第3話 些細な私の、我侭な思い出
『マリア、お前に話があるんだ』
『何、お父様?』
ある日の朝食の席。
お父様とお母様、そして私の三人で朝食を取っていた時の事。
普段は柔らかい表情をしているお父様が、今日に限ってはとても真面目な顔をしていたのだ。
何だろう、とその時の私は首を傾げていた。
ハイパー幼女モードの私に、何をそんな表情をしているのだろうと、疑問に思っていたから。
そんな私に、お父様はゆっくりと、言い聞かせる様に語りだす。
それは、ある意味私のそれまでの人生で一番の衝撃であった出来事だった。
『お前に、婚約者ができた。
チャーチル公爵のご子息だ。
これは、とても名誉な事なんだよ」
『……え?』
思考の空白地帯に、そのセリフを聞いた途端に私は侵されていた。
頭の中が真っ白で、考えている事が全然纏まらなくて。
何でこんな話になってるんだろうって、どこか混乱している私を、冷静な私が見ていた。
そして、あわあわしている私に、お父様がトドメにこんな言葉を発したのだ。
『丁度、今度会う事になっている。
ご子息にあったら、しっかりと挨拶をするんだぞ。
今日から、ご挨拶の練習をしておこう』
そう言って、お父様は真面目な表所を崩して、安心させるように微笑んだ。
けど、私にとってはそれは処刑宣告に等しくて。
私の中身の問題もあるのだから、とても男の人と付き合ったり結婚したりするのは不可能だって思っていたのだ。
それが唐突なこれである。
ふざけているのか、冗談じゃない!
強くそう思ったのも、ごく自然の事象であったといえよう。
『おとう……さま、の』
『マリア?』
声を震わせながら俯いている私に、お父様は怪訝そうに声を掛けてきて。
心配そうに、顔を覗かせてきていた。
だけれど、それよりも前に、私は顔を勢いよく上げた。
上げて、キッとお父様を強く睨みつけたのだ。
『お父様の、バカァ!!!!』
『んなっ!?』
酷く驚愕した顔を、お父様も、お母様もしていた。
それは多分、私が滅多に我侭も言わなくて、普段は大人しい子だったからだろう。
それがまさか、多くの令嬢が通る道である婚約者というものに拒否反応を覚えるなど、誰が想像できたのか、とそんなところか。
我ながら大人気がなかったと思っている。
けど、その時は自分の運命を決定できない小さな子供で、精神も肉体に引っ張られてたのだろう。
自分の無力さを噛み締めていた子供だから、余計にそんな決まりごとに反発したのだと思う。
『私、ずっとずっとこのおうちにいるんだからね!
お父様とも、お母様とも、ぜったいに一緒に暮らすの!!
お父様とお母様と一緒に暮らすんだからぁ!!!』
『マリア……』
お父様はちょっと感動した様に目を潤ませて、でも困ったような顔をしていて。
お母様も戸惑いながらもお父様と殆ど一緒の表情をしていた。
嬉しいけれど、困ったなって顔をしていて。
お父様とお母様は顔を合わせ合って、どうしようかと思案しているようであった。
だから私は脈があるかな? とこのままゴネて誤魔化そうって画策して。
私は調子に乗ってこう続けたのだ。
『私、婚約なんて嫌。
今すぐ無くして欲しいの、お願いお父様!』
上目遣いで、お父様をじぃっと見上げた。
そうすることで、甘いお父様は私のお願いを叶えてくれるような、そんな気がしたから。
結婚なんかせずに、この家にずっと居ることが出来ると思ったから。
正に、子供の様なわがまま放題で、私はお父様に頼み込んだのだ。
……けれども、
『マリア、女の子はね、何時かお嫁さんになるのよ。
私もそうだったわ、最初は不安だった。
でもね、この人は決して私を無碍になんか扱わなかった。
キチンと幸せになれたわ。
だからねマリア、怖がる必要なんてないのよ』
お母様が、そんな乙女っぽいことを言って微笑んで。
お父様も、安心したように一つ頷いてお母様に笑いかけていた。
……ちょっとホッコリしてしまったが、即座に私は頭を振った。
だって私は、普通の女の子ではないのだ。
普通じゃないから、やはり問題を感じていて。
冗談じゃないって、思ってしまっている気持ちは消えてないのだ。
『……いや、よ』
『マリア』
お父様は今度は困った顔だけをしていた。
本当に困らせているって、直ぐに理解できてしまう表情。
客観的に見て、この時の私はどうしようもない程に聞き分けのない子供で。
お母様も、どこか厳しい顔をし始めていた。
うん、どこからどう考えても、私が悪い。
ここは、会ってみるだけなら……と譲歩をしておけば良かったと、今なら思っている。
けど、この時はそんな余裕なんかなくて。
『マリア、あまり我が儘を言わないで』
ちょっとお母様に厳しい口調で叱られただけで、私の心の堤防が呆気なく決壊してしまったのだ。
『お父様もお母様も大っ嫌いっ!』
そう言い切って、私は朝食も食べきらずに食堂を後にしてしまった。
本当に、ただの子供みたいな真似をしてしまったと、今更ながらに後悔している事。
食堂を出て行く時に、崩れ落ちるお父様と、呆然と立ち尽くしているお母様の姿が、ひどく瞼にこびり付いた。
そんな、幼き日の出来事、私の記憶のひとかけら。
「っん」
朝の眩しき太陽が、燦々と降り注ぐ中で、私はゆっくりと瞼を上げた。
今いる場所はベッドの上で、何だか懐かしい気持ちに私は支配されていた。
それもこれも、さっきみたもののせいだろう。
「ほんと、あの時の私はダメだったわね」
起きて早々、溜息を吐いてしまう。
けど、これ以上考えても仕方ないと言わんばかりに、寝巻きから制服へと着替えていく。
だけれど、私はこの時に気付くべきだったのだ。
何故、今更こんな夢を見てしまったのかと、そういう事を。
何かの予兆ではなかったのかと、そう考えが巡らなかったことを、私はこのあとちょっぴりと後悔することになる。
そんな朝の、些細な出来事。
――私は今日、彼と再会う。
夢で昔を思い出していくスタイル。
多分、これからも昔の回想をする時は、夢という形を使っていくと思います。