第1話 乙女ゲー主人公は平凡にあらず
「起きたのね、アスキスさん」
どこか胡乱な目を向けながら、養護教諭である女医が声を掛けてきた。
確か苗字は、リールだったと記憶している。
上の名前までは、流石に覚えていない。
というより、先生の名前を全てなんて覚えていられないのだ。
それはさて置き、今は目の前のリール教諭の相手をしなければ。
そう思い、胡乱な視線に怯みながら、私は返事をした。
「……おはようございます」
「はい、おはよう、アスキスさん。
よく寝ていたわね」
「お陰さまで」
窓から見えるのは夕焼け。
リール教諭の言う通り、私は結構な時間を寝て過ごしていたようだ。
あと一時間もすれば、空は夕闇に呑まれるだろう。
「あ、あの」
「何?」
そんな中で、どうにも教諭の胡乱な視線が気になって。
つい、声を掛けてしまった。
言わずもがな、私のあの姿の事を聞いたのであろう。
「やっぱり、あの話は聞いてるのですか?」
あの話、あの姿、要するに魔法少女な私について。
本当はこんな事を聞かずに、臭いものには蓋をしておきたかったのだけれど、そうはいかないのが現状。
貴族達の間で噂が広まるのは早い。
それが令嬢方ならば、あっという間である。
だから、心の準備をしておく為に、いやいやでも聞いておかないといけなかったのだ。
すると、先生の胡乱な目つきが、ふっと緩んだ。
もしかしたら、起きて早々に変なことを言ったから妙な目を向けられただけで、今回は大丈夫かも、とそう思えた……けれども。
「良かったわ、あの真面目なアスキスさんが急に奇天烈な姿になったと聞いて心配したけれど、何時もの貴女のようね。
精神的に疲れているかとも思ったけれど、見たところ大丈夫そうだし、うん」
一瞬で、希望が粉々に打ち砕かれる。
希望は容易に絶望に反転するというのは、何時の世の中でもお約束らしい。
おうふ、と天を仰いで、そんなお約束を作ったであろう神に私は囁いた。
”何時か覚えておけ、同じ目に合わせてやる”と。
まぁ、神からすれば、小童の声など全く聞こえないであろうが。
というか、報復が怖いから、素直に聞き届けないで欲しい、切実に。
と、それよりも、今は聞かなければならない事がある。
……非常に、気が重たい話だけれど。
「その、私が奇天烈な姿になったって、広まっているのですか?」
「えぇ、流石はお嬢様方の情報網と言えるほどにね」
想像通り、私はどうやら詰んでいたらしい。
ふざけた話だ、と考えたところで、ふざけた格好の私の姿が頭に浮かんだのでそれを振り払う。
どちらにしろ、大いにまずい事には違いない。
どうしようもなく、私はピンチであった。
今世では、貴族の家に転生した時に運を使い果たしたのかと、そう思ってしまうほどに。
きっと今頃は、私の醜態の話で皆が盛り上がっているところであろう。
……うん、泣きたい、帰りたくない。
もう本当に馬鹿馬鹿しい、始まりからして阿呆だったのだ。
まさかあんな形で大爆発をするなんて、私からしても想像だにしていなかった。
優等生として真面目にやってきたモノが一瞬で崩れていく。
ここまで来ると、乾いた笑いまで浮かんでしまいそうになる。
けれど、これから起こるであろう事を考えると、そんな事すらできなくなるけれど。
これから見舞われるであろう好奇の視線と嘲笑。
考えるだけで、何もかもを放り出して実家に帰りたくなってしまう。
思わず頭を抱えてしまいそうになる、と私が考えていた時に声は掛けられた。
「大丈夫そうだし、そろそろ帰りなさい」
そんな、無慈悲とも言える勧告。
意外に容赦が無いようで、私の様子を見てリール教諭は言ったようだ。
だから私は、どこか虚ろな目で教諭を見る。
ねぇ、わかりますよね? と意味合いを込めて。
すると教諭は微笑んで、頷いてくれて。
良かった、わかってくれた、と私の胸に安堵が到来して……。
「どのみち逃げられないのだし、早く帰ったほうが良いと思わない?」
