第10話(1/2):勇者と魔王
怪盗勇者Nは敵国ゲランに飛び込む逃避行で危険に晒されないのか。
普通に考えれば危険極まりない行動だが、こと異世界転生者であるNにとってはそうはならない。
「止まれ! 検問だ!」
「あ、お疲れ様でーす」
国内に潜むスパイに加え、国外に亡命を目指す市民及び国策で収容所送りにしている特定民族の人間を見つけるための親衛隊の検問。
Nとマリアの二人は今日まで何度もこの検問に引っかかっているのだが。
「いい天気なものでちょっとレジャーを楽しもうと。
どこか景色の良いとことかないっすか?」
「それならこの先の湖がいいぞ」
「ありがとうございまーす」
異世界転生者の基本スキルのひとつ、無条件に加わる他人からの好感度補正。
これを持ってすれば、魔族以外は最初からよほど強い意志を持って攻撃を加えようと思わない限り、転生者を疑ったり害をなす行動が行えない。
もはや洗脳に近いパッシブスキルである。
この能力を前にしてはゲラン親衛隊も、田舎の派出所勤務の気の良いおまわりさんに変貌してしまう。
こうして二人は一度もキャンピングカーの中を確認されることもなく、ほぼ顔パス状態で検問を突破できていたのだが、Nにとってはひとつだけ大きな問題があった。
「恋人さんと仲良くなー」
「こ、ここ、恋人ちゃうわ!」
それがほとんどの検問で二人がラブラブなカップルに間違われることであり、童貞のNはその度にエセ関西弁が出てしまう。
彼の目には恋人と呼ばれて満更でもないマリアの表情は一切入らないのだから、もうどうしようもない。
さておき。
そんな事情があるにしても何故二人はわざわざ敵国ゲランを執拗な追跡者からの逃避行の先に選んだのか。
その理由は2つある。
1つは追跡者の裏をかくこと。
普通に考えれば相手が戦争相手である自国の中を逃げ回るはずがないという先入観を逆手にとった選択だったが、結果的に追跡者ハオランには通用していない。
一方のもう1つの理由。
それは、ゲランで行なわれている超兵器研究の調査、妨害、そして打破を行うためだった。
Nは確かにゲランの暗号通信のほとんどを解読しているが、それでも超兵器研究に関する直接的な情報は持たない。
では二人はどうやってその研究場所を見つけるつもりなのか。
それは。
「先の湖、行ってみますか?」
「んー、いや、多分こっちですね」
Nの勘だった。
途中をすっ飛ばして直接答えを「なんとなく」把握する盗賊の直感。
盗賊スキルを極めたNだからこその、究極的なチートスキルだった。
この直感は二人を超兵器の実験場へ導くと同時に、追跡者ハオランが先を予測して配置した式神の包囲網を完璧に回避するという離れ業を見せていた。
しかも、二人の乗るキャンピングカーは荷台に重量級のスーパーコンピューターを搭載しておきながらぬかるんだ土の上にもタイヤの跡を残さない。
キャンピングカーによる忍び足である。
異世界でも馬車で忍び足が行えていたのだから、キャンピングカーで行えない道理などなかった。
Nの盗賊スキルは、逃げに回った時にはまさに最強の名に恥じないもととなるのだ。
「なんか急に曇ってきましたね」
「嫌な天気っすねー」
気付けば空は曇り模様。
日の光は確かに鈍くなったが、目の前の光景に変化が起きたのはそれだけが理由ではなかった。
「ここ、ほんとにゲランすか?」
「地図上ではそうなりますが……」
絶望的なエネルギー不足の中でも石炭発電を用いず、戦争するしかないほどの貧困に身をやつしてでも自然環境の維持にこだわったゲラン。
だがこの周辺の荒廃は極まっている。
山肌は露出し、流れる小川は化学物質の色に染まっており生き物の気配を感じない。
ヴァルハラに突然現れたヘルヘイムのようなその光景は、この一体がゲランにとって特別な何かに使用されていることの証左だった。
「マリアさんはキャンピングカーに残ってください」
「いえ、私も行きます」
予想外の答えを即答し支度を整えるマリアにNの目の色が変わる。
「いやいや、危ないでしょ!?
