皮剥けのとき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
え~、かつおぶしって世界で一番硬い食べ物だったんだ。おどろき~。
いやあ、僕たちが見るのって、たいていは冷ややっこの上とかに乗った、ふわふわしたものでしょ? あれが硬さに縁があるとは、どうしても考えられなくって。
――あれは、かつおから水分をすっかり抜いた「荒節」の部分を削ったものにすぎない? げんに削り節ともあらわすだろ?
むむう、そういうものかあ。ただ食べる側ってだけだと、気づかないものは多いよね。
ちょっと前までは、こんにゃくがもともと芋だったなんて信じられなかったもん。こう、手が込んだお菓子のたぐいなんじゃないかと。その割には、おけんちん汁とかには立派に投入されるあたり、妙だなあとか思ってた。
同じものでも、必要とされる場に応じてその姿かたちを変える。僕たち人間だって、お互い会う時にどれほど身だしなみに気を付けるか、考えるっしょ? へたな誤解をさせたら、あとあと面倒だし。
いったい、どれだけの人が。いや、どれだけのものが、化けの皮をかぶって過ごしているんだろうね?
ちょっと前に友達が話してくれたことなのだけど、聞いてみない?
友達のいとこの話なんだけど、そのいとこって、やたら自分の二の腕を軽く噛む癖があるんだって。
腕で口元をおさえこむ形になるから、最初はせきやあくびやくしゃみを食い止めたいのかと思っていたみたい。
けれども、それらで生じそうな音や声はいっこうに漏れてこないまま、もぞもぞと口元を動かすばかりのことがしばしば。さらに、離した腕には薄くだけれど歯型がついているという証拠を見つけて、腕を噛んでいる確信を得たんだ。
なんでそのようなことをするのか。尋ねてみると、シンプルに「おいしいから」と返されたよ。
「かじりはするけど、食べはしない。果物の果汁とか、ガムの甘味みたいな感覚。これ、何を食べたかによって変わることに気づいてさ。ひょいと思いついたら、ついやっちゃうんだよねえ」
友達によるとやたら熱の入った説明ぶりだったとのことで。本当においしいんだろうかと、試しに僕も軽くかじってみたけれど……好みじゃなかったなあ。自分の汗の香りとかがきつくって、味わう以前の問題だったよ。
蓼食う虫もなんとやらというし、好きだというのなら細かいつっこみは野暮かなあ……と思いつつも、顔を合わせる機会があれば、それだけで何度も目にするほどの頻度。
子供のうちはいいけど、大きくなったら改めたほうがいいんじゃないかな~。この癖に理解を示す恋人とか、それこそ菩薩みたいな人じゃなきゃ無理でしょ。
正直な友達の感想は、それだったみたい。
けれども、そのいとこの腕かじり。どうも単なる好みでは、片付けがたい力をいとこは目にするときが来た。
8月のお盆どき、親戚一同が友達の家へ遊びに来たときのことだ。一泊二日で過ごすにあたり、みんなで昼ご飯を食べ終わると、子供と大人に分かれて自由時間となる。大人同士の話って子供にはつまらなくて入り込めないこと、多いしね。
友達といとこは二階にある子供部屋へ。いつも遊んで時間をつぶすときには、ここにいることになっていた。遊び道具は多いけれども、いま二人の意識を釘付けにしているのは、そのどれでもない。
蚊だった。
友達の家は、どうにも居心地がいいらしく年中見かけるらしいけれど、やはり夏場は多い。こうしている今も羽音はいくつも重なって途切れることはなく、挑発するかのように眼前を横切る矮躯たち。その数、5つ。
対策は基本的に蚊取り線香。現在なら、もっと効率の良さそうなブツは多いけれども、トラディショナルなものを好むのが友達一家。伊達に信頼と実績を重ねて、生き残っているわけじゃないんだ。
しかし、部屋の隅にストックしているそれを引き寄せようとする友達を、いとこが止める。
「最近、身に着けた『かじり』の技をお目にかけよう」
やたら芝居がかった言いぐさから、だしぬけにポケットから包装されたガムを取り出すいとこ。友達にも、四角形のそれをひとつ投げてよこす。
「それをひとまず噛んどいて。でないと、気分が悪くなるかもだから」
なんで? と思う間に、いとこはもうガムを口へ放り込んでいる。
味わっている様子はなく、一刻も早くこの作業を終わらせたい、という色を全面に押し出した、実に面倒くさそうな咀嚼だ。
仕方なく、友達もガムを噛み始める。真っ赤な色から、ひょっとしたらと思っていたが梅干しそっくりな香りが、たちまち口内を占領する。
梅ガムのたぐい、嫌いとまではいかないけれど好んで食べたくもないレベルだ。しかも、これまで食べたものを超える、迫真の酸っぱさ。
つい顔をすぼめてしまう友達を前に、いとこはそのつまらなそうな咀嚼をピタリとストップ。ガムを出さないまま、右腕を口へあてがっていく。
すでに何度も見てきた、かじる動作。けれども、いつもとは様子が違う。
いとこのかじる腕のあたりから、先のガムの色を思わせる薄い煙が立ち上る。
それはすぐに空中へ溶けて見えなくなってしまうものの、梅干しの芳香ははっきりと漂っていたとか。
羽音がみるみるおとなしくなっていく。
当然だ。視界の中でこちらをおちょくるように飛び交っていた蚊たちが、次々に撃沈していくのだから。5匹ともが、ほんの一瞬前まで元気な動きを見せていたのが、嘘のように畳の上へ倒れこんでいく。
たいした技だ……と、友達もここまでだったら素直に称賛していたとのことだけど、問題はその後だ。
「換気をしよう」と、口から腕を離したいとこが告げるも、その嚙んでいたあたりには、血とも梅ガムともつかない、緑色の液体が歯型の形に浮かんでいたこと。
そしてたまたまいとこに用事のあったおばさんが、二階へあがってきていきなり部屋を開けるやぶっ倒れてしまい、すぐに意識が戻ったとはいえ、あやうく騒ぎになりかけたことを見て、もう癖とか特技とかの領域を超えたマズいものだと察したとか。
いとこのほうも、友達の雰囲気からおおよそ感じ取ったのではないかと思う。そのときを境に、友達の前で腕を噛むようなしぐさをおおやけに見せることはほとんどなくなったんだ。
すでに体へしみついてしまっているのか、ひょいと目をやった先で、かじっているらしい素振りが見えたことはあったようだけどね。
いとこはもう、自分が知っているいとこではないのだろうか。
いつからか、あるいは元から異なるのを、自分が勝手に同じ人間のように思っていただけなのか……今も結論を出せずにいるのだとか。




