第7話 プリンセス様、超高級肉をお買い上げになる
いまさらだが、俺の両親は中華料理屋をやっている。
二十人弱の客が入れる「来陽亭」という小さな店。とりたてて忙しいということもないが、一日中ひまということもない。親父が開店してからかれこれ二十年ほどたつが、昔も今も客足は変わっていないらしい。名物らしい名物もないが、強いてあげるなら「チャーシューメン」と「から揚げ定食」。これも昔から変わらない。
いつもは親父とお袋の二人で切り盛りしている。開店した当初と俺が産まれたころはバイトを雇っていたこともあったらしいが、いまはいない。じゃあ出前なんかを頼まれたときにはどうするのか。そこで俺の出番だ。
表立ってやっているわけではないので、出前の数はそう多くないが、それでも一日に一・二回は注文がある。手が空いていればお袋が行くが、二人とも手が放せないときは俺が行くことになっている。
なので、学校が休みの日なんかはよく「勉強しないんなら降りてきて手伝いなさい」と云われ、いやいやながらも出前に出る。それ以外にもお袋の手が回らないときには、料理を席まで運んだり、買い物に行かされたり、いろいろやらされる。日曜は店が定休日なのでいいのだが、面倒なのは土曜日だ。
で、今日はその土曜日。前の晩に新しい格闘ゲーム「ロマンシング・鉄拳2」を十時間やり込んだ俺は昼前ごろにそろそろと起きると、早速お袋から司令がとんだ。
「光一、いつまで寝てるんだい。勉強しないんなら降りてきて手伝いな」
俺はろくに髪型も整えないまま着替えて、二階の住居スペースから一階の店に降りていく。すると、すでにばりばり働いているお袋から一枚のメモを渡された。
「そこに書いてあるもの、夕顔さんのところに行ってすぐに買ってきておくれ。お金はここにあるから」
「え、夕顔のところ……」
露骨に嫌な顔をすると、お袋が俺の頭をべしんとはたいた。
「お客さんの前でなんて顔するんだい。ほら、早くいったいった!」
俺はしかたなくメモと財布を受け取ると、重々しい足取りで店の裏口を開けて外へ出ていった。
夕顔のところか……面倒だな。俺は気が進まないながらも、自転車に乗って従兄妹の店に向かって走り出した。
「はい、いらっしゃいま――なんだ、あんたか」
店頭に来た俺に愛想の良い笑顔を一瞬見せてから、すぐに顔をしかめる綾音。
「あんたか、はねえだろ。一応客だぜ?」
「客じゃなかったらあんたとは同じ空気を吸うのも嫌なんだから、これくらいの対応で十分」
冷たい言葉をあびせてくる。はぁ、いつもどおりのつれない反応だ。
いま俺が来ているのは「夕顔精肉店」。店頭はそれほどでもないが、奥にはかなり大きな精肉場がある。「ミートショップ夕顔」という名前で周辺の町に二十店舗近くの店を展開している、この辺りでは一番有名な肉屋だ。
その肉屋を営む社長の奥さんが、実はうちのお袋の妹。なので昔から、うちの店の食材はこの店から調達していた。
で、目の前にいるこいつは、お袋の妹の娘――つまり俺のいとこ。名前は夕顔綾音。高校に通いながらいつもこの店の店頭で仕事を手伝っている、俺よりひとつ年下の女の子だ。
俺がまだ幼いころ、うちと叔母さん家族は家が近いこともあってよくいっしょに出かけていた。綾音にはひとつ上の――つまり俺と同い年の兄がおり、俺を入れた三人でよく遊んでいた記憶がある。
だが最近は夕顔の精肉店が店舗を広げて忙しくなってきたこともあり、家族どうしでどこかに行く、ということが無くなった。俺たちも成長するにつれ、一緒に遊ぶこともほとんど無くなっていった。
で、いまは三人とも高校生。綾音とは中学までは同じだったが、高校は椥辻学園「第一」高等学校の方に行ったので、俺とは別々になった。それからは綾音と顔を合わす機会も、この肉屋の店頭くらいしかない。
……と、それだけならいいのだが。
「で、どうせまたあんたの店のおつかいでしょ。買うもの買ったらさっさと帰りなさいよ」
ここ一年ほど、綾音の俺に対する態度がなぜか急激に冷たくなったのだ。
