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第13話 プリンセス様、メモリーに愛を刻まれる



 それから三ヶ月が過ぎた。


 6月はじめに中間テストがあり、7月末には期末テスト。それから学校は夏休みに入った。季節は梅雨から真夏へ、そして残暑の残る9月になろうとしている。


 俺はあいかわらず高校の授業が終わればすぐに家路につき、家でテレビゲームをするかマンガを読むか、というだけの日々を過ごしていた。ときどきコンビニに寄ってマンガ雑誌を読み、親に呼ばれれば店の手伝いをした。


 学校では瓜生の手下というポジションが変わることはなく、ずっとパシリをやらされた。ときには宿題を押し付けられたり、きまぐれな命令を受けたり(「一発芸をやってくれない? 私が爆笑できるようなやつ」とか)。さんざんこきつかわれ、俺は毎日げっそりだ。


 環田は連日コンビニを渡り歩いている。あいつが「名作になるだろう」と主張していたヤングアフタヌーンのマンガ『聖なる町のプリンセス』は先日いきなり謎の休載になり、環田は涙を流して俺に「わしの、わしの生きる希望のひとつが消えたぁ~~!!」とか叫んできた。ほかにも希望があるならそれでいいじゃねえかと返したら、なにも云わずに去っていったが。


 夏休みに入ると店の手伝いをすることが多くなり、相対的に綾音の精肉店に行くことも多くなった。綾音の俺に対するツンツンした態度は全く変わることなく、最近では俺が言葉をかけてもろくに口をきいてくれない。さすがに俺もイライラがたまり、三日前に行ったときにはお互いひとことも発さずに別れた。もう泥沼状態だ。


 そんなこんなでろくでもない夏休みもあっという間に過ぎ、学校は二学期に入った。今日はひさしぶりの登校日だ。


 今日からまた瓜生に面倒ごとを押し付けられる日々が始まるのかと思うと、かなり気分が落ち込む。そう思いながら、教室の一番窓側の席でグラウンドをぼーっとながめていると、早速瓜生が声をかけてきた。


「やあ、手下A。夏休みは元気だったかい?」


 休み前と何もかわらず、憎たらしいくらいの明るい笑顔で俺のことを「手下A」と呼んでちょっかいを出してくる。変わったことといえば、夏休みを過ぎて瓜生の肌が少し焼けていることくらいだ。きっと彼氏と海にでも行ったんだろう。俺は目線を合わせずに云った。


「ああ、最高のバカンスだった。どこかのだれかにパシらされる心配がなかったしな」


「そうかそうか、それは結構だね」瓜生は俺の皮肉など全然意に介さずに答える。「そんな壬堂君に、心の広~い私から、一学期のごほうびをあげよう」


 そう云うと、瓜生は唐突に二枚のチケットを俺の目の前にちらつかせた。


「……なんだよ、それ」


「あれ、見たことないの? 世間知らずだなあ、壬堂君は。日本一のテーマパーク、東京チュウチュウランドの一日フリーパスチケットに決まってるじゃん」


「それは知ってる。なんでそんなもん、俺に見せつけんだよ」


「なんでって、君の親分である沙弥香様が、君の日ごろのはたらきをねぎらおうと、この高価なチケットをめぐんであげよう、って言ってるんだよ。 それとも壬堂君は、このチケットがほしくないのかな?」


 ……どういう風の吹き回しだ?


 俺の中で「うれしい」という気持ちよりも「なんか怪しい」という気持ちの方が格段に勝っている。いままで俺を馬車馬のように働かせていた瓜生が、急にこんな手のひらを返したような態度をとってくるなんて、いくらなんでも怪しすぎるだろ。


「……またなにか企んでるんじゃないだろうな」


「うたぐりぶかいなあ、壬堂君は。ごほうびだって言ったじゃん」


「疑うだろ、普通。だいたい、そんなもんがあるんだったら、休みの日に彼氏と二人で行ってきたらいいだろ」


 俺が云うと、瓜生は妙にニヤニヤした顔になった。「まあ、それは、なんといいますか……ちょっとお互い忙しくて、予定が合わないというか……使う機会が無いっていうか? そんなだから、もったいないし壬堂君にでもあげようかと思ったわけだ。うん」


