その一
「私、メリーさん。今、駅前にいるの」
「そこまでだ。メリー」
電話をかけおえて携帯電話を閉じた時、声がした。真っ暗な闇夜の中、眩しい光がこちらに向けられる。いつの間にか私を取り囲んでいた人間達は、ライフルのような銃をこちらに向けている。何人いるのだろう。五人……いやもっとか。
「…………誰?」
男達に問いかけたが、もちろん答えなんか待つつもりは無かった。私は悪霊だ。面倒に巻き込まれるのはごめんだ。一旦姿を消すべく霊界への門を開こうと空間に右手をかざし、念じた。
パシッ
紙が叩きつけられたような音がして、一瞬開いた霊門――空間を縦に裂いた光の帯――はたちどころに消えた。
「な、開かない……?」
私は呻いた。ライトの中、男達の一人がずいと前へ出た。サングラスをかけた禿頭。兵士らしく身体は鍛えているようだ。服の上からでも胸板の厚さがわかる。
「驚いているようだな……。あいにくと今は22世紀なのだよ。わかるかね? 未来だ。メリー、君が最後に出現したのは2040年だったか。その頃とは違う。今や、そんなちゃちなゲートの遮断技術くらい確立している。今の時代、幽霊は捕まえられないものでも、退治できないものでもないのだ」
私は半分上の空だった。目の前の禿頭の話す言葉は日本語だが、抑揚の無さすぎるその口調もあいまって、意味がよく理解できない。男の着ている服は、軍服のようだが……未来人という感じはしない。
「22世紀……? 何を言っているの」
禿頭の男は口元を歪めて笑う。
「ゆっくり理解したまえ。ついでに君の電話の間違いを一つ指摘しておこうか」
電話の間違い……?
「ああ。周りをよく見たまえ。……ここが駅前に見えるかね? その駅舎はとうに廃墟だ。100年の間に東京の人口はずいぶん減ってな。今は広大な森のど真ん中だ。だがこんな寂しい場所でさえこの時代にあっては悪霊の存在は許されない。……君が現世に出現してから、電話をかけ終えるまでにかかった時間はわずか二分四十秒だが、たまたま森の外周にいた我々特殊部隊が探知してかけつけるには十分すぎる時間だ」
…………。
確かに。駅前にしては真っ暗だと思ってはいたが、街灯一つない。駅舎の窓は割れ、壁はボロボロ。建物のまわりには家屋など無く……森だった。木々の向こうに高層ビルらしき黒い影も見えるから山奥ではないようだが……。少なくとも以前来た時とは様子が一変している。
「なぜ私が現れたとわかったの」
「どこだってわかるさ。昨今の霊体観測技術はすさまじい。半径数キロをカバーするセンサーが乱立するこの地域じゃあ、まず隠れることなどできんよ。……しかしセンサーの反応をデータベースに照会してみて驚いたよ。あの有名な二十世紀末の悪霊、メリーさんだというんだからね」
私は平静を取り戻そうと努力する。男の口から語られる言葉はまったく意味不明だったが、嘘ではないようだった。
「しかしその様子じゃあ100年もの間、眠ってでもいたか。傷の修復にえらく時間がかかったものだな……。その間の意識はなかったか」
「……」
私は唇を噛んだ。記憶を辿る。私が最後に現世に現れた時だ。……副島と名乗る除霊師との闘いで負った傷……。かろうじて存在は保ったが、不覚にも意識を失った。……男の言うとおり、ずいぶん修復に時間がかかったらしい。とはいえ……あれから100年だって? 幾らなんでも長すぎる。
「あたしをどうする気」
「死にたくなければ無駄な抵抗はよすんだな。おっともう死んでるか。存在を消されたくなければ、と言えばわかるか」
「存在を消す……」
目の前の男が構える銃にはそんな力があるというのだろうか。あるわけがない。今まで色んな霊能力者やら何やらと対峙してきたが、まともに霊にダメージを与えられる者は一握りだ。それ相応の才能と特別な道具なり儀式なりが必要不可欠だ。目の前の男にはそのどちらもあるようには感じられない。
「はったりね」
