第4話(2/2):陰陽術と量子暗号
「君ばかりに仕事をさせてしまってすまないね」
「いえ、問題ありません。ハオラン様」
クズハの活躍に対して、ハオランは特に何もすることがなかった。
陰陽師として星を見ようにも、そんなものは宇宙望遠鏡を使用した現代天文学を前にすれば何の意味もない。
一応風水的に建築のアドバイザーはさせてもらっているが、極論を言えば風水とは「部屋を綺麗にすれば仕事の効率が上がる」という当たり前なお片付け術以上の意味を持たない。
プログラムを覚えようにもクスハはもちろん隣のハッカーにも遠く及ばない始末。
ゲランでのハオランの活躍のすべてはクズハの活躍であり、それはハオランの中の劣等感と無力感へと繋がっていく。
尤も、ハオランにある意味では狂気的な愛情を覚えていたクズハにとってそのハオランとの関係は実に甘美な状態だったのだが、それはそれである。
そんなある日のこと。
「どうしたんだい? クズハ。浮かない顔をしているね」
「ハオラン様、実は……敵方にも私と同様の式神が現れたのかもしれません」
それはゲランがポーラの半分を支配し、花の都を落とし、ブリタス本土への上陸作戦を翌週に控えた日のこと。
圧倒的な速度でこちらの暗号を解読するスーパーハッカーが敵側に現れたのだ。
クズハは己の演算能力を用いてRSA暗号の桁数を増やすことで対抗策を打ったのだが、どれだけ素数の積の桁数を増やしても相手はその努力を嘲笑うかのように一瞬で暗号を解読してしまう。
ゲランのスーパーハッカー達とクズハはそれぞれ違う切り口からRSA暗号に変わる新たな暗号を開発したが、そのどれもがことごとく一瞬で破られる。
暗号解読のスペシャリストである敵は、もはやクズハと同様、いや、クズハ以上の式神であるとしか考えられない。
それはまるで、どれだけの力で滅ぼそうとしても不可能だった、あの魔王にすら思えてきてしまう。
「お願いです、ハオラン様。
私が……もしも私が使い物にならなくなっても……
どうか、どうか最後までお側に……!」
「何を言うんだ! そんなこと、当たり前だろう!」
とは言ったものの、自分たちの今の状況を考えるにまずい状況かもしれない。
ハオランの知る歴史をなぞるように、暴走をはじめたゲランではきな臭いイデオロギーが蔓延っている。
クズハが用済みと思われれば、親衛隊隊長ホムラは自分たちを処分する可能性もある。
そうでないにしても、これから不利に周るだろうゲランの侵攻を考えれば、前線に兵として送られることは十分予測できる展開だ。
一刻も早く、状況の改善が必要だ。
だが、スーパーハッカー達でもできない暗号化対応が中堅プログラマーのハオランにできるはずもない。
何か別の方法で、自分たちの価値を示すことはできないのか。
そんな焦りの中でもハオランにできることと言えば、ごく当たり前なお片付けテクニックを広めることだけだった。
幸いにも風水師としてのハオランは重宝されているが、それもゲランの勢いがある内だ。
「……ダメですね、この部屋は。
風水以前にそもそも片付けができてない」
今日も風水師として頼られるハオランだったが、その言葉からはつい日々の焦りといらだちが漏れてしまう。
それもこれも、その日訪れた部屋があまりにも汚かったためだ。
そんな汚部屋の主はハオランの言葉をへらへらと笑って流してしまう。
「そんなこと言っても、部屋のエントロピーが増大していくのは物理学的に言って当たり前ですから、仕方ないんですよぉ」
依頼人の名はアイゼンヴェルツ。