 ……なんか釈然としないな。


 もらえるのは素直にうれしいが、簡単に受け取っていいもんだろうか。どうせまたこのことをネタに「あのとき、チュウチュウランドのチケットあげたよねえ。じゃあ飲み物くらいおごってくれてもいいよね」とか言ってきそうで怖い。だいたい、いくら忙しいからって、彼氏と遊びにいくヒマくらいあるだろ。そんなに遠いところじゃねえんだし。


 俺が疑ってなかなか手を出さずにいると、瓜生は二枚のチケットを指にはさんでぺらぺらさせながら云ってきた。


「せっかくだしさあ、彼女と行ってきたらいいじゃん。ほら、このあいだ君が泣かせてたかわいそうな子」


「泣かせてねえよ! 何回いえばわかんだよ!!」


「まあまあ。そのときのつぐないってことで誘ってみたら?」


「だから泣かせてねえっていってんだろ! つぐなうことなんてひとつも――」


 そこまで云って、急に俺の脳裏にあいつの――ミースの顔が浮かんだ。


 最後に別れる直前の、うるんだようにみえる瞳を向けてきた、あいつの顔が。


「――ん? どうかした? まさか、ほんとに泣かせてたとか?」


「うるせえ」俺ははきすててから、ぼそっと云った。


「だいたい、ここ数ヶ月あいつには会ってねえし」


「えっ、そうなの――?」


「ああ。五月の中旬くらいに偶然ゲーセンで会ったきりだ。それから一度もみてねえよ」


 実際、そうだった。


 あのとき――ゲーセンから全力ダッシュで逃げのびたあと、人気のない道端で別れてから、ミースには一度も会っていない。


 それまではだいたい週一ペースで見かけたり話したりしていたから、どうせすぐにまた会うんだろうとタカをくくっていた。でもあれ以来、ミースの姿を見かけることは一切無くなった。


 環田に聞いたこともあったが、やつも町中でミースに遭遇することはないらしい。もしかして綾音にスカウトされてたり、とも考えないではなかったが、夏休み中の店の様子をみるかぎり、そんなことはないらしかった。


 ミースの姿が、町から消えた。


 あれだけ目立つ姿だから、いればすぐにみつかるはずだ。もしかして、あまりに目立ちすぎたから外に出られなくなって、屋敷の中にこもっているとか。そうも考えて、一度だけ近くの本屋に行く途中、あいつの屋敷の前を通ってみた。


 以前みたときと変わらない大きな塀。長い門はもちろん、ぴったりと閉ざされていた。


 呼んでみようか。俺は門の前で自転車を止めようとしたが、そのとき気がついた。


 インターホンが、無くなってる。


 表札はもともと無いから、インターホンも消えれば、玄関はただの壁。だれの訪問も望まない、無機質な白い壁が、ただそこに立ちはだかっているだけ。


 俺の胸に、冷たいよどみが落ちた。






「だいたいあいつとは、いっしょにどこかにでかけるような仲でもねえしな。もし今日会ったって、適当にあいさつするだけで終わんじゃねえの」


「へえ~。冷たいねえ、壬堂君は」


「別に冷たくねえよ。ほんとにそれだけのつながりしかねえっての」


 ウソだ。


 あいさつするだけのつながりなら、心配してわざわざ屋敷まで行ったりしない。


 瓜生に云ったのは、これ以上話題を広げないための強がりだ。ゲームセンターで一緒に遊んだ、なんて云ったら、また瓜生にどれだけ茶化されるか分からないからな。


 ――でも、本当にウソか?


 一緒に遊んだ、といっても、そんなに長い時間を過ごしたわけでもないし。意気投合したのは最後のゲームだけだ。友だち、と呼べるほどの間柄でもないんじゃないか。


 自分でも分からなくなってきた。あいつはただの知り合いか。それとも、一瞬でも楽しく遊べたんだから、友だちか。くそ。なんでミースのことでこんなに悩まないといけねえんだよ……。


 俺が考えに沈んでいると、瓜生がチケットを口元に寄せながら、俺の顔をのぞきこんできた。


「……ほんとに、あの子とはそれだけなの?」


「だ、だからそうだって言ってんだろ。何を期待してるのか知らねえけど、お前の思い通りにはなんねーよ」


「なんだ、つまんないなあ。せっかく沙弥香様が壬堂君の恋路の応援をしてあげようとしたのに」


 瓜生は言葉とは裏腹にたいしてがっかりもしていないような表情のまま、さらにいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「じゃあ、私と行く? チュウチュウランド。このチケットでさ」


 ……は?


