第9話 プリンセス様、ゲーセンで峠をお攻めになる
俺はテレビゲームが好きだ。特に格闘ゲームに頭からつま先までのめりこんでいる。
平日の放課後は必ず、休日はほぼ一日、ゲーム機の前にいて格闘ゲームをプレイしている。種類やブランドにこだわりはない。以前からある2Dのものも、最近多い3Dのものも分け隔てなくやっているし、操作方法の難しい格闘マニア向けのものから、だれもが聞いたことくらいはある有名なもの、美少女キャラばかり出てくる萌えゲー的な雰囲気のものまで、なんでもこなしている。だから、格闘ゲームならそこら辺のゲーマーには負けない自信がある。ちょっとだけ。
とはいえ、いまの実力を保つためには日ごろの鍛錬が欠かせない。だが自室という狭い世界でゲーム機相手に闘っているだけでは、真の格闘ゲーム力(俺がいま考えた)は養えない。だからたまに町のゲームセンターに遠征し、アーケードの格闘ゲームで生の人間を相手に腕をきたえている。決して自宅に呼ぶ友人がいないからではない。知らない相手と対戦してこそ真の格闘ゲーム脳(俺がいま考えた)が養われるのだ。
というわけで、俺はいま、家の近くにある行きつけのゲーセンにいる。
日曜日の午後一で入店してからこれまでのところ、当然ながら連戦連勝――と云いたいところだが、旗色はきわめて悪い。
プレイしているのは、俺がいま最も得意としている3D格闘ゲーム「ロマンシング・鉄拳2」。ほかのものならともかく、このゲームをやる限りにおいては町のゲーセンで勝率9割を切ることはなかった。ところが、今日は8戦してすでに4敗している。勝率5割。いままでの俺からすれば、あるまじき事態だ。
ひとことで云って、調子が悪い。なぜだ。今日に限って俺の華麗な指の動きが乱れている。すぐにイライラがたまり、肝心なところで正確な操作ができないのだ。
もしかすると――俺は思った。もしかすると、近頃俺を襲ういろいろな精神的ストレスが響いているのかもしれない。
瓜生からは毎日毎日当たり前のようにパシリにされ、環田はそんな俺の姿を何のアシストもせず遠くからニヤニヤながめている。休日になれば夕顔のところへ買出しに行かされ、綾音に冷たくあしらわれて帰ってくる。いつもどこかでいら立ちが残り、心の休まる日が無い。
その上に、神出鬼没のロボ女だ。
綾音の精肉店で遭って以来、顔を合わせていないが、なにしろあいつの出現は唐突だから、いつ町中ではち合わせしてもおかしくない。まあいまみたいにゲーセンにいる分には安心だろうが、外を歩いていればまたいつか遭遇しそうで怖い。
というこれらもろもろの事情で、集中力が高まらない、というわけなのだ。言い訳ではない。決して言い訳ではないもん。
……だめだ。一回気分転換しよう(いろんな意味で)。このままやり続けても勝てる気がしないし、なにより貴重な軍資金を短時間で使い果たしてしまう。格闘ゲームは勝てばそのまま次の試合に進めるが、敗れるとまたお金を入れ直さないといけないから、負ければ負けるほどふところ具合が危うくなるのだ。
俺は「ロマンシング・鉄拳2」の席を立ち、その辺をぶらつくことにした。
ゲーセンには格闘ゲーム以外にもいろんなものがある。敵を倒しながら迷宮を進んでいくもの、戦闘機を操って敵機を撃ち落していくもの、仮想競馬や麻雀などなど。もちろんUFOキャッチャーやプリクラなんかも置いてある。
俺は周りを適当にながめながら歩いていると、隅のほうで黒山の人だかりができているのがみえた。
「――なんだありゃ」
そっちの方に近づいてみる。あそこはたしか、カーレース系のゲームがあったはずだ。レースといってもサーキットではなく、一般道を舞台にしたいま流行の対戦型レースゲームだ。
山中の道を市販車で爆走するというそのゲームは、アクセル・ブレーキの難しい強弱や微妙なハンドルのコントロール、シビアなギアチェンジの操作で勝敗が決まる。基本的に一対一のガチバトルで、格闘ゲーム好きの俺としてもその勝負感にはそそるものがある。
その場所に、ものすごい数のゲーマーが集まっている。みればみるほどハンパじゃない数だ。
人気のゲームだから、腕のいいプレイヤーのところに観客が集まることはある。それでもこの店では十人がせいぜいだ。だが、いまそこには三十人近くの人間が熱心にプレイヤーの戦いを見守っていた。端の方の客は画面がみえるかみえないかギリギリのところだろうが、おかまいなしだ。
これだけの人がひとりのプレイヤーのところに集まったのをみたことがない。一体どんなやつなんだろう。もしかしたら有名人かもしれない。本物のレーサーとか。後ろのほうからなんとか背伸びしてみえねえかな。
俺が席の斜め後ろの方からなんとかのぞきこもうとしていると、周りを囲むやつらの声が聞こえてきた。
「あいつすげー! 十五戦して全勝じゃん!」
「ゲーム始めてからずっと勝ち続けだぜ。それも圧勝!」
「さっき、渦刈峠と紅坂のコースでコースレコード出してたぞ」
「マジかよ!? あんなカッコしてるのにやるなぁ、あの女の子」
「アツいよな。何のアニメの服だ? 俺、萌えるわ」
「お、俺も。萌え~」
ん?
