102、治癒師と魔王
「ところでルーナスさん」
「は、はい」
そんな怯えた目でこっちを見なくて大丈夫ですよ。
取って喰う訳じゃありませんから。
「どうしてこの腐れ勇者の面倒をみたんです?それも120年も」
「それは…ずっと叔父様のような治癒師になれと言われていましたから」
おずおずと開かれた口から出た話によると、ルーナスさんを引き取って育てた叔父は高名な治癒師で、そのポリシーは
『損得に左右されることなく、人を助ける』 だったとか。
その言葉通りに貴賎に関係なく自分の患者となったら利益度外視で治療をしたそうで。
赤ひげみたいな気骨のあるお医者様…もとい治癒師さんだったんですね。
「それは叔父さんから言われたんですか?」
「いえ、叔母様や兄弟子の方達からです。誰もが叔父様を最高の治癒師と称え、叔父様が急死されてからはその血を引く私もその名に恥じない立派な治癒師になるようにと言い聞かされていました」
うーん、それは軽い洗脳じゃないでしょうか。
魔族とのハーフで魔力が豊富な上に治癒の才があったルーナスさんに周囲が期待するのは判りますが。
「その言葉に従い、ルーナスさんは患者認定した腐れ勇者をずっと助けていた訳ですね」
「はい、患者が自ら立ち上がって暮らせるようになるまで傍らに在るのが治癒師の役目と言われましたから」
大きく頷いてみせるルーナスさん。
「そ、そんな…」
おや、その姿に何やらショックを受けたようで腐れ勇者が打ちひしがれています。
ルーナスさんの献身は、自分に惚れているからとでも思ってたんですかね。
私だったら女の稼ぎを当てにして、自分の都合を優先するような男は真っ平御免ですけど。
それを薄いオブラートに包んで言ってやったら、腐れ勇者がピクリとも動かなくなりました。
そこで蹲られると邪魔なんで退いてもらっていいですか。
「ひでぇ」
「それはあまりにも…」
「不憫だな」
「……………」
後の方でフォルフス君とガルムさんにバードスさん、バンデルトさんが
引き攣った顔でこっちを見てますが気にしません。
「その教えは立派ですが…でもそれは周りに言われたからですよね。ルーナスさん自身の望みは何なんです?」
その問いにルーナスさんは虚を突かれたような顔をします。
「私の…」
「ええ、今のままだとルーナスさんが本当に遣りたいことにならないでしょう」
常日頃から叔父のような治癒師になれと言われ続けていたルーナスさんに他の選択肢を選べたとは思えません。
立派な治癒師になる…それは自らの望みではなく、育ててくれた叔父さんへの恩返しと周囲の期待に応えようとしただけでしかありません。
「当の叔父さんは何と言っていたんです?」
「叔父様は…治癒師になることは止めないが、お前は好きに生きて良いんだぞと。そう言っていました。…私は間違っていたんでしょうか?私は…」
指摘されたことにルーナスさんは酷く戸惑った様子で頭を振ります。
「済みません。混乱させてしまいましたね」
謝罪の言葉を綴ってから、でもと言葉を継ぎます。
「私には大好きな言葉があるんです。故郷のフランスという国の言葉で『アール・ド・ヴィーヴル(Art de Vivre)』というんですけど。意味は『自分らしく生きる』です」
「自分らしく…」
「ええ、そんな風に生きられたら最高だと思いません?ですからルーナスさんもよく考えてみて下さい。貴女が心から遣りたいことは何なのか。それを叔父さんも望んでいるはずですから」
「…はい」
私の言葉にルーナスさんは静かに頷きました。
「まあ、その…元気を出せ」
石のように動かなくなった腐れ勇者の肩を、ポンと叩いて魔王さまが慰めます。
「ま、魔王っ」
のろのろと顔を上げ、相手が魔王さまと気付いて今更ながら慌ててます。
そんな腐れ勇者に笑みを向けてから、魔王さまは凛とした声で言葉を継ぎます。
「1万2千319だ」
「え?」
唐突に告げられた数字に怪訝な顔をしますが、続いた話に勇者の身が強張ります。
「そなたがもたらしたと言われる勇者病に罹って死んだ者の数だ。病を完全に撲滅するのに110年かかった為にこの数となった。そしてその何倍もの数の遺族が悲しみの涙に暮れた」
「お、俺は…」
具体的な被害者数を示されて、漠とした罪の意識が現実のものとして圧し掛かってきたのでしょう。
顔を青くして震えています。
「だが病はそなたが知らぬことだったと聞く。よって魔国は勇者にその罪を問うことをしない。これは魔族の総意だ」
「で、でも俺が魔国に行った所為で…」
「我らは魔族である。自らの強さに誇りを持っている。その誇りにかけて年端も行かぬ子に責を負わせたりはせん」
きっぱりと言い切る様は凄くカッコ良いです。
さすがは最強種族の王。
「…それで良いのか」
信じられないと言った顔をしている勇者に、魔王さまの意図を教えてあげます。
「魔族は『ものの憐れ』を知る方達ですからね」
「え?」
不思議そうにこっちを見るので詳しく説明します。
