第6話(1/2):科学者とスイーツ
ギルドルビーナ。
それはその異世界における冒険者の派遣を司る互助組織だった。
戦士、魔法使い、格闘家、僧侶などのメジャーな職業から大工やスパイ、大人のお姉さんまでなんでもござれのギルドルビーナ。
そこに所属する誰もが最終目標として理解しつつも絶対に自分たちでは叶えられないだろうと諦めていたもの、それが魔王討伐だった。
「ホークスが偵察から戻ったぞ。
魔王城までの間に敵の姿はない」
「山羊たちの怯えもねぇだな。
元気に乳を出しとる」
鳥使いの報告に対しても呑気に乳搾りを続ける山羊使いを前に、戦士は顔面蒼白で叫ぶ。
「なんでだよ!? なんでそんな呑気でいられんの!?
あそこに見えるの魔王城だぞ! 魔王城!
今までに誰も生きて戻らなかったこの世の最果て!
そもそもその攻略に、なんで鳥使いと山羊飼いが参加しちゃってるの!?
せめてレンジャーとかの上級職に転職しようよ!
俺もまだ戦士だよ! レベルもまだ18だよ!
ありえねぇだろ!」
それは確かに至極真っ当な抗議なのだが、この戦士の頭に即座に鉄拳制裁が下る。
「いってぇ!」
「男の子がそんな情けないこと言わないでちょうだい。
モテないわよ?」
「百歩譲って認めるにしてもオカマのお姉さんからがモテたくないわ!」
鳥使い(B)、山羊飼い(A)、戦士(A)、大人のお姉さん(A)がこれから魔王城に挑むパーティである。
平均レベルは15。
常識的に考えて、これでは魔王はもちろん、地方の小規模なダンジョンすら攻略できない。
しかし、それを可能にしてしまうのが。
「はい! みんな、特製ケーキができたよ!
これ食べて、魔王も倒しちゃおう!」
料理による能力強化バフの最強チートを授けられたアマミだった。
そして、パティシエ勇者アマミは伝説になった。
かつてこの世界でも、科学者達を真っ二つに分断させた大戦争があった。
原子よりもさらに小さな世界、量子のふるまいに関する解釈論争である。
それまでの物理学の常識からはまるで理解できない実験結果の数々に、片方の派閥は「我々には未だ量子のすべてを解き明かすだけの観測技術がない」としてさらなる実験技術の向上を主張。
もう片方の派閥は「確かに量子は意味不明だがそういうものであり、それを飲み込んだ上での実用していく」として量子利用を主張した。
後にこの論争は後者の派閥の事実的勝利によって幕が降ろされるのだが、今この世界でその時と全く同じ戦争が異世界の魔法技術を題材に始まっていた。
「聞けば『勇者』達は『異世界』でこれらの『魔法』を『魔物』なるモンスターとそれを率いる『魔王』なる指導者を倒すために使用していたそうだが、現代世界にそんな荒唐無稽な怪異は存在せず、仮に勇者と同じように魔王がこの世界に現れるとしても勇者達の戦闘力も現代兵器とは比べ物にならない。
世界を包む大戦争が始まった今、多くの指導者は彼らを役立たずと罵った。
だが、氷魔法は熱量保存の法則を打ち破り、レールガンの完成へ技術を向上させた!
彼らの魔法は確かに戦闘行為には使用できないが、現代科学が抱える様々な問題に対するブレイクスルーとなるはずだ!
もちろん、世界がこんな情勢である中、レールガンにあるようにその技術はまず戦争と兵器開発に用いられてしまうだろう。
しかし、いつの世も技術を向上させる理由は戦争であり、戦争が終わった先にはその技術は世界全体の文化発展と平和のために用いられるもの。
熱量保存の法則を打ち破る氷魔法は、戦争の後には冷房技術に利用され、そしていずれ地球温暖化による極地の氷塊融解に伴う海面上昇の解決に用いられるだろう。
我々科学者は、彼らの魔法を用いてさらなる科学と技術の発展を目指すべきなのだ!」
その科学者の主張に演説の半分から新時代への期待を込めた歓喜の拍手が鳴り響き、もう半分からはまばらな拍手と冷ややかな視線が投げかけられていた。
そしてもう一人の科学者が壇上に登った時、その冷ややかだった視線を熱意に変わった。
「有志以来、科学の経脈は多くの謎を解き明かしてきた。
その時々で先人たちは理解できない難題に苦しみながらもそれについて議論をぶつけることで科学技術全般を発展させ、そして理解不能だった難題すらも遠からず解決してきた歴史を、ここにいる誰もが誇りに思っているはずだ。
科学とは苦しみと、その中での苦闘によって成り立っている。
その苦しみを魔法によって脱却しようというのは、あまりにも低俗であると言わざるをえない!
