最終話 プリンセス様、もっとメモリーに愛を刻まれる
外国車だろうか。みたこともないスレンダーな形の、真っ黒なスポーツカー。マフラーを改造しているのか、ドドドドドッとものすごい排気音をぶちまけながら、グラウンドに侵入してくる。
(……なんだ。どっかのヤンキーか?)
学校の先生が乗ってくるような軽自動車とかセダンとか、ステーションワゴンみたいな生やさしい車じゃない。近づくとすぐにはね飛ばされそうな、喧嘩上等オーラ全開の危ない車だ。
自分のキケンさをみせつけるかのように、その車はスピードを徐々にゆるめると、あろうことかグラウンドのど真ん中で堂々と停車した。
しばらくアイドリングした後、エンジンがとまる。窓際に座るほかのクラスメートも、みんな気になったのか外をのぞき始めた。
(おいおい、だれだよあの車。殴りこみでもはじめるつもりかよ)
少し緊張してきた俺の視線の先で、運転席のドアが開く。
中からおりてきた人の格好をみて、俺は驚いた。
茶色の上着に、黒と赤のチェック模様のスカート。どうみても、うちの高校の女子が着る制服だ。
ってか、高校生がなんで運転席から降りてくるんだ? じゃあ、あの車はあいつが運転してたってことになるぞ。
「え~、転校生なんだけど、実はもう一人います。でもちょっと遅れているみたいで、もうすぐ着くと思うから……」
鹿ヶ瀬先生のそんな説明を聞き流しながら、俺はグラウンドに立つ女子に目を凝らす。
どんなやつだ。そう思って、そいつの顔を確かめようとしたとき――
俺の心臓が、一気にとびはねた。
窓際に顔を寄せる。もっとよく見えるように。
目線の先にいる女の姿が、俺のさっき思い描いていたイメージとぴったり重なった。
少し低い背に、細く白い手足。
肩の下までのびるブロンドの髪。丸みを帯びた顔。
紫がかった大きな両の瞳。
いつもの中世貴族の派手なドレスじゃなかったから、すぐには分からなかった。
忘れもしない――でも、信じられない――。
俺は、彼女の名をつぶやいた。
「――ミース」
そのとき。
グラウンドに立ち尽くした女は、顔をこっちに向けてきた。そして、おもむろに右腕を前に突き出す。
腰を落とし、ひざを少し曲げ、体勢を整えると――
ドンッ! と。
彼女は、その腕を『撃って』きた。
「……えっ」
少しの反動と鈍い音、それから白煙を残し、彼女の細い右腕が、全速力でこっちに向かってくる。
ドオオオオオオオオッ!!
ものすごい爆音を、校舎じゅうに響かせながら、ひじの後ろの部分から火をふき出す。腕は全てのものを弾き飛ばす勢いで一直線に突き進んでくると、目にも止まらぬ速さで三階にある俺の教室まで到達する。
そしてその右手が、開いていた窓のサッシの部分をがしっとつかんで止まる。
「!?」
腕と彼女とは、細い鉄色のワイヤーらしきものでつながっている。
そして――
今度は彼女自身が、ワイヤーを引き込んで空中に飛び出した!
サッシに固定された腕に吸い込まれるように、彼女は上下左右にブレながら、グラウンドから俺のいる教室までものすごい速さで突っ込んでくる。
このままだと、その先にあるものに――つまり俺に、激突する。
「ちょ、ちょっとま――」
俺は回避しようと机を立ち上がろうとした。
だが、遅かった。
背を向けようとしたところで、ミースの体は窓枠を一気に越え、教室内に頭から突撃してきた。
そしてそのまま、俺の方へ――
「ぐはあぁっっっ!!」
がらがらがっしゃんっ!!
