110、神罰と生活習慣病
「ダンノ枢機卿さまがお呼びです」
「はい?」
翌日の朝食後、ランナーサさんがそう声を掛けてきました。
首を傾げる私に申し訳なさそうな目を向けてからランナーサさんが言葉を継ぎます。
「北の7号室です。行き方は分かりますか?」
「ええ、昨日の案内で神殿の構造は把握しましたから」
「ではすぐに向かって下さい」
「はい、分かりました」
会釈をしてから執務エリアのある北ブロックに向けて歩き出します。
「早速、呼び出しか」
「そうだね、昨日のことを言い付けた人がいるみたい」
軽く肩を竦める私とウェルの会話に、大丈夫なのかとカナメ君が入ってきました。
「目を付けられたら動き難くなるんじゃ」
「いえ、それは大丈夫です」
「へ?」
「どういうこと?」
自信たっぷりに言い切る私に、カナメ君だけでなくサミーも不思議そうな顔をします。
「神殿にいる枢機卿は全部で12人。そのうち何とかまともなのがエンジュさまとカルロさまの2人。残りの10人は、はっきり言って居ない方が余程マシの俗物です。なので全員、更生か排除のどちらかを選んでもらいます。それに必要な個人情報はレリナさんの同僚の暗部の人達からたっぷりもらっていますし」
そうニッコリ笑ったら、3人とも恐怖に満ちた目でこっちを見ます。
酷くない。
「失礼します。お召しにより参上いたしました。歌巫女のエルーラでございます」
「入るが良い」
声が掛かったところで淑女の礼を取り、中へと歩を進めます。
「…そなたがエルーラか」
小馬鹿にした様子で此方を見るのは三段腹のオっさん。
向けられた顔は脂ぎっていて、首の肉に埋まってしまって顎が行方不明です。
絵に描いたような見事な肥満体…メタボリック此処に極まれりですね。
「随分と不遜なことを口にしたそうだな」
「不遜ですか?」
不思議そうに首を傾げる私をオッさんが舌打ちの後で睨み付けます。
「神国のやり方に異を唱えるなど、神に対する冒涜である。その責めはお前だけでなく親兄弟にも及ぶのだぞっ」
「…なるほど、そうやって人質をとって巫女達を脅迫していた訳ですか。それで自分の妾にしたり、夜伽を強要したり。まさしく遣りたい放題ですね」
暗部の人から受け取った報告書を読んだ時は唖然としましたよ。
尊い歌巫女が与える『情け』は最上級のもてなしだとかで、各国要人が神国に来た時、巫女を寝所に向かわせるのが通例だそうです。
まったく、呆れて物も言えませんよっ。
「な、何をっ」
「あなた方がしていることの方が神に対する冒涜ではないですか?」
「ぶ、無礼なっ。この者を捕らえよっ」
私の言葉に激高して椅子から勢い良く立ち上がったオッさんでしたが。
「ダンノさまっ」
途端に立ち眩みを起こして倒れ掛かり、慌てて御付きの者や護衛兵が側に駆け寄ってゆきます。
「どうやら神罰が下ったようですね」
「し、神罰だとっ」
「はい、神国に来る前に神よりお言葉をいただきました。『我が心に背く者に神罰の病を与える』と」
「そ、そんなことが…」
動揺しつつも疑いのこもった目で此方をみるので、ならばと追い打ちをかけます。
「ダンノさまは最近こんなことが起きませんか?頭痛、息切れ、吐き気、そして時々起こる胸の痛みです」
「それは…」
思いっきり心当たりがあったようで、顔色が変わります。
「それこそが神の御心に背く行いをする者が罹る病である証です。御疑いなら治癒院に行くか鑑定持ちな者にご自分を見てもらうと良いです。他の枢機卿さまや各神官長さまも御一緒になされば私の言葉が真実だと判るはずです」
「神罰の病…だと」
「はい、先頃お亡くなりになったユゲス神官長さまもそうでした」
ユゲスとは30人いる神官長の1人で、2ヵ月前に突然倒れてそのまま意識が戻ることなく亡くなったそうです。