マリアさんは軍人やスパイの訓練も積んでませんよね!?」
「でも、守ってくれますよね?」
マリアは既にNとの恋に落ちていた。
そのきっかけが異世界転生者特有のハーレム補正にあったことは事実だろう。
だがそれはあくまできっかけ。
今のマリアは純粋にNの強さと誠実さに惹かれている。
普通に考えればこのセリフも「そういうこと」なのだが。
「……確かに、隠蔽スキルの時間制限を考えれば、俺といっしょに居た方が安全っすね。
流石マリアさんだ、そこまでチートスキルの扱いを考えて!」
Nの唐変木さはもはやチートを通り越したギャグの域に足を踏み入れており、マリアはため息をつくことしかできなかった。
手にした太極図に反応がない。
この数日、終始眉間にシワが寄っていたハオランの表情がさらに強く強張る。
その背後からハオランを抱きしめ、豊かな胸を背中に押し付けるクズハ。
片手でクズハの顔を愛情込めて撫でつつも、その視線は太極図に集中している。
「おかしい。この先は本当にゲランか?」
「そうですね。自然が完全に死んでいますわ」
近年の研究では、植物にも意志のようなものがあり、周囲の環境を感知し他の個体に伝える能力があることが証明されている。
トーキング・プラント説と呼ばれるこの考え方は、科学者から提唱された30年前はオカルトにすぎないと厳しい批判に晒されたが、今は実際に植物が意志を持ち、匂いを持って周辺とコミュニケーションを取っていることまでが解明されていた。
平安時代の最先端科学である陰陽道は、天体をはじめとした自然環境を深く観察し、統計的データを持って自然の究極に至ろうとした学問である。
そこでは西洋の一神教的宗教観や中途半端な解明が進んだ科学の考え方の介入を受けなかったが故に、現代の最先端自然科学、宇宙物理学、そして、量子力学に至る発見が理論までは伴わずとも先取りされていた。
太極図を操るハオランは、植物の感覚を大地の龍脈を通して読み取ることで、逃亡者として最強であるNの動きを逃さずにいた。
自然の豊かなゲランでは、至るところにハオランだけが利用できる監視カメラがあるような状況だったのだ。
ところが、Nが逃走した先にはその監視カメラが、自然が存在しない。
それはゲランにしてはありえない場所だった。
「クズハ、頼む」
「わかりました」
クズハの姿が光に包まれ、ハオランの持つ衛星データリンク端末に吸い込まれる。
数十秒後、再び現世に受肉したクズハがハオランに首を振った。
「親衛隊のサーバーにも記録がありません。
該当の場所は地図から消されています」
「親衛隊の上だと……?
そんな情報ランクを持つ組織、僕は知らないぞ」
ハオランにとってのすべてはクズハである。
彼が安全な核シェルターを抜け出してまでNを追うのは私怨であり、クズハへの狂気的なまでの独占欲と愛情故だった。
たとえ世界が滅んでもクズハと二人静かに暮らしていければそれでいい。
ハオランは本気でそう考えている。
それ故にこの瞬間、ハオランの行動の優先順位はNの追跡からこの場所の調査へと入れ替わった。
自然の無い滅びの大地。
それはクズハと静かに暮らせる場所ではない。
もしもゲランがこの星の姿をそう変えようとしているなら、もはや国家間の戦争の勝ち負けの問題ではない。
数万数億の人の命が失われることまでは見てみぬふりができても、星の命が失われることは許せないのだ。
「今更にはなりますが、親衛隊のホムラ様に事情を伝えて……」
「その必要はない。いくぞクズハ」
太極図をしまい、バイクスーツを脱ぎ捨て、ハオランにとっての戦闘服である狩衣と烏帽子を纏い宣言する。
「僕のすべては君だ、クズハ。
二人の生きる星を汚すやつを、僕は絶対に許さない」
直接言葉にされての愛を伝えられたクズハにも行動の優先順位はある。
光に包まれ一瞬全裸になった後、クズハもまた彼女にとっての戦闘装束である花魁衣装を身に纏った。