 突然の提案に、俺は速攻で首を振った。


「それは断る」


「なんでー」


「一日中命令を受けなきゃいけない俺の身にもなってみろよ。干からびて死ぬって。ってかだいたい瓜生さん、彼氏いんだろ。万が一誤解されたりしたら大変じゃねえか」


「いいじゃん、べつに。気まずい三角関係ができて面白そうじゃん」


「どこがだ! 面白いのはお前だけだ!!」


 ちぇっ、つまんないなあ、とこぼしながら、瓜生は小さくため息をついた。


「じゃあこのチケットはもういらない? 何かつかうアテがあるんだったら置いてくけど」


「ああ、じゃあ」俺はいいアイデアを思いついた。「使わねえんなら、一応もらっといていいかな。せっかくだし、従兄妹にあげるわ」


「いとこ? なんで?」


「そりゃ、まあ……従兄妹も高校生だし、これ使うかもしれねえから」


 綾音は前に「いつかチュウチュウランドで兄様をひとり占めしたい」とか云ってたからな。喜ぶかもしれない。それで少しでも綾音の機嫌がよくなって、ちょっとは俺とも話してくれるようになればいいんだが。


「う~ん、何か悔しいけど、まあいいでしょ。ほれ、チケットだ。受け取りたまえ」


 そう云うと、瓜生は手にしていたチケットをぱっと空中で放した。二枚の紙が左へ右へ揺られながら、床に落ちる。


「……拾え、と?」


「そう。手下Aよ、沙弥香様の前でひざまずきなさい。そしておこぼれを拾うのだ!」


「……もういらねえ」


「おや、勘違いしないでよ手下A。これは『命令』よ。あなたに断る権利はないの。従わないと、放送部の友だちに頼んで、あの娘と壬堂君のもつれた関係をお昼の全校放送で流してもらうから」


「拾います! 拾わさせていただきます!!」


 ――やっぱりニ学期も思いやられるな。











 始業式を終え、俺たちはそろそろと教室に戻ってきていた。もうすぐ今学期最初のホームルームが始まる。


 俺は例のごとく教室の隅でぼーっとしていると、今度は環田が話しかけてきた。


「壬堂よ。よく聞きたまえ。お前にいいニュースがあるぞ」


「なんだよ。どうせまた『どこそこのマンガでワシが注目している作家先生の新連載が始まったから絶対読め』とかだろ」


「な、なぜ分かったのだ……? 壬堂よ、まさか夏休みの間に第三の眼が開いて、テレパシーが使えるようにでもなったのか?」


「なんだよそのサイキックな設定は。お前のニュースはいつも同じだから、だれでも予測つくっての。テレパシーなんかいらねーよ」


 ぬうう、やるなお主。と環田は戦国武将のようなセリフを、戦国武将のようなけわしい顔ではいてくる。


「だが、今回はそれだけではない。もうひとつ耳寄りな情報があるのだ」


「もうひとつ?」


「そうだ。職員室で偶然聞いたのだが、今日、このクラスに転校生がくるらしいぞ」


「転校生」


「うむ。しかも女子だ」


 環田がなぜか右手の拳にめきめきと力を込めている。


「このクラスにはわしのマンガに対する情熱を理解してくれる女子はおらぬからな。その転校生がわしと同じように全てのマンガをわけへだてなく愛し、わしと同じように放課後は必ずコンビニでマンガの立ち読みをし、わしと同じように周囲には全く理解されない人間であってほしいものだ。そうすれば、学校内で仲のいい女子に平然と話しかけるというわしの野望の達成がぐっと近づくに違いない……!」


 そう云いつつ、環田はよくわからない情熱の炎を目にめらめらと燃やしはじめる。


「ってか環田、どんだけ女子と話したいんだよ……」


「愚問だぞ壬堂。わしにとって日常的に女子と会話をするということは、死んだ人間を生き返らせることくらい困難なことなのだ! それを実現できるチャンスが目の前に迫っているというのに、なぜ興奮せずにいられるのか。いや、興奮する!」