店に来ると、なにかにつけトゲトゲした云い方をしてくる。以前は「光一兄ちゃん、今日もおつかれさま」などと気づかいのあるセリフをかけてくれたのに、この変わりよう。
どうして綾音がこうなったのか、よく分からない。ただひとつ、心当たりがあるとすれば――
「このメモに書いてあるものを頼む。――そういや聖矢は元気か。最近姿見ねえけど」
「兄様は帰宅部のあんたと違って毎日生徒会の活動で忙しいの。ご心配なく」
兄様――綾音の兄で、綾音と同じ椥辻学園第一高等学校の特進科に通う、俺と同い年のいとこ、夕顔聖矢。
容姿端麗、成績優秀、他の生徒からの人望も厚い完璧な高校生(綾音いわく)、学園始まって以来の最高得票数で一年生から生徒会長になった(綾音いわく)、生徒の学園生活をよりよくするために学園のシステムを根底から変えようとしており、先生ですら戦々恐々としている(綾音いわく)、実は綾音のことを一番愛している(綾音いわく)という、まあなにやらすごい高校生だ。最後のは真偽のほどがよくわからないが。
その兄に綾音は完全に心酔しており、兄にだけは「兄様」と呼び特別に態度を変える。たぶん綾音が俺にそっけないのも、聖矢と比較して容姿平凡、成績凡庸な俺に「ダメな男」というレッテルを貼りつけているからなんじゃないかと思っている。ってか俺だって、そんな男が親戚だということが信じられない気分なんだが。
綾音は俺の渡したメモに載っている食材を用意してくれている。いまは店内に他の客がいないので分からないが、普通の客に対してはとても愛想が良い。ショートヘアで丸顔、背の小さい綾音は、良い意味で夕顔精肉店のマスコットのような存在になっており、買い物に来る主婦にはかなりの人気者らしい。
またコロッケを揚げるのがとても上手いので、一部のコアな男性ファンからも「お肉屋さんの小さな天使」として人気を得ているというウワサを聞いたことがある。あまりの人気ぶりに、ファンクラブが創設されたというウワサも聞いたことがある。さらに店を取材した地元のテレビ番組がきっかけで、CDデビューするというウワサまで聞いたことがある。……どこまでが本当の情報なのか、俺にはよく分からないが。
「はい、豚肉ブロックと牛ミスジ肉と合い挽きミンチ。全部で○○○○円」
どさっ、とショーケースの上にビニール袋を置くと、綾音は俺の方を見ずにレジを打ち始める。俺がお札を出すと、綾音は奪い取るようにしてそれをつかみ、レジにつっこんだ。おつりはおつり入れに置いて無言で前にドンと出してくる。機嫌の悪いのがあからさまだ。
俺はためしに訊いてみた。「なんだよ綾音。嫌なことでもあったのか。それとも何か俺が悪いことでもしたか?」
「別に」綾音はレジをいじりながら冷たく云う。「ほら、もう買い物終わったんだからさっさと帰りなさいよ」
「そんな言い方ねえだろ。毎回こんなんじゃ気分悪いし、言いたいことがあるんなら言ってくれよ」
「気分が悪いのはあんたの勝手でしょ。邪魔だから帰れ、って言ってんの」
険悪なムードが漂う。だからここに買い物来るの嫌なんだよ……。
「――分かった。帰りゃいいんだろ」
毎回これと似たようなことの繰り返し。今日もわけのわからないまま突き放される。
聖矢に比べれば俺は確かに平々凡々な人間だけど、なら一体俺にどうしろっていうんだよ。それとも実は全然違う理由で、例えばどこか俺の知らないところで綾音を傷つけるようなことでもしちまったのか。色々なことを考えつつ、俺はあきらめて肉の入った重い袋を持ち上げた。
「じゃあな。聖矢にもよろしく」
「だれがあんたなんかのことを兄様に――あ、いらっしゃいませ。どうぞ」
俺の後ろから客が来たらしい。急に口調と表情がやわらかくなった。なんなんだよ、一体……。
綾音の態度に納得できないまま、俺は店を出ようと出入り口へ向かおうとしたとき。
「――あら、壬堂さん。偶然ですわね」
そこに、笑顔をたたえたアンドロイドのプリンセスがいた。
「だーーーーーーーーーーー!!!」
いつも出現が唐突過ぎるんだよ!!
