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第2話 プリンセス様、もっと出前をおとりになる


「いま紅茶をお持ちいたしますわ」


「はあ、ありがとうございます」


 俺は豪華絢爛な応接室らしき部屋に通された。


 天井にはきらびやかなシャンデリア、床には高価そうなカーペット。壁には有名そうな絵。俺が座っているのはがっしりした木製の椅子。そして正方形のテーブルには真っ白で染みひとつないテーブルクロスに、真っ赤な花のささった花瓶がひとつ。


 その先には、チャーシューメンの器がのっかっている。


 どう見ても場違いだ。ラーメンと、俺。


 店の小汚い服で椅子に座るのが申し訳ないくらい、室内全てが高級品(だと思うたぶん)で整えられている。築三十年ですきま風のふくうちの家とはレベルが明らかに違う。居心地がめちゃくちゃ悪い。


 俺が落ち着かずにきょろきょろしていると、彼女がお盆に紅茶と茶菓子らしきものをのせて戻ってきた。そしてそれを俺の前に慣れた動きで置く。


「お茶はコートジボアール産のシズオカ・キョート茶、お菓子は台湾のパティシエール、ニッポンノ・タマシーさんのマカロンですのよ」


 日本と外国がごちゃごちゃじゃねーか……。


 俺がいくぶん引きつった顔で目の前の紅茶とマカロンを見下ろしていると、彼女が云った。


「さあ、召し取れ……あう」


「えっ?」


「(ココ……ピー)さあ、召し上がれ♪」


 ……いま、召し取れって云わなかったか?


 さらに顔を引きつらせながらも、俺は彼女に云った。


「あの、俺にかまわず先にラーメン食べて下さい。麺がのびますんで」


「麺が……のびる?」


 彼女が首をかしげる。


「麺がのびるということは……増量するということ? ならわたくし、少し時間をおきますわ。その方がたくさん食べられますもの」


 そういう意味じゃねー、と俺は心の中で頭を抱えた。


「あの……麺がのびるっていうのは、麺が水分を吸っちゃってコシがなくなるってことで……要するにマズくなるんです。それに時間がたったらスープも冷めるし」


「まあ、そうなの? では、早めに食べた方が良いですわね」


 云ったが早いか、彼女は俺の目の前から消えた。


「??」


 そして、俺の向かいの席にとつぜん現れた。


 ……あれ。俺、疲れてんのか。あいつが瞬間移動したように見えたな。きっと気のせいだ。


「では、失礼して」


 そして中世貴族の少女が、やはりというべきか予想通りというべきか、箸ではなく金色に輝くフォークで、パスタでも食べるかのようにそそくさとラーメンを食べ始める。頭が痛くなってきた。


 だがいままで気がつかなかったが、よく見ると彼女はけっこう整った顔立ちをしている。透き通るようなきれいな肌に、やや紫がかった大きな瞳。肩の下までのびるブロンドの長い髪は毛先までさらりとして美しい。貴族の格好をして白く細い手で小さな口にラーメンを運ぶそのギャップが、むしろかわいらしく感じる。門の前での俺の祈りがかなえられたようでうれしい。神様ありがとう。でも神様、できればもう少しズレてないコの方がよかったかな。


 彼女はなれない手つきで麺を全て平らげると、スープもごくごくと一気に飲み干した。食べっぷりだけは気持ちいい。


「これがチャーシューメン……なんとも異国の雰囲気を感じる味ですわ」


 そりゃ、西洋じゃないものな。


 俺はマカロンを口に放り込み、紅茶を少しずつ飲みながら、彼女の様子をうかがった。スープは飲み干したのに、まだラーメンの器を両手にもちながら、その中を見つめている。


 ん? 器の底に何かついてるのか? と俺が思ったその瞬間だった。


 彼女が、器の縁に思い切りかじりついた。


「ぶーーっ!?」


 口に含んでいた紅茶が思わず吹き出た。


 驚くというよりもはや「どうして?」という疑問がわく。彼女は陶器でできた器の端に歯をあて、しきりにカチカチと音を立てながらかもうとする。俺はもはや敬語をつかう気力をなくして力なく云った。


