へい、がってん承知の助っ』
大変良い笑顔を浮かべるマーチ君を床に降ろすと、嗤うガニメデスを見つめます。
消えては現れ、錫杖(あれもまた魔道具のようです)に魔法を纏わせての攻撃を続けています。
「そこっ」
『喰らいやがれっ!』
指差した場所に向けマーチ君が必殺の回し蹴りを繰り出します。
「ガッ、こ、この獣風情がっ」
姿を現わした所にばっちりマーチ君の攻撃を受け、ガニメデスが態勢を崩した機会を見逃さず。
「はあっ!」
私も渾身のグーパンを繰り出し、その頬に命中させます。
「ぶべらっ!」
おかしな叫び声と共にガニメデスの身体が部屋の隅へと吹っ飛んでゆきました。
マーチ君との時間差2弾攻撃成功です。
暇を見てはマーチ君に稽古をつけてもらっていたおかげで、格闘スキルも目出度くレベル10になりましたからね。
「さすがだ、トアっ」
「凄い一撃だったねー」
「…ヒデエ、ちょっとだけ、あいつに同情した」
『あるじ、かっこいいー』
一部を除く称賛の声に、マーチ君とハイタッチを交わしてから手を振って応えます。
「しかしあのような神出鬼没な動きを良く見切れたな」
「まあね、前に似た動きをする敵と戦った経験があるから」
台所に出没していた黒いGとは丸めた新聞紙を片手によく戦ったものです。
そうこうしていたら。
おや!?ガニメデスの様子が・・・!。
「…僕を…馬鹿にするなっ」
小さな呟きと共に起き上ったその顔は、鼻血を出した間抜け面なんですが何やら迫力があります。
そのうえ声まで低くて暗いものに変わりました。
圧し殺した分、迫力が半端ないです。
「お前ら全員殺してやるっ」
拳で鼻血を拭きながら此方を睨むその眼はギラギラとした、まるで肉食獣のような剣呑な光を宿しています。
「何だ、こいつ?」
「突然に人が変わったようだ」
「うん、まるで別人だね」
ガニメデスの変貌ぶりにウェル達が気味悪げにその顔を見つめます。
「…やっぱりですか」
これだけのことを企んだ割に、実際に会ってみた教皇からの小物臭がハンパないので不思議ではあったんですよね。
やれやれとため息をつく私に、皆が怪訝な顔を此方に向けます。
「ガニメデスについての調書にこんな記述があったんです。普段は明るく子供のように素直なのに、一度激高すると人が変わったように見境がつかなくなると。他にも突然の記憶の欠落、行動の多重化。つまり人格変化です」
それはある一定の条件下に置かれると無自覚に主人格と副人格が交換することです。
虐げられた環境に長く置かれると、その辛さから逃避するために別人格が誕生するのは心理学でもよくみられる症例ですね。
有名なところでは虐待児だったビリー・ミリガンという男性の中には24人分の別人格が混在していたそうです。
「えっと、つまり…」
困ったように首を傾げるサミーに簡単に結論を伝えます。
「おめでとう!教皇は闇教皇にしんかした!…ってところでしょうか」
「ラスボスだけじゃなくて裏ボスも居たってことか。まあ、教皇といったら二重人格がお約束だし」
「ああ、双子座の人ですか」
「そ、でもあの作品のおかげで肩身が狭かったんだ。俺、蟹座だから」
「蟹座の人あるあるですねー」
と、そんな地球話で盛り上がっていたら。
「トアっ!」
ウェルに抱きかかえられたまま後方に飛び下がります。
次の瞬間、私がいた場所の床が大きく切り裂かれました。
「殺してやる、殺してやる、殺してやる」
錫杖を構え不気味にそんな言葉を繰り返す闇教皇。
真の教皇ではないと馬鹿にされ、冷遇され続けた日々が生んだもう一人のガニメデスですね。
自分を蔑む者、意に反する者を悉く粛清し神国を思う通りに支配する。
歴代の教皇を次々と暗殺したのもコンプレックスの裏返しです。
何故なら彼らはガニメデスと違い、正しく選ばれた真の教皇だったからです。
悪いことにコンプレックス解消は神国内だけでは収まりませんでした。
自分よりも下の者(この場合は他種族ですね)を置き、自分がされたように…いえ、それ以上に迫害する。
種族ランキング最高位の魔族を目の敵にして、その存在を抹消すべく侵略戦争を仕掛ける。
これまでのことは、表のガニメデスがこうなれば良いと考えたことを裏のガニメデスが実行していった結果でしょう。
「…僕を馬鹿にするなっ、僕を馬鹿にするなっ」
壊れた機械のように同じ言葉を呟き、見境なく錫杖を振るう闇教皇。
無秩序に放たれる魔法が周囲の壁を次々と破壊してゆきます。
時折、哄笑を上げて魔法を纏わせた錫杖を振るう彼の眼には私達の姿すら映ってはいないようです。
「まるで狂人だな」
呆れるウェルの言葉に私も頷きます。
既に彼は壊れてしまっていたのでしょう。
他人を憎み、恨み続けた120年という長い時間。
そんな心持ちで寿命以上の日々を過ごせば、どんな者だろうと正常でいられる訳はありません。
表の彼が辛うじて保っていた箍が外れ、今はただ敵を葬るだけの傀儡と成り果ててしまっています。