物理学者である彼は、物理学者らしい物言いで己のだらしなさを正当化した。
「そんなことよりも、聞きたいことがあるんですよぉ。
風水師……いや、陰陽師の先生に」
陰陽師の自分。学者の口からそんな言葉が出た事実に耳を疑う。
風水が統計科学であるように陰陽道もまたオカルトではなく平安の最新科学だが、現代科学からすれば時代遅れも甚だしい低レベルなものだ。
今更一体、陰陽道から何を学ぶというのか。
「その……太極図ってやつはぁ。
なんでそんな形をしてるんですかねぇ」
そう尋ねる学者にハオランは安堵と失望のため息をついた。
なんだ、ただ歴史が知りたいだけか。
まぁ、学者ならばこそ、そういった未知の知識を道楽的に欲してしまうのだろう。
「これは陰陽太極図とも呼ばれ、物事すべてに存在する陰と陽の性質を示しています」
「なるほどぉ。丸っこいですけど、これは回転するんですかぁ?」
「まぁ、そうやって吉凶を占うこともあります。
万物流転、陰陽反転。
2つは常に相反しながらも混じり合わず、されどその立ち位置を入れ替えます」
「なるほどねぇ。
回転するってことは、やっぱりスピン状態になるんですねぇ」
「スピン?」
なにやらよくわからない言葉で解釈をされてしまった。
スピン、回転。
そんな言葉、子どもの頃にベーゴマめいた玩具で遊んだ時以来だ。
「先生、ちょっとこれを見てもらえませんかねぇ」
「僕には物理学はわかりませんよ」
「まぁ、見るだけ見るだけ。
なんかインスピレーションを覚えませんかねぇ。
ここの数式が埋まれば、量子暗号の実用化に繋がるんですよぉ」
「リョウシ……暗号?」
それは、まるで予想しなかった角度から差し込んだ光明だった。
半袖シャツのスーパーハッカー達がペットボトルの炭酸飲料を飲みつつ作業する地下コンピュータールームの中で、狩衣に烏帽子のハオランの姿は異質の極みだった。
カタカタとキーボードが一定のリズムを刻む中、大幣を振って言霊を込める。
「唵斡嚩囉塔囉痲紇哩、陰陽封印、量子結界!」
大幣がコンピューターのHDDに触れた瞬間、すべての電子情報に暗号がかかる。
ちらりと目を配らせたクズハは深く頷き、己の姿を電子へと変化させた。
ハオランは半信半疑ながらも、計画の成功とクズハの無事を泰山府君に祈る。
一方その頃。
「もう勘弁してくださいよぉ、マリアさぁん!」
「はいはい。今日は後100件で終わりにしますからね」
マリアの私室に軟禁された怪盗Nは、最上位解錠呪文の詠唱を続けていた。
あらゆる電子暗号は仕組みやその強固さに関わらず一撃で破り続ける転生者N。
今となっては彼の仕事は、ゲランの電子戦を攻略するためになくてはならないものになっていた。
嫌々仕事させられている感をアピールするNだったが、こんなことで自分がこの世界でも活躍できることに喜びを感じていたことは事実だ。
あとなんだかんだ、女性と同棲できてしまっている。
「はい! 100個! 終わり! 今日は終わりでーす!」
「お疲れ様です」
背筋を伸ばしたNの後ろからマリアが優しく両手を回す。
後頭部にふわりとした感覚を覚え、Nの鼻の下がこころなしか伸びる。
なお、こんな生活が既に1ヶ月近く続いているが、Nが未だ童貞であることが彼の残念さでもある。
「マリアさぁん、僕、役に立ててますよねぇ?」
「もちろんですよ。
Nさんが破っているゲランの暗号通信は全体の30%でしかありませんが、呪文詠唱からキー書き出しの時間制約を考えればそれが限界ですし、なにより、それだけ破れば十分ゲランの情報を掌握することが可能です」
