第9話(1/2):闇魔法と反物質
魔王は混沌の中枢だが、魔王にも家族が居る。
弓の蛮族ネクトは実際に魔王の家族を殺しているが、彼の行いはむしろ人道的だと言える。
それは、残される方がより大きな絶望が待っているからだ。
「兄様! ルテス兄様!」
「すまない、ユウカ。
クソ親父をこの手で殺せず、勇者なんてやつに討たせてしまった俺の弱さこそが悪だ。
魔王の子である俺達はこの先、人間からも魔物の残党からも付け狙われるだろう。
そんな地獄への道、お前を歩ませることはできん」
「それなら兄様も!」
「無理だ。平和な世界に意識を飛ばす力は莫大だ。
親父の遺産をすべて使ってやっとお前一人なんだ。
お前だけでも、幸せに育ってくれ」
「嫌です! お母様を殺され、お兄様とも別れて、それでどう幸せに生きられるって言うんですか!? どんな絶望的な世界でも、お兄様と二人なら、私は……!」
その叫びにルテスの顔が歪む。
弱さに流され、涙が流れそうになる衝動を必死で押し殺し、最愛の妹から目を逸らす。
「すまん、達者でな」
「兄様! 兄様―!」
この時、魔王の子ルテスは嘘をついていた。
彼が妹の意識を送るために使ったものは父であった魔王の遺産だけではない。
己の命の炎とも言える魔力のすべても使い果たしていたのだ。
この先、ルテスがまともな生活を送ることは不可能。
この彼に出来る選択は、どこでどう死ぬか以外にはなかった。
はず、だったのだが。
「仕事とは言え、そういうものを見せられると私もねぇ」
彼の前に現れたのは花嫁装束を身にまとった転生の女神。
勇者をこの世界に招き、兄妹の絶望を影からプロデュースした仇とも言える相手だった。
「……神に魔族の気持ちなどわからんだろうな」
「いや、わかるよ」
そう言って女神は角隠しを取る。
そこには文字通り、魔族の証である角が隠されていた。
「私も似たような経験をした過去があるからねぇ。
もう数千年も前だけど」
その事実を聞いたとしても、ルテスの怒りが消えることはない。
尤も、彼にはその怒りを女神にぶつける力が残されていないわけだが。
「もういい。俺に出来ることなど何も無い」
「そうねぇ。なら、僅かなチャンスに賭けてみない?」
「どういうことだ?」
「転生者は常に平和な世界から来る。
この平和というのは、私達神々の規定によるもので、あなたの中の平和の概念とは違うんでしょうけど。
ともあれ、魔王が消えたこの世界は今『平和』なの。
これがどういう意味かわかる?」
「回りくどい」
「あなたを転生させましょう。
そこで勇者、いや、魔勇者として向こうの魔王を討ちなさい」
ルテスは思わず唾を吐いた。
「俺達の生活を無茶苦茶にしておいて、さらには自分の飼い犬に下れというか。
つくづく神の傲慢さには呆れが止まらん。
そんな貴様がかつて誇り高き魔族だったという事実が、むしろ俺の苛立ちを加速させる」
「へぇ、人間みたいなことを言うのね」
「なんだと?」
女神は角隠しを被り直し、魔王の子に女神として手を差し伸べる。
「感情を捨て合理のみで判断できる心を持つ者こそが魔族。
ならば、この状況であなたが取るべき最も合理的な判断は何?」
ルテスは顔をしかめ、その汚いものを手に取った。
ゲラン東部、ツィレスブルク。
地獄の西部戦線から最も離れたここの地の基地に今、ゲラン空軍の最強戦力が集まっていた。
「入るぞー……って、起きてんなら返事しろよ」
早朝、自分の部屋に足を踏み入れたサトルにシュウカは露骨な嫌悪感を示した。
「私の部屋に入るなって言ったわよね。
せめてノックはしなさいって」
「したよ! お前が気付かなかっただけだ!