崖から、見事に突き落とされる事となった。
わかっているのに、全く容赦がない。
その様子は、正に鬼か悪魔。
反射的に睨み返してしまうが、それもどこ吹く風のようで。
教諭は、平然としながらこう続けた。
「この学校にいる限りは寮暮らしなのよ。
どこにいても最後には寮に帰ることになるわ。
それなのに、いつまでも外にいる方が問題でしょう?」
貴女は貴族令嬢なのよ? と暗に滲ませて教諭は言って。
反論もできずに、私は口を閉ざすしかなかった。
この学院、王立ウェントワース学院は寮暮らしの学生が大半である。
何故なら魔法学院の数は国内では決して多くなく、王都の郊外にあるこの学院はそれだけで人気で、通うだけで箔がつくのだ。
その為、わざわざ王都まで出てくる貴族学生や各地から選抜される優良学生へと配慮して、大規模な寮が建設されたのだ。
学園自体、国費と大貴族達の富から建造されたもので、施設は豪華なもの。
貴族平民分け隔てなく使える辺りに、魔法使いは偉大なんだと勘違いする輩が発生する温床の様に感じるのだけれど。
まぁ、何にしろ、この寮は学生達には大体好評ではある。
……今の、私は帰りたくないけれど。
でも、私は実家であるアスキス伯爵領から出てきているが故に、最終的には寮に帰るしかない。
どれだけ嫌でも、そこが帰る場所なのだ。
恐らくは、今頃その寮の設備で優雅に過ごしながら、私の陰口を叩いているに違いない。
なまじアスキス伯爵家は名門であるだけに、余計に噂は広がっているだろう。
憂鬱、ひどく憂鬱である。
けど、帰らないわけには行かない。
億劫なれど、仕方がないのだ。
だから、私は嫌々ながら立ち上がって、ゆっくりと医務室の扉に手をかけた。
けれど、その前に一つ気になった事があってリール教諭の方を向く。
そして口に出して、その疑問を訊ねたのだ。
「私があんな姿になったのって何故ですか?」
そう尋ねると、どこか可哀想なものを見る目で、保険医の先生は答えてくれた。
「それはね、貴女の目指す魔法使いの姿がそういうものだったからよ。
ボロもツギハギもなかったって聞いているし、素質はあるのね」
あっけなく告げられた言葉は、もはや皮肉にしか聞こえなかった。
疲れているのねと言わんばかりの表情が、トドメとなった。
失礼しますと小さく告げて、私は全力で医務室を後にする。
顔が赤い、羞恥と恥でいっぱいになる。
「……こんな事になるなら、今日は失敗すれば良かったのに」
こんな事になるのなら、そう強く思ってしまう。
それはきっと、自分に対する言い訳なのだ。
だから、その場で私の声を聞いていたのは自分だけしかいなかった……。
そうして、私は現実逃避にどこかに行こうにも、どこに行けばいいのか纏まらなくて。
結局、仕方がなく寮の方に帰るしかなくなっていた。
渋る足を無理やり動かして、どうにか寮の玄関の扉まで戻ってきた。
けれど、出来れば入りたくはない。
入った瞬間、皆が私を注目するであろうことが容易に想像できるのだから。
……けれど、何時かは通らないといけない道。
早いか遅いかの違いでしかなく、私は一刻も早く自室に引き篭りたかった。
なので陰鬱な気持ちを押さえ込み、一歩寮内へと足を踏み入れる。
――すると、少々騒がしかったエントランスが、急に静かになる。
皆が、私を見ていた。
私を見ながら、予測通りに小さな声でヒソヒソと会話している。
……やっぱり、思った通り。
想像できていた事とは言え、流石に嫌になる。
だから、私は部屋に篭ろうと足を進めようとして……。
「ま、待ってください!」
けれど、大きな声に呼び止められたのだ。
疑問に思って振り向くと、そこには茶髪をポニーテールにした少女が立っていた。
私からすれば、見覚えもあるし気にもしていたが、接触しなかった人物。
――主人公だ。
主人公、リセナ・アトリーが私の前に立っていた。