――俺は窓から飛び込んできたミースの体当たりを、もろにくらった。
周りの生徒の机を巻き込みながら、ド派手に吹っ飛ぶ。着地もなにもあったもんじゃない。
「な、なに……?」
「だれか飛び込んできたぞ!」
「だれだよ、いったい!?」
クラス内が騒然となる。いきなり窓から――しかも三階の教室に人が飛び込んできたんだから、当たり前だ。
「……いっ……てえ……」
気がつくと、俺はむちゃくちゃに崩れた机やイスの中で、あお向けにぶっ倒されていた。
なんなんだよ、いったい……。
突然の襲撃にわけのわからないまま、俺は状況を確かめようとすぐに目を開く。
――と。
俺の目の前十センチくらいに、見覚えのある女の顔が迫っていた。超至近距離。
「!!」
よく見ると、彼女は両足をたたんで、俺の体の上にのっかっている。両手は俺の肩の上。
……俺、押し倒されている?
間近にあるミースのつややかな顔。いいにおい。なぜか緊張して、俺は言葉を出せずにいた。
「(ガガ、ピー、ピピ)――失礼致しました」
だがミースの方は平然とした様子でそう云うと、なにごともなかったかのようにすっと立ち上がった。
――再会できた。
やっぱり、ミースは神出鬼没だった。あいからわず無茶苦茶なやり方で、俺の前に現れやがった。
周りの同級生はみんなぼう然としている。彼女は首をめぐらせて辺りをうかがうが、だれも口を開かない。先生ですら、窓からとびこんできた転校生に、なんと声をかけていいのかわからないようだ。
でも俺は、真っ先に云った。
「ミース」
後ろ手に上半身をもちあげつつ、彼女の名前を呼んだ。
俺の声に、彼女は再びこちらを振り返る。そして俺の顔をみて、また会えましたねとうれしそうに笑い――
「――なぜわたくしの名前を、ご存知なのです?」
「……えっ?」
予想と違い、なぜか不思議そうな顔をしているミース。
「なぜって……俺だよ、俺。覚えてるだろ?」
「…………?」
ミースは首をかしげて、困ったように目を細める。
反応がおかしい。
俺の胸の澱みが、静かに浮き上がってきた。不安が、心の中に広がり始める。
その不安は、彼女の言葉で現実になった。
「申し訳ありません。わたくし、三ヶ月ほど前に脳内メモリーを全て新しいタイプのものに入れ替えましたので……それ以前にお会いした方の記憶はございませんの」
――なんだって。
脳内メモリーを入れ替えたって……どういうことだよ。
嫌な予感が、俺の胸を突き刺す。認めたくない事実が、俺の視界を覆う。立ち上がりながら、俺は問い詰めるように訊いた。
「記憶が無いって……本当に覚えてねえのかよ。ロボットなら、記憶くらい新しい体に移せるんじゃねえの」
「すみません。本来ならそうなる予定だったのですが、バッテリーの容量が十倍になる体に交換するにあたって、全く新しいシステムのメモリを採用することになったので……過去の記憶は全て消去されました」
悲しそうな顔をつくってミースが頭を下げる。その姿を、俺はひどく冷めた目でながめた。
いまのミースは、全くの別人――。
姿形は同じでも、中身は俺を知らない赤の他人――。
ミースの記憶は、もう消去された。
もう消去された。
消去され――
「ウソ、だろ」
かなうはずのない願いが、かなった。ミースが、俺の前に再び現れてくれた。
でも、こんなことって、あるかよ。中身だけ違うって……。二度と会わないより残酷だろ。
複雑な気持ちを抱く俺の前で、ミースは先生の姿をみつけ、あいさつした。
「鹿ヶ瀬先生。レッスンに遅れてしまい、申し訳ありませんでしたわ。今日からお世話になります」
彼女の言葉に、先生は我に返ったように口を開く。「あ、え、ええ……よろしく。みんな、なんていうか、その……インパクトのある登場の仕方だったけど、この子が今日からこのクラスに加わる、衿倉ミースさんよ」
