嵐闘(らんとう)
「ふむ、前門の狼 後門の虎、どちらに喰われる方が楽かな」
「…」源十郎の独白には答えず。ジリジリと柔道着姿の男が前屈みの姿勢で詰め寄ってくる。
「ふむ、何度も言ったと思うんだが 誤解、」聞く耳もたんとばかり男が突進してくる。
「…なんだがな」間半髪くらいの差で避けて源十郎が言う。
「神無ちゃんともう一人の幸せの為に貴様を殺す」
「ふむ、そう思うからといってなにもこんな非常手段をとることもなかろうに」もう一人というのが彼、加納 虎次郎をさすのか如月 葉月の方を指すのかは判然としなかったが源十郎は本心からそう言った。
「きっさまぁーっ、言わせておけば」
どうやら言葉どおりには受けとってくれなかったようだ。
「ふむ、…」ため息をつきつつ周りを見渡すが神無と葉月の二人は自分達の戦いに夢中で今回は援軍を期待できそうにもない。あいかわらず男は自分の射程距離までジリジリと注意深く間合いを詰めてくる。
源十郎はもう一つ大きなため息をつくと覚悟を決めた。
「きえぃぃつ!」と叫び声が上がるのと彼、虎次郎の天地がひっくりかえるのとは、ほぼ同時の出来事だった。何が起こったのかはわからなかったが彼が、自分を見おろす源十郎とかいう下衆野郎に負けたことだけは厳然とした事実のようだった。
「好きにしろ」言い捨てて彼はそっぽを向く、最高の間合いで会心の一撃を放ったのだ。それがはずされた今、抵抗は無意味だ。
「ふむ、では好きにさせてもらうぞ」言って彼の身体の各所に幾本かの針を刺し、額に虎次郎にはわけのわからん記号の書かれた札が貼られる。
「だが、神無を救うとかいうのはどうする」
「ふん、潔くあきらめろとでもいうのか、残念だったな。確かに今日は負けたが次は大差で勝ってやる。手足の一、二本でも折っておかんと貴様の命日はそれだけ縮むというものだ」
「なるほど、な…」その声と微かな甘い香りとともに彼の意識は心地よい闇に呑まれていった。その寸前、彼が見たのは苦笑と言う名の表情だったろうか、ありえない。この無表情男が自分に対して表情を表すという事態は…。