聞けば勇者達は神を名乗る何者かによって別世界から召喚された際にその強大な魔法を授かったと聞くが、そんなご都合主義的な力を自ら揶揄して『チート』と呼ぶらしい。
そのようなチート、つまり、『ずる』を利用して強大な敵に立ち向かう姿が背徳的な快楽を覚えることは私にも想像できる。
しかしその快楽はあくまで娯楽だからこそ許されるものだ!
学問の分野にチートを持ち込むべきではない!
確かに一時的にそれによって科学技術が飛躍的な向上を見せるだろうことは事実だが、チートに慣れた世界は緩やかな衰退を迎え、百年後、千年後の逆転に繋がるだろう。
それを食い止めるため、そして何より先人達への敬意を持って!
科学的に利用する前に、魔法の科学的理解を深めるべきなのだ!」
またしても片方からの熱い拍手を持って男が壇上を下りた後。
真っ二つに割れていたように見えていた科学者達はひとつの同じ思いを胸に手元の資料と正面モニターを交互に確認しつつ、左右の科学者達との討論を開始した。
この2つの論はどちらが正しいという話ではない。
双方が正しく、それ故に今後自分たち科学者が高度なバランス感覚を持って魔法に向き合っていくことが唯一の正解であることを誰もが理解していた。
だがそれでも、未だに立ちはだかり続ける宇宙の難題に疲労困憊した派閥が魔法による解決という快楽に溺れたがっていることも事実であり、もう片方では先人の名誉と封建的思考で魔法を拒絶し発展のチャンスを逃しかねない派閥が存在することも事実だった。
そしてその両方が、自分たちが危険な偏りにのめり込む可能性を恐れていた。
それ故に、一人の演説に拍手を行った派閥こそが封建的派閥であり、二人目に拍手を行った派閥が急進的派閥だったという奇妙な逆転現象が発生している。
今の演説は、自分たちの胸の内にある偏った考えをあえて宣言することで、全員に自制を促すためのものだったのだ。
これはこの世界における科学者達がかつての量子戦争を教訓として高いリテラシーを持ってこの第二次量子戦争と呼ぶべき魔法戦争に挑もうとしている証左でもあった。
「んー! お姉ちゃんのドーナツ最高!」
いざという時のために演者に罵声を浴びせる役目として呼ばれていたミス・スイーツ(8歳)はご満悦でホイップクリームの入ったドーナツを楽しんでいた。
人間は8歳の少女に罵られることで最も冷静になることができるという研究成果はこの世界でも常識だ。
「ダバネで観測された大爆発。
あれは一体どのようなものなのだ?」
そして今、激論がかわされているのは先週のダバネ実験場による大爆発についてだった。
「氷魔法と炎魔法の衝突により発生したことは事実。
そして、知っての通り氷とは水の個体である。
ならばあの爆発は、水が非常に温度の高い物質と接触することによる気化で発生する水蒸気爆発であると考えるのが最もベターだ」
「だが、水蒸気爆発であるとすればあの爆発規模とエネルギー量が説明できない」
「それは双方の魔法が我々の常識を超越するエネルギーを持っていたからではないのか?」
「そうだとしても、氷は氷、炎は炎だ。
特に氷に関して言えば、-273.15℃、絶対零度よりも下の温度になることは物理的にありえない」
「熱量保存の法則を無視する氷魔法が、絶対零度の常識に縛られるのか?」
「それを言い出せばきりがない。
この爆発も、魔法爆発で終わりだ」
「これも半ば魔法やオカルト的な話にはなってしまうが、四大元素論や五行思想において火と水は相反する立場にある。
魔法がそのような古典哲学的自然原則に縛られている可能性を考慮すれば、これは相反する存在による衝突、つまり、反物質による対消滅ではないのか?」
「対消滅なら逆にあの程度の爆発では収まらない。
それに実験場から未知の元素の痕跡は確認されていない。
オカルトはよそでやってくれ」
「そもそも魔法がオカルトだろう。
利用するにしろ研究するにしろ、我々は今後数百年そのオカルトと向き合わねばならない。
それが嫌ならば今すぐ足を洗って電気技師にでもなれ」
「君は議論がしたいのか? それとも喧嘩がしたいのか? どちらでも付き合うぞ」
「ああいいだろう。
あんたとはどっかで一度……」
ヒートアップする議論。ここでミス・スイーツの出番だ。
彼女は後ろ髪を惹かれつつドーナツを皿に戻して立ち上がり、二人の間のつかつかと近寄り。
「いい大人がみっともないことで喧嘩しないで!