「ですよねぇ。へへっ……」
さらに伸びるNの鼻の下。
少しだけ体を後ろに倒すと、ふくよかな感覚をさらに味わうことができた。
ここで手までは出ないのがNの以下略。
しかしその時、ふとモニター画面を見たNの目の色が変わる。
「どうしました?」
「……スキル宣言、盗賊の直感」
対象の真贋を見抜くスペルを詠唱するNは、帰ってきた真である確かな証拠を確認しつつも画面の前で首をかしげる。
「どうしました?」
「いや、偽の情報を掴まされたような感じがしたんすけど、そんなことないみたいっすね。
でも……なんだ? なんなんだ? この違和感は……」
Nに数学はわからない。
けれども違和感に関しては、人一倍に敏感であった。
時同じくして、アザラシ作戦の真の旗艦を務める、潜水艦F-GM型内のCIC(戦闘指揮所)。
ブリタス本土への上陸を狙うこの作戦の表向きの旗艦は戦艦ジークフリートだが、実質的にこの作戦を統制しているのはこのゲルミル潜水艦だった。
そこに本土より作戦の詳細を伝える暗号電文が届く。
「艦長、本国よりの暗号です」
「未だ侮ることのできないブリタスを相手にしたアザラシ作戦。
その仔細が敵に流れることは断じて許されない。
昨今本国では暗号の脆弱性が指摘されていたが……」
指令ファイルを受信した艦長は、その中の4通を開くこともなく送り返した。
「艦長、そちらの確認は?」
「必要ない。これらの暗号は既に解読されている」
「は?」
通信技士はその職業柄、暗号解読に多少の理解がある。
暗号を解読したとして、重要なのはその「解読した」ということを敵に悟らせないこと。
そんなものは初歩の初歩だ。
昨今敵側に現れたというスーパーハッカーが、それを簡単に見抜かせるようなヘマを打つわけがない。
「艦長、一体何故……」
残りの8通を確認した艦長はにやりと笑った後で、水中に潜むF型潜水艦すべてに通達を出す。
「フレズ艦隊はブリタス湾を離脱!
アザラシ作戦は中止! 海上のジークフリートに接触打電!
ブリタス海軍に打撃を入れた後、すみやかに撤退せよ!」
かくしてゲラン艦隊は、この先に待つ氷の魔女のレールガンによる被害を最小限に抑え、特に虎の子である潜水艦部隊、フレズ艦隊に関しては無傷で危機を乗り切ったのだった。
「ただいま戻りました、ハオラン様」
「うまくいったみたいだな」
「はい。しかし……それはどのような術なのですか?」
ハオランは改めて自分の術の説明を行う。
「量子結界は、究極の暗号技術だ。
これまで人類の暗号の歴史は、暗号の進化と解読技術の進化によるいたちごっこだった。
その最先端であるRSA暗号が使いやすさと強固さを併せ持つ優れた暗号であることは事実。
だが、言ってしまえば解けない暗号などそもそもありえないんだ。
矛盾の逸話で語られたような『絶対に解けない暗号』は、この世界に存在できないんだよ。
そこで考え方を変えたのがこの量子結界。
これは、RSA暗号の追加オプションだ。
これを用いることで暗号の強度は一切変化しない。
敵方もいつもどおり解読が可能だ。
しかし、量子結界がかけられた暗号が傍受され解読された場合、その『解読された』という情報が一目でわかる仕組みになっているのさ。
そうしたら、その暗号伝聞は処分すればいいだけのこと。
これは究極的に、敵の暗号解読を無意味にする術なんだ」
目を丸くするクズハ。確かに理屈はわかる。しかし。
「そんなことが可能なのですか?
