若先生効果
「小栗さん。どうしたんですか、これ…」
つぎの料理教室の日。
キッチンは、お試し体験の生徒さんでいっぱいになっていた。
しかも、若いお嬢さんが多い。
大葉さんの姪御さんもいる。
いつも高めの平均年齢が、一気に若くなった。
「若先生効果よ。 実は若先生、有名な料理家だったのよ。
芸能人のパーティーや有名なお店のプロデュースをしてるんですって 」
「えっ! 」
「アルファベットでitukiっていう芸名を使ってるらしいの。
マスコミに、お顔は出さないようにしてるので、わからなかったのよ」
「でも、こんなに人がいたら、料理どころじゃないですよ」
「そうなんだけど、仕方ないわ。
お知り合いの方と一緒に組んでもらって、体験の方はなるべく見学だけってことにしてもらいましょう」
本日は栗ごはんとサツマイモの鶏そぼろ煮。
秋らしいメニューになっている。
料理はなんとか順調に進んだが、小栗さんと私はてんてこ舞いだった。
人も多いし、今回は、お茶はなし。
料理を作り終わったら、さっそく後片づけに入った。
「みなさんでお片づけお願いしますね。
わからないことは、私か佐代さんに聞いてください」
小栗さんの声に、みんな「はーい」と答える。
わちゃわちゃと、後片づけが始まった。
若先生のまわりには、つねに人が集まっている。
「先生〜。私、洗います」
「先生、お皿しまってきますね。
あ、佐代さん、このお皿をしまう場所ってどこですか? 」
若いお嬢さんたちは片づけも賑やかだ。
「あっちの食器棚の左側の真ん中です」
「あっちの食器棚…? 左側の真ん中…?
すみません、わからないのでお願いします」
私は皿を手渡された。
その皿をしまうと、また声をかけられた。
「あの、佐代さん。カップのしまい方、どうやるんですか? 」
思わず、はぁ、と息がもれた。
「もういいです。私やりますから」
すでに疲れてるし、説明するより自分でしたほうが早い。
「これも同じカップだから、ここですね」
後ろからまた声がかかってきた。
「私がやりますから、そこに置いておいてください…」
ちょっとイラッとしながら後ろをふりむくと、大きな体にぶつかりそうになった。
「ここでいいですか」
若先生が私のうしろに立っていた。
腕を伸ばし、私のうしろから、上の棚にカップをしまおうとしていた。
近すぎるこの体勢に、私は思わず体がかたまった。
「カップの棚は上のほうだから、俺がしまいますよ」
「はあ…」
言われるがままに、カップを手渡していた。
「先生〜、私も手伝います」
「もう終わりましたよ」
お嬢さんたちもやってきた。
しかし若先生は、にっこりしながら答えて、するりとすり抜けてその場を去った。
後片づけが終わっても、お嬢さん方と生徒さんたちはなかなか帰ろうとしない。
小栗さんは、食器や棚、食材のチェックなどをしている。
私は、シンクや蛇口の後始末の点検と、残った水気を拭いていた。
乾いた布で水気を拭き、磨く。
するとシンクや蛇口はピカピカに光りだす。
さらに磨くと、とろりとした液体のような質感になる。
この感じが、好きなのだ。
「ずいぶん綺麗に磨いてますね」
夢中になって磨いていたら、いつのまにか若先生がそばにいた。
私が磨いていた蛇口を見ている。
「あっ、はい。えっと、好きなんです。磨くの」
「そうなんですか」
「はい。あ、でも、この教室でだけですよ。
家ではこんなに綺麗になんてしてないですから」
アハハ…、と笑おうとしたけれど、若先生は黙ったまま、蛇口を磨く私の手元を見ていた。
…あれ?
…会話が止まった。
えと、あと、何、話せばいい??
「先生! また次回お願いします」
突然、体験で来ていた大葉さんの姪御さんが、若先生のそばへ飛びついてきた。
「あ、続けられるんですか? 」
若先生が意外そうに尋ねた。
「もちろんです! 次が楽しみです」
この隙に、私はささっと帰り支度をした。
「それじゃ、私は失礼します。お疲れ様でした」
私はキッチンをあとにした。
体験は一回だけ。次回は何人の入会者がいるだろうか。