俺の狂気じみた声が精肉店内にとどろく。腰が抜けそうになるのをなんとかこらえつつ、俺はあいかわらずのモノクロームなお姫様系ドレスを着た女に向かって云った。
「なんでお前がこんなところに……」
「あら、最寄のお店にお肉を買いにきただけですのよ。なにかおかしいことでもあって?」
いや、行動自体はおかしくないんだが……お前の存在が、だよ。今日も洋物ファンタジー系映画「ダルニシア王国の秘宝」のお姫様役の衣装だ。そんな映画無いけど、そんな映画っぽい服装だ。
「壬堂さんもここでお肉を購入なさるのね。重そうなお肉を三つも……20kgほどかしら。それ全部、今日のディナーで召し上がるの?」
「んなわけねーだろ! どう考えても一般家庭の夕飯には余りあるだろうが!! うちの店の食材だ!」
「まあ壬堂さん、ペットショップでも経営なさっていたかしら」
「俺の親がやってる中華料理屋だ! お前も食べたじゃねーか!! ってかペットショップってなんだよ!?」
「ライオンやヒョウを店頭で販売されているのかと」
「違法だ! 俺はどんな高校生だ!!」
またくだらないことでツッコんじまった。これだけで一日の大半のエネルギーをつかったような気がする……。
俺が疲れた表情になっていると、綾音がコスプレ女の方をみながら口を開いた。
「――なんだ。光一に……光一の知り合いか。どうりで受け答えがズれてると思った」
「どういう意味だ! こいつと一緒にすんな!!」
俺は精一杯否定したが、綾音は冷たい上にさげすんだ口調で云う。
「どうだか。そのコは同級生? 帰国子女かなにか? イノベーション科にはいろんな生徒がいるのね」
「うちの生徒じゃねえよ。つーか知り合いでもねえし。客だよ、うちの客」
「なにそれ。ただの客にしては結構なれなれしいし。常連さん?」
「ちげーよ。一回出前を運んだだけだ」
「そのあと、私は色々あって、壬堂さんに人生最大の危機を救っていただきましたの」
またこじれさせるようなことをーーー!
「わたくしの人生になくてはならないかけがえのないものを、壬堂さんは命がけで取ってきて下さったのです」
何の話かと思ったら、この間のコンビニでのことか。
「ただのイスじゃねえか! 命がけになったのもお前が俺の首に爆弾をしかけたからだろーが!!」
「あら、でもわたくしが爆弾をしかけなければ、壬堂さんはわたくしのバルカン砲でハチの巣にされていたかもしれませんわ」
「全部お前が原因じゃねえか!!!」
「……ごめん、爆弾とかハチの巣とか、しゃべってる内容がよくわからないんだけど」と綾音が苦笑(笑1%未満)する。分からなくて当然だ。俺もいまだに自分の記憶が信じられないんだから。
俺はいちから綾音に事の次第を説明しようかとも思ったが、いまはその体力も気力も、なにより時間が無い。俺はロボ女の機嫌を損ねずになんとかこの場をやり過ごそうと「……そういや、お前はなに買いにきたの」と訊いてみた。
「わたくしですか? 今日はここに、ミーテルピンクノイアデスタンを買い付けにきましたの」
……なんだって?