「ファンタジー系? ゴスロリか?」
「きれいな金髪だよな。カツラか? 目はカラコンだよな」
「いや、顔が日本人ばなれしてるし――意外にマジで外人じゃね?」
「ってか、普通にかわいいし」
「あの格好であのドラテクとか、ギャップありすぎて萌えるわ」
「お、俺も。萌え~」
……ええと。
俺の中にある危機管理アラームが全力で鳴り出した。俺は背を伸ばすのをやめて黙って後ずさりながら、その場を少しずつ去ろうとする。目の前に突然ふってわいた悪夢から逃げるために。
だが、遅かった。
「――あら、壬堂さん! こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわね!」
まだかなり距離があるのに、その席に座っていた女は、人垣の向こうにいて視界に入らないはずの俺のほうに顔を向けて云ってきた。
すると、周りを囲んでいた観衆の目が一気に集まってくる。俺の目の前にいるやつらなんか、ご丁寧にちょっと道まであけてくれた。
レーシングゲームをやっていたのは、やっぱりあのアンドロイド女だった。ハンドルを操作しながら、俺に向かって遠くから話しかけてくる。
「壬堂さんもこのゲームをおやりになるの? 意外ですわ!」
お前がそれをやっているほうが意外だ。
俺は暗たんとした気分になりながら、周りの興味津々な視線をザクザクと受けた。
「あいつだれだ?」
「知らね」
「格闘ゲームたまにやりにきてるヤツじゃね?」
「あいつの彼氏か?」
「なんだ、ちょっとがっかりだな」
「でもあの女の子、声もかわいいぞ」
「お嬢様系か? 萌えるな」
「お、俺も。萌え~」
などと好き勝手な声が聞こえてくる。はぁ、次からこのゲーセンにも来づらくなったなぁ。ってか俺は彼氏じゃねえ!
こうまでなった以上、無視するわけにもいかないので、俺はとぼとぼと前に進んでレース中のミース――俺がこのまえ女につけたあだ名だ――に話しかけた。
「……こんなとこでなにしてんだ」
「あら。見ればお分かりになるでしょう? 車の運転の練習ですわ」
「お前は一体どこの峠を攻めようとしてるんだ……」
「峠? わたくし、そんなところに攻め込むつもりはありませんわよ。車の運転をしたいだけですわ」
「……いや、いい。なんでもない」
オーケー、予想通り頭痛がしてきた。
いつもどおりのズレズレの受け答えだ。いまではむしろ安心感さえある。
それよりも、ミースは俺と話しているのに、腕と足は完璧にゲーム中の車を操っている。右手をすばやく回して左手で激しくギアチェンジしながら、右足を斜めに倒してブレーキとアクセルを同時に操作しつつ、顔は真横にいる俺に向けている。その光景は正直いって気味が悪い。
「なんで画面を見ずに走れてるんだよ……」
「ドラテクが体にしみついてるんじゃねえのか。あいつ、何年このゲームやってきたんだ……」
「うわっ! いま、コーナーでブレーキングしながらラインを変えて相手を抜きやがった!」
「どこでブレーキ踏んでんだ?? S字カーブでも全然失速しねえ!」
「ヘアピンに入ってもガードレールにぶつかる寸前まで減速しねえぞ!? 一歩間違えりゃ即クラッシュだ。頭のネジが一本はずれてんじゃねえのか!?」
俺もそう思う。
ミースは俺に「近ごろ暑くなってきましたわね」などと和やかなあいさつの言葉をかけてきながら、全く無駄のない動きで手足を鬼人のごとくふりまわし、ついにバトルをフィニッシュした。もちろん圧勝。
「出た! コースレコードだ!!」
「マジ? あのタイム、日本レコードじゃね?」
「……俺もう声でねえわ」
周りの男どもが絶句している。だがミースは「あら、もう終わりましたの」と、パソコンで軽いソフトをダウンロードし終えたくらいの調子で云った。
ミースが席を立ったので、観衆もぞろぞろと散っていく。いまみたら人数が五十人くらいに増えていた。もう後ろの方のやつらはレースをみるよりミースをみるような感じになっていただろう。……いや、ダジャレじゃなくて。