彼女こそがこの乙女ゲー、『貴方と私で鳴らす鐘』の世界の主役。
そんな彼女が、私の目の前に立っていたのだ。
「何か、用事でも?」
けれど、私は極めて素っ気なく言う。
例の婚約者並みの鉄壁さ。
普通なら、大抵の人物はこれで怯む。
だがしかし、乙女ゲーの主人公は伊達ではないのだろう。
意に介した様子を見せず、私に言ったのだ。
「あの、例の噂は本当ですか!」
例の噂、十中八九あの出来事だろう。
わざわざ傷を抉りにでも来たのか。
尋ねること自体が過ちだと気付けばいいのに。
けど、ある程度図々しくないと乙女ゲーの主人公は務まらないのか、物怖じせずに訪ねてくる。
正直、鬱陶しくあるのだが、それ以上にこの場を離れたかった。
好奇の視線に、耐えられないから。
だから私は、正直に答える。
「そうよ、だからそこをどきなさい」
不機嫌なことも隠さずに、私は主人公、リセナに言う。
けれど彼女は、大きく首を振って、とんでもない事を言い出したのだ。
「私、友達から聞いたんです!
アスキスさんが、とても可愛らしく愛らしい姿に変身したって。
まるで恋する乙女の様に言うから、私気になっちゃって……」
ダメ、ですか? と上目遣いで見上げてくる。
……流石は主人公というべきか、その姿はやたら可愛い。
ぶっちゃけて言うと、男だったら即座に頷きかねない威力。
けれども、だ。
「言ったでしょう、そこをお退きなさいと」
今の私は女で、彼女と同性だ。
割り切れておらず、少しクラッとはしたが、それだけ。
そう簡単に頷ける程、今の私はちょろくないのだ。
でも、彼女は、真剣な目をしていて。
こんな事を主張し始めたのだ。
「私、知ってるんです。
何時もアスキスさんは真面目だったって」
真面目な表情で、そんな事を述べ立て始めるリセナ。
急に、何を言っているのだろうか。
訳が分からず硬直する私に、彼女は立て続けにこんな言葉を続けていく。
「それなのに、みんなアスキスさんに変な願望があるんだって、急に手のひらを返したように言い出して。
私、すごく怒ってるんです。
一生懸命な姿を見てるくせに、恥ずかしくないのかってすごく思います」
貴族もいるこの場で、よくもこんな風に言える。
思わず、そんな感心を抱いてしまう。
それも、殆ど関わりがなかった私に対してだ。
目を見開いていると、トドメにリセナはこんな言葉を紡いだのだ。
「だからアスキスさん、貴女の姿はどこもおかしくないって証明しましょう!
私の友達は確かな審美眼を持っています。
だから、アスキスさんが変だなんて、聞いててすごく腹が立ってきちゃったんです。
どうしてこんなにみんな、人の悪口が言えるんだろうって」
……驚いた、まさかここまで言ってくれるとは。
何時の間にか、早く部屋に戻りたいという気持ちは落ち着いていて。
代わりに、リセナの言葉に深く耳を傾けていたのだ。
「まるでお姫様のようで、それでいて正義の味方のような格好だったって聞いています。
それを聞いた時、すごくすごく興味を持ったんです。
なのでこれは、私の我侭に過ぎません。
だけど、おかしな格好じゃないと証明したいのも本当なんです。
だから、だからどうか、力を貸してくれませんか?」
深く頭を下げて、リセナはお願いをしてくる。
真摯さを持って、自分の我侭だと言い切って。
関係の薄いはずの私に、こうして頭まで下げて頼み事をしにくる。
そこで、ようやく私は理解した。
だからこそ、彼女は乙女ゲーの主人公足り得るのだと。
図々しくても、空気が読めなくても、こうして一歩踏み込めるからこその彼女なのだと。
……本当に、私はちょろくなんてないはずだけれど。
でも、どうしてだか私は、何時の間にかポロリと返事をしていてたのだ。
「分かったわ、やってみる」
そう言うと、彼女は私の手を握って、ブンブン振り回し始める。
まるで犬が尻尾を振る様に、彼女は笑顔を満面に咲かせていた。
「ありがとうございます!
