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一 凶報、或いは黒鷲の咆哮 2

「クレイモルン殿をお連れいたしました。」

 思考は執政室の現実に引き戻る。幾分か、時がその歩調を早めていたようである。細身のアリューの右隣に、四十がらみの痩身の男が穏やかな表情を浮かべて控えていた。

「お久しぶりですなミューズ総管。いや、相国閣下とお呼びするべきですか。」

 前相国クレイモルン・フォン・カルネリアス。カルネリアス家の当主にして、二十日余り前まではヴェルヌの国政の中枢に位置する一人でもあった。ミューズがクレイモルンを始めとする先王ハリティの重臣を宮廷から追って以後、過ぎ去った時間は決して短くはない。その間、着実に固めていたはずの自身の地歩が実のところはもろい砂岩の上に築かれた楼閣だったとでも言われかねない、クレイモルンの表情はそのようにミューズには見えた。やはり、この男は食えぬ。胸中に呟かれた警告の響きをミューズは確認する。

「総管で結構です、閣下。どうやら私には、政事の才覚はないようですから。」

 返答は、鼻を鳴らしての小さな笑いと共に降って来た。

「ずいぶんと寂しいことをいうものですなぁ。紅の獅子、薔薇の相国。ヴェルヌの半分を手中に収め、未だ自身の才覚に自信が持てないとは。」

 低く響く声。重厚なクレイモルンの声量は朝議の中で聞き慣れたものでもある。その言外に、己の才覚を過剰に認識し過ぎであろうよとの嘲りを感じ取ったのは、ミューズの妄想であろうか。相国位を奪い取り、宮中の一角での軟禁を命じた人間が抱く性質の妄想では、それはなかった。

「お互い探りあいはよしましょう。閣下、カルネリアス家の黒鷲旗が、なぜイシャーン殿下の元にあるのか、その理由をお聞きしたいのです。」

 返される答えはわかっていた。けれど、問う他には進めない道もある。だからこそ、ミューズは、その問いだけは直接に投げかけたかったのである。ミューズの静かな問いが消え、クレイモルンは息を飲む。アレイシャンもまた、クレイモルンの傍らで身じろぎもできずにいた。両者とも、ミューズが意図して線を引いたのだと理解したのである。超えたが最後引き返すことのできぬ、それは分水嶺であった。次の瞬間、アレイシャンは、分水嶺を乗り越え周囲の砂礫や土砂を押し流す黒の奔流を幻想に見る。流れに抗う力を持たぬ自分への口惜しさが、更にアレイシャンには襲いかかっていた。

 いかほどの沈黙の天使が通り過ぎたろうか。そして、クレイモルンは傍らのアレイシャンを一瞥し、痩躯には似合わぬほどに胸をそらせ、訣別の言葉を口にする。

「我が大鷲の紋ある所、常にカルネリアスの当主あり。一線を退いた私に黒鷲旗は不要でしょう。」

「今、何と言われた?閣下、カルネリアスの当主とは?」

「我が子、ライジェリアルでござるよ。総管閣下。」

 ライジェリアル。ライジェリアル・フォン・カルネリアス。固い黒髪を整えることもせず、長衣の裾が汚れることも厭わず、目につくあらゆるものを調べ分類することのみに専心していた少年。長剣を帯びるだけの膂力を持たず、強弓も引けず、けれど脳裏に数万の兵を潜ませた少年。長兄セレヴレッゼの死後、竜峰レイフシュタットの彼方東方のファンゴードへ遊学の途について三年。窮地に追い込まれた旧友に翼を差し伸べるべく、今まさにライシェルは戻り来たのである。知らぬ間に下がったミューズの視界の端で、青白い大理石の床がにじみ始める。カルネリアスの当主はヴェルヌ六大貴族の筆頭にして、影の王族との無責任な噂までも流れる。南部十州に封じられ、総管を代々の職とするバルバロッサ家とは、やはり格が違う。それを、あのライシェルが継ぐと言うのか。

「ライジェリアルがイシャーン殿下の元にいる、と仰るのですか。」

「カルネリアス家がイシャーン殿下の元にいるのでござるよ。」

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