その三
「貴様は……自分が何者か、わかっているのか?」
「おふっこーっす!! 私はメリーちゃん。悪霊よ」
「……何を憎んでいる?」
「そんなの、決まってるじゃない。悪霊ってどういうものか、あんた知らないの? 除霊師なんでしょ?」
「大きな恨みに取りつかれて自分を失っている霊。それが悪霊だ」
「半分あたりで、半分はずれ、ね」
「……聞こうか」
「あはははは。素直でよろしい。本当の悪霊ってのはね……自分を許せない霊よ」
「……自分を許せない?」
「そ。だから、絶対に成仏なんかしないの。こうして霊として存在し続ける限り……恨みが晴れることはないのよ」
「……貴様が……自分を許せない理由は何だ」
「あはは。それがわかってりゃこうしてませんわねぇ、だんなぁ」
「ふざけるな」
「ふざけるわよ。ふざけなきゃやってられないわ。もういいでしょ? あんた、どんな霊だって話せばわかるとでも思ってたんでしょ。甘いわね」
「他者に恨みがないのなら、なぜ何十人も呪い殺した?」
「変なこと言うのね。恨みが無いから、何人殺しても終わらないんじゃない」
「いたずらに殺しているというのか」
「選んではいるわよ。私が気に入らない奴。……つきあった恋人を捨てる奴とかね」
「捨てるやつだと? …………! そういうことか……」
「何をぶつぶつ言っているの」
「貴様の正体がわかった」
「はぁ? 何だってのよ」
「安心しろ、私が貴様を解放してやる」
「……何する気」
「悪霊退散」
「!!」
*
はぁっ。はぁっ。
私は、汗だくになって目が覚めた。副島京四郎が攻撃を仕掛けてきたあの瞬間。まだ二十代の若い除霊師と高をくくっていた。あの術は……見たことのない術だった。私はあれを食らってからの記憶がない。ダメージが回復するまで意識を失っていたからだ。それ程の威力……あの男も無事では済まなかっただろう。……私がまだ存在しているということは、あの術は失敗したということだろうか。
ふと気配を感じてギョッとした。すぐ隣に若い男が寝ている。というか、そいつの身体と私の身体が、文字通り空間的に重なりあうような状態だ。腕が私の腹を突き抜けている。
「何よ。女の子がベッドを占領してたら、床で寝るくらいの遠慮はないわけ?」
京四郎の子孫と名乗るこの男が無神経なだけか、それともこの時代には貞操観念は崩れ去っているのか。どっちもありそうだった。
「ふぁぁあ。こっちで寝たのも久しぶりね」
こっち、というのは現世のことだ。悪霊をやっていると、狩り――つまり誰かを呪い殺す時――しか現世には来なくなる。うっかり寝ていると、霊媒師やら何やらにちょっかい出されたり下手すると除霊されたりするからだ。
うすぼんやりと自分の身体が黄色く光っているのがわかる。昨日、男が私に張った結界だ。おかげで霊界への通用口――ゲートとか霊門とか言う――も開けない。
この状態では能力も使えないだろうな……と、男の寝顔を見ながら思う。まぁ、試してみる気はなかった。男を復讐の相手にしても意味はないし……疲れているせいか、何もする気が起こらない。
むくり、と男が突然起き上がったのでビックリした。
「おはよう。それじゃあ20分後には出かけるから」
「な……なに、突然。あんた、物凄く寝起きがいいのね」
「ああ、そうか……。この時代の目覚ましはね、意識が覚醒するまでに、肉体を徐々に活性状態にもっていく機能がついてる。寝覚めの悪さなんてもはや旧時代の現象だよ」
「目覚ましなんて鳴ってないわよ」
「え? 鳴る? 何を言って……。ああ、もしかしてベル音を空間に音波として放つことを言ってるのか。すごいなぁ。そういうの、科学史の本か何かで見た覚えがある。ふしぎだよね。時計も人間の肉体も電子的な装置なのに、なぜ一旦空気中を伝わる波の形に信号を変換する必要がわーーっ」
触ることも殴ることもできない霊である私には、わけのわからないことを言い始めた男の口をふさぐ方法が他に思いつかなかったのだ。
「き、君、何考えてるんだ」
「何って、着替えようと思って」
私はいきなり服を脱いだだけだ。下着くらいはつけているし。しかし思ったとおり、男の演説を中止させることに成功した。
「ゆ、幽霊に着られる服なんか無い。は、早く元の服を着るんだ」
「へーい」
本当は、霊体なのでその気になれば服だって自分で変えられる。私は元通りに青いドレスを着た。
「あんた、恋人とかいないの?」
「そんな年じゃない」
「何歳よ?」
「35」
「おじさんじゃん」
そうは見えなかった。まだ20代後半かと思った。
男は怪訝そうな顔をした。