ミースはかわい気のある笑顔を浮かべてクラスメートにお辞儀をする。明らかに人間ではありえない動きで現れた彼女に対し、みんな驚きで目をむきつつ、興味と関心と好奇の眼で見つめているようだった。
そんな中で、俺だけがどんな態度をとっていいのか、分からないでいた。
「よろしくお願い致します」そう云ってミースは俺にも笑顔を向けてくる。人間らしい、人間にしか見えない、自然で印象的な笑み。俺の記憶にはしっかり刻まれている。
でもいまのこいつは、全てを忘れている。俺がラーメンを届けたことも、コンビニでイスを買わされたことも、肉屋で超高級タンを買ったことも、ゲーセンで遊んだことも――。
「へー。この子、コンビニの前で壬堂君に泣かされてた子だよね。まさか同じクラスになるなんて、すごい奇跡じゃん。よかったね!」
瓜生が何も知らずに陽気に話しかけてくるのを、俺は返事もせずにやり過ごした。
ひっかかっていたことが、ひとつあった。
「……ミース、ひとつ訊きたいんだけど」
「はい、なんでしょう」
「『ミース』って名前、お前の正式な名前なのか。それ、俺がつけたあだ名だったはずだけど」
そう俺が云うと、急にミースの顔つきが変わった。
「……あなたが、つけた――?」
「ああ。ほんとはエムイーエーエスイー205オメガとかなんとかいって、長かったから、俺が『ミース』ってあだ名をつけたんだ」
それを聞くと、ミースは少し間をあけてから、つぶやくように云った。
「もしかして、あなたは――ミドウコウイチさんですか?」
えっ。
「どうして、俺の名前――」
それにかまわず、ミースはうれしそうな顔に――以前のままの、笑顔になって云った。
「壬堂さんなんですね? ああ、まさかこんなに早くお会いできるとは思いませんでしたわ。それにわたくしと同じ学校だなんて……驚きです」
ミースは両手を胸の前で組み合わせ、感動した様子で紫色の瞳をめいっぱい開く。俺は訊かずにはいられなかった。
「ちょっと待てよ。お前、以前の記憶を無くしたんじゃないのか。なんで俺の名前だけ憶えてんだ」
俺がそう云うと、ミースはゆっくりと話し始めた。
「わたくしが、いまの脳内メモリーになる前――五月まで使用していた古いメモリーのミースが、記憶データを消される前に、お母様に伝えたそうです。『学校でのわたくしの名前は、ミースにしてほしい。わたくしの大切な方から頂いた名前だから』と」
「……それ、本当、なのか」
「はい。その『大切な方』のお名前がミドウコウイチだということも、古いメモリーのミースが言い残したそうです。お母様から聞きました。本当はそんなことはしないんだけど、前のミースがあまりにむきになるものから、名前だけを残した、と」
――なんだよ、それ。
胸が痛い。しめつけられるような感覚。俺の脳裏に、最後にミースと別れたときの光景がよみがえった。
「また、会えますよね」と云って別れた、ミースの姿。
記憶が消されるなんて――
そんなこと、云ってなかっただろ。
これで最後になるなんて、あのとき、云ってなかっただろ。
それを知ってたら、もう少しマシな別れ方だって、あっただろ――。
ゲーセンに行った後、路地裏で別れたとき、ミースにはもうわかっていたんだ。これが最後になるってことを。
それなのに、俺は簡単に「また明日会うんじゃねえか」とか云って、あいつを見送った。
俺は、バカだ。
ミースよりよっぽど、世間知らずじゃねえか。
ミースの気持ちも分からず、いい加減なことを云っちまった。
少しだけ――俺は目をふせた。胸にこみあげてくるものを、必死におさえるために。
クラスメート全員の視線が集まってるのに――なんだよ、こんなところで。
ミースは、ロボットだ。世間知らずで、人間の常識が通用しない、困ったアンドロイドだ。
なのに、なんで俺の心に触れるようなことをしてくるんだよ……。
言葉が出せない俺に、ミースは云った。