言った瞬間だった。男の持つ銃の銃口がぼぅっと光ったかと思うと、私の右半身が消し飛んだ。着ていた青いドレス――もちろんこれも霊体の一部ではあるが――も半分ちぎれ飛んでいる。
「……!!」
痛い、ということがしばらく理解できなかった…………自分の存在が一気に希薄になったのを感じる。恐怖は拭えなかった。
ばかな……! 私レベルの霊体を一発で……? あの武器はやばい。完全に私の想定を超えた攻撃力。まさか本当に……ここは100年後の世界ってこと? 100年の間にこんな武器が……。やれやれ、生きているやつらって下品なくらい進化するから嫌だわ。
「痛いだろうね。心配ない。この銃の出力では一発で消えたりはせんよ。さすがに君ほどの霊体密度を持つ相手ではね」
普通の霊なら瞬殺だろう。私とて続けて二発目を食らったらアウトだ……。私は男の目を見て、観念する。これは……勝てない。
「いいわ。抵抗はしない。どこへなりと連れていきなさい」
「潔いな。望みどおり連れて行こう。希望をもたれても困るから言っておくが、これから君は拷問にかけられる。それ専用の肉体に入れられてね。目的は実験と復讐とまあ……その他色々だ」
男が口元を歪ませる。部下に命じて、私の両腕に金属の輪っかが二つ繋がった、手錠のようなものをはめた。霊体を拘束できる道具……。確かに私の知ってる時代とはまったく違うみたいだわ。
更に禿頭は、ドーム上の結界を私の周りに張った。なるほど。私がまた霊門を開いて逃げられないようにってわけね。私が動くと一緒に動く。ぷっ。随分便利になったものね。幽霊捕獲グッズってわけ。
「実験と復讐……って何よ」
「実験したいことは色々あるんだよ。まだまだ我々生者は霊界の知識に貪欲でね。なにせ昨今、発展しすぎたこの武器のおかげで悪霊がほぼ全滅してしまってね。なにせ一発で吹き飛ばしてしまうもんだから、生け捕りにもできない。……ああ、生きちゃいないか。とにかく、サンプルは貴重なんだ。悪霊認定されていない霊を実験対象にすると世間がうるさいしな」
悪霊認定……ね。私はされているってことらしいわね。……やんなっちゃう。人が意識を失って霊界で傷を癒している間に、勝手に……。都市伝説だったのが、これじゃホントに伝説じゃない。
「人権ってやつが霊にも適用されるようになったのも知らないんだろお前」
横から別の男が言葉を挟んだ。
霊に人権? ……当然知るわけもなかったが、なんとなくわかった。やれやれ、また世の中はおかしな方向に向かったらしい。人間ってのは脅威が無くなると途端に反吐が出るような慈悲を見せ始めるものね。
「その分だと宇宙人あたりにもありそうね、人権」
私は言ってやる。へらへら笑っていた目の前の男は笑みを消した。
「なんで知ってる」
ふん。単純な男。
「おい、その女は当てずっぽうを言っただけだ。知りやしない。……大体な、宇宙人たってまだ見つかって二十年、それもまだ個体差のほとんど生じてない原始的な生物だ。人と呼ぶことすらおこがましい。あれは、人権の議論自体が一種のお遊びなんだよ」
禿頭の男がひとくさり、この時代に関する知識を教えてくれた。へー。そうなの。ま、私には関係ないこと。
「た、隊長、この女、霊体の回復が異常に早いです……」
別の口ひげを蓄えた男が不安そうにこっちを見ている。そう、もう失われていた私の右半身は八割方元に戻っている。
「……さすが、都市伝説になるだけのことはある。犠牲者は千人以上だったか? そんじょそこらの悪霊とはレベルが違うな。100年以上経った今でも君は有名人だよ」
バカな。私が呪い殺したのなんて数十人だ。もともと、悪霊なんて大した被害を出すような脅威じゃない。どうも私だけ現世での不在期間が長すぎたせいで、尾ひれがつきまくってるらしい。
「そういやお前、殺すのになんであんな手順を踏むんだ? 何回か電話をかけてくるんだろ。殺すんならさっさと殺せばいいのに」
