第10話 【リチャード視点】 ニーナの家出から一週間後
昼食を終え、オレは父上と母上と共にサロンへと移動した。
そこで食後のコーヒーを嗜み、家族の会話をし、それから自室に戻る。
それが、我がジャクソン家の休日だった。
いつもなら、和やかに歓談をするのだが……。
今日は違った。
フィッツロイ伯爵からの手紙を取り出した父上が、その手紙を読んだ途端に大声を上げたのだ。
「は⁉ いなくなった⁉」
何のことだろう?
一週間前、ニーナとフィッツロイ伯爵夫妻が我が家にやってきた。
その時、オレとニーナの婚約をそろそろ……という話が出たので、てっきり婚約関係のことについて書かれていると思ったのに……。
父上の、驚いた顔。
何が手紙に書かれていたのだろう?
「あなた、どうなさったの?」
「父上、どうしたのですか?」
母上とオレの声が重なった。
けれど、父上は、手紙を凝視したまま、答えない。
何かあったのか?
とりあえず、飲んでいたコーヒーを飲み干して、それからカップをテーブルの上に置く。
「父上?」
父上は手紙を母上に無言で渡した。
受け取った手紙を、母上は訝しげな顔で読んで……。
「ニーナさんが、いなくなったですって……?」
そう言った。
は?
ニーナがいなくなった?
あの地味女が?
母上は、続けて言った。
「もしもジャクソン伯爵家にいるようなら連絡を……と、書いてあるけれど……。我が家には来ていないわよね……」
「我が家に向かっている最中に、行方不明になったのか? いや……ニーナ嬢が一人で来るとは考えられないのだが」
「そうよねえ。来るとしても、いつもフィッツロイ伯爵夫妻とご一緒に馬車で来るはずよ。一人で、しかもご両親に何も言わずに、伯爵家のご令嬢がどこかへ行くなんて、ありえませんわ」
「誘拐とかでもされたのか……」
「とにかく、一度、連絡を……と、書かれてあるけれど……」
父上も母上も、そしてこのオレも、ニーナがいなくなったということに困惑するしかなかった。
あの地味な女がいなくなった。
理由がわからない。
もしかしたらオレに会いに来るつもりだったのか……?
それ以外に、理由が思い付かないが。
来るなら、まず手紙でも寄越しておけばいいのに。馬鹿な女だな。
「我が家の使用人に近隣を探させますか?」
とりあえず、提案した。
「そ、そうだな……」
「そうね……」
父上も母上も戸惑っている。
あんな地味な女でもいなくなれば、こちらも困るのだ。
何故かというと……。
我がジャクソン伯爵家は四人家族。父上と母上とテレンス兄上とオレ。
テレンス兄上は、本来は我がジャクソン伯爵家の跡継ぎなのだけれど、三年間だけとの約束で、貴族学園を卒業した後、隣国ブライトウェル魔法王国に留学した。
なんでかと言えば、それはニーナの兄、アンディ様のためだった。
アンディ様は生まれつき体が弱く、成人するのも危ぶまれていた。
季節の変わり目ごとに発熱し、ベッドで寝ているだけの毎日。
テレンス兄上が見舞いにと行ったところで、ほんの半刻も話していれば、すぐに寝込むような体力の無さ。
それでもテレンス兄上とアンディ様はどういうわけか、子どものころから仲が良かった。
穏やかに微笑んでいるアンディ様の側にいると、心が落ち着くとか何とか、テレンス兄上は言って。
跡継ぎでなければ、医者になって、アンディ様の体質を治したい。
そうでなければ、魔法学校に通って、治癒魔法を習いたい。
子どもの時から貴族学園を卒業する十八歳になるまで、テレンス兄上はずっと言い続けていた。
反対する両親を説得して、三年だけとの約束を取り付けて、テレンス兄上は留学した。
だけど、その留学は、意味がなかった。
だって、テレンス兄上が治癒魔法を学んで、帰国する前に、アンディ様は亡くなってしまったのだから。
「もっと早く、治癒魔法を学んで、そしてアンディに魔法をかけてやれれば……」
葬式の時、テレンス兄上は、アンディ様の棺に縋りついて泣いたけれど、死んでしまったものは仕方がないと思う。
それで、嫡男を失ったフィッツロイ伯爵家。
だけど、ニーナは女だから、うちの国の法律に照らし合わせれば、継承権はない。
ニーナが将来男児を産んで、その男児がフィッツロイ伯爵になる。
もしも、ニーナが男児を産めなければ、親戚から男児を養子に迎える。
そう、法で決まっている。
だから、オレが婿入りしてやるというわけだ。
で、アンディ様の喪が明けたら、オレとニーナの婚約が結ばれるはずだった。
今はまだ、正式に婚約を結んだわけではないのだけれど、口約束はしていたし、一週間前もその話をしていたのに……。
なのに、いなくなった?