「みんな死ねっ、みんな消えてしまえっ!」
叫ぶなり闇教皇が手にした錫杖を振り被り、その先を床へと叩き付けます。
「…これはっ」
物凄い勢いで周囲の空気が渦巻いてゆくのを感じます。
同時に錫杖の先から溢れた魔力が召喚陣に注がれて、床全体が赤い光で満ちてゆきます。
「空間が歪んでおる」
「魔法陣が起動するよっ」
「マジかっ!?…でもさっきトアさんに向けた攻撃で床の一部を壊したよな。あれでちゃんと起動するのか?」
御尤もなカナメ君の言に、誰もの顔色が変わります。
「確かに…不完全な陣への過度な魔力注入は爆発の危険が大きいです」
「って冷静に言ってる場合じゃないだろっ」
「そうだよ、早く逃げなきゃ」
真っ青になって言葉を綴るカナメ君とサミーに向け、緩く首を振ります。
「このままだと吹き飛ぶのは神国だけでは済みません。此処にあるのは次元に作用する転移の魔法陣です。最悪、召喚陣がブラックホール化して…この世界ごと次元の狭間に吸い込まれて消滅します」
「う、嘘だろーっ」
頭を抱えるカナメ君の横でウェルが問いかけます。
「ぶらっくほーるとやらが何か分からぬが、アーステア全体に危機が迫っておるのだな」
「そうだね」
「それを阻止する手立てはあるのか?」
「あることはあるけど…失敗する可能性の方が高いよ」
「構わぬ。私はトアを信じているからな」
凛然と言葉を綴るウェルに、私も覚悟を決めます。
神様…私に力を貸して下さい。
私はこのアーステアという世界が大好きです。
同じくらい大好きな人達が暮らす場所だからです。
そんな世界を守る力を下さい。
心の中でそう祈ると、大きく息を吸って歌い始めます。
曲は…ジュ〇ター。
これは1920年に初演されたグスターヴ・ホルストの「木星」(管弦楽組曲『惑星』第4曲)をモチーフにして作詞された荘厳な歌です。
私達は誰も独りではないと、出会えた奇跡に感謝を捧げる歌です。
旦那が死んだばかりの頃、よく一人でカラオケで歌っていた曲の一つです。
懐かしいですね。
この歌の力で暴走する召喚陣の力を相殺します。
1番の歌詞が終わったところで突然、胸の【言伝の双晶】からたくさんの歌声が響いてきました。
どうやら私達のことを案じていた人達にメルさんが一部始終を中継してくれていたようです。
それで急遽、少しでも私に力になればと合唱で参加となったようです。
お気に入りの歌だったので、私が関わった国で教えて回った所為でしょうね。
聞き覚えのある声が響いています。
サム君の演奏に合わせての歌声は…マロウさん、セーラさん、シャオちゃん、マリキス商会のみんなですね。
カレンさんを始めとするデラントの街の皆さんに続くのはローズさんたち王都の商業ギルド職員さん。
あ、こっちはリンナちゃんをリーダーとするアイドルユニットの子達です。
渋めのテノールは…竜騎士と近衛団の人達ですね。
同じく低音の魅力炸裂なのは、魔王さまと魔将軍の皆さん。
その中で一際美しく響くソプラノ…こっちは王妃さまとアンナレーナ様。
遠くから歌詞なしのスキャットでの参加は歌巫女さん達ですね。
さすがは本職、初めて聞く歌でもちゃんとついてきてます。
本当に心から感謝です。
人々の想いを乗せた歌。
2回目を歌いながら、それが空間いっぱいに広がりキラキラと光の結晶となって降り積もる様を眺めます。
「これは…」
「綺麗だねー」
「ああ、凄いな」
『やっぱ姐さんは最高ですぜ』
『あるじー、がんばれー』
キョロちゃんの応援に笑みを返すと、心を込めて最後のフレーズを口にします。
光の結晶によって召喚陣がすっぽりと包み隠された時、それは起こりました。
まるで波に消える砂城のように、静かに周囲の床や壁が消えてゆきます。
その光の中で子供のように笑っているガニメデス。
彼にもやっと心の平穏が訪れたのでしょうか?。
光と共に消えてゆく彼の冥福を静かに祈ります。
次は幸せな一生を送れますように。
「暢気にしている場合ではないぞ、トアっ」
「はい?」
「此処が完全に消えたらどうなるっ」
「上が落ちてくるよね」
サミーの言葉に、そうだとウェルが頷きます。
「ってか分かってんならさっさと逃げろよっ!?」
怒りまくってるカナメ君とマーチ君を乗せたキョロちゃんを先頭にサミー、私を姫抱きにしたウェルが脱出を図ります。
「急げっ!」
「わあ、天井が落ちてきたっ」
「もうダメだぁ!」
悲痛な叫びを上げるサミーとカナメ君に、ほわんとした声が掛けられます。
『なあに、そんなに慌てて』
見ればドラゴン姿のイブさんが、前足で崩れかけた天井を支えてくれていました。
「ありがとうございます。イブさん」
『お礼はフィナンシェでいいわ』
うふっと笑う様はドラゴンでも綺麗で可愛いです。
「はい、たくさん焼きますね」
『よろしく~』
軽くウィンクをするイブさんのおかげで、何とか命を拾った私達でした。
はー疲れた。