「……な、なにをしてるんだ……?」


「器をかじり取ろうとしております」


「あの……器は、食べ物じゃない……んだが……」


「あら、器は食べるものではないの?」


 当然食べるでしょ? とでもいわんばかりに、彼女が純粋な目を向けてくる。


 ズレ方が段違いだ。世間知らずというレベルじゃない。さすがにここまでの金持ちになると、平民が思いもよらない境地に達してしまうのだろうか。俺には一生手の届かない世界だ。むしろ知らない方がよかったかもしれない。


 どうしたらいいのかさっぱり分からなくなった俺にかまわず、彼女はまた器にかみつき始めた。いったいあいつの頭の中はどうなって――


 そう俺が思ったとき。


 彼女が器の一部をぺきっ、とかみちぎった。


「いっ!?」


 そしてせんべいでも食べるかのように、彼女はパリポリと陶器の破片をかみくだいていく。


「……え…………あれ…………?」


 俺は一瞬、目の前でなにが起きているのか理解できなかった。


 彼女が、ラーメンの器を、食べている。淡々と。静かに。


 ふと顔を上げた彼女が、不思議そうに俺の方を見る。


「どうふぁされまふぃたか?」


 口を動かしながら、間の抜けたようにしゃべる彼女。口の中が切れて血だらけにでもなっていそうだが、そんな様子は全く無い。


 どうなってんだ……?


 まさかこいつ、人間じゃ……


 いや、と俺は考え直した。他人を疑うのはよくない。


 これは夢だ。俺が勝手に妄想した夢なんだ。


 きっと彼女が現れる前から――屋敷の前に着いたときから――いや、そもそも親父に出前を頼まれたこと自体が夢だったんだ。その証拠にほおをつねってみれば、ほら……いてっ。


 涙が出そうになった。


 一気に顔が青ざめる俺の前で、彼女はどんどん器を食べ進み、ついに全てを腹の中におさめてしまった。


「ごちそうさまでした。とても美味でしたわ」


 本来ならもう一段階前で出るべき言葉だと思うのだが、もはやそれについても自信がなくなってきた。


 屈託のない顔で満足そうにほほえむ彼女に対し、俺はもうどんな言葉を返していいのかさっぱりわからなくなった。目の前のできごとが現実なのか虚像なのかすら判断がつかない。俺は半分思考が停止した状態で、か細く云った。


「……ああああありがとうございます。またよろしくお願いします。あ、器、頂いておきますね……」


「なにをおっしゃっているの。器はもう食べてしまいましたわよ」


「器……うつわ? ああ、『ウツワ』のことですか。で、ウツワはおいしかったですか」


「ええ、とっても。長石と珪石の配合が絶妙でしたわ」


「そうですか。ならよかった。あはは。あはははは。じゃあ、器を頂いておきますね」


「なにをおっしゃっているの。器はもう食べてしまいましたわよ」


「器……『ウツワ』を食べたんですよね。じゃあ、器を……」




 …………。




 しっかりしろ!しっかりしろ、俺!! 目の前の現実から目をそむけるな!!


 彼女はラーメンの器を食べたんだ! どうやってかは知らないが、とにかく食べたんだ!! なんだよ『ウツワ』って! 自分で云っててわけわかんねーよ!!


 俺は自分を奮い立たせた。俺がいまやっている格闘ゲームのキャラ、老ネルソン師範も云ってたじゃないか。「混乱したときこそ平常心。平常心が大事なのだよ」と。大丈夫。俺にならやれる!