 しすぎだ、環田。いつからそんなに女好きになったんだ。


 でも、転校生か。それも女子。


 まさか、な。


 そんな都合の良い話なんて無いと思いつつ、心のどこかで期待してしまう。


「環田。その転校生、どんなやつなんだ?」


「わしも小耳にはさんだだけだから、女子ということ以外は知らぬ。まあ、まもなく鹿ヶ瀬先生が連れてくるから、すぐにわかるだろう」


 ちょうどそこで、キーンコーン、カーンコーン、と授業開始を知らせるベルが鳴った。


 生徒が全員席に着き始め、学級委員長が教壇に立つ。ほかの学校ではあまり無いみたいだが、うちの学校にはクラス担任の教師というのがいない。出席の確認や学校からの通知、ホームルームなどは全部、クラスの代表である学級委員長が仕切ることになっている。


 委員長である女子が、慣れた調子で話し始める。「これからホームルームですけど、最初に鹿ヶ瀬先生から、転校生の紹介があります。もうすぐこられると思うんだけど――」


 彼女が云うと、タイミングよく廊下から足音が聞こえてきた。二人分。たぶん先生と、転校生だ。


 俺はどうしても、少しだけ期待せずにはいられなかった。


 確率はゼロに等しい。そんなことは、ありえない。でも可能性を無視した淡い願望が、俺にそれを予感させていた。


 転校生は、ミースなんじゃないか。


 普段着ている白黒の派手な衣装から、うちの学校の地味めな制服にしれっと着替えて、教室の入り口から現れるんじゃないか。


 なにしろあいつは、神出鬼没なんだ。


 俺が全く想定していないような場所にも、平気で現れる。ゲーセンでレースゲームのカリスマとして俺の前に出てきたときもそうだ。転校生としてやってくるくらい、あいつにとってはたいしたことじゃない。


 そんな気がする、というだけ。根拠は無い。勝手に俺がそう思っているだけだ。でも、言い知れない予感が俺の胸の鼓動を早める。


 教室のスライド式の扉が、スルスルと開かれた。


 まず最初に鹿ヶ瀬先生。システム工学の先生で、セミロングの茶髪に大きな藍色のメガネをかけている、常に白衣の女性教師だ。いつみても教師というより研究者にしか見えない。快活な学校より閉め切った研究室の方が、雰囲気に合っている。


 そして――


 先生に続いて、転校生が入ってきた。


 ゆったりとした足取りで、教室に足を踏み入れる少女。


 落ち着いた茶色い色の上着に、赤と黒のチェック模様のスカート。うちの学校の制服だ。


 背格好は、ミースにそっくり。体型も似ている。


 見覚えのあるシルエットに、俺は一瞬、期待した。


 本当に、ミースが――


 ――だが、彼女の顔をみた瞬間。


 俺の願望は、あっけなく砕けた。


 細身の体型、肩の下までのびる髪こそ同じだが、顔立ちも髪の色も明らかに違う。よく見ると、背も若干高い。どちらかというと清楚で、おっとりしたタイプの女の子。ようするに、まったくの別人だ。


 鹿ヶ瀬先生が名前を紹介する。転校生の女の子は丁寧にお辞儀をしてから、自己紹介を始める。だが俺の耳には、彼女の言葉がほとんど入ってこなかった。


 廊下側の席にいる環田をみると、だいぶ鼻息を荒くして転校生の方を凝視していた。どうやらやつのストライクゾーンに入ったらしい。俺は冷めた目で環田の様子をながめ、少しだけ心の中でため息をつきながら、また視線を窓の下にあるグラウンドに移した。


 ――なにを期待してるんだよ、俺。ミースがここにくるわけねーだろ。


 だいたい、俺がこの高校にいることをミースに話したことが無いし。もし知ってたとして、なんでミースが高校に来るんだ、って話だ。


 結局のところ、俺の思い込み。ミースがなんでいなくなったのかを勝手に想像して、いつか戻ってくるんじゃないかと勝手に妄想しているだけだ。


 ……なんだか、自己嫌悪に陥りそうだ。


 いい加減、あいつのことを考えるのはもうやめよう。手がかりが無い以上、あれこれ考えていても仕方がない。


 未練がましいのは男の罪だと、ロマンシング鉄拳2のどこかの女性キャラが云ってたような気がする。いや、他の格闘ゲームだったか……まあ、どうでもいいや。ここは男らしくきっぱりと、無駄な期待を捨て去るべきなんだ。


 俺は小さくため息をつきながら、グラウンドを見下ろす。またたいして面白くもない学校生活が始まるのかと、内心うんざりしながら。


 そうやってあきらめきっていた俺の目に、校門から一台の車が入ってくるのが見えた。



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