高級住宅地
高台にある高級住宅街。
私は今そこで、自転車を必死にこいで、坂道を登っていた。
先日、小栗さんから「雨宮先生が退院された」と連絡があったのだ。
「先生、ひとり暮らしですよね。大丈夫でしょうか」
「しばらく若先生のお宅で過ごされるそうよ。
ひとりじゃ生活できないからって。教室も、当面は若先生が」
私は、前回の教室の光景が頭に浮かんだ。
「教室は、前回のようなことになると、大変ですよね。
小栗さんと私だけじゃ間に合わなくなります」
「そうなのよね。どうしましょう。先生とご相談してみましょうか」
「はい。その方がいいと思います」
その相談のために、若先生のお宅へ向かっている。
それなのに、小栗さんは急用で来れなくなった。
仕方ない。
ひとりで行くしかない。
(若先生のお宅の住所を聞いた時は、びっくりしたな…)
若先生のお宅は、高台の一等地。
地域でも有名な、あの坂の上だ。
まだまだ、坂を登らなくてはならない。
「自転車って、下りはいいけど、上りはきついんだよね。
特に——
緩やかで、長い坂道が、一番つらい…」
息のゼイゼイがとまらなくなった。
とうとう自転車を降りた。
押しながら、坂を歩くことにした。
「ここ、かな? ここだよね…」
住所はここでいいはず。
立ちはだかる木造りの門の脇に『雨宮』の表札が見えた。
「すっ、ごーい…」
思った通り。
ため息が出る。
本当に豪邸。
門の向こうに素敵な前庭が広がっている。
深呼吸して、息を整えた。
姿勢をただし、呼び鈴を押す。
リン、コーン。
上品な音が響き、少し間があった。
「はい」
インターホンから低い声が響いた。
若先生だ。
「佐代です。雨宮先生と、教室のご相談に来ました」
「ああ、はい。少し待っててください」
プツッとインターホンが切れた。
待っていると、門が音もなくゆっくりと開いていく。
その向こうから、若先生が歩いてくるのが見えた。
「いらっしゃい。どうぞ」
「お邪魔します」
私は軽く会釈をし、自転車をひいて中へ入った。
門をくぐると、前庭のなかを、玄関までレンガ敷きの通路が続いていた。
(はあ…。ここ、私の生活の中に存在しないところだ…)
私はうっとりと庭を眺めた。
「自転車、ここに置かせてもらいます」
玄関の脇に自転車を止めた。
「自転車で、大変だったでしょ」
「はい。坂道が多かったので、ちょっと大変でした」
「俺もたまに自転車で出かけるから、わかるよ。今度は車で迎えに行くから」
ん? 今度?
迎え、って、なんのことだろう?
あ、雨宮先生との相談のことだよね。
それなら「今度」はもうない。