「それは憐憫と言われるものです。弱い者や小さい者を何の打算も無く、傲り高ぶった優越感も無く、ただひたすらに気遣い、愛おしみ、相手の想いに共感するのが憐憫という感情です。これには掛け替えの無い気高さがあります。何故なら無償の『憐れみ』は、生き物の本能。例えば食欲や睡眠欲といった自己保守のような自然な感情ではなく、精神から生まれる感情だからです。魔族には『弱き者は守る者』と言う考えが根付いています。それを実行するだけの強さと優しさを持っているんです。だからこうして遥々魔国からやって来てくれました。貴方のことを許すと伝える為に」
私の話に愕然とした顔をしてから勇者が魔王の前で膝をつきます。
「…ん…さい。…ご…めん…な…い。ごめん…なさいっ」
しゃくり上げながら必死に謝罪の言葉を綴る勇者の背を、よしよしとばかりに魔王さまが撫でてゆきます。
「そなたは悪意に利用されただけの子供だ。だが人はいつまでも子供のままではいられぬ。そなたも大人にならねばな」
まさしく魔王さまの言葉通りですね。
まだ精神が未発達な子供は『憐れむ』ことを知りませんから、結構残酷なことを言ったり、やったりします。
ですが心の成長に従い、人はだんだんと『憐憫』の意味に目覚めてゆきます。
他人を思いやるということが出来るようになります。
勇者にはそれを目指してもらいましょうか。
それが出来るようになれば、自然とドラゴン被害にあった人たちへの贖罪も自分から出来るようになるでしょうから。
「はい、お代わりはたくさんありますからね。どんどん食べて下さい」
あれから孤児院の子達に別れを告げ、町外れの草原で遅めの昼食会となりました。
メニューはみんな大好きカレーライスです。
「右から魔牛、魔猪、コッケ肉、野菜、シーフードのカレーになってます。左端のは激辛ですから注意して下さい」
私の説明に頷きながら各自、好みのカレーを器に盛ってゆきます。
「…カレーだ。夢にまで見たカレーだっ」
泣くのか食べるのかどっちかにして下さい、勇者。
「野菜とシーフードを半分ずつにして食べるのが一番好きだわぁ」
「そうか?私は全部乗せた方が美味いと思うが」
スプーンを優雅に口に運ぶイブさんの隣で、ウェルが大皿に山盛りにしたカレーを相手に奮闘してます。
「美味しいわね。やっぱりカレーは最高だわ」
「そうですね。…姉さま」
「うっふ、こんな可愛い妹に会えて嬉しいわ」
「……………」
頬を染めるルーナスさんを構い倒すテンサリーヌさんの横では、バンデルトさんが黙々とカレーを口に運んでます。
言葉はありませんが笑顔なので美味しいようです。
「んだこれぇぇっ」
火を噴きかねない絶叫を上げるのはフォルフス君。
注意したのに激辛に挑戦して、敢え無く討ち死にしたものとみえます。
「そうか?美味いと思うが」
「ああ、これくらいの辛さが丁度良い」
その激辛カレーを平気な顔で食べてるのは辛い物好きの竜人族コンビ。
「おまへら、どっひゃおかひいぞ」
辛さで舌が回らなくなったようで意味不明な言葉を口走ってますが、その前に水を飲んだ方が良いと思いますよ、フォルフス君。
「父上はこれからどうされるのですか?」
「うむ、あまり城を空けると宰相がうるさいからな。デラントの町で買い物をしたら帰るぞ」
言いながら魔王さまが懐から買い物メモを取り出します。
「これを全部買って帰るのですか?」
呆れるサミーに、ああと少し疲れた顔で魔王さまが頷きます。
失礼して横から覗かせてもらうと、化粧品とお菓子の名がびっしりと書かれてます。
「一つ残らず必ず買ってくるよう厳命されたからな。ほれ、こうして王妃から家宝のアイテムバッグを2つとも渡された」
言いながら指し示すのは黒と茶のカバンです。
気合入ってますね、王妃様。
何と言うか…海外出張に行く夫にブランドのバッグや化粧品を頼む奥様方と変わりないですね。
ちなみに国宝には、もっと性能の良い時間停止の付いたバッグがありますが私用では使えません。
公私混同をしないところはさすがです。
「それは我々もです」
笑いながら他の人達も買い物メモを見せてくれました。
バードスさんは娘さんのアウラちゃんへのクレヨンや折り紙にお菓子。
奥様へは化粧品ですね。
フォルフス君は祖母さんへのお菓子や持ち帰り用のラーメンや瓶詰め。
テルガエフさんも家族用と留守番役のベリンガムさんから頼まれた菓子各種。
バンデルトさんとテンサリーヌさんも家族や友人用にいろいろと買い込むようです。
ずっと鎖国状態でしたから、こうした物への渇望は半端ないですね。
「我らも同じようなものだ」
「ああ、神官長直々にチョコ菓子を買ってくるよう仰せ付かった」
「俺はプリウスからだな。竜人国でも売り出しが始まったが、大人気でなかなか手に入らないとキレていた」
薬師ギルドのギルマスでもそれですか。
竜人国でチョコは深く愛されているんですね。
来月の出荷量を増やしておきますか。
「でしたら商会の筆頭に手紙を書きます。それを見せれば出来る限りの便宜を図ってくれると思いますから」
「おおう、それは助かる。買い漏らしたらワシの命に関わるのでな」
そんな必死な顔しなくても…いや、あの王妃様なら遣りかねないか。
「空いた時間を使い屋台街を巡ってみて下さい。どれも美味しいですよ」
「うむ、それは私が保証する」
我が事のように胸を張るウェルに、魔族+竜人族の皆さんが実に嬉しそうに笑い合います。
はい、楽しんできて下さい。