ふん。こっちが聞きたい。あんな芝居がかった演出をしなくちゃ人一人呪い殺すこともできやしないなんてさ。私は男の問いを無視して尋ねた。
「で? 復讐ってのは? 私に復讐したいような連中がまだ生きてるとは思えないけど。……ここが本当に100年後だってんならね。……先祖の恨み! みたいなこと?」
「ははは。お前、バカだなあ。お前に復讐したいんじゃない。「悪霊に」復讐したい連中がいるんだよ」
……ああ、そういうこと。
そういえば、この時代にはもう悪霊がほとんどいないって言ってたっけ。恨みをはらしたいのにとっくに消されちゃった悪霊たちの代わりに、私を痛めつけようってわけね。
「下らないわね。やつあたりじゃない」
「復讐なんて、だいたいは下らないやつあたりさ」
「100年も経ったのに。進歩しないのね」
「したさ。霊に復讐する方法はずいぶんとね」
「……」
私は身構える。あの銃の威力を知った後ではさすがに、恐怖を抱かずにはいられない。
「さっき言ったよな? 肉体に入れるって。お前らみたいな霊はそのままじゃ触れないから痛めつけることもできない。だが20年前に偉大な発明があったんだ。霊を封じ込める為の偽物の肉体を作る技術があるんだ。擬似生体って言ってな、一通りの感覚器官、内臓や筋肉、神経系が揃ってる、ほぼ人間の身体と同じものだ。脳だけは中身空っぽだけどな。だがこれにお前ら霊を入れるとな……喜べぇ? 生きてた頃みたいに、目で見て、耳で聞くことができるようになるんだぜ? 触れるし、味わえるし、臭いもする」
「痛みも感じるってわけ」
「ご明察」
ふん。何をする気か知らないが、悪霊というのはいつも絶えることの無い痛みに苛まれているのを知らないらしい。それに比べれば肉体的苦痛など何でもない。……もっとも、あの銃はやばい。あれは存在を「持っていかれる」……霊になったことを初めて後悔するような痛みだった。
たぶん私が多少の恐怖心を持って見ているのがバレたのだろう。禿頭は得意げにその銃をふりかざして言った。
「気になるか? 対霊体用の武器もここ100年でずいぶん進歩したもんさ。お前らみたいな悪霊が出てくれないとこれの出番が無いなんて惜しいことだぜ」
「へぇ……」
興味ないフリ。
それにしても、今の状況は……このメリー様ともあろうものが。大ピンチなんてもんじゃないな。
「で? 実験と復讐と……その他諸々ってのは何なの?」
剥製にでもされるんだろうか。
「おっほ。聞きたいか?」
そう言って割り込んできた男の……その品性下劣で好色で嗜虐的な表情を見れば、誰だって答えがわかる。いつの時代も……変態どもは絶えないものらしい。
「わかったからいいわ」
「くっくっ。世の中にはマニアがいてなぁ……。擬似生体に入れた幽霊と、楽しみたいってやつがいるんだ。20世紀終わり頃の女の霊はなぁ……その世界じゃぁ一番人気なんだよ。お前、綺麗な顔してるしな……相当高く売れるぜ」
……聞きたくないと言っているのに。
その時、目の前で喋っていた男がいきなり、前のめりに倒れた。
「……!」
私より男達のほうが動くのが早い。……さすが、訓練されている。禿頭の男含め十人ほどの男達は声も上げずに周囲への警戒態勢を取る。
「通信遮断。プロです」
「ぐっ」
報告する兵士と倒れる兵士が一人ずつ。
あっは。私は緊迫した状況にも関わらず噴出してしまった。何これ。どうなっちゃってんの、この時代。ここ、日本だよね? あまりにも予想とかけ離れた展開の連続に、悪霊の私の方が驚かされている。もうついてくのがやっと。なんだか妙に楽しくなってくる。
「上だぶ」
叫びかけた男が倒れる。別の二人が上に向かって銃を構えた時には影が二人の間に降り立っていた。二人の首から噴出す血。その二つの身体を盾に銃弾を交わす謎の影……踊るように兵士たちを葬っていく黒い人の形をした何か。途中までしか私には認識できなかった。私を連行していた兵士が倒された為に私も巻き添えを食って地面に打ち倒されたからだ。