第2話:事のはじまりです
マーサ・アクトゥールは、王都にあるアクトゥール公爵家の庭を元気に走り回っていた。
8歳になっても、使用人の目を盗んでお転婆をしている。
意気揚々と走っていたマーサは、2歳年上の専属メイドのアルマが獲物を見つけた肉食獣のような目でこちらに向かってくることに気付いた。
「お嬢様!」
「あらアルマ、今日は鬼ごっこですわね」
走りながらよそ見をしたら、庭にはえている大きなクロマツに見事にぶつかり、気絶した。
その間に、私は不思議な夢をみた。
夢の中の私は、宮沢紗都という名前で日本のグンマに住む女子高生だった。彼女の家にはアクトゥール家の庭と同じくクロマツが植えてある。宮沢紗都はグンマカルタというカルタが得意だった。そして、グンマカルタの大会で優勝したお祝いで東京に旅行に来たときに、飲酒運転のパトカーに轢かれてしまった。
マーサが気絶してから30分ほど経過した頃、
「お嬢様、お加減はいかがでしょうか?」
アルマに声をかけられて、私は自室のベッドの上で目を覚ました。
普段から公爵令嬢らしからぬお転婆をしているせいか、アルマの対応も慣れており、傷の治療も終わっていた。さすが有能なメイド。
「えぇ、大丈夫よ。喉が渇いているから何か飲み物をもってきてもらえないかしら?」
アルマは、かしこまりました、と答えてから部屋を退出した。
淑女教育の成果で表面上は落ち着いた振る舞いをできていた。一方で、私の脳内は先ほどの夢のせいで盛大に唸っていた。
日本?グンマ?宮沢紗都?えっ?
夢の内容を思い出すにつれて、これが前世の記憶であり、転生したと理解した。
この際転生してしまったことはしょうがない、変えられない事実だから切り替えよう。けど問題がある。
この世界が、前世で親友がプレイしていた乙女ゲーム「傾国の美女〜女スパイは大国の王子様を籠絡する〜」の舞台に非常に似ているうえに、そのゲームの悪役令嬢がマーサ・アクトゥールであることだ。第二王子との婚約を破棄されて、アメリアの独立戦争の戦場に送り込まれて散ってしまうご令嬢である。
人違いじゃないかなーと淡い希望を持って、鏡に映る自分の姿を改めて見た。
少し青みが入った水晶のように綺麗な銀髪で、瞳の色はラピスラズリの美少女、、、やっぱりゲームの中のマーサ・アクトゥールとそっくりだよね。それにしても美少女だなー、かわいいなー、ラッキーとちょっと現実逃避してしまった。
どうしたものかと悩んでいると、アルマが部屋に戻ってきた。
「お嬢様、リンゴジュースをおもちしました」
「ありがとう」
私は、ベットから起き上がり、リンゴジュースを受け取り、少し飲んでからサイドテーブルにコップを置いた。一息ついて、現状を確認するためにアルマに聞いてみることにした。
「アルマ、私は8歳でしたわよね?」
「そうですよ、急にどうされたんですか」
「今日も怪我をしてしまいましたし、自分を見つめなおそうと思いまして」
第二王子との婚約は9歳で決まるはずだったから、あと1年はある。もしかしたら、婚約そのものを避けられるかもしれない。
「そうですか。頭が痛くなったら正直におっしゃってくださいね」
と、我が有能なメイドがちょっと冷たい。怪我して気絶したこと怒っているのかな。
「大丈夫、大丈夫よ。いつも手当してくれて感謝しています」
「そういえば、ルイスお父様とアリシアお母様から何か便りはきていますか?スパイン帝国からの侵略に対する防衛に向かわれて以来会えておらず、さびしいのです」
アルマは少し逡巡してから、事実をそのまま伝えることにしたようだ。
「届いていないようです。ルイス様とアリシア様はサウプトンに到着なされてからお忙しいご様子でいらっしゃいますね」
サウプトンはスパイン帝国と国境が面している防衛都市だったわね。
「我がアクトゥール公爵家は国の守護者とも言われ、ユースティティア王国きっての武闘派ですからね。有事の際には、公爵家に相応しい役目を果たさなけれななりません。特にサウプトンはフラー王国とも隣接しているので、三国間の戦争に発展する可能性もありますし、お父様とお母様がお忙しいのはしょうがありませんね」