どうしてだ?
だったら婚約はどうするんだ。
テレンス兄上は「アンディは死んだが、私の友人や家族がアンディのように死ぬのは耐えられない。魔法学校で治癒魔法をもう少し学びたい」と言って、アンディ様の葬式後、ブライトウェル魔法王国に戻っていった。
が、三年間の学びを終えた後は、帰国して、我が家を継ぐ。
次男であるオレは、テレンス兄上がいるからジャクソン伯爵家は継げない。
だから、ニーナと結婚して……、そう思っていたのに。
なのに、ニーナがいなくなった。
それは、困る。
「父上、母上。使用人に我が家の近隣を探させ、ニーナが見つからないのであれば、一度フィッツロイ伯爵家へと行きましょう!」
オレは立ち上がって、そう言った。
「そ、そうだな」
「そうね。フィッツロイ伯爵夫妻もきっと今は混乱しているのかもしれないわ。手紙などよりも、直接お会いして、お話を……」
そうして、十日ほどの時間をかけて、使用人たちに我が家の周辺や、我が家からフィッツロイ伯爵家へ行く道などを探させたが、ニーナが見つかるどころか、似たような令嬢の目撃情報も全くなかった。
もしかしたら、とっくにフィッツロイ伯爵家のほうでニーナを見つけているかもしれない。
そんな期待を持って、父上と母上と一緒にオレはフィッツロイ伯爵家へと向かった。
フィッツロイ伯爵夫妻はかなりやつれていた。
まあ、無理もないな。
一人息子のアンディを亡くして、喪が明けて。ようやくウチのジャクソン家までやって来て、父上とチェスを楽しんだり、母上と一緒に茶を飲んだりできるようになるほどになったというのに。元気をとりもどしたと思えば、今度はニーナがいなくなったとは。
ニーナは迷惑な女だな。
まあ、あのどんくさい女が一人でどこかに行くはずはないだろうから……、かどわかされた、とかか?
まさかな。
とりあえず、聞いてみた。
「フィッツロイ伯爵夫妻。ニーナは人さらいにあった……とかなのですか?」
率直に聞いたが、フィッツロイ伯爵夫妻は首を横に振るだけだった。
「いいえ、わからないの……」
フィッツロイ伯爵夫人がうなだれて言った。
「では、いつからいなくなったのですか?」
「……この間、我々がジャクソン家を訪ねて、それからこの屋敷に帰って来て……、その後だ」
フィッツロイ伯爵は続けて言った。
「そう……、あれは、そろそろニーナとリチャード殿の婚約を結ぼうかと……ニーナに伝えて。そうしたらニーナは泣いて嫌がって……」
「は⁉」
フィッツロイ伯爵の言葉にオレは驚いた。
「泣いて嫌がって……? 泣いて喜ぶの間違えでしょう?」
ニーナはオレのことが好きなはずだ。
初めて会った時のニーナはオレを見て、ぼーっとして、顔を赤らめていたし。
どうせ、あの地味女を引き受けるような男はいないだろうから、オレがかわいがってやればいい。世の中にはもっときれいで、かわいらしいご令嬢はたくさんいるが、そのご令嬢が領地を持っているとは限らない。婿養子というのはちょっと、立場的には難ありだが、実質は、オレが爵位を継ぐようなものだ。だから、そのあたりは妥協範囲。
……かわいい令嬢が欲しくなったら、ニーナと結婚して、子どもでも作った後、恋人でも作ればいいか。
地味で大人しいニーナは、オレが何をしようが文句なんか言わないだろうし。
好き放題勝手にできる。
ま、ニーナがオレを大事にしてくれれば、オレも、一応、ニーナだけを大事にしてやるつもりはあるけどな。
「リチャード殿には照れもあって、多少ニーナに対して横柄な態度を取っているだけで、根底では、ニーナのことを好いている。ニーナも、そんなリチャード殿のことを分かっている……と、思っていたのだが……」
「だが、なんですか?」
