第3話 家出します!
「うん、ボクから見ても、ニーナはリチャード殿のことを嫌がっているよね。でも、ニーナが嫌いって言うより先に、リチャード殿がニーナはリチャード殿が好きって、お二人に言い続けていたみたい。ほら、先入観? 先に言われたことを信じていたから、後から否定されてもうまく理解できないみたいなんだよね」
冗談じゃない。お父様もお母様も、先に言われたってだけで、リチャード様の言葉のほうを信じるの? 娘のわたしの言葉ではなく? わたしがあんなにも、泣くほどに嫌がっているというのに?
「ほら、若い人たちの特有の、素直になれない気持ちとか、照れ隠しでついうっかり言い過ぎちゃうとか、そんなふうにしかニーナの父上も母上も、受け取ってないみたいで……」
呆然とした。
わたし、リチャード様に嫁ぐくらいなら、わたしは修道院へ行くか、平民となってこの家を出ますとまで言ったのに?
それが全く通じていないの?
……なら、このまま、婚約話を進められてしまうの?
嫌だ。
絶対に、それだけは嫌だ。
わたしは毛布を跳ね飛ばして起き上がる。
目を、袖で拭いながら、クローゼットの中からトランクを取り出す。
そして、ベッドの上に、トランクを放り投げた。
「ちょっと、ニーナ! 何してんの⁉」
下着と、地味目の服を数着。それから換金用に宝石のついたアクセサリーを放り込む。
「もちろん、家出!」
「待て、ちょっと待ってニーナ!」
「だって、このままここにいたら、わたし、無理やりに婚約を結ばせられるじゃない! 絶対に嫌よ!」
腫れた目で、アンディ兄様を睨む。
「止めないで、兄様。あと、お父様やお母様たちには内緒にして」
アンディ兄様は、重々しくため息を吐いた。
「……止めない。代わりにボクも一緒に行くよ」
「え?」
「貴族のご令嬢が、一人で家出なんてしたら。行きつく先は娼館とか、そういうトコロになっちゃうだろ。一緒に行くよ」
「兄様……」
「行き先、あるの? あるとしても、途中の宿とか馬車とかどうするんだよ。衝動的に家出してもダメだろ」
「う……」
わたしは下を向くしかできなかった。
「とにかく、家出したいっていうのなら、止めない。代わりに一緒に行くし、行く先はボクに任せてもらう」
アンディ兄様に行く先のあてがあるのだろうか?
「だけど、すぐに出発は無理。そうだな……準備に二、三日はかかる。その間、ニーナはニーナの父上たちに、どれだけリチャード様が嫌で、今までどんな目に遭わされてきたのかをきちんと伝えること。伝えて、婚約がなくなれば、別に家出なんてしなくてもいいんだし」
「……でも、言っても、お父様たちに伝わるかしら」
アンディ兄様はあっさりと言った。
「その時は、当初の予定通り家出するだけだし」
……そう……ね。いきなり家出をするんじゃなくて、わたし、まず先に、お父様たちに、この婚約は嫌だとはっきりと伝えなきゃ。
家出の手配はアンディ兄様にお任せして、わたしはとにかくお父様とお母様にこれまでリチャード様にされたことを伝えた。
暴言は、言われたままを伝えた。髪を引っ張られたり、顎を掴まれたりしたことも。
だけど、お父様もお母様も、照れ隠しだと思っているのか何なのか、わたしの話はまともに聞いてはくれなかった。
ああ……、そうなのか。
お父様とお母様は、自分たちと仲の良いジャクソン夫妻との関係を壊したくないのね……。
わたしの気持ちよりも、そっちの方が大事なのね……。
だから、わたしがいくら嫌だと言ってもお父様もお母様も「その程度、結婚したら変わるわよ。だって、リチャード様はニーナが好きなんだから。今は、ちょっと照れているだけよ。ほら、男の子って、好きな女の子を虐めることもあるでしょう? そんな感じなのよ」と、笑うだけなのか……。
それとも我慢をすれば、リチャード様の態度が変わるとでも思っているの……?
もう、いい。
お父様にもお母様にも、わたしの気持ちを理解してもらおうと思わない。
そうして「決意は変わらない?」と聞いてきたアンディ兄様に「変わらない。わたしの気持ちをわかってくれないお父様とお母様に言われたとおりに、リチャード様と婚約するなんて、そんな不幸な人生を歩むくらいなら、わたし、お父様とお母様を捨ててでも、自力で生きる道を探すわ」と言った。
自分ひとりの力で家出をするんじゃなくて、アンディ兄様の手をお借りするのは申し訳ないというか、情けない気もするけど。
わたしは、わたしに対して暴言を吐き続けるような、そんな男と一緒に生きるのは嫌。
自由に、そして、しあわせになりたい。
アンディ兄様は「わかった。じゃあ、いろいろがんばろう」と、わたしの頭を撫でてくれた。