第4話 プリンセス様、もっとイスをお求めになる
でもまさかよりによって、俺のいきつけのコンビニに来ているとは。しかも時代錯誤な貴族のままの服装で。
俺がこの女の屋敷に出前を届けたのは一週間前。どんぶりの器を食べるところをみせられ、バルカン砲で撃たれ、あげくロケットパンチを食らった俺はその場で意識を失ってしまった。それからどうやってかは覚えていないが、なんとか俺は自宅に帰り着いていた。
以来、あの屋敷には近づいていない。少し離れた書店にいくにも、いまでは違うルートをつかっている。あのときのことは「なにかのきっかけで『世にも奇妙な世界』に足を踏み入れてしまったんだ。きっとそうだ」と自分の中で解釈することにし、記憶から早いとこ消そうとしていたのだ。
それが無情にも、俺の目の前にあのとき、あのままの姿で現れてくれた。もう泣くほかない。
そして早速、彼女はわけのわからない力で逃げる俺を強引にひきとめたのだ。
すそのふくらんだ白黒の貴族のドレスは変わらず。前回とデザインが多少変わっているようだが、大差ない。要は西暦十●世紀のプリンセス様がお召しになっているような格好だ。
町を歩く人々やコンビニの客からの視線がとても痛い。俺は世間から目立たないようにこれまで生活してきたつもりなのに、いまその大事に守っていた何かが音を立てて崩れてしまったような気がする。
「どうかされました? むつかしい顔をなさって……」
そんな周りの目などどこふく風で、彼女が紫色の瞳で俺の顔をのぞきこんでくる。云いたいことがあり過ぎて、どれからぶつけていいか迷う。
――そのとき。
横からメラメラとわいてくる殺気を感じ、俺は顔を向けた。
そこには、顔をひくつかせながらわなわなと震えている環田の姿があった。
「み、壬堂……お前……」
俺は状況を取りつくろおうと必死になるしかなかった。
「あ……い、いや、違うんだ、環田。俺にはそんなコスプレ女の趣味はなくてだな、ただの店の客で……あ、いま自転車が後ろにふっとんだのは……なんというか……突風? そう、突風がふいて……」
「お前……そんなかわいい娘に……」
――って、あれ?
「そんなかわいい娘に……呼び止められるなんて……」
「た、環田……?」
「お前、本当は…………『リア充』だったんだな!!」
リア充とは「リアルが充実している」――つまり、充実した私生活を過ごしているということ。ただ、こんな言葉を使う場合は要するに「彼女がいる」ということと同義だ。
「って、俺はリア充じゃねえよ!」
「うそをつけ! こんな金髪できれいな北欧人タイプの高貴な女子がお前みたいな平凡きわまる男をわざわざ呼びとめるのは、女がお前の彼女であるという理由以外には考えられんだろう!」
「誤解だ! この女は前にラーメンの出前を届けただけで……」
「その後、屋敷にお招きして楽しくお話させていただきましたわ」
だーっ! 余計なこと云うな!!