だから俺の周りに圧をかけるのをやめろ!」
「それはごめんなさい」
軽くなった体にサトルが軽くため息をつき。
「これがほんとの重い女、なんちゃって」
「潰れたカエルごっこはいかが?」
「申し訳ありませんでした!」
70度腰を折って頭を下げたサトルの視界に、一瞬珍しい物が入る。
「それ、手鏡か?」
シュウカの手に握られていたのは、アンティークの手鏡だった。
どうみても年代物で、こちらの世界に来てから手に入れた物には見えない。
これを使っていてノックに気付かなかったのだろうか。
それにしては周りに化粧道具がないが。
「……兄さんの形見なの」
悲しそうに小さく呟いたシュウカに、普段はデリカシーのないサトルの顔も曇る。
「す、すまん! 踏み込まれたくないとこだったよな!? 本当にすまん!」
「別に。もう17年も前だし」
その返しに思わずサトルは首を捻る。
シュウカは確か17歳。
その言葉が真実なら、彼女は生まれた当時の記憶を持っていることになってしまう。
そこまで考えて合点がいく。
ようは、生まれた当時に不幸があったことを親から聞かされはしていただけで、実際の記憶はないのだろう。
だから、デリケートな部分に踏み込んでしまった俺があっさり許されたということだ。
ともあれ、この件はこれ以上追求しないことにしよう。
「それで? 何か用?」
「あぁ、そうだった。ルーデンさんが、訓練飛行をしようって」
朝から嫌な名前を聞かされたシュウカの表情が歪む。
魔王ルーデン。
自分が殺さなければならない相手の名前。
「それ、ガーデラスさんの許可は出ているの?」
「えっ? いや、流石にあれだけいつも釘を刺されていれば……」
「あの人がそれで言うこと聞くと思う?」
「……思わない」
ゲラン空軍のエースパイロット、ルーデン。
戦車乗りならその名を聞いた瞬間に戦車を捨てて逃げ出すとも言われる押しも押されもせぬ不動のエースだ。
逆に言えば、もはやルーデンは生きてゲランに居るだけで戦場に対して圧をかける存在となっているということであり、もしも彼が撃墜されるようなことがあれば敵軍の士気は跳ね上がってしまう。
それを恐れたゲラン総統によって最強でありながら、もとい、最強であるが故に後方に左遷させられたのだ。
訓練飛行とはいえ、パイロットが飛ぶということは常に死と隣合わせになるという意味。
自分が総統のポジションに居れば絶対に認めないし、お目付け役として置かれているガーデラスもそう考えるはず。
だが、こと今の自分の立場から考えれば。
「……殺すチャンスね」
「え?」
「行きましょう。ガーデラスさんに気付かれないうちに」
「お、おい! いいのか!?」
手早く身支度を済ませるシュウカ。
最後に手鏡を手提げ鞄におさめて振り返り。
「ルールでも感情でもなく。合理で考えましょう」
悪魔的な笑みをサトルに向けた。
ゲランの自然は美しい。
それは、この国の事情を考えればひどく歪な光景だった。
戦争の発端となったシュヴァルツヴァルト原子力発電所事故と、それに伴う全土の原発停止、そこから来るエネルギー不足。
現在最も安価に電力を生産する方法は石炭火力発電であり、早急なエネルギー自給を目指すならほぼ一択とも言える。
実際ゲランは国内に豊富な炭鉱床を残している。
世界はゲランがエネルギー不足回復を目指し石炭発電所建造ラッシュから国内全域での環境汚染を絶望的に加速させた東方の大国と同じ道を歩むと予測した。
しかし、そもそも事故以前からゲランが原子力政策を推し進めた理由は、世界でも稀に見る環境意識の高さからだった。
そんな真面目なゲラン国民は、自分の職と明日の飯よりも数千年の未来にゲランの美しい自然が残されることを選択し、高価で効率の悪い再生可能エネルギー発電を選択した。
それがゲランの美しい自然を残すと同時に、戦争以外の未来を閉ざしてしまい、狂人的指導者の台頭を導いたのはもはや皮肉である。
「ふぅ……本当に、綺麗」
泉で水浴びを楽しむ女性には、人間にはありえない九本の尻尾が生えていた。
朝の運動の後で身を清めていた妖狐クズハの目に、陰陽太極図を睨みつけるハオランの姿が映る。
「そんなに険しい顔をしていると、疲れてしまいますわ」
裸のまま背後から抱きついたクズハの片手が下に伸びるが。
「今はいい」
ハオランの声で手が止まり、そのまま三歩下がってため息をついた。
「それにしても、ハオラン様と私がここまで苦戦するとは」
「逃げて身を隠す能力だけで言えば魔王を遥かに越えているな」
「やはり、私達と同じ……」
「だろうな」
ゲランの美しい自然は、古くからの龍脈をほぼ無傷の状態で今に残している。
相手はまさか自分たちが敵国ゲラン国内に逃げるなど予想できないだろうと考えたのだろうが、結果的に言えば大間違いだ。
電子の海から厳重に隔離し、人工衛星の目をかいくぐったとしても、木々の目は大地の龍脈を通してハオランの元にその位置を伝える。
「さらに東に逃げたか。追うぞ、クズハ」
身支度を済ませバイクの背に荷物を積み込むハオランにクズハはできるだけ表情を変えないよう意識を配りつつ話しかける。
「その、ハオラン様。
確かに私達は女神様からデスゲームの中に投げ込まれてしまいました。
しかし、その指示に従う必要があるのかは疑問です」
「勝者にはすべてが手に入ると言った。欲しくはないのか?」
「私のすべてはハオラン様です。
勝手ながら、既に手に入っていると自負しています。
ハオラン様の『すべて』は、何なのですか?」
「言うまでもない」
「言葉にしなければわからぬものもあるでしょう」
身支度をするハオランの手が止まる。
「何故たった一人にそこまで固執するのですか」
「それは……」
振り返った先でハオランは、今にも泣き出しそうなクズハを見る。
彼にはそれがどうしようもなく愛しくて、それ故に。
「君には秘密だ」
「何故で……っ!」
その口が強引に塞がれる。
クズハの心が溶け、不安も悲しみもすべてが愛に推し流れた。
「ず、ずるいです。そういうことは……!」
「そうだな。似た者同士だからな」
頬を膨らませて可愛らしい怒りを示すクズハに、改めてハオランは事情を説明するべきではないと決意した。
それを語ってしまえば、クズハを必要以上に喜ばせてしまうから。