 などと俺が自分で自分をはげましていると、いつのまにか彼女は小さなかごをもって俺のそばに立っていた。


「おわっ!?」


 びっくりして椅子から立ち上がる俺に、彼女は笑顔をふりまく。


「ボンボンはいかが?」


「ぼ、ぼんぼん……?」


「アメ玉ですのよ。いかが?」


 チャーシューメンのお礼だろうか。彼女が唐突にアメをすすめてきた。


 よく考えろ俺。この非現実的な状況から抜け出すには、一刻も早くこの家から抜け出すことが一番だ。こんなアメを食べて「けっこうなお味ですね」などとのんびりお世辞を云っている場合じゃない。自分を取り戻すんだ。そしてくだらないけどそれなりな元の世界に帰ろう。


 俺はきっぱりとした態度で彼女に云った。


「いや、アメをなめている暇はないんだ。俺は早く店に帰らないといけないんで」


 すると、彼女の顔から一瞬で表情が消えた。


 そして――


 ピーッ、ガシャッ、ガシャッ。


 彼女のこめかみから小さなバルカン砲が現れ、そこから一秒六十発の速さで実弾が発射された。







 ババババババババババババッッッ!!!


「!?!?!?!?!?!?」







 気がつくと、俺の足元の床が、ハチの巣になっていた。


 何が起きたのか理解できない。思考が現実を認めようとしない。


 だが本能は、俺に強く告げていた。




 ――殺される。




 彼女はバルカン砲をもとのようにしまうと、また笑顔をふりまいてきた。


「ボンボンはいかが?」


「いただきます! いただかせていただきます! あむっ……う、うん、けっこうなお味ですね!」


「まあうれしい。全部食べていただいてかまいませんのよ」


「はいっ!」


 俺は精一杯の笑顔を返しながら、心の中で涙を流した。


 武力行使だ……。


 俺は自分のいま見た映像が信じられなかった。彼女の頭の横からなんか出て、俺に向けてなんか物騒なものを撃ってきた。


 いったいなんなんだこいつは。皿を食べて、弾を撃って……絶対人間じゃないだろ。やっぱり夢だ。これは悪い夢なんだ。その証拠にほおをつねってみれば……いたい。


 もう勘弁してくれ。


 一秒もこの家にいたくない。早く逃げたい。折れそうになる心をなんとか支えつつ、俺はふらふらとおかもちを手にした。


「あら、もうお帰りになるの? ボンボンは――」


 また表情が消えかかる彼女に、俺はあわててアメの入ったかごを持ち上げて云った。


「ああ! と、とてもおいしかったので、家族や友達にも配ろうかな、なんて……ははは」


「まあそうなの? では、なにかに包んで――」


「い、いい! そこまでしてもらわなくても! こっちで適当に包むんで!」


「あら、遠慮なさらなくていいのよ」


「いや、本当に大丈夫なんで! じゃあ、ばいなら!!」


 俺はダッシュで部屋の入り口に行き着くと、ドアを速攻で開けて出て行った。後ろで「いけない、お待ちになって。お代がまだ――」とかいう声が聞こえた気がしたが、そんなことにかまっていられない。お代より自分の命の方が大事だ。


 俺は家を出て猛然と門のところまで駆け抜けた。だがやっぱり遠い。帰宅部の俺はぜえぜえと息を切らせて門の前でへばってしまった。


 後ろを振り返る。追ってくる様子はない。よ、よかった……。


 と思ったとき。


 ずらっと並ぶ家の窓のひとつが一瞬、キラッと光ったように見えた。


 あそこはたしか、あの女の部屋のあたり――


 そう気づいた瞬間。


 その窓から、ものすごい速さで人間の腕が飛んできた。


「……えっ」


 俺はかわす間もなく、そのロケットパンチをもろに顔面に受ける。


「ぶへぇっっっ!!!!」


 見事な右ストレート。ぶったおれる俺。


 おかもちもアメもばらばらになって地面に転がる。俺は意識を失いかけながら、目の前に落ちた白く細いひじから先だけの腕をながめた。


 あいつだ。あいつの腕だ。間違いない。


 よく見ると、手には手紙らしきものがにぎられている。俺は薄れゆく意識の中で力なくそれを手にとり、表書きを見てみた。






「ラーメンのお代です。ごちそうさまでした♪」






 かわいい丸文字だった。





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