女の言葉に、いよいよ環田の負のオーラが燃え上がった。
「壬堂。ワシはお前だけは裏切らないと思っていたのに……ワシといっしょに三年間、女になど目もくれず放課後は即学校から帰り、コンビニでマンガを読んでストイックな学生生活を送るものだと思っていたのに……」
「た、環田。落ち着け! 俺はこいつとはなんの関係も……できればこいつと会った記憶すら消したいくらいで……」
「くそー!! やはりワシはひとりぼっちだったのだ! 女などつくるようなやつをこれまで同志だと思っていた自分がはずかしい……彼女いない歴=自分の年齢である男にとって、女をつくる男は敵だ! ワシはもうだれも信じん! だれも信じんぞ!!」
そう無茶苦茶なことを云って環田は若干涙目になりながら、ダッシュで走り去る……と思ったら、反転してコンビニに駆け込んだ。
そして本のコーナーに行くと、棚から「アカリボン」を抜き出して猛然と読み始めた。黒々しいオーラを全身から放ちつつ、いきなり全開でトランス状態だ。周りの客は青ざめた顔ですぐに環田から距離をとる。
「今日の奈美子ちゃんはどうなったかな……ふふ、そうか。七股かけてた彼氏と別れたかあ。いいぞ、いいぞ。このまま全ての恋愛マンガが救いようのない失恋で終わればいいのだ。ふふふふふ……ははははははは!!」
そこまで彼を追い込んでしまったことにさすがに罪悪感を覚えはじめてきた俺の気持ちなど全く察することなく、そばのコスプレ娘は平然と話しかけてきた。
「まあ、愉快なご友人ですこと」
「どこをどう解釈したらそんな結論になるんだ……」
俺はもうため息しか出すものがなくなった。
「……一応聞くが、さっき俺を自転車ごと引き戻したのは、どうやったんだ」
「『ハンドグラビティ』のことですか? あれはわたくしの右手から発した『χ-microG+』重力波により、人間の体内にあるごく微弱な磁場『マグネヒューポネシス』をレクト化し、さらにワイドネクタルAシータとコルモゴロフ=ノビロフ熱を併用することで生じるニューシビノエルQontumを螺旋方向に」
「いや、もういい。聞いた俺が悪かった」
もうため息すら出ない。
「……で、俺になんか用か」
「あら、そうでしたわ、来陽亭さん」
「俺の名前は来陽亭じゃねえ! 壬堂だ。壬堂光一!」
「壬堂さんとおっしゃるの? あらいけない。登録しなおさないといけないわ」
「登録?」
「(ガチャッ、ピッ、ピーッ)上書き保存できましたわ。これで壬堂さんがわたくしの周囲100m以内に足を踏み入れれば、わたくしの頭の中に『壬堂』という文字が出ますわ」
お前は警報装置か。
「そんなことより」彼女は困ったような顔をして云った。
「わたくし、いまコンビニに買い物にきているのですけれど、目当てのものが見当たりませんの。一緒に探して下さらないかしら」
無理。絶対無理。そんなことしたら俺はもうこのコンビニに一生入れねえ。
……だがご機嫌を損ねると、前みたいにまたこめかみからバルカン砲を出しかねないからな。なんとかやんわりと断らなければ。とりあえず、何を買うつもりなのか訊いてみよう。
「……で、わざわざコンビニに何を買いにきたんだ?」
「ゲバノン製の最高級木製イスですわ」
イスーーーーーー!!
「イスがコンビニに売ってるわけねーだろ!!」
「うそ。お母様は、コンビニにはあらゆるものが二十四時間売っている、便利なお店だとおおせでしたわ」
「だからってイスは売ってねえよ!」
「でしたら、フーゲンブルグの銀製ナイフセットは?」
「ねえよ!」
「でしたら、サラゴザのロングカーペットは?」
「ねえよ!」
「でしたら、レジタリア産のガーネットのネックレスは?」
「ねえよ!」
「でしたら、ミーテルピンクノイアデスタンは?」
「ねえ……えっ?」
「そんな……わたくしのお目当てのものが、ひとつも売っていないなんて……」
最後のはなんだって?