状況や症状から考えると死因は心筋梗塞のようです。
美食家なうえに酒好きで有名な人で、毎日浴びるようにお酒を飲んでは高カロリーな食事ばかり取っていたそうですから無理もありませんね。
その唐突な死に、最初は毒殺が疑われたそうですが。
いくら調べても毒は発見されず、病だとしても見たことも聞いたことも無い原因も不明なものだった為、呪いにより殺されたのではないかと今も恐れられているそうです。
「そ、そんなことが…」
愕然とするオッさんに、確かめるのなら急いだ方が良いですよと伝えたら真っ青になって御付きの人達を引き連れて部屋を出て行きました。
治癒院にいるサラさんとは手紙で打ち合せ済みですから、上手いこと話を合わせてくれるでしょう。
生活習慣病の恐ろしさを思い知るといいです。
「さて、私達は戻りましょうか」
無人となった部屋を出ようと声を掛けたら。
ウェルは何故か得意げに、サミーは楽しそうにこっちを見てますが、カナメ君は何やら考え込んでいるようです。
「さすがは私のトアだ」
「うん、凄いねー。言葉が武器とは知ってたけど、こうも簡単に相手を丸め込むなんて」
「剣を使うだけが戦いじゃないって言われたけど…言葉が通じる相手だったら無敵なんじゃないか」
何やら失礼なことを呟いてますが、此処はスルーしておきます。
「私としては無敵と言われるより素敵の方がいいですけどね」
そう軽口を返してから塔へと向かいます。
最上階が歌場ではありますが、その下の階も修練場として使えますので歌の練習をしましょう。
これでも一応、歌巫女ですから。
「た、頼む。神罰の病はどうしたら治るのか教えてくれっ」
「私もだっ」
「まだ死にたくはないっ、助けてくれっ」
翌日、今日も練習をしようと塔に向かっていたら途中で6人のオッさんに取り囲まれました。
「治癒院のサラレノアが言うには、この病は治癒魔法では治らぬと」
「それどころか治す薬も無いと」
「神罰の病を治す方法は、その神託を受けた巫女だけが知っていると言うのだ」
誰もが真っ青な顔をして必死です。
どうやら相当、サラさんに病気のことで脅かされたようです。
調べたら自分達が命に関わる病になっていたこと。
しかもその病には枢機卿や神官長など神国の上層部の者しか罹っていないこと。
この事実に本当に神罰の病だと思い込んだようです。
まあ高カロリーな食事を続けることなく、毎日額に汗して働く庶民には無縁の病気ですからね。
ちなみに見た目を気にする巫女さん達は食べ過ぎて太ることを恐れて、そう多くは口にしなかったようで罹った人はいませんでした。
「簡単なことです。経典にある『己の分を知れ』此方を厳守すれば良いのです。贅沢を止め、食事を簡素にし、お酒を慎み、良心に恥じない暮らしをし、神と民の為に身を粉にして働くのです。その働きを神が認めて下されば病は治ります」
バランスの取れた食事と適度な運動、規則正しい生活。
生活習慣病の治療にはこれが一番です。
「それとこれが一番大事なこと、今まで迷惑を掛けた人々に誠心誠意謝罪をし奪ったものをきちんと返すのです。自分がやられて嫌なことを人にしない。してしまったら謝る。幼い子供でも出来ることです。徳の高い枢機卿さま達に出来ないはずはありませんよね?」
ニッコリ笑って見返してやれば、何故か全員が震え上がって千切れんばかりに大きく首を縦に振ってます。
素直でよろしい。
「それと治す一番の早道は神の教えを広める為に布教に出ることです」
「ふ、布教だと」
「はい、未だ教えを知らずにいる土地に出向き、神の恩恵について説いて回るのです。それは大変な苦難を伴います。ですが皆様の働きを神は常に見ておいでです。艱難辛苦の末に教えを説く姿に神も大いに喜ばれ、きっと病を治して下さるでしょう」