わりと激しく手足を動かしていたにもかかわらず、汗ひとつかいていないミースは、涼しい顔で俺の方を見上げた。
「簡単でしたが、肩ならしにはなかなかよかったですわ」
「あれが肩ならしになるのはお前だけだって……ってかなんでお前、ゲーセンにいんだよ」
「わたくし、先日テレビジョンをみていましたら、広大な平原を疾走する車の映像を拝見しました。とても気持ち良さそうでしたので、わたくしも車を運転したいと思いましてお母様にご相談したら、運転の練習をするにはゲームセンターが最適だとお教え頂きましたの」
なんでそうなるんだお母様……。
「あのなあ……車を運転するには免許がいるんだよ。運転免許。いくら運転の練習をしたって、免許がないとすぐ警察に捕まるぞ」
「免許……? それはどこで手に入れられるのでしょうか?」
「そりゃ、運転免許場にいって試験を受けてだな……っていうかその前に、免許は十八歳以上じゃないととれねえぞ」
「十八歳、ですって……そ、そんな」
そう云って、ミースはがく然とした表情でがっくりと両ひざを折った。
「存じ上げませんでした……まさか車を運転するのにそんな高い壁があるなんて。わたくしの研究不足でしたわ……」
だから常識だって……っていまさら通じんわな。
俺は崩れ落ちたミースの腕をとってなんとか引き上げる。そういえばこいつ、何歳なんだ。少なくとも十八歳以上じゃないってことか。
「……仕方ありませんわ。車を運転するのはまた時期をみてからに致します。……そういえば、壬堂さんはこのゲームセンターに何の訓練をされにこられたの?」
「訓練ってなんだよ。俺はただ遊びに来てんだよ」
「遊び?」ミースは不思議そうに小さく首をかしげる。「遊びとは、この周りにある機械を使っておこなうのでしょうか」
よく分からない、というミースのリアクション。マジかよ。これはひょっとして――
「お前……『遊び』の意味、知ってるか?」
「いえ、生まれて初めて聞いた言葉ですわ」
おいおい、そこから説明しなきゃならんのか……。
遊びを知らない、とごく自然に口にするミースに、俺は心の中でため息をつきながら云った。「……まあ遊びってのは、気晴らしとか、暇つぶしとか、そんなもんだ」
「気晴らし、ですか」
「ああ。ま、そのへんのゲームをやったらわかってくるんじゃねえの。せっかくだから、いくつかやって帰ったらどうだ」
「そうですね。ではせっかくですから、壬堂さんもご一緒にいかがです?」
……えっ。
「いや、俺はその……他にやりたいゲームがあるから、あんまりお前と付き合ってる時間がないっつーか……なんつうか……」
そうやって俺が云いよどんでいると――
ミースが、俺の右腕をいきなりひしっとつかんできた。
「なっ――」
戸惑う俺の目に、表情の消えたミースの顔が映る。
や、やば――
そう思った瞬間。
ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっっっっっ!!!!
「いででででででででで!!!!!!!!」
腕がっ!! 腕がきしむっ!!!!
突如として骨をしめつけるような痛みに襲われた俺は、思わず声を上げる。
ぱっとミースが手を離す。すると、痛みがうそのように無くなった。
「――せっかくですから、壬堂さんもご一緒にいかがです?」
「行きます! 行かせていただきます! むしろこちらからお願いします!!」
俺は血の涙を流しながら懇願した。ミースはそんな俺に純粋でかわいらしい笑顔を向けてくる。
「あら、そこまでおっしゃらなくても。お願いしたのはわたくしですのに」
「いえ、いいんです! あのところで、いまミースさんが僕の腕におやりになったのは……」
「低周波ですわ」
ミースの手は便利な手だなと思った。