「お嬢様、ご立派なお心構えでございます」
お父様は国きっての公爵家に相応しい人物だと思う。権力にあぐらをかいて国防ごっこをしているような貴族は国の癌で恥だ。我がアクトゥール家はしっかりと役目を果たす、と普段からおっしゃっていた。マーサも、将来その一翼を担うべく教育を受けていた。
会話も途切れたので、ちょっと体を伸ばそうとしたら、サイドテーブルに置いていたコップに肘があたってしまった。
アルマが「あっ」と言った瞬間には、私は床に落ちそうになっていたコップを空中で掴んでいた。
「お嬢様、リンゴジュースの替えをお持ちしますか」
「いえ大丈夫ですよ。一滴もこぼしていませんし。しかし、少々お腹が減りましたので、お菓子をもってきていただけますか?」
「かしこまりました。準備いたします」
アルマは部屋から出たあとに、マーサのことを考えていた。
最近専属メイドに任命された、可愛らしいご主人様。
いささか公爵令嬢らしからぬお転婆な行動をとることがあるが、それ以外は公爵令嬢に相応しい方だと思っている。
先ほどの俊敏な動きにはびっくりした。本人は当たり前のようにしていたが、テーブルから落ちたコップの中身を一滴もこぼさずに空中で掴む、とは一体どんな反射神経なのだろうか。武闘派のアクトゥールの片鱗を見たように思う。
「けどほんとかわいいのよね。何か考え込んでいるような、憂いを含んだ横顔は儚げでうつくしかったなー」
「眼福〜眼福〜♪」
軽くスキップしながらつい歌い出してしまったが、落ち着きのあるメイドらしくない振る舞いだと思い、すぐに口を閉じた。周りをキョロキョロ見渡し、人がいないことを確認して、聞かれてなくてよかったとホッとした。
今公爵家内で働いている使用人の数は少ない。というのも、アクトゥール家当主であるルイスが防衛戦に赴いたので、そちらに人員が割かれているためだ。スパイン帝国が南中央大陸を統一し、次は北中央大陸だとばかりに攻め込んでくるなんて、迷惑な事だ。
「早く戦いが終わって、ルイス様とアリシア様帰ってこないかなー。マーサ様喜ぶだろうなー」
マーサ様はお転婆で、怪我することが多いのよね。専属メイドになってから真っ先に慣れたのが、怪我の手当てなのは少しおかしいわね。
「手当て以外にもメイドの仕事に慣れて、マーサ様の専属メイドに相応しくなれるように成長しよう」
専属メイドはお菓子を片手に決意していた。
一方、当のマーサは自室で考え込んでいた。
これからどうしよう!
前世の親友に聞いたシナリオ通りにいくと、私の婚約者であるムーノ王子は属国アメリアの女スパイに籠絡され、私が悪役令嬢にされてしまう。ムーノ王子は、確かに顔はいいが、上部だけの無能である。正直、悪役令嬢のリスクがなくても、婚約はしたくない。
「婚約自体を避けたいわね」
サウプトンでの防衛戦のせいで、王城は忙しくしており、アクトゥール公爵家も人が少ない。ムーノ王子と私が子供ながら寂しかろうと、王城の大人の無駄な気遣いにより、同世代のお友達として顔わせを行うイベントがあるのだか、まだその提案はされていない。顔合わせがなければ婚約も避けられるのはないか。
「今のうちに、王都から離れる?しばらくアクトゥール領に引きこもればいいかしら」
マーサは、アクトゥール領に行くことを決意した。
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この世界のどこかの国、どこかの都市、そのどこかにあるカフェ。
そこに、不思議な雰囲気の2人の男女がいた。
「あら?わたしのお姫様が目を覚ましたようね」
「それはよかった」
「反応が薄いんじゃない?」
「俺達にできることはもうほとんどないからな」
「それもそうね」
女性が席から腰を上げた。
「ケイディー、急にどうした?」
「せっかくだし顔を見てくるわ」
「過度な干渉は、」
「大丈夫よ、たまたま街を歩いていたら、たまたますれ違うことくらいあるでしょ?あっ、それとここのお会計よろしくね、じゃあねウィリアム」
ウィリアムと呼ばれた男性は、やれやれという様子で見送った。