どっちの言ってることもわけわからないし面白くないの!」
罵声と共に双方を両手で突き飛ばすのだが、ここで誰もが目と耳を疑った。
爆音と共に二人の体が吹き飛び壁に叩きつけられたのだ。
後になって病院に運ばれた被害者の肋骨にはヒビが入っていることが確認される始末だ。
この結果に最も驚いたのは当のミス・スイーツであり、わけがわからなくなった彼女はその場で泣き出しそうになってしまうのだが。
「あぁ! ごめんね!
私のドーナツを食べちゃったばっかりに!
ちゃんと説明してなかった私が悪いね!
ごめんねごめんね! 大丈夫だから泣かないで!」
会場の隅で科学者達用の軽食とミス・スイーツのためのお菓子を作っていたパティシエの少女が駆け出し、ミス・スイーツを優しく抱きしめた。
その様子に、科学者達は改めて「魔法」の恐ろしさを見る。
一方、演説の終わりでトイレに駆け込んだ若手科学者の彼は、その衝撃の瞬間を目にしていなかった。
それ故に、会場の中の科学者達が恐る恐るドーナツに手を伸ばす姿に首を傾げる。
「何してんすか? あれ」
「いや、ほら、ベルダから亡命されていた勇者の……」
「あぁ、パティシエの。そんなに美味しいんすか?」
「美味しいとかそういう話じゃなくて……
あのドーナツを食べると、物凄い力が出るみたいで。
さっき、ミス・スイーツが……」
「はぁ? いやいや、なんすかそれ。
ドーナツ食べて出るのはお腹でしょ」
「でも本当に……」
「はいはい。なら実験で証明してくださいよ、証明。
科学ってのはそういうもんでしょ?
えーと……そうだ!
こないだ見たスポーツ大会で、カラテキングがカワラワリをやってましたよね?
割れるカワラの数でパワーがわかるんでしょ?
まぁいきなりカワラなんて用意できませんけど、ならこれ割ってみてくださいよ!」
そういって笑いながら自分の鞄からタブレットを取り出す男。
「いやいや、流石に……」
「ははは。割れるわけないですって。
実は俺、よくタブレット落として壊す癖があって、それでもう絶対壊すもんかってことで、特注でタブレット作らせたんすよ。
プロテウスのタブレットをね!」
プロテウス。
この新素材は、アルミニウム、鉄、チタン、セラミック、ニクロムによる合成物質であり、驚異的な破壊靭性を持つ現時点で最強の盾とも考えられる物質だ。
単純な硬さで言えばダイヤモンドが世界最硬だが、ダイヤモンドは衝撃に弱いという弱点がある。
プロテウスはこの点でダイヤモンドよりも遥かに優れている。
ガジェットオタクでもある彼が大金をはたいて作らせたこの特注のタブレットは、どれだけ高いところから落としたとしても絶対に壊れないタブレットとして彼の自信の根源でもある。
言ってしまえば科学オタクのガジェット自慢である。
「ほらほら! やってみてくださいよ、カワラワリ!」
彼に煽られる男は、いかにも研究室にこもりきりの見た目で、腕は細いがお腹が少し出ているという不摂生に足が生えたような体格だった。
これでは普通の瓦も割れるか怪しい。
だが、彼も科学者であり、不可思議に対して実験を持って立ち向かう科学者のスタイルには人生を通して惚れている。
目の前で8歳の少女が大人を突き飛ばして壁にめり込ませる現場を見たとして、これが本当に誰にでも起こる現象なのかを証明したいという欲があった。
ごくりと息を呑んでからドーナツをかじった彼の周りには既に人垣ができていた。
「それじゃ……いくぞ」
固唾を呑んで見守るオーディエンス。
力学的に割るとしたらこのあたりに衝撃を与えるべきだと脳内でシミュレートを重ねる男。
プロテウスのタブレットが割れるわけがないとたかをくくる若手。
そしてついに腕が振り下ろされる。
結論から言えば、タブレットは真っ二つに割れなかった。
「は……?」
理解できない現象に目を疑う若手。
彼の前には、真っ二つに割れることはなく、バラバラに砕け散ったプロテウスの破片が転がっていた。




