肉じゃがどろぼう
部屋をまちがえたのかと思った。
いったんドアを閉じて表札を確認する。うん、たしかにここは僕の家だ。
しかし何故、
「お父ちゃん、どうしたの?」
子どもがいるのだ?
ふくふくした頬にくりくりの黒目の、三歳くらいの女の子。うさぎの顔のポシェットを肩からさげている。
可愛い。ものすごく可愛いけれども、どうして僕の家にこんな子が?
僕は結婚などしていないし、悲しいかな恋人もいない。ゆえに子どもなんか一人もいるわけがないのだ。いったいどうなっている?
「あら、お帰りなさい」
さらには女性まで出てきてしまった。
手にお玉を持った彼女は、かなりの美人だ。きっとこの子の黒目は母親ゆずりなのだろう。いや、そんなことはどうでもよい。
「あの、部屋まちがえていませんか?ここ、僕の家なのですが」
そういうと、彼女はへんな顔をした。
「いやだ、何を言ってるの。ここはわたしとあなたの家でしょう?」
「え、いや、そうじゃなくって」
「きっと、お仕事で疲れているのね。ご飯の用意はもうできていますから、着替えてきてください」
困ったように笑いながら、彼女は僕に部屋に入るよう手招きする。
「お父ちゃん、はやく」
女の子がズボンをひっぱる。僕は訳がわからないまま部屋に入った。
散らかっているわけでも、整っているわけでもない部屋は、今朝とまったく同じだ。違うのは見知らぬ女性と女の子がいて、どこか懐かしい夕食の匂いがすること。
「今日は肉じゃがにしたの」
着替えて戻ってくると、食卓の上にはすでに料理がならんでいた。
「いただきまーす」
女の子は嬉しそうにじゃがいもを頬張る。
もしかして毒が入っているのでは、とも思ったが、目の前で湯気をたてている肉じゃがにはかなわなかった。一口くらいなら、と食べ始めるととまらなくなった。
「美味しい?」
彼女がいたずらっぽく笑って尋ねるのに、答えようとしたけれど声がうまくでなかった。
「やだ、どうしたの?」
どうやら僕は泣いているらしかった。なんでか分からないけれど、涙がひとしずく頬を伝った。
「君、どろぼうだろう」
やっとでてきた言葉に、彼女の笑顔が凍りつく。
「さっき、着替えにいった時、タンスの中に置いてあった時計がなくなっていた」
彼女はなにも言い返さない。状況をのみこめていない女の子の無邪気にご飯を食べる音だけがする。
「それ、僕のものではなかったんだ。もともとは。昔、どうしようもなかった時に、盗ってきたものだ」
画家になりたかった。自分には決定的に才能が欠けていることは、いつからか気づいていた。それでもあがき続けた結果、苦しい生活のなか、ついに盗みをはたらいてしまった。
そんな自分が描いたものなど、誰の心に響くだろうか。夢を諦めたのは、そのすぐ後のことだった。
「だから、僕は君を責めることはできないし、時計は持っていってもかまわない。そのかわり、もうこんな真似はするな」
彼女はしずかに涙をながしていた。僕はそれをウソみたいに綺麗だと、思ってしまった。
あれからもう、数年がたつ。
僕には本物の家族ができ、なんだかんだ仲良くやっている。
ただ一つ困っているのは、小学校に上がったばかりの愛娘が、僕と妻とのナレソメを知りたがっていることくらいだ。こんな話は聞かせられるはずがなく、どう偽装するか妻と家族会議を開いている。
三十代くらいのおじさ…
いえ、お兄さんに挑戦してみました。
お題は
『肉じゃが』『諦め』『ポシェット』