私、とてもドキドキしています!!」
純真な笑顔を、私に向けていて。
邪気が見当たらないその顔に、気が付けば心に入り込まれていた。
「じゃあ、その、始めるわね」
思わず照れてしまって、小さくそう言う。
すると彼女は元気に、はいと大きく一つ返事をして、じぃっと私を見つめ始める。
その姿だけが、今の私の目に入っていて、だからこそ勇気が湧いてきた。
思い切ってやってやろうと思ったのだ。
胸元のポケットから杖を取り出し、例の呪文を唱え始める。
最初に、大恥を掻いた出来事の始まりである呪文を。
「我に魔導の正しき姿を与え給え。
主と王の名において、今こそ顕現せよ」
今度は大丈夫、自分にそう言い聞かせながら。
目の前の彼女の微笑みのお陰で、迷いなく詠唱できたのだ。
「今こそ、我が姿をこそ纏え。
マジカル・エンチャント!」
光が満ちる。
姿が変わる。
私の服が変形するのだ、魔法を使う形へと。
――そうして、光が止んで現れたのは……。
「本当に、お姫様みたいです」
ウットリとした顔で、リセナが小さく呟く。
例のゴスロリに玩具ステッキという、世紀末な姿を目の前にしてだ。
「本当に、そう思ってるの?」
「はい、すごくすごく可愛いです!」
元より友達が少なかった私は、可愛いと言われるのに慣れておらず、思わず赤面する。
なんて恥ずかしい言葉なのだろう、と。
けれどもそんな私を見て、リセナは周りを見渡して、高らかに叫んだのだ。
「これのどこがおかしいって言うんですか!
こんなに愛らしいのに、そんなことを言うんですか!
私からすれば、嫉妬しているようにしか見えません!!」
そう目を潤ませながら言うリセナを前にして、始めて私は気が付いたのだ。
あ、これ、周りのみんなに見られていたんだと。
……何だろう、この言い知れぬ恥ずかしさは。
周りの人たちは、気まずそうにそっと視線を逸らす人と、何故だか私に魅入っている人の二種類に分けられていた。
……もしかして、本当に可愛いって思われてる?
私の勘違いじゃない?
「ねぇ」
不安になってリセナに声を掛けるが、彼女は笑顔を返してくるだけ。
背中が、異様にムズムズしてくる。
そのせいか、気が付けば……。
「私、大丈夫かしら?」
そんな情けないことを聞いてしまって。
でもリセナは、とっても良い笑顔で答えてくれたのだ。
「はい、きっと誰よりも可愛いです♪」
そうして、私はリセナに手を引かれ始める。
ふぇ、と変な声が出てしまうくらいに、動揺して。
「ど、どこに行くの?」
「アスキスさんを、天使だと言った友達のところにですよ。
今日はみんなアスキスさんを馬鹿にした報いで、私が独占させてもらいます!」
「ええ!?」
私の驚きの悲鳴をよそに、リセナはとても楽しげに私の手を取って歩き始める。
何だろう、この展開。
何だろう、この行動。
そんな私の一切合切の思惑を無視して、そのまま彼女は歩いていく。
……乙女ゲーの主人公って、破天荒なのね、と心の中に呟いてしまう出来事であった。
どうでも良い話ですが、魔法少女に変身している時の主人公の髪は茶髪のロング、していない時はショートボブの茶髪です。理由は、短い方が落ち着くからとの事。何故の変身して伸びるかは謎、怪奇現象『お約束』の一つです。