……まあ、よく分からないまま彼女はショックで顔をこわばらせた。
「せっかく三回もエネルギーチャージしてここまでたどり着いたというのに……神様、ひどいわ。私がなにか悪いことでもしたというの?」
そうして両手で顔を覆うと、彼女は俺の前でそのままひざをおって泣き崩れた。
「えっ!? おい、ちょっと……」
顔が引きつる俺にかまわず彼女は泣き続ける。道を歩いている人たちが俺の方を指差してなにかささやきあっているのが目に入る。みんな、俺の方を非難するような目つきで。
……終わった。今日までの俺の波風立たない生活が。
「頼むから、こんなところで泣くなよ。誤解されるだろ……」
「す、すみません……壬堂さんにご迷惑をおかけするところでした」
もう迷惑どころの話じゃないよ。かなり手遅れだよ。
なんとか立ち上がる彼女に、俺はなにもかもあきらめて逆に悟りをひらいたような心境で云った。
「あの……イスだったらさ、そこの角を曲がったところにある家具屋に売ってるから。とりあえずイスだけでも見てきたら?」
「行けませんの」
「?」
「わたくし、今日はここへ来るようにしかインプットしておりませんでしたから、そちらへ行くにはいったん屋敷に戻ってインプットしなおさなければいけませんの。でももうエネルギーパックは家に帰る分しか残っていませんし……ああ、どうすればいいの」
意味がわからん……。
「そうだわ。わたくしの代わりに、壬堂さんが買ってきてくださらない?」
「――は?」
「わたくしはここでお待ちしておりますから、いま申し上げた品々を買いに行って頂くというのはいかがでしょう?」
「いや、いかがもなにも、俺はお前のつかいっぱしりじゃねえし。だいたいそれなら家に帰って屋敷のやつらにでも買いに行かせればいいじゃねえか。何で俺が――」
そう俺が話していると――
彼女がふいに近づき、顔を寄せてきた。
「なっ、なんだよっ……?」
一瞬、彼女のかわいい顔が間近にきて驚く俺。おまけになにやらいい香りまでする。……普段女子と話す機会なんてほぼゼロだから、胸が少し……いや、相当高鳴る。
で、なにをしたのかと思っていたら――
彼女はいつのまにか手に持っていた赤く光る小さなランプを、俺の首筋にそっとくっつけていた。
すぐに離れる彼女。俺はつけられたものを指で触る。
「……なんだよ、これ」
「時限式の爆弾ですわ。このままですと五分後に壬堂さんの体はこっぱみじんになります」
…………。
あのう。それはひょっとして――
「爆弾を停止する信号は私の手からしか送れません。イスを買ってきていただければお止め致しますわ」
「……冗談だろ?」
「いいえ。本気ですわ」
完全に脅迫だ!
この常識外の女のことだ。きっとこの爆弾も本物に違いない。俺はすぐに首につけられたランプをはがそうとした。だがどれだけ引っ張っても取れる気配がない。
「無駄ですわ。爆弾は壬堂さんの首の組織に入り込んでおりますので」
平然と云う彼女に対し、さすがに俺の堪忍袋の緒もぶちぶちと切れはじめてきていた。
「お前……いいかげんにしろよ……」
限界だ。ただコンビニに行きたかっただけなのに、なんでここまでふりまわされないといけないんだ。
いくらかわいいからって、やっていいことと悪いことがある。もうこんなやつの云うことをこれ以上聞いてられるか。俺はこれまでにたまっていた怒りをぶつけるように、彼女の肩につかみかかる。
「これをはずせ。いますぐにだ! 俺はお前の召し使いじゃないごふぅっ!?」
前がかりになっていた俺の下腹にいきなり、彼女は強烈なボディブローを撃ちこんできた。
細く白い彼女の右腕からは想像できないほどの威力に、俺は息が止まり、その場で倒れて動けなくなる。
「い、いいパンチだ、ジョー……」
「淑女の体に気安く触れてはいけないわ、壬堂さん。さあ、早くしないと、あと四分二十九秒しかありませんわよ」
酷すぎる……。
俺が耐えかねる腹の痛みにどうしても動けずにいると、彼女は追い討ちをかけるように俺を見下ろして云った。
「あまりこの場におられるようですと、さきに壬堂さんの体がハチの巣になってしまいま・す・が」
そう云って急速に表情が無くなる彼女を見て、俺はすぐに下腹の痛みなど無視して立ち上がった。
「ミドウコウイチ、全力でイスを買いに行って参ります!」
「まあ壬堂さん。男らしいのね。では、このお金をお持ちになって」
「はいっ、それでは!!」
俺は心で泣きながらダッシュで家具屋にかけこむと、ゲバノン製だかなんだかよく分からないがとりあえず一番高いイスを店員に頼んで出してもらい、速攻でレジに向かった。
俺は彼女からもらった金をそのまま全部置き「早く計算してください! 人ひとりの尊い命がかかってるんです!!」と訴えた。
鬼気迫る俺の表情にかなり圧されながら、店員がレジを打ち金を受け取る。ああ、あと何分だ。二分ほどか。いや、もう一分ちょっとしかないかもしれない。事態は一刻を争うのだ。早くしてくれ!
そう俺が念じていると、店員が顔をひきつらせながら俺に受け取ったはずの紙幣をみせた。
「あの、お客様。この紙幣、円ではなくシンガポールドルなんですが……」
えっ