私の言葉にオッさん達が集まって何やら相談しています。
ウェルが風魔法を使い、こっそりオッさん達の言葉を拾ってくれました。
『布教か…』
『だが良いかもしれん。何、それらしい行いをしておけば良いのだ』
『質素な生活を送るくらいなら布教の方が楽ですしな』
『ああ、外遊だと思えば容易いことよ』
『体裁を整えれば、後は好き勝手に出来るぞ』
『神の使徒たる我らを蔑ろにするような愚かな国家はあるまい』
『サクルラ国辺りはどうだ?あそこは色々と面白そうだ』
『おお、それは良い』
何処までも腐ってますねー。
ま、予想の範疇ですけど。
「では布教に赴くことを教皇様に届け出て下さい。他にも行かれる方がいらっしゃいましたら、その方達も御一緒にまた私の下にお集まり下さい。神からのお言葉をお伝えいたします」
「わ、分かった」
私の言葉に大きく頷くとオッさん達は足早に執務エリアのある北へと走ってゆきました。
「さて、カナメ君」
「は、はい」
直立不動で怯えなくていいですよ。
貴方をどうこうする気はないですから。
「オッさん達が戻ってきたら、この手紙を持ってサンダー君とこの場所に一緒に向かって下さい」
「へ?…え、でも此処って」
「いいですね?」
ニッコリ笑ってみせれば、はいぃっと上擦った声を上げます。
良いお返事です。
借金返済の為にせっせっと働きなさい。
で、その日の昼過ぎにオッさん達が部下の神官長達を連れてやって来ました。
総勢で25人。
それでは仕上げと参りましょうか。
「では神のお言葉をお伝えします。『精進せよ』以上です」
言うなりオッさん達の周囲に光が満ちます。
強くなった光に誰もがたまらず目を閉じた時、光が弾けてオッさん達の姿が煙のように消えてしまいました。
どよめく残された御付きの人達。
「これが神の奇跡です。枢機卿さま達は神の手により布教の地へと向かわれました。皆で祈りましょう。務めを終えて無事に此処に戻ってこられることを」
そういえば、今の奇跡に驚き恐れていた人達が跪いて祈りを捧げ始めます。
「凄いね、イブさん」
「うふふ、私の魔法もなかなかのものでしょう」
サミーに尊敬の眼差しを向けられ、得意げに胸を張ってみせるイブさん。
うん、大変可愛らしいです。
種明かしをしますと、イブさんの光魔法で辺りを照らした後、風魔法でオッさん達をまとめて街の外れまで飛ばしてもらいました。
飛ばされた先にはウェルが待っていて、同じく風魔法で受け止めてから私作の強力睡眠薬を振り撒いて眠らせます。
で、縄付きの大きな箱にオッさん達を入れて、それをサンダー君が吊るして目的地まで一気に飛んでいってくれる手筈です。
高速宅配便ですね。
カナメ君はその付き添い兼、見届け役です。
「でもちょっと同情するわぁ。あの人、礼儀には凄くうるさくて厳しいのよ。神官の務めを疎かにしようものなら…地獄を見ることになるわ」
「だからですよ。あの腐った性根を徹底的に叩き直して下さるでしょう」
そう言って笑えば、確かにねーとイブさんも笑顔を浮かべます。
オッさん達が向かった先は…竜人国の首都ルゼにある本神殿。
その中にある神官さん達が修行に励む修練場です。
ちなみに其処の最高教官は魔性の女ことティール神官長さま。
神官の在り方についてはメッチャ厳しい人で、どんなダメ人間でも此処での修行を終えた者は何処に出しても恥ずかしくない立派な神官となるそうです。
何しろ鍛えている時の口癖がこれですから。
「話しかけられたとき以外は口を開いてはいけません。話す前と後に“Ma’am”と言うのです。分かりましたか、ウジ虫ども!」
オッさん達、ガンバです。