「どこがだ。…………ああ、昔の感覚だとそうか。35歳という年齢は君らの時代でいえば17、18くらいってとこだよ」
ほんとかそれ。
「じゃあむしろ年の割にふけてるほうなのね」
男が怒った顔になった。
「あれ? でも、そんな年じゃないってのは大嘘じゃない。100年前の17、18歳なら、いても全然おかしくないわよ恋人。青春真っ盛り」
「時代が違うんだよ。50歳……つまり君の時代の感覚で25歳くらいまでは、自分を鍛える為の時間だ」
何だそりゃ。
「更年期じゃん」
「医学の進歩を甘く見ないでくれよ。今は60代で出産するのが普通だ。肉体の老化を遅らせる技術が発展したんだよ。平均寿命は120歳で、若い時間がそれ以上に伸びているんだ」
「にしたって、50……100年前で言えば25だっけ? その年まで恋愛しないのが普通だなんて言うわけ? あんただけじゃなくて?」
「価値観が変わったんだ。恋愛はそれ以降に、成熟した男女が楽しむものだとされてるんだ」
「誰が決めたのよ」
「誰って……賢い人は皆そうしているよ」
「賢くて残念だったわね」
「歴史を見れば、君らの時代は異常だよ。20世紀とか21世紀とかその頃は、若いうちの時間の無駄遣いが酷かったって聞くぞ。いったいいつ自分を磨くんだ? とっくに手遅れになってから遊び呆けていた若い時期を惜しむ人間ばかりだったらしいじゃないか」
「歴史を見れば……って。あんた、歴史苦手とか言ってなかったっけ」
自分に都合のいい歴史だけ詳しくなる人間はいつの時代もいるってことね。
恋人のいない精神年齢17歳との下らないお喋りは打ち切ることにして、話題を変えた。
「そういえば、名前、聞いてなかったわね。何て名前?」
「僕か? 僕の名前は京軍」
「キョーグン? 変な名前」
「わりと平凡な名前だよ。……時代が違うだけだろ。君の名前のメリーだって、今日本中見渡してもそんな名前ないよ」
「メリーは二十世紀の日本人の名前じゃないわ」
「……?」
「で、今日はどこへ出かけようっていうの?」
「ああ、今日は僕が世話になっている人の所へ連れて行くよ」
「何の為に?」
「まあ、行けばわかるさ」
*
「貴方が、黒き星の守人に助けられたという彷徨える魂ですな」
「うわ。うさんくさいジジイだわ」
私は正直に言った。目の前の、とてつもなく長い帽子をかぶったお爺さんは意に介さない様子だったが、隣で京軍が青い顔をしている。
「ちょっと君、いきなり失礼じゃないか」
京軍が連れてきたのはやはり直方体の建物で、色が黒いのと縦横高さが倍くらいあるのと、違いはそれくらいだった。中に入ると、夏だというのに(もとも冷房は効いているようだったが)長いローブに身を包んだお爺さんがいた。
京軍はこのお爺さんを尊敬しているのか崇拝しているのか、一目置いた態度だ。ここ、何かの教団で、教祖か何かってことかしら? 悪霊なんてやっていると、その手のものにはわりと縁がある。もっとも、大抵敵なんだけど。
「黒き星のなんとかって、あんたのこと?」
「黒き星の守人だよ。教授は僕のことをそう呼ぶんだ」
ゴホンッとジジイが目の前で咳払いをした。教授、ねぇ。
「星の守人とは、この研究所の警備兵のことじゃ。そう呼ばれるようになった歴史的経緯は省略するがの。今は3人いて、黒、赤、白じゃ」
ふーん。どうでもいいけど。ああ、京軍がやたら強いのは警備兵なんかやってるからなのね……と一瞬思ったけど、やっぱりあの強さは異常だ。
まあ、教授は話を進めたがっているようなので、これ以上脱線させないでおく。もう、せっかちなんだから。
「で? お爺さん、お話は?」
「貴女は、自分が悪霊であることを理解しているか?」
「そりゃもう、まんべんなく」
「ちょっとメリー、茶化さないでちゃんと聞くんだ。その方は君を救ってくださるんだよ」
「救ってくださる? ふん、結構よ」
……やなことを思い出した。京四郎だ。あいつも私を救う気満々で、救えないと知るや消し飛ばそうとした。除霊師なんて信用できない。
「自分が悪霊だとわかっているのは良いことじゃ。悪霊とはどういうものか、理解しているかね?」
「ええ。悪霊は霊のうち自らに対する恨みが閾値を越えたもの。通常より霊体密度が高い。恨みの対象が自分である為恨みを忘れず恨みが晴れることもない。それゆえ成仏することは稀。人間を呪い殺す能力を有する場合があるが環境や手順に発動条件がある」
すらすらと述べると教授と呼ばれたジジイは目を見張った。
「そこまでわかっているなら話は早い」
ジジイがニヤリと笑った。
「ワシは君を成仏させることが可能じゃ」