まあ、オレも、素直に好きと言ったりはできないのだけれど。
ニーナがオレのことを好きだと言葉に出せば、オレも同じだと言ってやらんこともない。
オレが先に好きだとか何とかいうのは、負けたようで嫌だけど。
好きだと言えよと迫ったところで、ニーナはすぐに照れて、下を向くが。
だけど、オレのことを好いていることは決まっている。
だけど、言いにくそうに、フィッツロイ夫人が言った。
「ニーナは……、リチャード殿に嫁ぐくらいなら、修道院へ行くか、平民となって家を出ると、泣きながら言って……」
「はあ⁉ なんですかそれ!」
照れるにもほどがあるだろう、ニーナ。
「それで、泣いて……、自室に閉じこもって……。ずっと部屋に閉じこもっているのかと思ったのに、いつの間にか、いなくなっていたの。どこに行ったのか、皆目見当もつかないの……」
使用人たちも、ニーナがどこに行ったのか、わからないとのことだった。
フィッツロイ伯爵家の馬車を使った形跡もない。
使用人たちが働いている時間帯に出ていった形跡もない。
ただ、トランクや服、アクセサリーなどが、いくつもなくなっているようだということだった。
「部屋に誰かが侵入して、それでニーナを連れて行ったのでは……。ニーナが一人で家を出るとは考えられないでしょう」
オレがフィッツロイ伯爵夫妻にそう言ったら。
返ってきた返事にオレも父上も母上も驚いた。
「それが……、一人じゃないかもしれないの。だって、アンディもいないのよ」
「そうなのだ。もしかしたら、アンディとニーナの二人でどこかに出かけたのかも……と」
「二人で出かけるような先は、ジャクソン家以外に思い付かなくて……。旅行なら、我が家の馬車を使うでしょうし。でもその形跡もないし……」
「そうだな。息子と娘を連れて、我々が出かけた先なんて、ジャクソン家くらいしかない……。だから、手紙を書いたのだが……」
は? 何を言っているんだフィッツロイ伯爵夫妻は。
アンディ……だと?
オレは、父上を見て、それから母上を見た。
二人とも、フィッツロイ伯爵夫妻が何を言い出したのか……という顔をしている。
もしかして、ニーナがいなくなったことで、フィッツロイ伯爵夫妻の精神に変調をきたしてしまったのではないのか……。
父上がフィッツロイ伯爵夫妻をこわごわと見た。
「……アンディというのは、使用人の名前なのだろうか?」
恐る恐る、父上が聞いた。
まさかとは思うが、もしかしたら、フィッツロイ伯爵家に、アンディという名の使用人がいたのかもしれない。
だけど。
「我が息子のアンディだが」
フィッツロイ伯爵の顔は、昔から、家族ぐるみの付き合いをしているというのに、何故、息子の名前を知らないのだ……とでも言いたげだった。
オレは、ぞっとした。
おかしい。
母上は、手で口元を押さえている。悲鳴を上げるのを、耐えているかのように。
父上も、目を見開いている。
「あの……、失礼ですが、フィッツロイ伯爵。お気は確かですか?」
思わず、オレは言った。
「は?」
「その……、ニーナがいなくなったショックで、おかしくなってはいませんか?」
失礼だなと、怒鳴りそうになっているフィッツロイ伯爵を制して、オレの父上がオレの代わりに告げた。
「アンディは……とっくに亡くなっているじゃないか。葬式には我々も出席させてもらった。我が家のテレンスは、アンディのために、治癒魔法を学びに隣国に行ったが、間に合わなかったと、遺体に縋りついて泣いていた……。忘れたのか?」
父上の言葉に、フィッツロイ伯爵夫妻は「え? え? え?」と、何度か繰り返した後。
「あ……、ああああああああっ!」
何かを思い出したかのように、叫んで、そして、その場に泣き崩れた。