「きっと前のミースは、幸せだったと思います。壬堂さんみたいな優しい人に出会えて。前のわたくしとよくお話しして下さったのは、壬堂さんだけだったと聞いていますから」
ミースはにこやかに笑う。
「すぐに壬堂さんにお会いできたのは偶然ですが、幸運です。わたくしも、前のミースに負けないよう、努力致します」
「なんだよ努力って……。ゲーセンで遊んだだけじゃねえか。別にたいしたことしてねえよ」
「壬堂さんにとってはそうかもしれませんが、わたくし――前のわたくしにとっては、とても心に残ることだったんだと思います。
人が感動する基準は、人によって違う。ある人にとっては当然のことでも、別の人にとってはとても心を打たれることがある。前のミースも、壬堂さんという人に出会えて、話せて、そのことがとてもうれしくて、メモリーにあなたとのことを深く刻んだのだと、わたくしは思います」
「なに人間みたいなこと云ってんだよ……バカ野郎」
「たしかにわたくしは人間ではありませんが、野郎ではありませんわ。バカと呼ばれることに対しては、訂正できるよう努力いたします」
「わかってるって、くそっ」
そういうところがミースらしいな。俺は思った。
でも……そうだ。そうなんだ。
記憶なんて、これからまたいくらでもつくっていける。
消えたんなら、前以上に大切な記憶をつくればいい。これから新しい記憶を、つむいでいけばいい。きっと前のミースもそれを望んで、名前を残してくれたんだから。『ミース』という自分の名前と、『壬堂光一』という話し相手の名前を。
ミースは、名前の中で生きている。そして目の前に、新しいミースがいる。
やることは、決まってる。
俺は心に決めて、ミースに云った。
「俺にどこまでやれるかわかんねえけど……これから、よろしくな」
「はい。よろしくお願いします!」
ミースは両手を前で合わせて、ぺこっと頭を下げる。
「壬堂さん。もうひとつ、前のメモリーから伝えられたことがあるんですが――」
「ああ、なんだ?」
「もし壬堂さんにお会いできたら、大切な人だから、ぜひお礼を差し上げてください、とのことでした」
「お礼?」
「はい。ではぶしつけではございますが、お礼をさせていただきます――」
云ったが早いか、ミースはすっと俺の目の前に寄ってきた。
そして、両手を胸の前で合わせたまま、少しだけつま先立ちになると――
俺の唇に、自分の唇をそっとかさねてきた。
「――――!?」
ミースからの唐突なキス。
周囲のクラスメートがいっせいにざわついた。
すぐにミースは俺から離れる。少しはにかんだ表情を浮かべて。
「み、ミース、お前なにやって……」
やわらかい感触が、口に残っている。自分で顔が熱くなっているのが分かる。
「なにって、『人間には、大切な方と毎日唇を重ねる習慣がある』と、お母様からお聞きしましたから、そのようにしただけですわ。……何か不都合でもございましたか?」
「不都合もなにも……そういう問題じゃねえだろ!」
「では、どのような問題が?」
ああ、やっぱり頭痛い……。
「やあやあ二人とも。おアツいねえ。見てるこっちが恥ずかしいよ。ヒューヒュー!!」
近くで見ていた瓜生が陽気にはやしたててくる。それに乗じて、みんな「おめでとう!」とか「やったね!」とか云ってくる。指笛をならすやつ、拍手を送ってくるやつ……。環田ですら、ニヤニヤしながら拍手を送ってくれている。
……なんか、気分がいいな。俺、クラスメート全員に誉められてる。いままで教室の隅でグラウンドをながめてるだけだったぼっち状態の俺が、まさかこんなに注目されるなんて。俺って、すげえことをやってのけたんだ。はは、うれしいな。みんなありがとう。ありがとう――
「って、そんなわけあるかぁ!!」
全力で、俺はクラス中のやつらにツッコミを入れた。
俺とミースのせわしない日々は、これから当分続きそうだ。
――END?