私でも数十分をかければRSA暗号の解読は可能です。
その際、相手に解読したという情報が流れないように再封印するはもはや当然。
それが不可能など、ありえません」
「ありえるのさ。それこそが、陰陽師の技。
太極図に記されしこの世の真実……量子スピンの利用だ」
「リョウシ、すぴん?」
「それはね……」
と、説明をはじめようとしてハオランは言葉を打ち切った。
量子力学の基本である量子のスピン角運動量。
これを利用したのが量子結界だが、正直この仕組みは難解な上に直感的な理解が難しく、学者から話を聞いたハオランをもってしてもあやふやな部分が存在していた。
ただひとつわかること。それは。
「この宇宙は物理学が支配している。
そこには様々な抗えない法則が存在する。
どれだけ速く移動しようとしても光速は越えられず、また、エントロピーの増大化を食い止めることもできない。
マクスウェルの悪魔ですら、僕が転生する少し前に日本の教授が打倒しているからね。
でもね、クズハ。
陰陽師は、その枠組の中央と外側に同時に偏在できる。
陰陽反転、僕のチートは、宇宙の理すら逆転させられるかもしれないんだ。
それでもさ」
そこまでの大見得を切って、ハオランは残念そうに笑う。
「それでも僕には、それが何故できるのかはまではわからない。
これがイメージで魔法を使うのと、チートで魔法を使うことの最大の差。
だからクズハは一生僕に勝てないけど、僕は何故クズハに勝てるのかちっともわからないのさ。
そんなの、本当の勝利って言えるのかな?」
そう弱々しい態度を見せるハオランこそ、クズハの愛したハオランだった。
「ハオラン様!」
「おっと……」
抱きつくクズハをやさしく受け止めるハオラン。
その美しい銀色の髪をやさしく撫でる中で、ハオランの目の色が反転する。
その先にあったのは、クズハの髪留め。
そこにあしらわれた太極の文様が、反転している。
「あの……ハオラン様? その、少しお力が……痛っ……」
クズハの体を強く、強く抱きしめるハオランの目は、怒りに燃えていた。
(そうだな。量子結界では、暗号解読自体を防ぐことはできない。
それは無敵の式神プログラムであるクズハも同じことだ。
そして、そんなクズハを『解読』するとは、つまり……)
ハオランを病的に愛するクズハと同じように、ハオランもクズハを病的に愛している。
それ故に、ハオランの想像力はただの情報に彩りを加えてしまい、狂った結論を導く。
(僕の……僕の愛するクズハを……寝取ったやつがいる)
「へくしっ!」
マリアの私室でNはくしゃみを発した。
ポーラの冬は寒い。
背後から羽織る物を取ろうと振り向いた時、そこには既にベッドで熟睡しているマリアの姿があった。
(……ちょ、ちょっとだけ。
ちょっとおっぱい触るくらいなら……)
震える手が伸びかけて、止まる。Nは童貞である。
「そ、それよりも!」
改めてNはパソコンのモニターに向かい、腕を組む。
Nには数学もプログラムもわからない。
それ故に、先程の暗号に対してかけた鑑定魔法の結果を持ってしても、自分が感じていた違和感の正体がわからないのだ。
「でもこれは、どう見ても……リバーシ板だよなぁ。
あれ? リバーシってこんなにマス目多かったっけな? うーん……」
Nはモニターに表示される碁板を前に頭をひねり続けた。
伝説の陰陽師、安倍晴明の母とも言われる妖狐葛の葉。
その前世は、唐の碁打ち玄東の妻、隆昌女であるとする説がある。
■次回予告
落ちぶれた女神たちを集めて始まる異世界勇者達の現代戦デスゲーム。
その能力を予想外の形で利用する転生者達の活躍を見ていた女神達が自らの勝利のために動き始める。
「自分の管理下の別の異世界から、追加の転生者を送り込むことは可能?」
炎の化身フレイヤの記憶に蘇ったのは自分が最初に異世界へと送った一人の男。
「私にも生きて子に会いたいという思いまでは拭えぬ。
だが、お前の言葉に乗ってその異世界とやらに向かえば、子と会うことはかなわぬのだろう?」
それは今を去ること80年前。
太平洋の地獄、硫黄島での出会いだった。
一方、未だ世界大戦への不干渉を貫く海を挟んだ大国マルティ合衆国では政府の思惑を隠した勇者と現代機甲大隊による大演習が行われていた。
「チートってのはなぁ……
頭使って最大以上の効果を出してこその! チートなんだよぉ!」
策略を絡ませ戦車大隊を殲滅する炎の勇者は、『炎王』と呼ばれていた。
だが、完全勝利に終わったかに見えた彼の前に現れたのは。
「筋は悪くない。だが、お前の命はここで終わる。
お前の犯したただひとつの過ち、それは……鬼畜米帝に組みしたことと知れ!
我が異界名は『炎帝』! 三千世界の悪鬼羅刹を尽く焼き尽くす修羅なり!」
次回、最強転生者達の現代出戻り列伝、第五話「炎王VS炎帝」
「まったく。なんで男子っていくつになってもバカなのかしら」